「連れて行かれる側」と「選ぶ側」――サムエレ・イナシオとルカ・ペルカッシが映し出す若き才能のキャリア選択
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「連れて行かれる側」から「選ぶ側」へ サムエレ・イナシオとルカ・ペルカッシが投げかけるもの

ひとつの席が空いた、UEFAの昼食会
ドルトムントのスタジアム近く、チャンピオンズリーグの決戦を前にした昼下がり。
ふだんなら、クラブ同士がテーブルを囲み、ワインを傾けながら穏やかに言葉を交わすはずのUEFA主催の昼食会に、その日ひとつだけ、はっきりと空いた席があった。
アタランタの会長アントニオ・ペルカッシと、CEOのルカ・ペルカッシは、その席に現れなかった。
理由はただひとつ。
アタランタの下部組織で育ったサムエレ・イナシオ・ピアという16歳の才能が、ボルシア・ドルトムントに、ほとんど無償に近い形で移籍していったからだ。
「育ててきた選手を、あいまいな形で連れて行かれた」
ルカ・ペルカッシはそんなニュアンスで語り、FIFAに提訴したことも明かしている。
ただ、この場面を少し引いて眺めてみると、別の問いが浮かんでくる。
これは「ドルトムントが悪い」「アタランタが被害者」だけの話なのだろうか。
あるいは、もっと静かに、「選手はどこまで自分で選べるのか」という、サッカーの根っこにある問いなのかもしれない。
| 立場 | 出来事の解釈 | 背後にある価値観 | 評価 |
|---|---|---|---|
| アタランタ(クラブ) | 大切に育てた才能を対価なく「連れて行かれた」 | 選手はクラブの資産・投資回収の権利がある | △ 怒りは理解できるが受け身の構図 |
| イナシオ(選手) | 自分のキャリアを最大限に伸ばせる場所を「選んだ」 | プレー環境・成長機会を自分の判断で選ぶ権利がある | ◎ 選手視点では正当な選択 |
| ドルトムント | 規定の範囲内で優秀な若手を獲得した | 若手に大舞台を与えてきた実績を武器にする | ○ ルール内の行動だが関係悪化を生んだ |
| イタリア協会 | 15歳から「プロへの見習い契約」を可能にする制度を整備 | 国内クラブが将来の権利を確保できる仕組みで対抗 | △ 後に保護者同意の修正が入った |
| 保護者・周囲の大人 | 進路・チャレンジとして子どもの決断を支える | 「どんな結果になっても一緒に向き合う」という土台 | ◎ 最も長く残る影響力を持つ存在 |
ルカ・ペルカッシ自身も、かつて「出ていった側」だった
1998年10月。
当時セリエBにいたアタランタから、まだトップチームでデビューもしていなかった19歳のサムエレ・ダッラ・ボーナと、17歳のサイドバック、ルカ・ペルカッシがチェルシーに渡った。
ルカは、のちにアタランタの会長となるアントニオ・ペルカッシの息子だ。
移籍が決まったとき、父アントニオは「もし自分がまだアタランタの会長だったら、息子にあんな条件は出せなかった」と語っている。
父としての気持ち、クラブ経営者としての感覚、その両方がにじむ言葉だろう。
ルカはチェルシーで、合計14分間しか公式戦に出られなかった。
リーグカップで13分、FAカップで1分。
その後イタリアに戻っても、セリエB、セリエCを転々とし、24歳でケガを理由に引退する。
選手としてのキャリアは、少年時代に期待された「大成功」とは程遠いものだった。
彼はセカンドチームで、のちにクラブの象徴となるジョン・テリーと一緒にプレーしていた。
テリーは試合前にチョコレートとコーラを大量に口にして、それでもピッチでは誰よりも走り回ったというエピソードが残っている。
同じピッチ、同じ時間を生きながら、片方はレジェンドとなり、もう片方は24歳でスパイクを脱ぐ。
「イングランドに渡る」という選択が、そこまでの差を生んだのか。
それとも、もともとの実力、環境、ケガ、タイミング、あらゆるものが絡み合った結果なのか。
ここには簡単な答えはない。
ただひとつ確かなのは、ルカ・ペルカッシもかつて、「外のクラブから声がかかり、夢に惹かれて出ていった側」の人間だった、という事実だ。
- 「このクラブに残ることで選手はどう成長できるか」を選手と一緒に言語化する — 契約条項より先に「どんなプレーをどんな舞台で目指せるか」「どんな失敗を許してどんなチャレンジを後押しできるか」を具体的に伝える機会を定期的に設ける
- 進路の選択肢を整理するときは「行くべき・行くべきでない」を押しつけない — メリットとデメリットを具体的に一緒に整理し、本人の言葉を引き出すことに集中する。大人の価値観を先に押しつけると、選んだ後の迷いが大きくなる
- 選んだ後にうまくいかなかったときも「あの時こうしていれば」と責めない — 残った選手にも不安や後悔はあり、出ていった選手にも迷いや孤独がある。どんな結果になっても「一緒に向き合う」という土台があるかどうかが、同じ失敗を別の意味に変える
イナシオの決断は「正しい」のか「間違い」なのか
2024年。
サムエレ・イナシオ・ピアは、アタランタの下部組織からドルトムントへ移籍した。
2008年生まれ。
身長176センチ、細かいドリブルと軽やかな身のこなしを武器とし、ネイマールやロナウジーニョに憧れるアタッカー。
ドイツのユースではセカンドトップとしてゴールを重ね、イタリアU-17代表では10番を背負い、20試合13得点という数字を残している。
彼は、自分の選択について「クラブのプロジェクトと若手の扱い方に納得できた」と話している。
一方、アタランタ側の視点から見れば、イナシオは大切に育ててきた「将来の資産」だ。
クルゼフスキ、バストーニ、アマド・ディアロらを十数試合も使わないうちに、総額90億円以上で送り出してきたクラブにとって、イナシオもまた大きな期待を背負った存在だったはずだ。
「プレーヤー・トレーディングで成功してきたクラブが、その象徴になりうる逸材を、ほとんど対価なく失った」
そう捉えれば、怒りや悔しさは理解しやすい。
では、この移籍は「間違っている」のか。
ルール違反なのかどうかは、FIFAと法律の世界の話になる。
ドルトムントのスポーツディレクター、ラース・リッケンは「すべての規定を守った」と主張しており、実際、現行のルールの範囲内なのだろうという見方もある。
しかし、この出来事を「ルールの穴をついた」「抜け駆けだ」とだけ見てしまうと、何かを見落としてしまうかもしれない。
イナシオ自身は、どういう景色を見ていたのか。
もし自分が16歳の彼だったら、どう考えるだろう。
- クラブ移籍を迷うときは「有名だから」以外の理由を一つ探す — どんなトレーニング環境があり、どんな競争があり、自分のプレースタイルがどう生きるかをイメージしてから選ぶと、選択後の迷いが減る
- 保護者は「選択のプロセス」に伴走し結果を子どもだけの責任にしない — 「あの時こうしていれば」は選手の成長を止める言葉になりやすい。どんな道を選んでも一緒に向き合う姿勢が、子どもが再挑戦する土台になる
- 「育ててくれたクラブへの恩」と「自分のキャリアを最大化したい」という二つの気持ちの両方を大切にする — どちらか一方が正しいわけではない。その葛藤を抱えたまま自分の問いを持ち続けることが、長い選手生活の糧になる
16歳の自分なら、どちらを選ぶか
アタランタは、イタリアで最も評価される育成クラブのひとつだ。
実際、同じ2008年生まれのオネスト・アハノールには、トップチームで1000分以上の出場時間を与えている。
「若手が信頼されないセリエA」というステレオタイプに対して、統計を見ると、18歳以下で1000分以上出場している選手の数は、他国リーグと大きな差がないという指摘もある。
それでも、イナシオはイタリアを出た。
ドルトムントは、サンチョ、ベリンガム、デンベレなど、若手を大舞台に送り出してきた実績を持つ。
スタジアム、サポーター、ブンデスリーガの雰囲気、クラブのブランド。
16歳の目に、それはどう映っただろう。
「ヨーロッパの中で一番、自分のプレーが輝きそうな場所はどこか」
そう自分に問いかけたとき、彼の心がドルトムントに傾くことは、想像できない話ではない。
もし自分が、その年齢で、その才能を持ち、ヨーロッパ中から声がかかっていたとしたら。
「育ててくれたクラブに恩を返したい」という気持ちと、「自分のキャリアを最大限に伸ばしたい」という欲求。
どちらに重心を置くだろうか。
その時、そばにいる大人たちは、どんな言葉をかけるだろう。
「連れて行かれる」のか、「自分で出ていく」のか
ここで一度、視点を変えてみたい。
アタランタは、ドルトムントを「タムpering」、つまりルールで許されたタイミングの前から家族に接触したのではないか、と非難している。
その真偽は、外からは分からない。
ただ、この構図には、どこか「連れて行かれた」「奪われた」という受け身のニュアンスがある。
一方で、選手の側から見れば、まったく別の言葉が浮かぶ。
「選んだ」
同じ出来事を、クラブから見れば「引き抜き」、選手から見れば「選択」と呼べてしまうのが、この問題のややこしさだろう。
日本の育成年代でも、似たような場面は少なくない。
中学生で強豪クラブに誘われるとき。
高校で全国常連校か、地元でのびのびプレーするか迷うとき。
プロクラブ下部組織に残るか、大学へ進学するか選ぶとき。
クラブから見れば「流出」、保護者から見れば「進路」、選手から見れば「チャレンジ」。
何を失い、何を得るのか。
誰が得をし、誰が損をするのか。
それぞれの立場によって、同じ出来事がまったく違って見える。
だからこそ、「正しい・間違い」だけで片づけるのは、どこか乱暴に思える。
守ろうとする大人と、飛び出そうとする若者

イナシオやレッジャーニなど、イタリアの若手がドイツへ渡ったことで、イタリア協会は国内の規定を変えた。
15歳から「プロへの見習い契約」を結べるようにし、クラブ側がある程度、将来の権利を確保できるようにしたのだ。
「国内の若手を守るため」
建前としてはそう説明できるし、クラブ目線で見れば当然の動きとも言える。
一方で、契約に縛られる期間が早まるということは、選手の自由が制限されることにもつながる。
のちにイタリアの公正取引委員会が、クラブ側だけに決定権がある形は問題だとして、保護者の同意を必須とするよう修正が入った。
「守ろうとする大人」と「飛び出そうとする若者」。
どちらか一方が悪いわけではない。
ただ、両者の間には、どうしても緊張が生まれる。
日本でも、選手の「3種から2種への登録」「高体連かクラブユースか」など、制度やルールがからむ場面で、同じような構図が見え隠れする。
大人は往々にして「守る」ためにルールを作りたくなる。
しかし、若い選手は「選ぶ自由」を欲しがる。
どこまでが保護で、どこからが束縛なのか。
そこには答えの決まっていないグレーゾーンが広がっている。
「もし残っていたら」と「もし出ていなかったら」
面白い対比がある。
イナシオと同い年のアハノールは、アタランタで1000分以上プレーした。
イナシオは、まだブンデスリーガでデビューしていない。
「もしイナシオが残っていれば、もっと早くセリエAデビューしていたかもしれない」
そんな想像もできる。
だが、これは同じように、こうも言える。
「もしルカ・ペルカッシがチェルシーに行かず、アタランタに残っていれば、違うキャリアになっていたかもしれない」
どちらも、もう確かめようのない「もし」だ。
人は、うまくいかなかった選択ほど、「別の道を選んでいたら」と想像したくなる。
一方で、今の場所に満足しているときほど、「あの決断は正しかった」と意味づけしたくなる。
選手も、指導者も、保護者も、その揺れの中で生きている。
ペルカッシは、ドルトムント戦の逆転勝利のあと、「神様の采配」「逃げ出した選手は悔やんでいるだろう」といった言葉を口にしている。
長く心に引っかかっていたものが、少しだけ晴れた瞬間だったのかもしれない。
けれど、その言葉を聞いたイナシオは、何を感じるだろう。
悔しいのか、何も感じないのか、あるいは、少しだけ迷いが生まれるのか。
それは、本人にしか分からない。
「取られないようにする」のか、「選ばれるクラブになる」のか
この問題を、日本に引き寄せて考えてみたい。
Jクラブのアカデミーも、大学も、高校も、地域のクラブも、優秀な選手を「獲得」したり、「引き留め」たりしようとする。
仕組みを整え、条項を工夫し、スカウト活動を強化する。
それ自体は、悪いことではない。
ただ、「取られないようにすること」にエネルギーを注ぎすぎると、「選ばれる理由」を考える時間が減ってしまう危険もある。
・このクラブに残ることで、選手はどう成長できるのか
- どんなプレーで、どんな舞台を目指せるのか
- どんな失敗を許し、どんなチャレンジを後押しできるのか
そうした問いを、選手と一緒に考えられるかどうか。
それは、契約書よりも長く、深く、選手の心に残るかもしれない。
逆に、選手側も問われる。
・有名なクラブだから
- 海外だから
- 給料や条件がいいから
そうした理由だけで選ぶこともできる。
でも、その先にどんなトレーニング環境があり、どんな競争があり、自分のプレースタイルがどう生きるのか。
そこまでイメージしているか。
「自分は、どういう選手になりたいのか」
その問いがないままに、選択肢だけ増えていくと、あとから迷いは大きくなるかもしれない。
選ぶ時に、大人は何ができるのか
イナシオのケースは、とかく「クラブ同士」「ルール」「お金」の問題として語られがちだ。
だが、サッカー現場に近いところで見れば、それは同時に「大人がどう関わるか」の問題でもある。
指導者や保護者ができることは、何だろう。
・選手にとってのメリットとデメリットを、できるだけ具体的に一緒に整理すること
- 「行くべき・行くべきでない」を押しつけず、本人の言葉を引き出すこと
- 選んだ後にうまくいかなかったときも、「あの時こうしていれば」と責めないこと
結局のところ、どんな道を選んでも、「完全な正解」は存在しない。
残った選手にも、不安や後悔はある。
出ていった選手にも、迷いや孤独はある。
だからこそ、「どんな結果になっても、お前が考えて選んだ道なら、一緒に向き合うよ」と伝えられるかどうか。
その土台があるかないかで、同じ失敗も、まったく違う意味を持ち始める。
問いを急がずに持ち続けるということ
ルカ・ペルカッシは、若くして選手を辞め、父のビジネスを継ぎ、そして今、クラブのトップとして「若手流出」の問題と向き合っている。
かつて自分が飛び出した立場から、今は「連れて行かれる側」の立場になった。
この皮肉のような巡り合わせの中で、彼自身の中にも、揺れと葛藤があるはずだ。
イナシオも、自分の選択が10年後どう評価されるのか、今は想像もつかないだろう。
もしかすると、ドルトムントでブレイクして世界的なスターになるかもしれない。
もしかすると、ケガや競争に苦しみ、別の道を探すことになるかもしれない。
どちらに転んだとしても、「あの時、自分はなぜそう選んだのか」を振り返る瞬間はきっと訪れる。
そこに、「あの時みんなで考えた」という記憶が残っているか。
それとも、「言われるがままに流された」という感覚だけが残るのか。
選択の価値は、結果だけではなく、そのプロセスにも宿る。
自分なら、どこで、誰と、何を大事にプレーするか
この記事に出てきた名前たちは、イタリアやドイツ、イングランドの話だ。
でも、そこに流れている問いは、日本のどのピッチにも通じるように思える。
・自分はどんなサッカー選手になりたいのか
- そのために、どんな環境を選びたいのか
- 選んだ後、うまくいかなかったとき、何を学び取りたいのか
クラブは、「どうすれば選ばれる存在でいられるか」。
指導者は、「選手の選択に、どう伴走できるか」。
保護者は、「不安や期待とどう付き合いながら、子どもの決断を支えられるか」。
見る角度によって、同じ出来事がまったく別の物語になる。
その中で、それぞれが自分の問いを持ち続けられるかどうかが、案外いちばん大事なのかもしれない。
サムエレ・イナシオがドルトムントでドリブルを仕掛けるとき。
オネスト・アハノールがベルガモでゴールに向かうとき。
ピッチの外では、別々の物語が静かに続いている。
そのどちらが「正解」かを決めるのは、今ではなく、ずっと先かもしれない。
だからこそ、今この瞬間にできることはひとつだけなのかもしれない。
自分なら、どこで、誰と、何を大事にサッカーを続けたいのか。
その問いを、急がずに、手放さずに、持ち続けることだ。
