PK判定に揺れたオサスナ対アトレティコ戦から学ぶ──育成年代の指導者と選手のための「不公平な判定への向き合い方」と「考えて選ぶサッカー」の実例分析
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PK一つで勝敗が決まるように見える夜に、何が動いていたのか

アウェーのスタジアムで、スコアは0-1。
オサスナの選手たちは、ペナルティエリアの中で転んだ味方を見つめて立ち尽くしていた。
主審は一度、ペナルティスポットを指さした。
だが、VARのチェックを経て、その指は「取り消し」に変わる。
歓声と怒号が混じり合い、スタジアムの空気が一瞬でひっくり返った。
前半に与えられたアトレティコ・マドリードのPKは認められ、後半のオサスナのPKは取り消された。
結果だけを並べれば、アトレティコの2-1というアウェー勝利。
アデモラ・ルックマンのPK、アレクサンダー・セルロートのヘディング、そしてオサスナのキケ・バルハの一矢。
けれど、この90分の中で本当に問われていたのは、「PKがあったかどうか」だけだったのだろうか。
笛が鳴る前に、何を選ぶか
グリーズマンが「倒されに行った」のではなく「状況を読み切った」瞬間
試合の流れを変えた最初のPKは、アントワーヌ・グリーズマンがペナルティエリア内でハンドを誘ったところから始まった。
視点を変えると、この場面は単なる「運」ではない。
グリーズマンは、相手DFの体の向き、腕の位置、自分との距離、ボールの高さを、瞬間的に読み取っている。
シュートを打てるか、ドリブルを続けるか、味方に預けるか。
そのどれでもなく、「相手にとって一番守りづらいボール」を選び、結果としてハンドを誘った。
ここで大事なのは、「PKをもらうためにプレーしたかどうか」という道徳的な議論ではない。
同じ状況で、自分なら何を見て、どの選択肢を消し、どこに賭けるのか。
グリーズマンほどの選手でも、「全部見えている」わけではない。
限られた時間と情報の中で、自分なりの「これが一番ゴールにつながる」という仮説を立てている。
この仮説を持つ力こそ、「その場で考える力」の一つの形かもしれない。
| 選択 | 行動の例 | チームへの影響 | 成長への効果 |
|---|---|---|---|
| 崩れ落ちる | ピッチで動きが止まる、声がなくなる | 全体の士気が下がる | △ ほぼなし |
| 審判に向かう | 判定に抗議し続け、試合の流れを止める | 退場リスク・集中力低下 | △ マイナスになりやすい |
| 走り続ける | ボールに向かい、プレーを継続する | チームの勢いを保つ | ◎ 最後の得点につながる可能性 |
| 声をかけ合う | 仲間に「切り替えよう」と伝える | 個人の感情をチームで共有できる | ○ 連帯感が高まる |
| 次の一手を考える | スコアと残り時間から冷静に戦略を再設定する | 戦術的な対応が可能になる | ◎ 試合の流れを変えられる |
ルックマンがスポットに立つとき、何を抱え込んでいるのか
グリーズマンがつくったPKを決めたのは、アデモラ・ルックマンだった。
チームには他にもキッカーになりうる選手はいる。
グリーズマン自身も蹴る候補だっただろう。
それでもルックマンがスポットに立ったのは、監督の指示だけではなく、「本人が蹴る」と決めたからでもある。
PKは、成功すれば「当たり前」、失敗すれば「戦犯」と言われやすいプレーだ。
そのプレッシャーを引き受けてでも蹴ることを選ぶのか、それとも別の選手に任せるのか。
この「引き受けるか、委ねるか」もまた、一つの選択だ。
もし自分がPKのキッカーを任されたらどうだろうか。
自信があるから蹴るのか、失敗が怖いから任せるのか。
あるいは、自信はないけれど経験を積むためにあえて蹴るのか。
どれを選んでも間違いとは言い切れない。
大事なのは、どの選択をしたのかだけではなく、なぜその選択をしたのか、自分で説明できるかどうかだろう。
PKが取り消されたオサスナが、なお走り続けた理由
- 不利な判定のあとに「次の5分間をどう戦うか」を問いかける — 「今のは絶対ゴールだった」と一緒に怒るのではなく、「次をどうするか考えよう」と前を向かせることで、判定への対応力をひとつのサッカースキルとして育てる
- PKのキッカーをどう決めるかをチームで事前に話し合っておく — 自信・経験・役割という視点から「引き受けるか委ねるか」を考える対話を練習の中に組み込み、プレッシャーへの耐性をつくる
- 勝った試合でも「一つだけ直したいこと」を全員で出し合う習慣をつくる — 勝敗だけでなく、ゴールに至るまでの「小さな選択の積み重ね」を振り返ることで、考えるサッカーの土台を育てる
「不公平」に見える瞬間に、どんなサッカーをするか
オサスナに与えられたかに見えたPKは、VARで取り消された。
スタンドから見れば、そしてピッチの中の選手から見れば、「なぜあれはだめなんだ」と感じても不思議ではない場面だった。
この「なぜ」というモヤモヤを抱えたまま、試合は止まってくれない。
選手たちには二つの時間が同時に流れる。
- 判定への怒りや不満が頭を占める時間
- スコアと残り時間から次の一手を考える時間
PKが取り消された後、オサスナは一度崩れ落ちる選択もできたはずだ。
「今日はついていない」と割り切って、90分をやり過ごすこともできた。
それでも彼らは、最後の最後にキケ・バルハのゴールで1点を返すところまで走り切った。
この時にそれぞれの選手の中で、どんな会話があったのかはわからない。
ただ一つ言えるのは、「不公平に感じる判定のあとにも、自分たちで選べることは残っている」ということだ。
走るか、止まるか。
声を出すか、黙り込むか。
審判に向かうか、ボールに向かうか。
理不尽に出会ったときこそ、その人の「選ぶ力」が際立つ。
- 不公平な判定のあとも、自分で選べることは必ず残っている — オサスナが最後の1点を返したように、「走るか止まるか」「声を出すか黙るか」という選択は常に自分の手の中にある
- PKを蹴る・蹴らないの選択には、どちらも間違いはない — 大事なのは自信や恐れの有無ではなく、「なぜその選択をしたのか」を自分で説明できるかどうかだ
- 帰り道に「不利な判定のあと、自分のプレーは乱れやすいか」と考えてみる — 自分の傾向を知ることが、次の試合での「切り替える力」を鍛える第一歩になる
監督は、どこで感情を飲み込んだのか
こうした判定があった試合の後、監督は必ずと言っていいほど質問される。
「PKだったと思うか。」
「VARの判定をどう感じているか。」
感情をぶつければ、サポーターはスカッとするかもしれない。
一方で、チームとしては次の試合に向けて「言葉を整える」必要もある。
判定に不満を持ちながらも、チームの戦い方や選手の姿勢についても触れるかどうか。
審判だけを責めて逃げ道をつくるのか、あえてチームの課題にも目を向けるのか。
ここでも指導者には選択がある。
判定をめぐる感情と、チームを前に進めたいという責任の間で、どこに言葉を置くのか。
少年サッカーでも、同じような場面は日常的に起きている。
自分のチームのゴールがオフサイドで取り消されたあと、ベンチからどんな声をかけるか。
「今のは絶対ゴールだった」と一緒に怒るのか、「次をどうするか考えよう」と前を向かせるのか。
どちらが正しい、という話ではない。
ただ、一人ひとりの指導者が、「自分はなぜその言葉を選ぶのか」を自覚しているかどうかが、選手の心の中に長く残っていく。
アトレティコの「勝ったのにすっきりしない」現実
もう何も懸かっていないはずの試合で、何を懸けるのか
アトレティコ・マドリードは、この試合の時点でリーグ戦の目標をほぼ失っていた。
優勝争いからは遠く、残留争いとも無縁。
いわゆる「もう何も懸かっていない」状態に見える。
それでも彼らには、別のプレッシャーがのしかかっていた。
直近13試合でわずか3勝、8敗という苦しい流れ。
どんなクラブも、結果が出ない時期はある。
しかしアトレティコほどのクラブになれば、その一つひとつの敗戦が、選手や監督の評価に直結する。
そんな状況で迎えたオサスナ戦は、単なる「消化試合」ではなかったはずだ。
選手たちは、何を自分に課してピッチに立っていたのだろうか。
- 自分のポジションを守ること
- 来季に向けて監督にアピールすること
- チームとしての信用を取り戻すこと
それぞれが別々の目標を持ちながらも、ひとつのチームとして勝たなければいけない。
この「個人」と「チーム」の間で揺れる感覚は、どのレベルのサッカーにも存在している。
自分のプレーを出したい気持ちと、チームのために役割に徹しなければならない義務感。
どこまで自分を出し、どこからチームを優先するのか。
アトレティコの選手たちもまた、その間で毎試合、揺れているはずだ。
セルロートの一撃に至るまでの「準備」
セルロートが決めた2点目のヘディングは、マルコス・ジョレンテのクロスから生まれた。
ここだけ切り取れば、「いいクロス」と「強烈なヘッド」で片づけられるかもしれない。
ただ、その前にはたくさんの「小さな選択」が積み重なっている。
- ジョレンテが内側から外側に流れるのか、外側から内側に走るのか
- セルロートがニアに飛び込むのか、ファーで待つのか
- クロスを上げるタイミングを早くするのか、ワンタッチ余分に持つのか
それぞれが一瞬で選んだ結果が、あの一点に結びついた。
指導現場では、どうしても結果となるゴールシーンだけを切り取りやすい。
しかし、考え方を育てようとするなら、「その前の選択」こそ丁寧に見たいところだ。
同じようなクロスの場面で、自分だったらどう走るか。
ジョレンテ側の立場で、セルロート側の立場で、相手DFの立場で。
役割を入れ替えながら何度も想像してみることは、「考えるサッカー」の入り口になる。
退場という「失敗」をどう受け止めるか
セルロートにアシストをしたジョレンテは、その後に退場処分を受けてしまう。
ゴールに直接つながる仕事をしながらも、チームを数的不利にしてしまった選手。
この矛盾した立場に、どう向き合うか。
本人にとっても、監督にとっても、仲間にとっても、簡単な整理では済まない。
ジョレンテのプレーの良さを認めながら、退場の場面での感情や判断をどう改善していくのか。
ここでもまた、「何が正しいか」ではなく、「なぜそうなったのか」を一緒に辿る姿勢が大切になる。
日本のピッチで、この試合をどう受け取るか
「判定」を習い、「解釈」を習っていないかもしれない

日本の育成年代の試合では、判定をめぐる不満があっても、表立って大きな騒ぎになることは少ない。
その背景には、「審判の判定には従うべき」という教育的な空気もあるだろう。
一方で、「判定に従うこと」を教える一方で、「判定をどう解釈し、自分の中で消化するか」という部分は、あまり言葉にされていないかもしれない。
オサスナ対アトレティコのような、PKの有無が試合を左右した場面は、実は良い教材にもなりうる。
- もし自分のチームに不利な判定が出たとき、次の5分間をどう戦うか
- キャプテンとして、どんな声をかけるか
- ベンチにいる選手は、ピッチにいる仲間にどんな表情を見せるか
こうした問いを投げかけ、選手自身に考えてもらうことで、「判定への対応」も一つのサッカースキルとして磨いていけるかもしれない。
結果だけを見ない習慣を、どこから始めるか
アトレティコはこの試合に勝った。
しかし守備ではまた失点し、クリーンシートはならなかった。
連敗は止まったが、「完璧な試合」と胸を張れる内容ではなかったかもしれない。
この中途半端さは、育成年代でもよく似た形で現れる。
勝ったからOK、負けたからダメ、という単純なラベルを貼るだけでは、選手の思考は育たない。
むしろ、勝った試合こそ「うまくいかなかったこと」を丁寧に振り返る余白を残したい。
そして、負けた試合でも「できたこと」「続けたいこと」をちゃんと掬い上げたい。
オサスナの選手たちは、PKが取り消されても、最後まで1点を取りに行く姿勢を崩さなかった。
そこに、スコア以上の価値を見出す視点もありうる。
日本でサッカーをする選手や指導者が、この試合を自分ごととして見るなら、次のような問いが浮かんでくるかもしれない。
- 不利な判定のあと、自分のプレーは乱れやすいか、落ち着きやすいか
- チームが不調のとき、自分は「何を懸けて」試合に入るか
- 勝った試合でも、どんな部分は改善したいと感じるか
答えの出ない問いと、ピッチに立ち続けること
「もし自分だったら」を、今日の練習に持ち込んでみる
PKをもらったグリーズマン。
PKを決めたルックマン。
ゴールを決めたセルロート。
退場したジョレンテ。
PKを取り消されたオサスナの選手たちと、その中でゴールを決めたキケ・バルハ。
同じ90分を過ごしながら、それぞれがまったく違う感情と選択を抱えてピッチを後にしたはずだ。
それを外側から見ている私たちにできることは、誰かをヒーローや悪者に決めつけることではない。
むしろ、「もし自分だったらどう感じて、何を選ぶだろう」と、何度も立ち止まってみることだろう。
今日の練習で、ちょっとだけ時間を取って、こんな話をしてみてもいい。
- PKを蹴る人をどう決めるか、チームで話してみる
- 判定に納得できないときの「合図」や「声かけ」をチームで決めてみる
- 勝ったあとに、あえて「一つだけ直したいこと」をみんなで出し合ってみる
どの答えが正解かを競うのではなく、それぞれの考えがピッチの上でどう現れていくのかを、ゆっくり眺めていく。
オサスナ対アトレティコの一戦は、そんな「考えるきっかけ」として、静かに隣に置いておける試合なのかもしれない。
サッカーはいつも、ひとつの判定やひとつのゴールでは終わらない。
その前と、その後に続いていく、自分だけの物語のほうが、案外長くて、そして面白いのかもしれない。
プロの世界に進めずにサッカーを離れることになった 22 歳の自分を、いまも頭の片隅で思い出すことがある。理不尽に感じる判定や、説明のつかない結果に出会ったあと、すぐに頭を切り替えられた日と、何日も引きずった日との差は、能力よりも、その直後に誰の声を聞いていたかや、自分が無意識に何をつぶやいていたかで、思いのほか分かれていたように思う。
もちろん、皆さんやお子さんが経験してきた『納得できない夜』が、同じ形で残っているとは限らない。次にチームが受け入れがたい判定の中でプレーを続けるとき、選手が立ち止まる前に隣の誰に視線を送ったかだけを、ほんの少しだけ追いかけてみてほしい。
