ミスと向き合う勇気が選手とクラブを強くする――退場処分から「効力停止」で戻るコリチーバの10番ジョズエの物語
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「出られるか出られないか」の先にあるもの ― コリチーバの10番ジョズエがピッチに立つまで

試合前日の「追加招集」から始まる物語
ブラジル全国選手権の第5節、アウェーでコリンチャンスと対戦するコリチーバ。 会場はサンパウロのネオ・キミカ・アレーナ、キックオフは夜の21時30分。 この日のゲームは、あるひとりの選手にとって、少し特別な意味を持つものになった。
10番を背負うポルトガル人の攻撃的MF、ジョズエ。 本来であれば、この試合には出られないはずの選手だった。
開幕節、レッドブル・ブラガンチーノ戦。 ゴールに向かって抜け出した相手FWルーカス・バルボーザを、背後からスライディングで止めてしまった。 主審はVARで映像を確認したうえでレッドカード。 数的不利となったコリチーバは、そのままホームで0-1の敗戦を喫している。
この退場によって、ジョズエには1試合の自動停止に加え、スポーツ裁判所でさらに1試合の出場停止処分が科された。 つまり、合計2試合の出場停止。 すでに1試合は消化しており、本来ならコリンチャンス戦もスタンドから見守る立場だった。
ところが、クラブの弁護士が処分に対して不服を申し立て、スポーツ裁判所の上級機関が「効力停止」の判断を下す。 最終判断が出るまでの間、彼はプレーしてよい、という決定だ。
こうして、ジョズエは急きょサンパウロ遠征のメンバーに合流することになった。
表向きのニュースは「主力10番が出場可能に」という一文で終わるだろう。 だが、その裏側には、ひとりの選手とクラブが繰り返し「考え直す」時間があったはずだ。
| 観点 | 罰で終わらせる対応 | 学びに変える対応 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 処分の扱い | 受け入れて待つだけ | 意味合いを問い直す | ◎ |
| プレー意図の確認 | 「愚かなファウル」で完結 | どこから判断ミスが始まったかを遡る | ◎ |
| 選手への声かけ | 「二度とするな」と叱責 | 「なぜそう選んだか」を一緒にほどく | ◎ |
| チームへの影響 | 個人の問題として処理 | チーム全体の守備設計の問いとして昇華 | ○ |
| 再犯リスク | 高い(根拠が恐怖心) | 低い(根拠が理解) | △ |
「あのタックル」は何だったのか ― ファウルをどうとらえるか
開幕戦の退場シーン。 背後からのタックル、決定機阻止、VARの介入、レッドカード。 判定としては、ルール上かなり明確な部類に入る。
ただ、そこに至るまでの数秒の中で、ジョズエは何を見て、何を選んでいたのだろう。
相手FWが自陣ゴールへ一直線に向かう。 その背後を必死に追う10番。
おそらく頭の中には、いくつもの声が同時に響いていたはずだ。
- ここで止めなければ決められるかもしれない
- でも、後ろから行けば危ないファウルになる
- 足だけでボールにいけるかもしれない
- スピードを落としてコースを遮る手もある
「判断ミス」「愚かなファウル」と片づけてしまうのは簡単だ。 しかし、試合の中での「ファウル」は、多くの場合、選手が瞬時に計算し、リスクを引き受けたうえでの選択でもある。
止めるか、止めないか。 きれいに行くか、ギリギリを攻めるか。
結果としてレッドカードになった以上、「間違いだった」と言うこともできる。 だが、その「間違い」は、どの時点から始まっていたのか。
- ポジション取りが悪く、そもそも背後を取られたことなのか
- 寄せるタイミングを一瞬遅らせてしまったことなのか
- タックルにいくフォームや角度の選び方なのか
「なぜあんなファウルをしたのか」ではなく、 「どこまでが許容できるリスクで、どこからが超えてはいけない線だったのか」。 そこを言葉にして考え直すことは、本人にとっても、同じピッチを目指す選手にとっても重要になる。
- 「なぜファウルをしたか」ではなく「どこから判断がズレ始めたか」を問う — ポジション取り・寄せのタイミング・タックルフォームの選択肢それぞれを選手と一緒に遡り、改善可能な分岐点を特定する
- 処分や謹慎の「意味」を選手と共有する — 「出られないのが罰」で終わらせず、その時間に何を考えさせたいかを言葉にしてから離脱させる
- ミスをした選手の復帰後の起用方針を事前に言語化しておく — 「戻ってきたらどう使うか」を監督が言葉にすることで、選手の焦りが減り、チームの準備も整う
クラブとしての「異議申し立て」は、何を大事にした選択か

スポーツ裁判所では、ジョズエの行為は「明白な得点機会の阻止」と判断され、追加の1試合停止が科された。 さらに、過去の試合でのトラブルへの関与も「再犯」として考慮された。
ここで、クラブの弁護士は「これは試合の中で起きたプレー上のファウルだ」と主張したと伝えられている。 決して危険なラフプレーを意図したわけではなく、ボールを奪いにいった守備の一部だ、と。
興味深いのは、そのロジックだ。
- 27分での退場により、約75分間、チームを数的不利にしてしまっていること
- その結果、試合には敗れており、すでに大きな「代償」を払っていること
- さらに自動停止で次の試合も出られなかったこと
この一連を「すでに十分なペナルティを受けている」ととらえ、これ以上の処分は重すぎる、と訴えた形だ。
ここには、クラブとしての視点が見える。
- ルールや処分に従うだけでなく、「本当にそれが妥当なのか」を自分たちで考える姿勢
- 選手が犯したミスを切り捨てるのではなく、その背景にあるプレー意図や試合状況を汲み取ろうとする態度
- 結果としての敗戦も含め、ピッチ上での代償を処分の一部と見なそうとする視点
選手のミスをどう扱うか。 日本の現場でも、とても悩ましいテーマではないだろうか。
「やってしまったことだから仕方ない」で終わらせるのか。 「二度とするな」と強く叱るのか。 「なぜそうなったか」を一緒にほどいていくのか。
コリチーバは、処分そのものに「反抗」したわけではない。 その意味合いと重さを、自分たちの言葉で問い直そうとした。 その結果として、一時的に処分の効力が止まり、10番を再びピッチに立たせる選択肢を手に入れた。
- 退場・ペナルティのあとは自己批判より「分岐点の特定」をする — 「なぜあんなことを」と責め続けるより、「どのタイミングで別の選択ができたか」を具体的に1つ見つける
- ピッチに戻るまでの時間をチームの観察に使う — 自分不在でチームがどう変わるか、自分が戻ったときに何を加えられるかを見続ける
- ミスをした仲間を「プレッシャーで追い詰めない」雰囲気を作る — 復帰した選手が焦るより「戻ってきてくれた」と感じられるチームの空気が長期的に強い
指揮官は何を選ぶのか ― 使うか、あえて使わないか
効力停止により、ジョズエはコリンチャンス戦で「出場可能」になった。 しかし、それは「必ず出さなければならない」という意味ではない。
チームを率いるフェルナンド・セアブラ監督には、新たな問いが突きつけられる。
- チームの10番であり、ここまで4試合中3試合に出場している主力を、迷わず先発で起用するのか
- あるいは、処分の行方を考慮し、起用時間をコントロールするのか
- 「出場可能になった」という事実を、どうチームに伝え、どう意味づけるのか
この試合の時点でコリチーバは、勝ち点4で12位。 上位グループまでは1ポイント差、降格圏まではわずか2ポイント。 どちらにも傾きうる、ギリギリの位置にいた。
勝てば上を見られる。 負ければ足もとが揺らぐ。 そんな状況で、攻撃の要である10番が戻ってくる。
「使うかどうか」だけを見れば、答えは単純に思えるかもしれない。 だが指揮官は、もう少し長いスパンで考えざるをえない。
- この先、最終判断が出たときに、再び何試合か出場停止になる可能性がある
- そこを見越して、別のシステムやメンバー構成も並行して準備すべきかもしれない
- チームとして「1人に頼り切りにならない」戦い方をどう築いていくか
「今日の試合に勝つため」にベストを尽くすことと、 「シーズンを乗り切るため」にリスクを分散させること。 この2つの優先順位は、いつも同じとは限らない。
もし自分が監督だったら、どう考えるだろう。
- 10番を中心に据えて、勝負に出る
- あえて途中出場にとどめ、チーム全体のバランスを確かめる
- 今回は見送り、次の試合以降に備える
どの選択にも、それなりの理由とリスクがある。 「正解」が事前に決まっているわけではない。
当人の心はどこに向かうのか ― 罪悪感と責任感の間で
ここまで触れてこなかったが、いちばん複雑な時間を過ごしていたのは、おそらく本人だ。
退場した直後の試合。 ベンチで、あるいはロッカールームの前で、どんな気持ちでチームの戦いを見つめていたのだろう。 「自分のプレーがチームの敗戦につながった」と受け止めれば、少なからず罪悪感は残る。
そのうえで、次の試合も出られなかった。 ピッチに立てない時間が長くなるほど、「やってしまったこと」が頭の中で何度も再生される。 「なぜあの時ああしたのか」「他の選択肢はなかったのか」。
そしてようやく迎えたコリンチャンス戦。 出られるかもしれない、と知らされたとき、彼はどう感じたのか。
- 「またチームのために戦える」という安堵
- 「もう二度とあんな退場はできない」というプレッシャー
- 「ここで結果を出さなければ」という焦り
選手は、ピッチの上では「決断する存在」だ。 だが同時に、判定や処分、世間の見方といった、自分ではコントロールできない要素にも左右される。 その間で、どこまで自分のスタイルを手放さずにいられるか。
激しく戦うことと、冷静にコントロールすること。 チームのためにリスクを負うことと、自分自身を守ること。
同じような経験をした選手は、日本にも少なくないはずだ。 危険なタックルで退場した。 PKを与えてしまった。 最後の最後でボールを奪われて失点につながった。
そのあと、自分と、チームと、どう向き合うか。 そこでの選び方が、プレーヤーとしての輪郭を少しずつ形づくっていく。
「罰」だけで終わらせない視点 ― 日本ではどう考えられるか
今回のケースは、一見すると「懲罰」と「異議申し立て」の話に見える。 しかし、もう一歩踏み込んでみると、「ミスとどう付き合うか」というテーマが浮かび上がってくる。
日本の育成年代やアマチュアの現場でも、似た場面は日常的に起きる。
- 危険なプレーで退場した選手を、次の試合でどう扱うか
- 同じようなミスを繰り返す選手に、どんな声をかけるか
- 「チームルール」と「個人の成長」をどう両立させるか
厳しく処分することも、一つの選択だ。 ただ、その時に「何のために厳しくするのか」が、選手に伝わっていなければ、 それは単なる恐怖心や委縮を生むだけになってしまう。
一方で、「仕方ない」で流してしまえば、 ミスの背景を言葉にして振り返る機会を失う。 同じ状況に直面した時、また同じ選択をしてしまうかもしれない。
大切なのは、
- どこまでが受け入れられるチャレンジで
- どこからが「越えてはいけないライン」なのか
それを選手と一緒に考え続けることではないだろうか。
今回、コリチーバは裁定に対して「考え直させてほしい」と声を上げた。 その姿勢は、そのまま現場にも重ねられる。
- 監督が、なぜその選手を起用するのか・外すのかを言葉にする
- 選手が、自分のプレーの意図と反省を自分の言葉で語る
- クラブが、ミスをした選手をどう支えるかを話し合う
その積み重ねの中で、 「罰を与える」だけではない、 「次の選択をよりよくするための学び」に変えていくこともできるはずだ。
あなたなら、どう考えるだろう
もし、あなたがジョズエだったら。
- あの背後からのタックルに行った自分を、どう振り返るだろうか
- 再びピッチに立てると聞いたとき、どんな準備をするだろうか
もし、あなたが監督だったら。
- 追加の出場停止が決まるかもしれない10番を、それでもチームの中心に据えるだろうか
- それとも、リスクを分散するために他の選択肢を優先するだろうか
もし、あなたが指導者や保護者だったら。
- 同じように退場した選手に、どんな言葉をかけるだろうか
- ミスをした子どもと一緒に、どんな「次の一手」を探そうとするだろうか
試合の結果は、時間が経てば記録の中に埋もれていく。 しかし、その裏側で交わされた思考や選択は、 選手とチームの中に、静かに積み重なっていく。
コリチーバの10番が、効力停止でピッチに戻れることになったというニュース。 そこには、「出られるか出られないか」という二択を超えて、 「どうしてその選択にたどり着いたのか」を問い直す余白が確かに存在している。
サッカーは、90分の中で何度も選択を迫られるスポーツだ。 その一つひとつに、すぐには答えの出ない問いが隠れている。
その問いと、どれだけ長く付き合えるか。 もしかしたら、その粘り強さこそが、選手を、チームを、そして見る側の私たちを少しずつ成長させていくのかもしれない。
