スタジアムのゴール裏に掲げられた横断幕。クラブと選手の居場所・アイデンティティをテーマにしたサッカーコラムのイメージ

僕はどの物語の一部になりたいのか――サッカーが問いかけるクラブと選手の「居場所」

DEFINITION
クラブ選びとは「どの物語に加わるか」という選択である
テトボでは「どのユニフォームを着るか」が「自分はどの物語に身を置くのか」という問いになる。クラブを選ぶとき、強さや実績と同じくらい、そのクラブの文化や大事にしているものと自分の価値観が重なるかを問うことで、選択の意味が変わってくる。

「これは僕たちの街だ」から始まるサッカーの話

スタジアムのゴール裏に、大きな横断幕が広がる。 「これは僕たちの街だ。お前たちは観光客だ」

北マケドニアの都市テトボで、シュケンディヤのサポーターグループ「バリステット」が掲げたそのメッセージは、単なる煽りではない。 背後には、歴史、民族、言語、そして「ここに自分の居場所はあるのか?」という問いが、何十年も積み重なっている。

だが、ここで考えたいのは民族対立そのものではない。 もっと小さなスケールに引き寄せてみると、このクラブと人々の物語は、サッカーをするひとりの選手が「自分は何者か?」「どこに立つのか?」を選んでいくプロセスとも、意外なほどつながって見えてくる。

テトボに二つのクラブがあるという事実

同じ街、違うユニフォーム、違う「自分たち」

テトボには、ふたつのクラブがある。 アルバニア系住民の象徴となったシュケンディヤ。 そして、マケドニア系住民に支持されてきたテテクス。

人口の約65%がアルバニア系、25%ほどがマケドニア系とされるこの街で、二つのクラブは、それぞれ「自分たちの物語」を背負ってきた。 一方は、ユーゴスラビア時代にトップディビジョン経験を持ち、社会主義マケドニア共和国の中でタイトルも手にした伝統。 もう一方は、小さなクラブとして出発しながら、アルバニア系コミュニティの「居場所」として意味を持ち、やがて体制側から危険視され、80年代には活動を禁じられる。

その後、独立マケドニア時代の1992年にシュケンディヤは再建され、長い上り坂を経てトップリーグへ。 2010年以降はマケドニアリーグで5度の優勝を果たし、いまや国内の強豪と呼ばれる存在になった。

同じピッチの上なのに、クラブが纏う意味はこんなにも違う。 「どのユニフォームを着るか」という選択が、単なるスポーツの話を超えて、「自分はどの物語に身を置くのか」という問いになってしまう街が、テトボだ。

クラブが「消される」とき、何が奪われるのか

COMPARISON / クラブ選択の基準:現実的観点 vs 物語的観点
観点 現実的基準(よくある) 物語的基準(記事が提案) どちらも大切度
強さ・実績 リーグカテゴリ・優勝回数で判断 クラブが守ろうとしている文化・哲学 ◎ 両立できれば理想
進路・機会 プロ・進学への可能性で選ぶ 「ここで何を学べるか」を問う姿勢 ○ 優先度は状況による
アクセス 家から通いやすいか そのピッチが「自分の場所」と感じられるか △ 感情的絆は後から育つ
コミュニティ チームメイトの質・指導者のレベル どんな人たちと時間を共有するか ◎ 継続に直結する要素
クラブの存在意義 スポンサー・施設・育成実績 禁止されても戻ってきた歴史のような「不屈の意味」 △ 多くの場合は意識されない
◎=特に重要 / ○=状況次第 / △=見落とされがち

試合がなくなる以上に重いもの

社会主義政権のもとでシュケンディヤが禁止されたとき、なくなったのは公式戦のスケジュールではない。 スタンドに集まる理由。 仲間と同じ方向を向いて歌う時間。 「ここでなら、自分でいていい」と思える場所。

クラブが消されたとき、多くの人は「政治的判断」という言葉で片付けてしまう。 だが、ピッチでボールを蹴る選手や、それを見つめる子どもたちにとっては、「自分たちの色を、堂々と見せていい場所」を失うことでもあったはずだ。

もし、自分のチームがある日突然「存在しなかったこと」にされるとしたら。 自分が小さい頃から通ってきたグラウンドが閉鎖され、「そのクラブの名前を口にするな」と言われるとしたら。

そう想像してみると、「チーム選び」ということの重みが、少し違って見えてくる。 どこでプレーするか、どのクラブを応援するかは、人によっては「自分がどの物語に加わるのか」という選択になっている。

選手がクラブを選ぶとき、本当に自由か?

FOR COACHES / FOR COACHES — 指導者が問い直す3ポイント
「なぜこのやり方を選んだか」を自分に問う
  1. クラブの物語を選手と共有する — 練習前後に「なぜうちはこのスタイルでやるのか」を短く言語化し、選手が「自分ごと」として消化できる場を定期的に設ける
  2. 「失点するな」ではなく「なぜ失点したくないか」を問いかける — 指示を受け取る受動的な選手を作らず、自分なりの理由を持ってピッチに立てるよう、練習後に1問だけ問いを投げる習慣をつくる
  3. うまくいかなかった試合の振り返りを「何を変えずに、何を変えるか」で整理する — 叱責や称賛ではなく、次の1プレー目をどう変えるかという具体的な問いで選手の内省を引き出す
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ロリク・カナとジェルダン・シャチリが動いた理由

2013年、シュケンディヤは深刻な財政難に陥り、このままではクラブ存続さえ危ぶまれる状況にあった。 そこで救いの手を差し伸べたのが、テトボ出身の企業「エコログ」。 この買収を後押しするキャンペーンに、アルバニア系のスター選手、ロリク・カナとジェルダン・シャチリが関わったと言われている。

彼らは、普段はまったく別のクラブに所属し、ヨーロッパの大舞台でプレーしている。 それでも「シュケンディヤを助ける」という行動を選んだ背景には、「外国にいる自分たちにとって、このクラブはコミュニティの『前線基地』なのだ」という感覚があったのかもしれない。

プロになった選手が、自分の出身クラブや地域のクラブを支える。 日本でもよくある話に聞こえる。 だが、テトボの場合にはもう一層、違うレイヤーが重なっている。

  • これは「地元愛」なのか
  • それとも「民族としての誇り」を守る行為なのか
  • あるいはその両方なのか

サッカーを通じた選択の裏側に、「自分はどの集団に属していると感じているのか」という、やわらかいけれど重い問いが見え隠れしている。

「僕はどの物語にいたい?」と問いかける

FOR PLAYERS & PARENTS / FOR PLAYERS & PARENTS — 選手・保護者が持つ3つの視点
「どの物語の一部になりたいか」を一度だけ問いかける
  1. クラブ選びで「ここで誰とどんな時間を過ごすか」を想像する — 強さやカテゴリに加え、そのクラブが大事にしているものを一つだけ挙げてみると、選択の軸が少し変わることがある
  2. うまくいかなかった日の後こそ「なぜあのプレーを選んだか」を一つ思い出す — 叱るより先に「自分はどう考えていたか」を聞く習慣が、長期的な判断力を育てる
  3. 子どもがチームを選ぶ場面では「どんな選手になりたいか」を一緒に考える — 「強いから」だけでなく、その先にどんな成長があるかをイメージする会話が、選択後の迷いを減らす

日本でクラブを選ぶときの、もう一つの視点

日本でサッカーをしていると、多くの場合、クラブを選ぶ基準は次のようなものになりやすい。

  • 強いか、実績があるか
  • カテゴリーが高いか
  • 進学やプロへの可能性がありそうか
  • 家から通いやすいか

どれも、とても現実的で、大切な判断材料だ。 だけどテトボの二つのクラブの話に触れると、もう少しだけ別の問いを重ねてみたくなる。

  • ここでプレーすると、自分はどんな人たちと、どんな時間を共有するだろう
  • このクラブが大事にしているものは、自分にとっても大事にしたいものだろうか
  • 勝つこと以外に、このチームが守ろうとしているものは、何だろう

テトボの選手たちは、おそらく若いころからこんなことを、もっと切実なかたちで意識せざるを得なかったはずだ。 「どのクラブでプレーするか」が、「自分はどちら側の物語に立つのか」と結びついてしまうから。

日本では、そこまでの覚悟を持ってクラブを選ぶ場面は、そう多くないかもしれない。 だからこそ、逆に少し立ち止まって考えてみる余地がある。

もし今、自分がチームを選ぼうとしているなら。 もし保護者として、子どもの所属先について悩んでいるなら。 数字や実績と同じくらい、「このクラブの物語の一部になりたいか?」という問いを、心のどこかに置いておくことはできるだろうか。

「アプローチの仕方」は誰が決めるのか

フィオレンティーナの120分に見る、チームの心の揺れ

ヨーロッパのカップ戦で、フィオレンティーナはポーランドのヤギエロニアを相手に、初戦を3対0で勝利していた。 「次は、勝つこと。失点しないこと。そして、エネルギーを温存すること」 指揮官パオロ・ヴァノーリは、そんな狙いを口にして試合に入ったとされる。

だが、ふたを開けてみれば、延長戦まで戦う120分。 4失点して敗れ、求めた3つのうち、どれ一つとして達成できなかった。

ここで面白いのは、「結果が悪かった」という話にしてしまうのではなく、「なぜあのメンタルで入ってしまったのか」を想像してみることだ。

3点のリード。 相手は格下だという空気。 守れればいい、という意識。

そうしたものが、選手たちの判断を少しずつ鈍らせ、「自分は今、何を優先してプレーしているのか」という軸をぼやかしていった可能性がある。 前線でボールを失ったあと、戻るのか、戻らないのか。 守備でラインを上げるのか、下げるのか。 個人レベルの迷いが積み重なっていけば、どれだけ戦術的に整理されていても、チームは脆くなる。

逆に言えば、ヴァノーリの「3つの条件」は、本当に選手たちの中で「自分ごと」として消化されていたのか、という問いも立てられる。

  • ただ「失点するな」と言われたから守るのか
  • なぜ失点したくないのか、その理由まで自分なりに考えていたのか
  • 「エネルギーを温存する」と「集中を高く保つ」は、両立させるにはどうすればよかったのか

監督が何を言ったかだけでなく、それをどう受け取り、自分なりの言葉にしてピッチに持ち込むか。 そこにも、選手一人ひとりの「考えるサッカー」がある。

若い選手は、うまくいかなかった日をどう扱うか

押し込まれたディフェンダーと、突然ハットトリックを決めた19歳

同じ試合で、フィオレンティーナの若いセンターバック、コムッツォは難しい夜を過ごした。 相手FWプルルに背負われ、ボールを収められ、ターンされ、何度も「後手」に回る。 足を出しても安定を崩せず、前に入ろうとしても、一歩遅れる。

ゲームのたびに相手が違い、出てくる課題も違う。 だが「うまくいかなかった日」をどう扱うかは、その先の選手人生に深く関わってくる。

  • 「相手が良すぎた」と片づけてしまうのか
  • 「自分は何を怖がっていたのか」を振り返るのか
  • 「次に同じタイプの相手と当たったら、最初の1プレー目をどう変えるか」と考えるのか

一方で、ヤギエロニアの19歳の攻撃的MF、バルトシュ・マズレクは、それまで公式戦で1点しか取ったことがなかった選手だという。 その彼が、この日ヨーロッパの舞台で3ゴールを決め、一躍スポットライトを浴びた。

「実力が急に伸びた」のではない。 それまで準備してきたことと、その日の試合展開と、ほんの少しの運が重なり、一気に結果として表に出たのだろう。

もし自分がコムッツォの立場だったら。 あるいはマズレクの立場だったら。 どんな夜の過ごし方をするだろう。

  • 叱られた場面だけを何度もリピートするのか
  • うまくいった場面だけを切り取って安心するのか
  • 「何を変えずに、何を変えるか」をゆっくり選び直すのか

失敗も成功も、「次にどう選ぶか」の材料にできる人は強い。 けれど、その材料を急いで結論にしなくてもよい、という余白もまた必要だ。

サポーターの挑発と、境界線の話

「誰かを怒らせるために応援する」ことの先にあるもの

トルコで行われた試合では、ノッティンガム・フォレストのサポーターを挑発するため、地元フェネルバフチェの一人が、敵対クラブと深い因縁をもつダービー・カウンティのユニフォームを着てスタンドに現れたという。

そこには、「相手を徹底的にイラつかせてやろう」という明確な意図がある。 だが、その感情を突き詰めていった先に、何が残るのか。

テトボのバリステットが掲げた「これは僕たちの街だ、お前たちは観光客だ」という横断幕。 それもまた挑発ではあるが、その背後には「ここでだけは、誰にも奪われたくない場所」という強烈な願いが透けて見える。

一方で、「相手を怒らせること自体」が目的になった挑発は、いつどこで線を引けばいいのかが難しくなる。 サッカーはライバルがいるから面白い。 だが、ライバルへの感情が、自分の時間や心の大きな部分を占めすぎたとき、それはまだ「サッカーを楽しんでいる」と言えるのだろうか。

もし自分が、スタンドで何かを叫ぶとき。 もし自分の子どもが、対戦相手を揶揄するチャントを真似し始めたとき。 そこでどんな言葉を選ぶかは、小さなようでいて、かなり大きな選択だ。

「自分で選ぶ」ために時間をかけていい

答えに飛びつかないサッカーの見方

テトボのシュケンディヤ。 フィレンツェのフィオレンティーナ。 ポーランドのヤギエロニア。 イングランドのノッティンガム・フォレスト。

ぜんぜん違う場所で起きている出来事のように見えて、その裏側にはいくつか共通する問いが流れている。

  • 自分は、どの物語の中にいたいのか
  • クラブを選ぶとき、どんな価値を一緒に選んでいるのか
  • 試合にうまく入れなかったとき、その理由をどう受け止めるのか
  • うまくいった日、失敗した日を、次の自分の判断にどうつなげるのか

こうした問いに、「正解」は用意されていない。 だからこそ、少し時間をかけて、自分なりの答えを探していくしかない。

もし今、あなたが選手なら。 今日の練習や試合の中で、自分がした選択をひとつだけ思い出してみてほしい。 「なぜ、あのプレーを選んだのか」 そう自分に問い直してみるだけで、サッカーの見え方は、少しずつ変わっていく。

もしあなたが保護者なら。 子どもがどんなプレーをしたかだけでなく、「なぜそのチームを選んだのか」「このクラブでどんな時間を過ごしたいのか」を、ゆっくり聞いてみてもいいかもしれない。

もしあなたが指導者なら。 戦術やメニューより少し手前にある、「なぜこのやり方を選んだのか」を自分に問い直してみると、選手への伝え方も変わってくるかもしれない。

サッカーは、誰の街でもありうる

FAQ / よくある質問
Q. サッカーでクラブを選ぶとき、強さ以外に何を基準にすればいいですか?
A. 記事では、クラブが大事にしているものと自分の価値観が重なるかを問うことを提案しています。「ここでプレーすると、どんな人たちとどんな時間を共有するか」「このクラブが守ろうとしているものは自分にとっても大切か」という問いを、強さや実績と並べて考えることで選択の意味が変わります。
Q. 試合でうまくいかなかった選手に、保護者はどんな言葉をかけるのがいいですか?
A. 記事は「結果ではなく過程を見る」視点を重視しています。ゴール数や勝敗より、「なぜあのプレーを選んだのか」「どんなことを考えながらプレーしていたのか」を聞くことで、選手が自分の判断を振り返り次の選択に活かせるようになります。「一試合で未来が決まるわけではない」という前提を保護者が信じられるかどうかも大切です。
Q. チームが大量リードから逆転負けするのはなぜですか?
A. 記事ではフィオレンティーナが3点リードから逆転負けした例を取り上げ、「相手は格下」「守れればいい」という意識が判断を鈍らせた可能性を示しています。指示を「自分ごと」として消化できていないと、個人レベルの迷いが積み重なり、戦術的な準備があってもチームは脆くなります。
Q. サポーターの挑発行為はどこまで許されるものですか?
A. 記事では「相手を怒らせること自体が目的になった挑発」と「自分たちの居場所を守るための主張」を区別しています。挑発の感情が自分の時間や心の大部分を占めすぎると、まだサッカーを楽しんでいると言えるのかという問いを記事は投げかけています。子どもが対戦相手を揶揄するチャントを真似し始めたときの言葉選びも、保護者として重要な選択だと述べています。

消えない問いと、一緒に歩くということ

テトボでは、かつてシュケンディヤというクラブが「消された」。 それでも数年後、同じ名前で、同じ色で、同じ街に戻ってきた。

「これは僕たちの街だ」 そう言い切ることは、日本にいる私たちにとっては、遠い世界のように感じられるかもしれない。 それでも、部活のグラウンド、地域のクラブのピッチ、週末に通う少年団の練習場。 そこを「自分の場所」と感じる気持ちは、きっとどこかでつながっている。

どのクラブでプレーするか。 どんなプレーを選ぶか。 誰を応援し、どんな言葉を口にするか。

その一つひとつの選択に、自分なりの理由を探してみる。 すぐに答えを決めなくてもいい。 迷いながら、揺れながら、それでも考え続けること自体が、サッカーと一緒に生きるということなのかもしれない。

ボールは転がり続ける。 そのたびに、「自分ならどうするか」と立ち止まってみる余白を、少しだけピッチの横に置いておきたい。

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