ジョアン・ネベスが語った「苦しむ力」とは何か――PSG対バイエルン準決勝から学ぶ、決勝アーセナル戦と日本の指導・育成年代に生きる“選択のサッカー”
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「苦しむ力」はなぜ必要なのか――ジョアン・ネベスと決勝へ向かうパリの選択

バイエルンのスタジアムで聞こえた、ひと言
アリアンツ・アレーナのピッチにパリの選手たちが倒れ込む。 スコアは1-1。 2試合合計6-5で、パリ・サンジェルマンが再びチャンピオンズリーグ決勝に進むことになった。
敵地ミュンヘン。 相手はバイエルン・ミュンヘン。 試合前から「苦しい戦いになる」と誰もがわかっている組み合わせだった。
試合後、サポーターへのあいさつを終えたパリの選手たちは、ロッカールームへ向かう途中で順番にインタビューエリアに顔を出していく。 ポルトガルの若いMF、ジョアン・ネベスもその一人だった。
彼は、決勝進出を喜びながら、こんな意味の言葉を口にしている。
「僕たちは、苦しむことができるチームになった。 そして、この先に待っているものに、準備ができている」
「苦しむことができる」。 サッカーの会見でよく聞くフレーズかもしれない。 けれど、バイエルンとの180分を終えた直後の、その言葉には、少し違う重さがあるようにも感じられる。
なぜ、彼は「勝つ力」ではなく、「苦しむ力」に触れたのだろうか。
| 局面 | 理想(やりたいこと) | 現実(リスク) | 求められる選択 |
|---|---|---|---|
| 守備のライン設定 | 高い位置でボールを奪う | 裏のスペースを取られる | ◎ 状況に応じて上下動を選ぶ |
| ボール保持 | つないで主導権を握る | 中盤で奪われカウンター被弾 | ○ 割り切って前に蹴る判断も持つ |
| 即時奪回 or 撤退 | 失った直後に奪い返す | 走力を使い切り脚が止まる | △ 時間帯で切り替える |
| カウンター時の人数 | リスクを取って厚く攻める | 残り少なく逆襲を許す | ○ チーム全体で共有して決める |
| リード守備の管理 | 走り切って守り抜く | ラインが下がりすぎ押し込まれる | ◎ 落ち着かせる時間を選ぶ |
なぜ、強いチームほど「苦しむ」と言うのか
ヨーロッパのトップレベルで戦うチームほど、「苦しむ時間を乗り越えた」「耐えることが大事だった」といった表現をよく使う。
それは単に、守備に追われる時間が多かった、体力的にきつかった、という意味だけではないように見える。
バイエルンのようなクラブと対戦するとき、ひとつの試合の中で、選手は何度も「選択」を迫られる。
- 前からプレスに行くのか、ブロックを低くして守るのか
- リスクを取ってつなぐのか、割り切って長いボールを蹴るのか
- ボールを失った直後に奪い返しに行くのか、いったん下がって整えるのか
どれも、失敗したら一気にピンチになる判断ばかりだ。 だからこそ、「自分たちはこうしたい」という理想だけでは乗り切れない時間が必ず来る。
ネベスの言う「苦しむことができる」は、「相手に押し込まれる時間を受け入れ、その中で何を選び続けるのか」という話にも聞こえてくる。
華やかな攻撃や技術の高さとは別に、「苦しい状況の中で、どんな判断を選ぶか」。 その積み重ねが、決勝進出という結果につながった。 そう考えると、この準決勝は、結果以上に「思考の試合」だったのかもしれない。
- 問いで返す — 答えを与える前に「いまなぜそれを選んだ?」と一度問い、選手自身に判断の根拠を言語化させる。
- 苦しい場面の制約練習 — 0-1残り10分・2点リード残り15分などスコア×時間帯の縛りを入れ、選択を体験させる。
- 原則と修正の両輪を共有 — 「手放さない原則」と「その日修正する部分」を試合前後でチームに明示し、揺れを許容する。
バイエルン相手に、パリは何を手放し、何を残したのか
パリはこの2試合で、常にボールを支配し続けたわけではない。 ホームでは主導権を握る時間もあったが、ミュンヘンでは、押し込まれながら耐える場面も多かった。
そんな中で、チームとしてどんな選択をしていたのだろうか。
例えば、守備面。
- 高い位置でボールを奪いたい、という理想
- しかし、バイエルンのビルドアップ力を考えると、前から行き過ぎると一気に裏を取られるという現実
この板挟みの中で、選手たちは、その都度ラインを上げたり下げたり、スイッチを入れたり外したりしていた。
ネベスのような中盤の選手には、とくに難しい仕事が求められる。 一歩前に出ればボールを奪えるかもしれないが、その一歩が裏へのパスを許すかもしれない。 下がりすぎれば、最終ラインの前に広いスペースが生まれてしまう。
「行くのか、行かないのか」。 90分間、その判断を秒単位で繰り返していたはずだ。
攻撃でも同じだ。
- カウンターのチャンスで、リスクを取って人数をかけるか
- あるいは、相手のカウンターを警戒して、あえて人数をかけすぎないか
どちらも「正解」と言い切ることはできない。 重要なのは、その場で「自分たちはどちらを選ぶのか」を決め切ることと、その選択をチーム全体で共有できるかどうかだ。
パリはこの準決勝で、すべての場面でうまくいったわけではない。 危ないシーンもあったし、あと一歩で失点という瞬間もあった。 それでも、ネベスが「苦しむことができる」と表現したのは、
- うまくいかない時間を受け入れながらも
- 自分たちが守りたい原則を手放さず
- それでも変えなければいけない部分は、その場で修正しようとした
そうした「揺れ」と「選択」の積み重ねがあったからなのかもしれない。
- 「選択」に注目して観る — 走る量だけでなく、どこでラインを上げ下げし何を蹴り出したかに目を向けると試合の見え方が変わる。
- ミス後の次の一手を考える — ミスを責める言葉ではなく「次にどう選ぶか」を一緒に考える声かけを意識する。
- 苦しい時間こそ頭を動かす — 走り続けるだけでなく、その状況で自分なら何を選ぶかを言葉にしてみる習慣を持つ。
決勝を前にした「覚悟」とは、どんな状態なのか
次に待っているのは、ブダペストでの決勝。 相手はアーセナル。
ネベスは「この先に待っているものに準備ができている」とも語っている。
決勝という舞台に「準備ができている」と言い切ることは、簡単なようで難しい。 なぜなら、決勝はどれだけ経験を重ねても、毎回状況が違うからだ。 相手も違えば、チーム状況も、自分のコンディションも、大会の流れも違う。
それでも「準備ができている」と言えるとしたら、それは「何が起きても、自分たちで選び続ける覚悟がある」という意味に近いのかもしれない。
決勝の90分、あるいは延長やPK戦まで含めれば120分以上の時間の中で、また何度も「苦しい時間」はやってくる。 相手に押し込まれるかもしれないし、早い時間に失点するかもしれない。 逆に、リードした後に守り切るのが難しくなる展開もある。
その時、
- 自分たちはどこまでリスクを取るのか
- どのタイミングでやり方を変えるのか
- 誰がピッチの中でそのスイッチを押すのか
こうした問いに、その場で答えていかなければならない。
「準備ができている」というのは、事前にすべての答えを用意している、ということではない。
むしろ、
- どんな状況になっても、自分たちの頭で考え続けること
- 恐怖やプレッシャーの中でも、自分で選ぶことをあきらめないこと
その覚悟がある、ということなのではないだろうか。
「苦しむサッカー」は、日本ではどう受け取られているか
ここで少し、日本のサッカーの話に目を向けてみたい。
日本でも「苦しい時間を耐える」「我慢のサッカー」といった表現はよく聞く。 その一方で、「苦しむ=守って耐える」「ボールを持たせてはいけない」「押されてはいけない」と、単純化してしまうこともある。
でも、バイエルン対パリのような試合を見ていると、「苦しむ」という言葉の中身は、もっと複雑だと感じさせられる。
- ただ引いて守るだけではなく、どこでラインを上げるかを選ぶ
- ただクリアするだけではなく、どこに蹴り出すかを選ぶ
- ただ走り続けるだけではなく、どこで一度ボールを落ち着かせるかを選ぶ
どれも、「何となく」ではなく、「この状況だから、いまはこれを選ぶ」という意識があるかどうかで、プレーの質が変わっていく。
日本の育成現場では、「最後まであきらめない」「走り切る」といったメンタル面が強調されることが多い。 もちろん、それ自体はとても大事なことだ。
けれど、もしそこに「苦しい時間に、どんな判断を選ぶのか」という視点が加わったら、どうなるだろうか。
- 0-1で負けている残り10分で、どこからボールを奪いに行くか
- 2点リードしている試合の残り15分で、どれだけリスクを抑えるか
- 相手に流れが傾いている時間に、ボールを持った時どういうプレーを選ぶか
指導者が一方的に答えを与えるのではなく、選手自身に問いかけてみる。 選手もまた、「自分ならどうするか」を考え、ピッチの中で試してみる。
そうしたやり取りの中で、「苦しむ」という言葉の中身が少しずつ変わっていくのかもしれない。
もし自分がジョアン・ネベスだったら、何を考えるだろう
試合後のインタビューで、「苦しむことができる」と言葉にしたネベス。 まだ若い選手でありながら、バイエルンとの2試合を通じて、どれだけ多くの「選択」をしてきたのだろうか。
もし自分が同じ立場だったら、と想像してみる。
- ミスをした後、次のプレーで何を優先するか
- 相手にペースを握られた時間帯に、チームメイトへどんな声をかけるか、あるいは黙るのか
- ベンチからの指示と、自分の感覚が少し違った時、どちらを選ぶか
どれも、ピッチの中の選手にしかわからない揺れがある。
だからこそ、画面越しの私たちは、プレーの「正しさ」だけでなく、その裏にある迷いや勇気にも想像を伸ばしてみてもいいのかもしれない。
ネベスの言葉は、そんな「見えないプロセス」があることを、さりげなく教えてくれているようにも思える。
決勝に向かう両チームが、どんな「苦しみ方」を選ぶのか
5月30日、ブダペストで行われる決勝戦。 パリとアーセナル。
おそらく、どちらのチームの選手も「苦しい時間を乗り越える」と口にするだろう。 その言葉の裏に、どんな選択があるのか。
例えば、アーセナルの中盤、ディクラン・ライスは、相手の攻撃を潰すだけでなく、自分たちが試合のテンポをコントロールする役割も担う。 一方のネベスも、ボールをつなぐ場面と、リスクを避ける場面、その両方で難しい判断を迫られるはずだ。
90分間の中で、二人は何度も交わりながら、それぞれの「苦しみ方」を選んでいく。
追いかける側になるのか、追われる側になるのか。 リードを守るのか、ビハインドをひっくり返すのか。 同じ「決勝のプレッシャー」という条件の中で、どんな決断を下していくのか。
そこに、答えの決まっていないドラマがある。
「苦しむことができる」という言葉を、自分のサッカーに置き換える

最後に、もう一度ネベスの言葉に戻ってみたい。
「僕たちは、苦しむことができるチームになった」
この言葉を、自分のサッカーに置き換えるとしたら、どうなるだろう。
- うまくいかない時間に、走り続けることだけでなく、頭も動かし続けているだろうか
- ミスをした仲間に、責める言葉だけでなく、次の選択肢を一緒に考える視線を向けられているだろうか
- 「こうしたい」という理想と、「いま必要なこと」の間で揺れた時、その場で自分なりの答えを選べているだろうか
ネベスのようなトップレベルの選手だけでなく、小学生でも、中学生でも、高校生でも、同じ問いを持つことはできる。
そして保護者や指導者の立場から見るときも、「勝った・負けた」だけでなく、「どんな苦しい時間があって、そこでどんな選択をしていたか」に目を向けてみると、試合の見え方が少し変わってくるかもしれない。
決勝のホイッスルが鳴る時、スコアボードにはどちらか一方のクラブ名が刻まれる。 けれど、その裏側には、数えきれないほどの「選ぶ瞬間」と「迷う時間」と「それでも前を向く決意」が積み重なっている。
「苦しむことができる」と言えるまで、自分はどんなサッカーを選んでいきたいのか。
決勝までの残りの日々を、そんな問いと一緒に過ごしてみるのも、ひとつのサッカーの楽しみ方かもしれない。
