戦争に翻弄された代表チームの物語から考える、「それでも自分で選ぶ」サッカーの在り方
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戦争に追い出された代表チームたちと、「それでも選ぶ」サッカー

キックオフの笛が鳴る前に、試合が終わってしまうとき
ワールドカップのピッチに立つ。
多くの選手にとって、それは人生をかけて追いかけてきた夢の「答え」のように思えるかもしれません。
しかし、歴史をたどると、その笛が鳴る前に試合を奪われた代表チームがいくつもあります。
ピッチの外側で起きた「戦争」という出来事によって。
1938年、オーストリア代表は本大会出場を決めていながら、ドイツによる併合によって大会そのものを辞退することになります。
1950年、トルコ代表は第二次世界大戦後の深刻な経済事情から、ブラジルまで遠征する費用を工面できず、出場を断念しました。
1994年、ユーゴスラビア代表は内戦と国連の制裁の中で、FIFAからワールドカップ出場を禁止されました。
1986年、イラン代表はイラクとの戦争のさなか、中立地での予選開催を拒否し、自らワールドカップの道から外れていきました。
2022年大会では、ウクライナ侵攻を受けたロシアが、ヨーロッパ予選のプレーオフ直前で排除され、その後の予選にも参加できない状況が続いています。
どれも「政治とスポーツ」という大きな枠で語られがちな出来事です。
ですが少し視点を変えて眺めてみると、そこには選手や指導者たちが、そのときその場所で「何を選ばざるを得なかったのか」「どんなものを手放さざるをえなかったのか」という、サッカーのとても人間的な側面が浮かび上がってきます。
| 国・年 | 原因 | 選手の状況 | その後 | 評価 |
|---|---|---|---|---|
| オーストリア 1938年 | ドイツによる国家併合 | 主力がドイツ代表に組み込まれた | 異なる国旗でプレーを継続 | ◎ |
| トルコ 1950年 | 戦後の深刻な経済事情 | 出場権を得たまま費用難で辞退 | 国内でサッカーを守り続けた | ○ |
| ユーゴスラビア 1994年 | 内戦と国連制裁 | チームは強くても国際資格を失った | 各新国家代表に分かれてプレー | △ |
| イラン 1986年 | イラク戦争下での開催地拒否 | 自らワールドカップの道を断った | 後年大会に復帰し存在感を示す | ○ |
| ロシア 2022年以降 | ウクライナ侵攻による資格停止 | クラブでは継続、代表は空白に | 公式戦なき時間をどう使うか模索中 | △ |
オーストリア1938年 ユニフォームの色が変わったとき、プレーは同じでいられるのか
1934年大会でベスト4に進出し、「ヴンダーチーム」と呼ばれたオーストリア代表。
1938年大会への出場権も自力で勝ち取り、さらに上を目指していたはずの彼らは、ドイツによる併合によって、国として消えてしまいます。
代表チームもまた消滅し、多くの主力選手はドイツ代表として招集されました。
同じ選手、同じ技術、同じポジション。
でも、胸に付くエンブレムは変わり、国歌も旗も変わる。
もし自分がそこでプレーする選手だったら、何を考えるでしょうか。
「サッカーを続けるために、受け入れるしかない」。
「それでも、これは自分の国じゃない」。
どちらが正しいという話ではなく、どちらを選んでも後悔や葛藤がゼロになることはおそらくありません。
外から眺めると「ドイツに組み込まれたオーストリアの選手たち」というひと言で片付いてしまいます。
けれど、一人ひとりの選手の胸の中では、「プレーを続ける」という選択と、「何かを失った」と感じる感覚が、たぶん同時に存在していたはずです。
その二つが矛盾したままでも、ピッチに立たなければならない。
日本でプレーする選手にとって、こんな極端な状況は想像しづらいかもしれません。
ただ、小さなスケールで似たようなことは起きていないでしょうか。
- 所属クラブが合併や解散でなくなる
- 学校の部活とクラブチームの両立ができなくなる
- 移籍や進学で、これまでの仲間と離れる
「続けるために手放す」か、「手放さないために別のものを諦める」か。
その瞬間、私たちはどんな基準で選んでいるのか。
オーストリアの選手たちの物語は、そんな問いを静かに投げかけてきます。
- 試合に出られない期間の「目標」を選手と一緒に言語化する — ケガや出停など「選べない理由」で外れる選手に、練習で何を磨くかを一緒に決めることでモチベーションを維持できる
- チームが解散・統廃合になる事態を想定したキャリア相談を早めに行う — 部活廃部やクラブ解散を「突然の事態」として扱わず、日頃から選手が次の選択肢を持てるよう対話の機会をつくる
- 「理不尽な状況」を授業として使う — 歴史上の代表チームの事例を練習前後の5分で共有し、どんな状況でも「自分で選べることを探す」思考を育成年代から訓練する
トルコ1950年 出場権を持ちながら行かないという選択
1950年、戦争の傷跡が各国に残る中、ブラジルでワールドカップが開催されました。
トルコは予選を勝ち上がり、本大会出場の権利を得ます。
しかし、深刻な経済状況のなかで、チームを南米まで送り出すための費用を確保できず、出場を辞退しました。
「出場できなかった」のか。
「出場しないと決めた」のか。
表現ひとつで、そこにある感覚は変わります。
当時のトルコでは、戦争や恐慌による長年の負債に苦しみ、国民の生活もぎりぎりの状態にありました。
代表チームを送り出せば、国内の誰かがさらに苦しい生活を強いられるかもしれない。
サッカー協会や政府の中には、そんな計算をせざるをえない立場の人たちがいたはずです。
選手たちの側に立ってみるとどうでしょう。
「ワールドカップに出たい」という一生に一度かもしれない夢と、「自分たちの遠征費用があれば、救われる生活があるかもしれない」という現実。
その両方を真正面から見つめたとき、人はどんな気持ちで「諦める」という言葉を飲み込んだのでしょうか。
日本でも、規模は違えど似た構図があります。
- 遠征費が高くて、海外大会を諦めるチーム
- 金銭的な理由で強豪クラブへの入団を見送る家庭
- 学費や家計を考えて、プロへの挑戦を早めに区切る選手
「お金がないから無理だ」で終わらせるのか。
「それでも行く方法はないか」と考え抜くのか。
どちらにしても、最後は誰かが「線を引く」という選択をします。
その線をどこに引くか。
そして、引いたあとにそれをどう受け入れていくか。
トルコ代表の1950年は、「サッカーを諦めた物語」ではなく、「何を守るために、サッカーを一度手放した物語」としても読みなおすことができるかもしれません。
- 試合に出られない期間は「次の自分への投資期間」と意識的に定義する — ロシア代表選手が公式戦のない時間をどう使うかを選んだように、ケガや補欠の時間に何を磨くかは自分で決められる
- クラブや部活の方針が変わっても「サッカーを続けるか否か」は自分が決める — 外部の事情で道が閉ざされたとき、別の場所で続けるか、別の形で関わるかは誰にも代わりに決められない
- 「諦めた」と「守るために手放した」を区別する言葉を持つ — トルコ代表の1950年は「諦めた物語」ではなく「大切なものを守るために一度手放した物語」として読み直せる
ユーゴスラビア1994年 自分が選んでいない理由で、ピッチから降ろされるとき
1990年大会でベスト8に進出したユーゴスラビア代表。
しかし、その数年後には国内で激しい紛争が起き、国連はユーゴスラビアに対して制裁を発動します。
その一環として、1994年ワールドカップへの出場も禁じられました。
チームとしては結果を出していた。
選手たちは練習を積み重ね、勝ち点を重ねる準備をしていた。
それでも、「国の状況」という、自分たちのボールさばきや走力ではどうにもならない理由で、ピッチから降ろされてしまう。
もし自分がそこでプレーしていたら、どんな感情が湧き上がるでしょうか。
- 怒り
- 虚しさ
- 諦め
- それでもサッカーを続けたいという気持ち
どれも同時にあってもおかしくありません。
日本のサッカー環境でも、「自分で決めていないのに、決まってしまう」ことがあります。
- クラブの方針変更でポジションがなくなる
- 学校の統廃合で部活動そのものが消える
- 親の転勤で、突然チームを離れなければならない
そのとき、「理不尽だ」と感じるのは自然なことです。
では、その後に自分で選べることは何か。
サッカーをやめるのも、別の場所で続けるのも、別の道を探すのも、すべてその人自身の選択です。
ユーゴスラビア代表の選手たちも、代表での試合がなくなったあと、それぞれのクラブでプレーを続けたり、やがて分かれていく新しい国の代表でプレーしたりと、別の時間を歩んでいきました。
「奪われた」という経験のあとに、もう一度「自分で選ぶ」場面が必ずやってくる。
そこから先をどう生きるかは、誰も代わりに決めてはくれません。
イラン1986年 戦火の中で「戦わない」と決める勇気
1980年代、イランはイラクとの長く激しい戦争のさなかにありました。
1986年メキシコ大会に向けたアジア予選では、中東の国々が限られた出場枠を争う構図になります。
しかし、イランは安全面などを理由に、中立地での試合開催というアジアサッカー連盟のルールを受け入れず、「自国以外ではプレーしない」という姿勢を崩しませんでした。
その結果、予選から除外され、ワールドカップへの道も閉ざされました。
ここには、「どうしてそんな頑なな選択をしたのか」という単純な疑問が浮かびます。
けれど、その背後には、戦争という極限状態の中で、「サッカーを通じて何を守りたいのか」という、私たちには簡単に想像できないほど重い問いがあったはずです。
自国を攻撃されている状況で、中立地に行くことは「何かを正当化してしまう」象徴に見えたのかもしれない。
あるいは、「ホームで戦えないくらいなら、戦わない」と決めることで、サッカーを政治から距離をとろうとしたのかもしれない。
外からは推測することしかできません。
日本のサッカー環境で、ここまで極端な決断はほぼありません。
それでも、似た構造はあります。
- 自分たちのスタイルを曲げてでも勝ちに行くか
- 方針に合わない大会には出ないと決めるか
- 指導者として、短期的な結果か、長期的な育成かのどちらを優先するか
どちらを選んだとしても、「なぜそう決めたのか」を自分たちの言葉で説明できるかどうか。
イランの決断は、その極端な形の一つとして、「負けてもいいから戦う」のではなく、「戦わないことを選ぶ」ことにも意味があるのだと教えてくれているように映ります。
ロシア2022年以降 「ピッチに立てない時間」をどう過ごすか

2022年、ロシアがウクライナに軍事侵攻を行ったことで、ロシア代表はワールドカップ予選のプレーオフから締め出され、最終的に大会そのものにも参加できませんでした。
その後も紛争は続き、次のワールドカップに向けた予選にもロシアは参加できていません。
選手たちは、自分で戦争を始めたわけではありません。
しかし、「ロシア代表の選手である」という事実だけで、国際舞台から遠ざけられています。
この状況のなかで、選手一人ひとりには別々の選択肢があります。
- 欧州などのクラブでプレーを続ける
- 国内リーグでキャリアを積む
- 代表引退を決断する
どの選択も、誰かに「正解・不正解」を決められるものではありません。
チームとしてピッチに立てない時間に、個人として何を磨き、どんな姿勢で日々を過ごすのか。
公式戦がなくても、練習での一つひとつのプレーや、日常の過ごし方は自分で選ぶことができます。
日本でも、ケガをして長期離脱した選手がいます。
公式戦に出られない時期に、ただ時間が過ぎるのを待つのか、できることを見つけて取り組むのかで、その後のキャリアは大きく変わることがあります。
「試合に出られるかどうか」は、自分だけではどうにもならない部分が多い。
一方で、「試合に出られない時間をどう使うか」は、かなりの部分が自分の選択に委ねられています。
ロシア代表の置かれた状況は、そのギャップを極端な形で私たちに見せています。
日本ではどう考えられるか 「ピッチ外の出来事」を自分ごとにするということ
オーストリア、トルコ、ユーゴスラビア、イラン、ロシア。
どのケースも、日本から見れば「遠い国の、特別な事情」のように感じるかもしれません。
しかし、そこに共通しているのは、一つのシンプルな問いです。
状況が自分では選べないとき。
それでも、自分で選べるものは何か。
日本のサッカーでは、戦争によってワールドカップから締め出されるような経験はしていません。
一方で、選手も保護者も指導者も、それぞれの立場で日々たくさんの選択をしています。
- どのクラブに所属するか
- 勉強とサッカーのバランスをどうとるか
- 試合に出られないとき、どう過ごすか
- 結果が出ないとき、やり方を変えるか続けるか
どれも、戦争と比べれば小さなことかもしれません。
けれど、その人の人生にとっては、とても大きな決断です。
だからこそ、すぐに「これが正解だ」と飛びつくのではなく、「なぜそうしたいのか」「他にどんな選択肢があるのか」を一度立ち止まって考えてみる余地があるのではないでしょうか。
世界の代表チームたちが直面してきた極端な選択の歴史は、その「立ち止まる時間」の大切さを、別の角度から教えてくれているように感じます。
答えを急がないサッカーに、何が見えてくるか
戦争に翻弄された五つの国の代表チームの物語をたどると、「もし自分がその立場だったら」という想像をせずにはいられません。
出場を奪われたとき、自分ならどう受け止めるか。
出場権を持ちながら諦めるとき、自分ならどこまで戦うか。
自分のプレーとは関係のない理由でピッチから降ろされたとき、それでもボールを蹴り続けるのか。
どの問いにも、簡単な答えはありません。
むしろ、すぐに答えを決めつけてしまうほど、軽い話ではないと感じます。
同じように、私たちが日々向き合うサッカーの選択も、「これが正しい」と言い切ってしまうには、あまりにも多くの事情や感情が絡んでいます。
だからこそ、迷いながら考え続けることに意味があるのかもしれません。
ワールドカップのピッチに立てなかった代表たちの歴史は、「サッカーは人生の縮図だ」といった言葉よりももっと静かに、「どんな状況でも、自分で選ぶことだけは手放さないでほしい」と語りかけているように見えます。
そして、その選択の理由を、自分なりの言葉でゆっくりと見つけていく時間こそが、サッカーを続けるうえでの、いちばん深い喜びなのかもしれません。
