3−0のスコアの裏側にある「選ぶ力」――マレンのハットトリックとペッレグリーニ、ピサ、ガスペリーニが教えてくれること
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ローマ対ピサ、マレンのハットトリックから見える「選ぶ力」

ローマがピサに3−0で勝利した試合。 スコアだけ見れば、ローマの完勝、そしてドニエル・マレンのハットトリックが全てを物語っているように見えるかもしれません。 でも、90分の中で選手や監督が何度も迫られていたのは、「点を取るかどうか」ではなく、「どんな考えでプレーを選ぶか」だったはずです。
マレンにとってはセリエA 2025-26シーズンで初めてのハットトリック。 一方で、ロレンツォ・ペッレグリーニは負傷でピッチを後にし、ピサの守備陣は苦しい時間を過ごしました。 同じスタジアム、同じ時間を過ごしながら、選手一人ひとりがまったく違う種類の選択と葛藤を抱えていた試合でもあったと言えます。
ハットトリックは「才能」か「判断の積み重ね」か
マレンの3ゴールを「圧倒的な才能」として片付けるのは簡単です。 しかし、ゴールシーンを少し細かく想像してみると、そこには小さな判断の連続があります。
たとえば、こんな問いが生まれます。
- 相手センターバックの背後を狙うか、足元で受けに降りるか
- ワンタッチでシュートに行くか、トラップしてコースを作るか
- ゴールを狙うか、よりフリーな味方に出すか
どの選択肢も、その瞬間までは同じくらい「あり得る」ものです。 違いが出るのは、「いま、この状況ではどれが一番ゴールにつながる確率が高いか」を頭と体で感じ取り、自分で決め切れるかどうか。
試合後、マレンは「一番大事なのはチームの勝ち点3」といった趣旨のことを口にしています。 これはよくあるコメントのようにも聞こえますが、裏側には「個人の記録より、試合の流れを読むことを優先していた」という意識がうかがえます。
もし自分がフォワードだったとして、2点取った状態で迎える次のチャンス。 「ハットトリックを狙いたい」という気持ちと、「確実に試合を決めるために、より安全な選択をする」気持ちが、頭の中でぶつかるかもしれません。 そこでどんなプレーを選ぶのか。 その迷いと決断こそが、結果以上に選手の成長を形作っていくのではないでしょうか。
| 場面 | 選択の当事者 | 迫られた判断 | 選択の性質 |
|---|---|---|---|
| マレンの3ゴール | 得点を重ねたFW | 裏に抜けるか足元で受けるか/シュートかパスか | ◎ 判断の積み重ね |
| ペッレグリーニの負傷 | 象徴的MF | 痛みをこらえるか、交代を受け入れるか | △ 長期視点への切り替え |
| ピサの守備陣 | CB・ボランチ | ラインを上げるか下げるか/指示を待つか自分で修正するか | ○ 現場での自走判断 |
| ガスペリーニの采配 | アタランタ→新クラブの監督 | 望んだ補強が揃わない環境でスタイルを貫くか変えるか | ◎ 不完全さの受容 |
| マレンの2ゴール後の次の1本 | 同じFW | ハットトリックを狙うか、安全に試合を決めるか | △ 個人記録と勝ち点の両立 |
ペッレグリーニの負傷にある、別の種類の「選択」
この試合で、ローマの象徴ともいえるロレンツォ・ペッレグリーニは負傷に見舞われました。 試合前には、クラブにとって特別な意味を持つ一戦だと言われており、彼にとってもモチベーションの高いゲームだったはずです。
だからこそ、負傷の瞬間には、こんな葛藤があったかもしれません。
- 痛みをこらえてでもプレーを続けるか
- チームのために、あえて交代を受け入れるか
- 次の試合や、シーズン全体を考えるか
観ている側は、途中交代が告げられた時点で「仕方がない」と受け止めるかもしれません。 ただ、プレーしている本人にとっては、「ここでピッチを去る」という決断は、点を決めるのと同じくらい重い選択です。
日本でも、ケガを抱えながらプレーを続けることが「根性」として語られることがあります。 一方で、長いシーズンを見据えて、自分の体調を把握し、勇気を持って「やめる」選択をすることも、プロとしての大事な能力です。
もし自分だったら、どうするでしょうか。 大事な試合、家族や仲間がスタンドで見ている中、足や腰に違和感を覚えたとき。 「今日は最後までやり切りたい」という気持ちと、「ここで無理をしたら、数週間プレーできなくなるかもしれない」という現実。 その間で、どんな基準で決断するのか。 ペッレグリーニの表情には、そんな問いが刻まれていたかもしれません。
- 判断の連続としてゴールを語る — 「才能」でまとめず、裏抜け・ワンタッチ・パス選択など1プレーの背景を言語化する。
- ピッチ内で修正させる時間を残す — ハーフタイムを待たず、CBやボランチに自分たちで守り方を変える合図を許可する。
- 『やめる勇気』を根性論の対極に置く — 痛みをこらえて続ける選手と、離脱して次に備える選手を同等に評価する基準を伝える。
ピサの守備陣が過ごした「うまくいかない時間」の意味
スコアだけを見ると、ピサにとっては苦い夜です。 守備陣はマレンを止められず、0−3での敗戦。 セリエB降格の危機も迫っているとも言われています。
ただ、0−3という結果の中にも、選手それぞれに違う物語があったはずです。
- 1失点目のあと、ラインを上げ続けるか、少し下げてブロックを固めるか
- マレンに対して、前に出て潰しにいくか、コースを限定する守りに切り替えるか
- 味方のミスの後、叱責するか、声をかけて支えるか
守備が破られ続ける時間帯、センターバックやボランチは「何を変えるべきか」を瞬時に考え続けます。 監督からハーフタイムに指示が出るまで待つのではなく、プレー中に自分たちで修正しようとする力が問われます。
日本の育成年代でも、格上相手に大量失点してしまう試合があります。 そのとき、選手はどんな姿勢を取っているでしょうか。
- 監督の指示を待つだけで、ピッチの中で話し合わないチーム
- キャプテンやセンターバックが、守備のやり方をその場で調整しようとするチーム
どちらが「正しい」とは言えませんが、後者のチームには、「自分たちで選ぶ力」が育っているようにも見えます。 ピサのように、苦しみながらもピッチ上で答えを探そうとする時間は、結果だけでは測れない価値を持っているのかもしれません。
- 2点取った後の3点目を考える — 記録狙いか試合を閉めるかで、FWの成長方向は変わると知っておく。
- 違和感は我慢より共有 — 足や腰の違和感を感じたとき、続ける・外れるを自分で決める練習を普段からする。
- 大敗の試合こそ学びの宝庫 — 0−3でも、ピッチ内で何を変えようとしたかを親子で話すだけで同じ試合が別物になる。
ガスペリーニの「選ばなかった道」と「選んだ道」

同じイタリアでは、ジャン・ピエロ・ガスペリーニも興味深い言葉を残しました。 夏の移籍市場で、自分が求めた選手のうち来たのは一人だけ。 さらには、自身の就任を巡って、他に三人の監督がオファーを断っていたという話もあったと伝えられています。
それでもガスペリーニは、「自分はこの選択に満足している」といったスタンスを示しています。 この姿勢には、「思い通りの条件が整わなくても、与えられた環境の中で何を選び、どう戦うか」という視点がにじんでいます。
選手も監督も、常に「完璧な条件」でプレーできるわけではありません。
- 望んだポジションではない場所で起用される
- チーム事情で慣れない戦術を採用する
- クラブの補強が理想通りに進まない
そんなとき、「理想と違うから力を出せない」と考えるのか。 それとも、「この条件の中で最善を尽くすとしたら、何を選ぶべきか」と考えるのか。 ローマ対ピサの試合も、ガスペリーニのコメントも、「不完全さ」とどう向き合うかを問いかけてきます。
日本の育成年代に重ねてみるとき
セリエAの試合や監督の言葉は、一見すると日本のジュニアやユースとは遠い世界の話のように感じられます。 けれど、そこに流れているテーマは、日本のグラウンドでも日々起きているものとつながっています。
たとえば、こんな場面があります。
- 格上相手に早い時間で2点を取られたとき、ピッチの中で何を話し合うか
- 途中出場でチャンスが少ない中、1本のシュートか1本の守備をどう選ぶか
- コンディションが万全でないとき、出場希望をどう伝えるか
どの場面も、「監督の指示に従うだけ」で乗り切ることもできます。 しかし、そこに自分の考えを少しでも持ち込めるかどうかで、同じ試合がまったく違う学びの場になります。
マレンのハットトリックも、ペッレグリーニの負傷も、ピサの苦しい守備も、ガスペリーニの選択も。 共通しているのは、「誰かが用意した正解」をなぞっているわけではない、ということです。 その瞬間にある情報をつかみ、自分なりの優先順位をつけて決断している。 その結果として、ゴールが生まれたり、途中交代になったり、敗戦を受け入れたりしているだけです。
「答えを急がない」見方を持ってみる
試合を見ていると、「3−0ならローマの完勝」「ピサは力不足」「マレンはすごい」「ペッレグリーニはついてない」といった、分かりやすい見出しでまとめたくなります。 もちろん、そのような整理の仕方は悪いことではありません。
ただ、そこでもし一拍置いて、「なぜこの選択になったのだろう」と想像してみると、サッカーの見え方が少し変わります。
- マレンは、なぜあのタイミングで裏に抜けたのか
- ペッレグリーニは、どの瞬間に「交代を受け入れよう」と決めたのか
- ピサのセンターバックは、3失点目の前に、どんな迷いを抱えていたのか
- ガスペリーニは、望んだ通りの補強ではないチームで、なぜこのスタイルを貫いているのか
そこから先にあるのは、「正解探し」ではありません。 自分ならどう考えるか、自分なら何を選ぶか。 その想像を繰り返すことで、プレーする側にとっても、見る側にとっても、サッカーが少しずつ「自分のもの」になっていくのかもしれません。
「結果」に隠れたプロセスに目を向ける
3−0というスコアと、マレンのハットトリック。 それだけを切り取れば、派手で分かりやすい試合です。 しかし、その裏には、「続けるか、やめるか」「攻めるか、待つか」「受け入れるか、抗うか」といった、小さくて重い選択がいくつも積み重なっていました。
次に試合を見るとき、あるいは自分がプレーするとき。 うまくいったか、失敗したかだけで終わらせず、「そのとき、自分は何を選ぼうとしていたのか」を振り返ってみる。 その時間こそが、サッカーを少し深く味わうための、静かなトレーニングなのかもしれません。
答えはいつも、スコアボードの外側にあります。 その外側に目を向ける視線を、どれだけ大切にできるか。 それが、サッカーと長く付き合っていくための、一つのヒントになるのではないでしょうか。
