崖っぷちチームを託された「火山系」監督が示す、残留と成長を同時に追う指導哲学
Share this column
崖っぷちのチームにやってきた「火山系」監督は、何を変えようとしているのか

冬の終わり、スイスの小さな町プリーのグラウンドに、一人の新しい指導者が姿を現しました。
4部リーグ残留まで、わずか3ポイントの余裕しかない第3チーム。
すべり落ちそうな崖のふちで、どうにか踏ん張っているような順位表。
そのチームを託されたのが、ファイサル・ザンム。
仲間たちは、冗談まじりに彼を「うちのパスカル・デュプラ」と呼びます。
結果が欲しいとき、チームを立て直したいとき、声がかかる男。
激情家で、エネルギッシュで、それでいて選手から深く信頼されている指導者です。
彼は過去に、コンコルディアでは5部から4部への昇格に関わり、その後も上位争いを演じました。
ラ・トゥール・ド・ペルツでは、残留争いの渦中にあったチームを、降格圏から救い出しました。
そして今回、プリー・フットボールの第3チームの監督として、再び「難しい状況」に呼び戻されます。
チームは勝てていない。
選手たちは不安を抱えている。
勝ち点表はプレッシャーを突きつけてくる。
そんなとき、新しく来た監督は、いったい何を見て、何を優先して変えようとするのでしょうか。
「残留」と「来季の準備」 目の前と、その先を同時に見ること
なぜ、あえてこのチームを引き受けたのか
ファイサルは、自分がこのポジションを受けた理由について、「本気でチャレンジだと思ったから」と話しています。
ただ残留するだけではなく、「今よりも良くなること」と「4部に残ること」の両方を目標に掲げたと言います。
さらに、プリーの選手たちの中には、コンコルディアやラ・トゥール・ド・ペルツ時代から一緒に戦ってきたメンバーが複数います。
マレンダズ兄弟をはじめ、何度も苦しい場面をくぐり抜けた仲間たちの存在。
その信頼関係が、決断を後押ししたことも隠しません。
ここで浮かび上がるのは、ひとつの問いです。
「結果が出ていないチームに誘われたとき、自分ならどう考えるだろうか」
選手でも、コーチでも、たとえば移籍や役割の打診を受けるとき、同じような局面に立たされることがあります。
・勝てているチームの一員になるのか
・苦しんでいるチームを良くしていく側を選ぶのか
どちらが「正しい」という話ではありません。
ただ、ファイサルは後者を選び、その中にこそ「やりがい」と「挑戦」を見ています。
日本の育成年代でも、強いチームに移るか、今のチームで改善に関わるか、悩む場面は少なくありません。
そのとき、「勝てそうだから」だけではなく、「自分がどんなチャレンジをしたいか」で選ぶという視点も、ひとつのヒントになりそうです。
| 観点 | 短期結果型 | 成長重視型(ファイサル方式) | 評価 |
|---|---|---|---|
| 目標設定 | 残留のみ | 残留+来季の成長を同時追求 | ◎ |
| 選手起用 | ベテラン固定 | 若手にも時間を投資 | ○ |
| 練習強度 | 現状維持 | メニュー間の空白なし・集中度高 | ◎ |
| 選手理解 | 結果で判断 | 個性を把握し役割・声かけを変える | ◎ |
| リスク管理 | ロングボール中心で安全策 | チームのルールを厳しくしリスクをコントロール | △ |
残留と「来季の準備」をどう両立させるか
ファイサルは目標を問われたとき、「残留が最優先」としながらも、「同時に来季へ向けてチームをつくること」も挙げています。
短期の結果と、中長期の成長。
この二つは、しばしばぶつかり合います。
例えば、こんな選択です。
- 今すぐ勝ち点を取るために、ベテランをフル出場させ続けるか
- 多少のリスクを承知で、若い選手に時間を投資するか
残留争いでは、どうしても「今勝つこと」だけに視野が狭まりがちです。
ですが、ファイサルはインタビューで、「チームとして一緒に働き、一緒にプレーすること」を強調しています。
ボールがあるときも、ないときも。
これは、次の試合だけでなく、「このグループがどんなサッカーをするチームになっていくか」という、もう少し長い目での視点を含んでいるように見えます。
もし自分がこのチームの選手だとしたら、どう感じるでしょうか。
「まずは残留だぞ」と言われながらも、「来季に向けて一緒に形をつくっていく」とも言われる。
どちらの言葉も本気なら、毎日のトレーニングで「とりあえずその日をやり過ごす」のか、「少しずつ自分も変わろうとする」のか、考え方が変わってきます。
「火山系だけど人間味がある」指導者の、練習の中身
- 練習の「空白時間」を意識的に削る — メニュー間のインターバルを短縮し、集中とテンポを試合終了まで途切れさせない設計にする
- 選手ごとに「声かけの角度」を変える — 高い要求水準は全員に設定しつつ、伝え方・役割の与え方を個性に応じて変え、押しつけにしない
- 短期と中期の目標を同時に言語化して共有する — 「今日勝つ」と「来季形をつくる」は矛盾しない旨を明示し、選手が日々の選択に意味を見出せるようにする
初日から見せたのは「強度」と「間を切らさないこと」
選手たちの声から見えてくるのは、トレーニングの風景です。
ある選手は、彼が来てからの練習を、「とても集中度が高く、練習のテンポが落ちなかった」と振り返っています。
メニュー間の「空白の時間」がほとんどなく、切れ目なく運動量と集中が続いたと言います。
そこに「文句」は出なかった、とも話しています。
これは単に、「厳しかった」「きつかった」という話ではありません。
ファイサルは、フットボールだけでなく、フットサルの2部リーグでも指導し、さらにスイス在住のモロッコ人選手によるアマチュア代表の監督も務めています。
フットサルは、プレーの切り替えが極端に早く、判断スピードが求められる競技です。
その現場で培われた「リズムを止めない」「テンポと強度を保つ」という感覚が、11人制のトレーニングにも自然とにじみ出ているのかもしれません。
日本の練習現場でも、「メニュー間が長くて、気持ちが切れてしまう」「説明が多すぎて、プレーしている時間が短い」と感じたことのある選手は多いはずです。
一方で、選手側にも問われます。
もしコーチが「間を切らさない練習」を用意してくれたとして、自分は頭のスイッチをずっと入れ続けられるか。
疲れてきたとき、判断の質をどこまで保てるだろうか。
「強度の高いトレーニング」は、走る量だけでなく、「考え続ける体力」が必要になります。
- 新監督の変化を「批判」でなく「問い」で受け取る — ポジション変更やスタメン変更に直面したとき、「なぜこの選択をしたのか」と理由を想像する習慣が、選手としての読解力を高める
- 「考え続ける体力」を練習の指標にする — 走る量だけでなく、疲れた後半でも判断の質を保てるかを自分の物差しに加えてみる
- 「強いチームに移る」以外の選択肢を親子で話し合う — 苦しんでいるチームを良くしていく側を選ぶことにも「やりがいと挑戦」があると伝え合う機会をつくる
「厳しさ」と「人間味」は両立するのか
ファイサルを知る選手やコーチたちは、口をそろえてある特徴を挙げます。
・エネルギッシュで、時に「熱すぎる」くらいに振る舞う
・はっきりとした規律を持ち、全員に高いコミットメントを求める
・その一方で、とても人間味があり、選手一人ひとりの個性を理解しようとする
ある選手は、「選手の性格をよく理解して、そこから最大限を引き出そうとしてくれる」と話し、別の選手は、「外からの新しい視点を持ち込み、チームに整理をもたらす存在だ」と表現しています。
「熱い」「厳しい」「規律」という言葉だけを聞くと、日本ではしばしば「怒鳴る」「追い込む」というイメージが先に立ちます。
けれど、このチームの証言から見えてくるのは、少し違う景色です。
必要なときには強く要求する。
しかし、選手を単なる「駒」としてではなく、一人の人間として見ている。
そして、その理解をもとに「どう声をかけるか」「どう役割を与えるか」を変えていく。
ここには、「厳しさ」と「人間味」を対立させない考え方が見えます。
もし自分が指導者だったら、あるいは年上の立場だったら。
ただ「甘くない人」になるのか、「寄り添う人」になるのか、その二択だけで考えてしまいがちです。
でも、ファイサルのように、「高い要求」と「丁寧な理解」を同時に追いかける姿勢も、ひとつの選び方として存在しています。
「外から来た目」がチームにもたらすもの
内側にいると見えなくなるもの
プリーの選手の一人は、ファイサルについて、「外からの視点を持ってチームを整理してくれる」と語っています。
これは順位表に表れない、大きな変化かもしれません。
同じメンバー、同じ雰囲気、同じやり方の中に長くいると、良いところも悪いところも「当たり前」になっていきます。
・なぜこのポジション配置なのか
・なぜこの人がキャプテンなのか
・なぜこの時間帯に失点が多いのか
そうした問いを立てること自体が、だんだん少なくなっていきます。
そこに、まったく別の場所でプレーし、フットサルや他クラブでの経験も持つ指導者が入ってくると、あらためて「なぜ?」が増えていきます。
ときには、それが痛みを伴う変化になることもあります。
ポジションが変わるかもしれない。
出場時間が減るかもしれない。
これまでの「当たり前」がひっくり返るかもしれない。
ただ、ファイサルの場合、その変化のプロセスで、「選手一人ひとりを理解する」というステップを外していない様子が、証言から伝わってきます。
日本でも、新しく来た監督が大きくやり方を変えるとき、選手や保護者の側に戸惑いが生まれます。
そのとき、「なぜこう変えようとしているのか」を、受け手の側が考えようとする姿勢があるかどうかで、チームの雰囲気は大きく変わってきます。
監督がすべて正しい、という意味ではありません。
ただ、「自分はどうしても納得できない」という気持ちの前に、一度だけ、「なぜこの人は今こういう選択をしたのだろう」と立ち止まってみる。
そのワンクッションが、選手としても、人としても、成長のきっかけになることがあります。
「監督ではない自分」も持つ人が、チームにもたらすもの
ファイサルは、地域リーグのサッカー指導者であると同時に、フットサルクラブの会長であり、アマチュア代表の監督でもあります。
立場が変われば、見る景色も変わります。
選手を選ぶ側、組織を運営する側、そして一人のサッカーファンとしての側面。
複数の「顔」を持つ人間が、プリーの第3チームというローカルな現場に関わるとき、そこには単なる戦術だけではない視点が入ってきます。
・チームとしてどう見られているか
・ロッカールームの雰囲気はどうか
・選手がサッカーを楽しめているか
選手たちが語る「人間味のある指導」「いつも笑顔で、選手に寄り添おうとする姿勢」は、こうした多様な立場での経験からきているのかもしれません。
日本でも、学校の先生をしながら指導している人、別の仕事をしつつ週末に子どもたちを教えている人など、「複数の顔」を持つ指導者はたくさんいます。
そうした人がチームにいるとき、選手側にとっても、「サッカー以外の社会の視点」に触れるチャンスが増えていきます。
サッカーだけが全てではない、という意味ではなく、サッカーを通じて世界を見る目が少し広がる、という意味で。
「結果が必要なとき」に、何を大事にするのか
勝たないといけないとき、プレーはどう変わるのか
プリーの第3チームには、数字として明確なプレッシャーがあります。
残留ラインとの勝ち点差は、たったの3。
数試合の結果次第で、簡単に入れ替わってしまう薄氷のような状況です。
こうした場面で、監督も選手も、どうしても「安全な選択」に寄っていきます。
・とにかくロングボールを蹴る
・リスクを避けて引いて守る
・一番経験のある選手を使い続ける
それ自体が悪いわけではありません。
ただ、ファイサルが口にした「一緒に働き、一緒にプレーする」「ボールがあるときも、ないときも」という言葉は、「ただ安全に終わらせる」だけのサッカーではなさそうです。
選手の証言にも、「練習の強度が増した」「一人ひとりに求められるものが明確になった」というニュアンスが含まれています。
結果が必要な状況で、あえて「チームとしてのルール」を厳しくし、「一体感」を強く求める。
そこには、「リスクを消す」のではなく、「リスクをコントロールする」発想が感じられます。
日本の少年団や部活でも、「この大会だけは何としても勝ちたい」という空気が生まれるとき、判断はシンプルになります。
「絶対にミスするな」
「安全に、安全に」
けれど、その瞬間ほど、本当は選手一人ひとりの「考える力」が問われています。
・この場面で、あえてつなぐのか、蹴るのか
・リードしているとき、どう時間を使うのか
・攻めるリスクと、守るリスク、どちらを選ぶのか
監督が選択肢をすべて指定することもできます。
しかし、最後にピッチで決めるのは選手です。
ファイサルのように、「規律」を与えながらも、「選手の性格を理解し、最大限を引き出そう」とする指導者は、その決断を選手自身に返そうとする傾向があります。
うまくいかなかったとき、何を手放さずにいられるか

残留争いの中で、すべてがうまく運ぶシーズンはほとんどありません。
勝ち試合で失点して追いつかれる。
内容では相手を上回りながら、セットプレー一発で負ける。
そうした理不尽な瞬間が、何度も訪れます。
そのとき、チームや指導者は、何を変え、何を変えないのか。
・スタメンを大きく入れ替えるのか
・練習の強度をさらに上げるのか、あえて落とすのか
・やろうとしていたスタイルを信じるのか、まったく別のやり方に切り替えるのか
ファイサルは過去のクラブでも、「難しい状況にあるチームを立て直す」役割を担ってきました。
そこでは、おそらく何度も、「思い通りにいかない試合」を経験しているはずです。
そうした中で、彼は何を手放さずにきたのでしょうか。
選手たちが語る、「人間味」「選手に寄り添う姿勢」「笑顔」というキーワード。
成績に左右されず、そこだけは変えないままに、戦術やメンバー選考、練習の方法など他の部分を柔軟に変えていく。
それが、彼なりの「折れない部分」なのかもしれません。
もし自分が、結果の出ていないチームでプレーしていて、新しい指導者がやってきたとしたら。
あるいは、自分がその指導者の立場だったとしたら。
負けが続いたとき、何を変え、何を変えないのか。
その線引きを、どこに引くのか。
それを一度、紙に書き出してみるのもいいかもしれません。
「答えを急がない」からこそ見えるもの
今この瞬間と、数カ月後の自分
プリーのシーズン後半戦が、どういう結末を迎えるのかは、まだ誰にも分かりません。
ギリギリで残留を決めるかもしれない。
中盤まで順位を上げて、最終節を穏やかに迎えるかもしれない。
あるいは、最後まで揺れ続けるかもしれません。
ただ確かなのは、彼らが今経験している「崖っぷちのシーズン」が、選手一人ひとりの中に、何かしらの問いを残すということです。
・プレッシャーの中で、自分はどんなプレーを選んだのか
・新しい指導者のもとで、どんな変化を自分に許したのか
・勝ち負けとは別に、「これはやってよかった」と言えるものは何か
日本の多くのチームにも、似たようなシーズンがあります。
昇格争い、残留争い、ベンチ争い。
その真っ最中にいるときは、「次の試合の結果」だけが世界のすべてのように感じられます。
けれど、数ヶ月たって振り返ったとき、本当に心に残っているのは何でしょうか。
あの試合のスコアなのか。
それとも、苦しい中でも変わらなかったチームメイトとの関係や、自分なりに考え抜いて選んだプレーや、覚悟を決めて下した決断なのか。
「自分ならどうするか」と問い続けるサッカー
ファイサル・ザンムがプリーで過ごす時間は、もしかすると長いスパンで見れば、ごく短いものかもしれません。
しかし、その短い期間の中に、選手も指導者も、いくつもの「選択」と「迷い」を抱えることになります。
・監督の要求にどう応えるか
・役割が変わったとき、自分をどう再定義するか
・結果が出ないとき、誰のせいにするのか、あるいはしないのか
サッカーは、ピッチの外側にも、こうした小さな問いが無数に散らばっているスポーツです。
答えは一つではありません。
そして、多くの場合、「これが正解だった」とは、すぐには分かりません。
それでも、「自分ならどう考えるか」と立ち止まり、選び続けることでしか、サッカーも、自分自身も、少しずつ形を変えてはいきません。
プリーの小さなスタジアムで、火山のように熱く、そして人間味のある指導者と、その周りにいる選手たちが、この春から夏にかけて、どんな時間を過ごしていくのか。
彼らの物語を想像しながら、自分のピッチでの一歩を、どう踏み出すかを考えてみてもいいのかもしれません。
サッカーのシーズンはいつか終わりますが、そのときに残る問いは、次のシーズンの自分を、静かに形づくっていくはずです。
