代表には「ノー」と言ったセンターバックが、それでもイタリアを目指す理由
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「ノー」と言ったセンターバックが、イタリアを選ぼうとしている理由

ある電話から、物語は始まった。
2022年5月、ロベルト・マンチーニからの打診がアルゼンチン人DFマルコス・セネシに届く。
イタリア代表としてプレーしないか。
祖先にイタリア系を持ち、パスポートも取得できる。
当時フェイエノールトでプレーし、オランダリーグの最優秀DFにも選ばれていたセネシにとって、それは悪い話ではなかったはずだ。
だが、彼の返答は「ノー」だった。
「自分はイタリア人だとは感じない」
そう考え、イタリア代表の道を断った。
その同じ選手が、いまはプレミアリーグのボーンマスから今季限りで契約満了となり、イタリア・セリエAのユベントスが獲得に動いていると報じられている。
代表は断ったのに、リーグには行こうとしている。
一見すると矛盾しているように見えるこの選択の裏側に、どんな「考える時間」と「選ぶ作業」があったのだろうか。
国を「選ばない」という選択
パスポートよりも、自分の感覚を信じること
マンチーニから声がかかった2022年当時、セネシには二つの道があった。
- イタリア代表を選び、ヨーロッパの大舞台への近道を歩む
- アルゼンチン人としての自分を貫き、「待つ」ことを選ぶ
どちらが「正しい」かではなく、どちらを「自分は選べるか」が問われる場面だ。
しかも、判断に与えられた時間は長くない。
彼は「少しだけ考える時間をくれ」と言いながら、心の中ではもう決めていたと言われている。
イタリア代表になれば、ワールドカップやユーロへの道が開ける。
キャリア的には、大きなステップアップになる可能性があった。
それでも「自分はイタリア人とは感じない」と考えた時、その違和感をごまかさなかった。
パスポートやルール上は問題なくても、自分の中の感覚が追いつかない。
そこであえて「ノー」と言うことは、サッカー選手としてというより、一人の人間としての決断だったのかもしれない。
もし自分が選手で、日本代表か、他の国の代表かを選ぶ場面に立ったとしたらどうだろう。
可能性を広げるために、「日本人らしさ」を一回横に置いて、別の国を選ぶか。
それとも、たとえ遠回りになっても、自分がしっくりくる方を待つか。
セネシは後者を選んだ。
その後、時間はかかったが、アルゼンチン代表にたどり着いている。
「ノー」のあとにやってくる、別の「イエス」
| 観点 | 代表選択(アイデンティティ) | クラブ選択(環境) | 評価 |
|---|---|---|---|
| 選択の性質 | 「誰として生きるか」 | 「どこで成長するか」 | ◎ |
| セネシの結論 | アルゼンチン人を貫く | イタリアリーグを目指す | ◎ |
| 判断軸 | 内なる感覚・違和感 | 戦術的成長機会 | ○ |
| リスク | 代表入りの機会を失う | 文化・言語の障壁 | △ |
| 結果 | アルゼンチン代表に到達 | ユベントス移籍報道 | △ |
代表とクラブは、同じ「選択」でも質が違う
ここで興味深いのは、「イタリア代表」は断ったセネシが、「イタリア・セリエAでプレーすること」には前向きであり続けた点だ。
イタリアのリーグはずっと意識しながらも、国籍としてイタリアを「名乗る」ことには踏み切らなかった。
同じイタリアでも、代表とクラブでは意味がまったく違う。
- 代表は、自分が「誰として生きたいか」というアイデンティティの選択
- クラブは、今の自分が「どこで成長したいか」という環境の選択
「イタリア人ではない」と感じていても、「イタリアのサッカーで自分を試したい」と感じることは、矛盾ではない。
国籍と職場は、同じ基準では選ばない。
それは、大人になってからの仕事選びに少し似ている。
日本人として日本に誇りを持ちつつ、職場は海外の方が自分に合うと感じる人もいる。
セネシのケースは、サッカー界版のそういう選び方と言えるかもしれない。
日本の選手たちも、これからますます「どの国のリーグでプレーするか」を選ぶ時代になる。
そのとき、代表のユニフォームの色と、日常のクラブの色が必ずしも一致しないキャリアが、もっと増えていくだろう。
センターバックが「何をもたらすか」でチームは変わる
- ポジション説明を更新する — 「CBは守れればいい」ではなく「後方からリズムを作るポジション」と伝え、ゲームへの関与意識を変える
- 左右の利き足をビルドアップで意図的に使い分ける — 左利きCBが右センターに立つと斜めの縦パスコースが生まれることを練習で体感させる
- 中盤の役割とセットで設計する — CBがゲームを組み立てられるなら、中盤には走力・強度を優先配置できる、というチーム構造の発想を持つ
左利きのCB一人で、中盤の役割が変わる
ユベントスがセネシに強い関心を示していると言われる理由は、単に「守備ができるから」ではない。
彼は左利きのセンターバックで、足元の技術が高く、後ろからボールを運んだり、パスのテンポを作ったりできる。
いわば、最終ラインにいる「もう一人のレジスタ」だ。
身長185cmと空中戦に強く、しかも人に付くときの一瞬の寄せや前へのアタックが鋭い。
ここで面白いのは、クラブ側の「発想の転換」だ。
後ろからゲームを作れるセンターバックを置くことで、中盤の構成を変えることができる。
一般的に、試合をコントロールするためには、中盤にゲームメイカーを置く発想が強い。
だが、センターバックがビルドアップのリズムを作れるなら、中盤にはよりフィジカルや推進力のある選手を置ける。
ユベントスは、セネシが入ることで、
- 「なら、中盤にはもう少し走力や強度を足せるのではないか」
- 「ゲームの整理は、後ろからでもできるのではないか」
と考えている可能性がある。
一人の選手の特徴が、他のポジションの役割分担を変えてしまう。
その「ドミノ」をどう設計するかが、今のヨーロッパのクラブが常に頭を使っているポイントだ。
「どのポジションで考えるか」という問い
- 感覚の違和感を大切にする — 条件が整っていても「自分らしくない」と感じたら、その感覚が最終的な判断軸になりうると知っておく
- 複数競技の経験が独自の武器になる — セネシがラグビー・バスケの動きをCBに活かしたように、異なるスポーツの身体感覚はピッチの判断力に直結する
- 代表とクラブは別の基準で選んでいい — 「どの国を名乗るか」と「どこでプレーするか」は異なる問いであり、矛盾ではないと理解する
日本のセンターバックに求められるものは何か
日本では、ゲームメイクと言えば今でも「ボランチ」というイメージが強い。
チームの中で一番サッカーIQが高い選手を中盤に置きたくなる。
しかし、ヨーロッパでは、
- 後ろから組み立てるセンターバック
- サイドから内側に入ってくるサイドバック
- トップから下りてくるセンターフォワード
など、「どこからゲームを作るか」の選択肢がどんどん増えている。
セネシのように、最終ラインから試合のリズムをコントロールできる選手は、その中でも価値が高い。
では、日本の育成現場でセンターバックを任された子どもは、どんなイメージでそのポジションに立っているだろうか。
- 「足が速いから最後のカバーを頼まれている」
- 「背が高いから真ん中でヘディング要員になっている」
- 「技術が足りないから後ろに回されている」
こうした感覚でプレーしている選手も、少なくないかもしれない。
一方で、セネシのような存在を前提にすると、センターバックには
- どこにボールを運べばチームが前進しやすくなるか
- どのタイミングでリスクを取り、どこで安全にプレーするか
- 味方の中盤の選手をどう楽にしてあげられるか
といった「考えるテーマ」が求められる。
守ることに加えて、攻撃の入口としての責任も生まれる。
もし自分がセンターバックをやる立場なら、そのことをどう受け止めるだろう。
「責任が重いから嫌だ」と感じるか。
「ゲームを動かせるポジションとして面白い」と感じるか。
どちらを選ぶかで、同じポジションでも見える景色は変わっていく。
「ラグビーとバスケット」からセンターバックを考える
違う競技が教えてくれる身体の使い方
セネシは、サッカー一本に絞る前、ラグビーやバスケットボールにも取り組んでいたと言われている。
それは、ただのエピソードではない。
ラグビーは、コンタクトとスペースの奪い合いのスポーツだ。
前に進めない状況で、どこにスペースがあるかを見つけ、横や後ろにボールを動かしながら前進していく。
バスケットは、狭いコートで数的優位を作り、ピック&ロールなどで相手の守備のバランスを崩す競技だ。
両方とも、サッカーのセンターバックに必要な要素とどこかでつながっている。
- 味方と相手の位置関係を瞬時に把握する
- 身体をぶつけながら、ファウルにならないギリギリでボールを奪う
- どこにパスを出せば、その後が楽になるかを考える
複数の競技を経験したことで、セネシの身体の使い方や状況判断は、「センターバックとしての型」にハマり切らない幅を持っているのかもしれない。
日本でも、幼い頃からひとつの競技に絞ることが多いが、違うスポーツの動きや考え方を知っている選手は、ポジションへの理解が少し違った角度から育っていく。
たとえば、バスケの経験があるサイドバックなら、1対1で相手との距離を詰めたり、身体の向きを作ったりする感覚が自然と身についているかもしれない。
ラグビーをやっていたフォワードなら、空中戦の競り合いやコンタクトの怖さに強くなることもある。
セネシの背景を知ると、選手の「過去の選択」が今のプレースタイルにどれだけ影響しているかを考えさせられる。
「フリーで取れる」選手に、どんな価値を見ているのか
お金ではなく、時間の投資という視点

今、セネシはボーンマスとの契約が今季で切れる状況にある。
つまり、移籍金ゼロで獲得可能な選手だ。
ヨーロッパのクラブは、「フリーで取れる選手」をどう見ているのだろうか。
移籍金がかからないことは確かに魅力だ。
だが、ただ「安いから」という理由だけで動いているわけではない。
ユベントスのようなクラブからすると、
- 左利きのセンターバックという希少性
- プレミアリーグとオランダで培った経験
- イタリアのパスポートを持ち、登録面でも有利になること
といった要素を総合して、「今、このタイミングで獲りに行くべきか」を考えている。
フリーだからこそ、年俸や契約年数など、別の形での投資が必要になる。
つまり、「お金」ではなく、「時間」と「チームの形」をその選手にどこまで預けるかという判断が問われる。
ここにも、「選ぶ側」のクラブの思考がある。
もし、自分がチーム作りを任されていて、予算に限りがある中で
- 高額な若手を一人取る
- フリーで取れる即戦力を数人集める
どちらを選ぶだろうか。
セネシのような選手は、その「答えの出ない悩み」の延長線上にいる。
何を「手放さず」に、何を「変える」のか
セネシの選択から、私たちが持ち帰れる問い
セネシは、アルゼンチン人として生きる感覚は手放さなかった。
イタリア代表になるチャンスがあっても、それは変えなかった。
一方で、プレーする国やリーグについては柔軟に変えようとしている。
オランダからイングランドへ。
そして、もしかしたらイタリアへ。
変えないものと、変えていくもの。
その線引きを、自分で決めているように見える。
日本でサッカーをしている選手たちも、いつか似たような場面に立つことがあるかもしれない。
- ポジションを変えるか、そのままこだわるか
- 海外に挑戦するか、国内で積み上げるか
- 勝てるチームに移るか、自分がチームを育てる側に回るか
そのとき、誰かに言われたからではなく、「自分がどう感じるか」を軸にできるかどうか。
答えを急がず、「一度立ち止まって考える」時間を持てるかどうか。
セネシがマンチーニの誘いに「少し考えさせてほしい」と言った、あの数時間。
あの短い時間の中で、自分の中の声を丁寧に聞いたからこそ、その後のキャリアにブレが少ないのかもしれない。
最後に残るのは、ひとり一人の「自分ならどうするか」
まだ答えの出ていない物語としての移籍話
ユベントスが本当にセネシを獲得するのか。
契約満了までに、他のクラブが動くのか。
現時点では、どれも決まっていない。
ただ、移籍話が進んでいく裏側には、必ず
- 選手自身の「どう生きたいか」
- クラブの「どんなチームにしたいか」
という二つの思考が行ったり来たりしている。
ニュースとして見ると、「フリーで取れる左利きCB」「ユベントスの補強ポイント」といった言葉が並ぶ。
だが、その一歩奥側にあるのは、一人の選手が自分の国をどう感じているかという感覚であり、複数の競技を渡り歩いてきた身体の歴史であり、一つのクラブが未来の中盤の形まで含めて考える構想だ。
ピッチの上のプレーだけでなく、その背景にある「考え」と「選択」に目を向けてみると、同じ移籍の噂でも、少し違った物語として立ち上がってくる。
もし、自分がセネシの立場だったら。
もし、自分がユベントスでチーム作りを任されていたら。
どんな決断をするだろうか。
その問いを胸に、彼の次の一歩を静かに見守ることも、サッカーの楽しみ方の一つなのかもしれない。
ボールが転がる前に起きている、目に見えない決断の積み重ねに思いを馳せるとき、サッカーは少しだけ、人生に近づいて見えてくる。
