二つの声と一つのピッチ――アレッサンドロ・ヴォリアッコが選び続けた「意味づけ」のサッカー人生
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「二つの声」を聞きながらプレーするということ ― アレッサンドロ・ヴォリアッコの選択から考える

ベッドに入ってから始まる、もうひとつの「ミーティング」
ギリシャ・テッサロニキ。 PAOKのトレーニングを終えたアレッサンドロ・ヴォリアッコは、家に帰り、家族と時間を過ごし、やがて一日を終える。
ベッドに入ってから、彼のもうひとつの「ミーティング」が始まる。
頭の中で、亡き義父シニシャ・ミハイロヴィッチに、その日の出来事や自分の迷いを語りかける時間だという。
どんな守備を選んだのか。 なぜその場面でリスクを取ったのか。 今日うまくいかなかった理由はどこにあるのか。
答えが返ってくるわけではない。 それでも「聞いてくれている」と感じる存在がいる。
ピッチの中で、自分の声と、かつての指導者や家族の声。 その「二つの声」をどう扱うかは、案外多くの選手に共通するテーマかもしれない。
| 状況 | 外部に原因を求める | 内側から問い直す | 評価 |
|---|---|---|---|
| 試合に出られない | 監督のせいと諦める | 今の時間で何を積むか自問する | ◎ |
| カテゴリーが下がる | 失敗・格落ちとして受け取る | 試合出場で価値を証明する機会と見る | ◎ |
| 有名人と比べられる | 重荷・プレッシャーとして感じる | 運命からのプレゼントとして受け取る | ○ |
| 強豪下部組織での環境急変 | 期待に流されて自分を見失う | 「自分は何のためにここにいるか」に集中する | ◎ |
| 異文化・海外への適応 | こだわりを手放してすべて適応 | 譲れない部分と尊重する部分を自分で線引きする | △ |
有名な「義父」を持つということは、重荷か、贈り物か
ヴォリアッコは、ジェノアやパルマを経て、現在はPAOKでプレーするディフェンダーだ。
義父は、ラツィオやインテルでフリーキックを決め続け、指導者としてもセリエAを戦い抜いたシニシャ・ミハイロヴィッチ。
「ミハイロヴィッチの娘さんと結婚した選手」として見られることも、当然あったはずだ。
そうした視線の中で、彼は「押し潰される」のではなく、それを「運命からのプレゼント」として受け取る道を選んだと語っている。
この「どちらとして受け取るか」という感覚は、名前のある家族を持つ選手に限らない。
- 強いチームに入ったからこその期待や比較
- 兄姉が先に活躍している中でのプレッシャー
- 有名な指導者のもとでプレーすることへの目線
同じ状況でも、それを「重さ」と感じるか「学びのチャンス」と感じるかで、日々の行動は大きく変わる。
重要なのは、周りからどう言われるかではなく、自分で「どう意味づけるか」を選んでいる点だろう。
- 新入りの名前を事前に調べて最初の場で呼ぶ — 新しく入った選手の名前をロッカールームへの第一声で呼ぶことが、所属感と安心感を生み、パフォーマンスの土台になる
- ベンチや怪我中の選手に「今の時間の意味」を一緒に考える — 「すぐ回復しろ」ではなく「今の時間をどう過ごすかが大事だ」と伝え、主体的な準備を促すことが選手を強くする
- カテゴリー選択の問いを「どうなりたい自分か」から始める — 上のカテゴリーでベンチか、下のカテゴリーで出場かを迫られた選手に、「どちらが正解か」ではなく「どうなりたい自分に近づけるか」を問いかける
ピッチ脇のピザ屋から、ローマ、そしてユベントスへ
ヴォリアッコはバーリ近郊の出身だ。 両親はピザ屋を営み、朝から晩まで働きづめ。 その店の前のスペースが、彼と兄の「スタジアム」だった。
親が仕事で見ていない時間、兄とボールを蹴りながら窓ガラスを割りまくる。 その中から、サッカー選手になりたいという思いが自然に育っていった。
15歳でバーリを離れ、ローマの育成組織へ。 そこから1年足らずで、ユベントスの下部組織へ移る。
地方都市の少年が、あっという間にビッグクラブの「プリマヴェーラ(U-19)」でプレーするようになった。
このスピード感は、華やかに聞こえる一方で、「考える時間」が追いつかなくなる危険もはらんでいる。
そんな中で、彼が自分を保つために意識していたのは、家庭から受け取った「地に足をつける」感覚だと話している。
周りの期待や華やかさに流されず、自分は何を目指してここにいるのか。 そこに集中しようとしたこと。
日本でも、ユースや強豪高校に入った1年生が、急に違う世界に放り込まれることがある。
そのとき、「自分はどうしたいのか」を自分の言葉で持てているかどうかで、その後のプロセスは変わっていく。
- 逆境を「重さ」か「プレゼント」かは自分が選べる — 有名な家族・強いチーム・高い期待は逃げられないが、それをどう意味づけるかは自分の選択であり、そこに成長の分岐点がある
- 苦しい時期に「お前の価値は変わらない」と言い続けてくれる存在を大切にする — 家族・指導者・信頼できる人の声を内側の基準にすることが、諦めない力の源になる
- 初ゴールや感情があふれる瞬間を積み重ねの証として受け取る — 結果の数字だけでなく、そのプロセスに宿る意味に目を向けることがモチベーションの持続につながる
ユベントスで学んだ「名前ではなく、態度で示すプロ」
ヴォリアッコはユベントスのプリマヴェーラで、ファビオ・グロッソの指導を受けている。 ワールドカップ優勝メンバーの左サイドバックだ。
ジュニア時代にテレビで見ていた選手が、自分の監督になる。
さらにトップチームの練習にも呼ばれ、ボヌッチ、キエッリーニ、バルツァッリらと同じピッチに立つ。 中盤にはピルロ、マルキージオ。 前線にはマンジュキッチ、イグアイン、ディバラ。 全員の名前を聞くだけで、圧倒されるようなメンバーだ。
そんな環境で、彼の記憶に鮮明に残っているのは、キエッリーニのふるまいだったという。
初めてトップチームのロッカールームに入ったとき。 主将のキエッリーニが「アレッサンドロ、ようこそ」と、名前を呼んで迎えてくれた。
下部組織の選手ひとりひとりの名前を事前に調べて、バリアをなくそうとする。
ここには、「上手いから偉い」「まだ若いから静かにしていろ」という序列とは異なる、別の価値基準が見える。
- チームの一員として迎え入れる態度
- 名前を覚えていることで相手の存在を認めること
- プレー以外の振る舞いで、プロとは何かを示すこと
日本で指導する立場の人が、この場面を自分のチームに置き換えたとき、何を感じるだろうか。
新しく入ってきた選手の名前を、自分はどれだけ意識的に呼べているか。 上級生やレギュラーは、どんな態度でチームメイトを迎えているだろうか。
細かいようでいて、こうした「小さな選択」の積み重ねが、チーム全体の雰囲気や、若い選手の心に大きく影響していく。
パドヴァの「35人のロッカールーム」で生まれた問い
ユベントスの下部組織で順調に見えたキャリアは、プロの世界に出た途端、大きな壁にぶつかる。
セリエBのパドヴァへレンタル移籍。 しかし、チームは35人もの選手を抱え、ほとんど出場機会がないまま半年が過ぎる。
家に帰ると、当時は恋人だった今の妻の前で涙を流す日々。
「このまま夢が終わってしまうのではないか」という不安。 どうすればいいのか分からない焦り。
そのとき、彼は自分に二つの選択肢があると感じたという。
- 「運が悪かった」「監督のせいだ」と周囲に原因を求めて、諦めていく道
- 「見返してやる」と、いま自分にできる準備を積み重ねる道
どちらが正しいか、という話ではない。
心が弱くなっているときに、前向きな選択をし続けるのは、簡単なことではないからだ。
ただ、彼は後者を選び、「倍の努力をする」と決める。
その背景には、3つの支えがあったと話している。
- 一緒になって苦しみを受け止めたパートナー
- 毎晩電話で落ち着かせようとした父親
- 「お前は強い」と繰り返し背中を押したミハイロヴィッチ
どの支えも、「すぐに結果が出る」とは言っていない。 代わりに、「お前自身の価値は変わらない」と伝え続けている。
日本の育成年代でも、ベンチにいる時間、怪我をしている期間、カテゴリーが下がった時期は必ず訪れる。
そのとき、選手自身はどんな言葉を自分にかけるのか。
周りの大人は、「すぐに元に戻れる」と励ますのか、「今の時間をどう過ごすかが大事だ」と寄り添うのか。
ここでも、「何を選ぶか」は一人ひとりに委ねられている。
ポルデノーネで見つかった「居場所」と、選手を信じる目
パドヴァで苦しんだ後、ヴォリアッコはセリエCのポルデノーネへ移籍する。
カテゴリーは下がる。 しかし、スポーツディレクターのロヴィーザが強く信じてくれたことで、キャリアは再び動き始める。
「信じているから、ここでプレーしてほしい」と言われる経験は、若い選手にとって大きな意味を持つ。
一方で、それは同時に「結果で応えなければ」というプレッシャーにもなる。
その両方を受け止める中で、ヴォリアッコはコンスタントに出場し、自分の価値を改めてピッチで証明していく。
ここで浮かび上がるのは、「ステップアップ」という言葉の捉え方だ。
一般的には、
- カテゴリーが上がること
- 有名クラブに行くこと
を指すことが多い。
しかしプレーする本人にとっては、
- 自分を必要としてくれる場所を選ぶこと
- 試合に出て、自分のサッカーを深められる環境にいること
が、長い目で見れば「ステップアップ」になることも少なくない。
もし、自分の子どもや教え子が「カテゴリーを下げて試合に出る道」と「カテゴリーを維持してベンチに座る道」で迷っていたら、周りの大人はどんな問いを投げかけるだろうか。
「どっちが正解」ではなく、「どうなりたい自分に近づけるか」を一緒に考えることができるかどうか。 そこに、育成に関わる人の姿勢が現れてくる。
ミハイロヴィッチという「もう一人の父」との対話

ヴォリアッコは、ミハイロヴィッチのことを「サッカーの父」と呼ぶ。
豪快なイメージのある彼だが、テーブルを囲めば必ず肩に手を置き、言葉とともに温かさをくれる人だったと振り返る。
指導者としての彼は、激しさの裏側に、「選手を信じる」という一貫したスタンスを持っていた。
ヴォリアッコには、「いつか自分が監督のチームに連れてくる」と伝えていたという。
結局、その約束は病のために果たされないままになった。
だからこそ、今もなお、一日を終えるたびに、彼は頭の中でミハイロヴィッチに語りかける。
「今日の自分のプレーはどうだったか」 「この決断は間違っていなかったか」
そこで返ってくる声は、実際には自分自身の中に蓄積されている「ミハイロヴィッチ的なもの」なのかもしれない。
- 迷ったら、自分が信じる強さを貫け
- うまくいかないときこそ、自分の価値を疑うな
そうした言葉が、彼の中で「第二の声」として響いている。
ここには、サッカー選手が「誰の声」を自分の基準として選ぶのか、というテーマが浮かぶ。
SNSの声。 観客の声。 家族の声。 監督の声。
その中から、「この人の言葉は自分にとってコンパスになる」と信じられる存在を、自分で選び取る。
それは、日本でプレーする選手にとっても同じことだろう。
あなたは今、誰の言葉を、自分の判断の基準として大切にしているだろうか。
ジェノアでの「あのゴール」と、勝手に出てしまったキス
ポルデノーネでの活躍を経て、ヴォリアッコはジェノアへ。
ここでセリエA昇格、トップリーグでのデビュー、そして初ゴールを経験する。
特に印象的なのは、セリエA2024-25シーズンの開幕戦で、優勝候補インテル相手に決めたキャリア初ゴールだ。
26歳までプロの試合で一度も点を取れず、友人から「一生ノーゴールで終わるんじゃないか」とからかわれていたという彼が、ビッグクラブ相手にネットを揺らす。
そのときの喜び方が派手すぎて、チームメイトから「1点でその騒ぎか」と笑われたというが、そこには言葉では説明できない積み重ねがある。
もうひとつ忘れがたいのが、ホームのコモ戦。
アディショナルタイムに決めたゴールで、夢だったグラディナータ・ノルド(ゴール裏)の前で歓喜する。
彼はそれまで、「どのクラブのユニフォームにもキスはしない」と心に決めていた。 地元バーリへの想いが強く、軽々しくクラブ愛を示したくなかったからだ。
ところが、その瞬間だけは、自然とマークを口元に持って行っていた。
意図していない行動が出てしまうほどの感情。
そこには、「選手としてのプロ意識」と「人間としての感情」がぶつかり合う、不思議な瞬間がある。
「プロなんだから、感情を出しすぎるな」と言うこともできるかもしれない。
一方で、「人としての揺れ」を見せるからこそ、スタンドのサポーターは心を動かされるのかもしれない。
日本のスタジアムでも、ゴール後の振る舞いやユニフォームへのキスをめぐって、さまざまな議論が起こる。
自分なら、どこまでを「計算したパフォーマンス」、どこからを「本音の表現」として許容するだろうか。
パルマ、そしてギリシャ・PAOKへ ― 「海外に出る」という選択
ジェノアの後、ヴォリアッコはパルマで半年プレーする。
そこで出会ったのが、FWのボニと監督のクリスティアン・キヴ。
キヴは、正式に会う前に、彼の祖父が亡くなったという知らせを聞き、わざわざ電話をかけてきたという。
小さなことのようでいて、「人としてどうありたいか」はこうした場面に現れる。
サッカー界で、「戦術」「システム」は多く語られる。
一方で、「人と人の距離をどう取るか」「どこまで選手の人生に関わるか」という領域は、数字やデータでは表せない。
それでも、そこで感じ取ったものが、選手の心の支えになることもある。
そして2024-25シーズン、ヴォリアッコはギリシャのPAOKへ。
当初はパルマとの継続の話を迷いながらも、「いつか海外でプレーしてみたい」という思いから、新しい土地を選んだ。
家族を連れての移住。 小さな娘たちは言葉の問題で苦労しながらも、徐々に環境に馴染んでいった。
PAOKでは、熱狂的なサポーターと満員のスタジアム。 欧州リーグという、新たな舞台。
一方で、チームメイトがスパゲッティを平気で折って茹でていたり、アイスコーヒーに氷を大量に入れていたりする。
イタリア人としては受け入れがたい食文化に、本気でツッコミを入れながらも、その違いを楽しんでいる。
ここでも問われているのは、「自分のこだわりを持ちながら、違いをどう受け入れるか」だ。
日本で育った選手が海外にチャレンジするときにも、この感覚は避けて通れない。
- 自分にとって譲れない部分
- 相手の文化として尊重する部分
その線引きを、どこに引くのか。
答えは人の数だけ違うはずだ。
「届かなかった約束」を抱えたまま、これからどこへ向かうのか
ヴォリアッコには、今も心の中にひとつの「届かなかった約束」が残っている。
それは、「いつかミハイロヴィッチのチームでプレーする」という夢だ。
実現しなかったからこそ、今もなお、彼の中でその約束は生き続けている。
2024-25シーズン最終節。 ジェノアのキャプテンとして、「彼の」ボローニャと対戦したとき。
腕に巻いたキャプテンマークの重さは、いつも以上だったと想像できる。
「一緒に戦いたかった」という思いと、「このピッチに立てている自分」を誇りに思う感情。
どちらも同時に抱えながら、彼は90分をプレーしたはずだ。
もし、あなたの中にも、「実現しないまま終わってしまった夢」や「間に合わなかった約束」があるとしたら、それをどう扱うだろうか。
忘れようとするのか。
あるいは、ヴォリアッコのように、「今の自分の選択の中に生きさせていく」のか。
日本でこの物語を読む私たちは、どこに自分を重ねるか
ヴォリアッコの歩みをたどると、「正解の道」を一直線に進んできたわけではないことがわかる。
- 地方のピザ屋の前でボールを蹴り続けた幼少期
- ローマ、ユベントスというビッグクラブの下部組織で感じた期待とプレッシャー
- パドヴァでの出場機会ゼロに近い半年と、涙の夜
- ポルデノーネでの再出発
- ジェノアでの昇格、初ゴール、感情があふれたユニフォームへのキス
- パルマでの出会いと別れ
- PAOKでの新しい文化とサポーターの熱
- そして、もうこの世にいない「サッカーの父」との対話
どの場面にも、「なぜそう選んだのか」という問いが潜んでいる。
日本のサッカーに目を向けると、同じ年代の選手たちもまた、似たような岐路に立っている。
- ユースか、高校サッカー部か
- 大学経由か、プロへの早期チャレンジか
- 国内での出場機会を取るか、海外に飛び込むか
どれも、答えは一つではない。
大事なのは、「どの道が正解か」を探すより先に、「自分はどういうサッカー人生を歩みたいのか」と一度立ち止まって考えてみることかもしれない。
ヴォリアッコは、苦しいときにこそ、自分の内側から出てくる声と、信頼する人たちの声を行き来しながら、決断を重ねてきた。
では、この記事を読み終えたとき、自分の中から聞こえてくる声は、どんなものだろうか。
プレーする選手として。 見守る親として。 チームを導く指導者として。
それぞれの立場で、「自分ならどう考えるか」を、一度ゆっくりと味わってみたい。
サッカーのピッチは、90分ごとに無数の選択が積み重なっていく場所だ。
そのひとつひとつの裏側にある迷いや葛藤に目を向けていくとき、結果の数字だけでは見えない物語が、静かに立ち上がってくる。
そしてその物語は、どこかで自分自身の人生とも、ゆるやかにつながっているのかもしれない。
