ローラン・クルビス――タイトルよりも「人の記憶」に生きたマルセイユっ子のサッカー人生
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ローラン・クルビスという物語が終わった日――「コーチ・クルビス」が残したフランスサッカー50年の記憶
72歳でこの世を去ったローラン・クルビス。 選手として、監督として、そして「コーチ・クルビス」という愛称で親しまれた名物コメンテーターとして、フランスサッカーの中で独自の存在感を放ち続けた人物です。 ジャン=ルイ・ガセの逝去から間もないタイミングで、フランスはまた一人、時代を象徴するフットボールの語り部を失いました。
彼の人生を振り返るとき、私たちは派手なタイトルの数ではなく、一つひとつの「物語」に出会うことになります。 そして、その物語の多くが、サッカーというスポーツが持つ人間くささや温度を、どこまでもリアルに教えてくれます。
マルセイユから始まった「ごまかし」と「したたかさ」のサッカー人生
ローラン・クルビスの物語は、1972年のオリンピック・マルセイユ(OM)から始まりました。 マルセイユ北部の地区で育った少年が、地元のクラブのユニフォームに袖を通す。 それだけで一つの夢が叶ったようにも見えますが、彼の出発点は決して順風満帆ではありませんでした。
トップチームでの出場はわずか5試合。 その後、アジャクシオへの半ば「強制的な」移籍。 ですが、そこで見えてくるのは、彼の持つしたたかさと、サッカーにしがみつく覚悟です。
彼は若い頃、自分がもう学校に通っていないとクラブに信じ込ませて、練習時間を確保しようとしました。 クルビスはこんな言葉を残しています。
「Appelons ça ‘le système de la démerde’. Est-ce de la malice ou de la malhonnêteté ? Sincèrement, je n’ai pas la réponse. Mentir, c’est parfois simplement cacher la vérité. Parce que cela t’arrange, ou t’évite de faire de la peine à quelqu’un.」 「これを“うまく立ち回るシステム”と呼ぼう。悪知恵なのか、不誠実なのか?正直、答えは自分でも分からない。嘘をつくっていうのは、時に真実を隠すことでもある。自分に都合がいいから、あるいは誰かを傷つけないためにね。」
この言葉には、「きれいごとだけではプロにはなれない」という現実と、「それでも前に進むんだ」という彼なりの覚悟がにじみ出ています。 みなさんはどうでしょうか。 サッカーに限らず、自分の夢のために、ギリギリのラインを歩いた経験はありませんか。
オリンピアコスとモナコ──異国の夢と、輝きに惹かれたDFの横顔

翌シーズン、彼は自ら「ギリシャ人の祖父」をでっち上げて、オリンピアコスへの道をこじ開けます。
夢見るディフェンダーは、ギリシャの名門オリンピアコスのユニフォームに袖を通しましたが、その冒険は1年で終わり、フランスへと戻ることになりました。
そして1977年から1982年まで所属したASモナコが、選手クルビスにとって最も輝いた時間となります。 デルイオ・オニス、ロジェ・ミラ、ジャン=リュック・エトリらとともに、リーグ・アンで2度の優勝。 DFとしての彼の名前は、派手なスターではないかもしれませんが、タイトルの中に確かに刻まれています。
一方で、個人としての彼は、モナコという土地ならではの「きらびやかな世界」にも惹かれていきます。 カジノ、きらめく街、そして大富豪の未亡人であるコンテス・リッツォーリとの交流。
このあたりのエピソードには、「庶民的なマルセイユっ子」と「モナコのきらびやかな世界」という、どこかアンバランスで人間らしいギャップが感じられます。 サッカー選手のキャリアは、ピッチ上のプレーだけで語られがちですが、その裏側で何に惹かれ、何に迷い、どう生きていくのか。 クルビスの人生は、その裏側も含めて「ひとりの人間の物語」だったと言えるかもしれません。
トゥーロンで一区切り、そして「監督ローラン・クルビス」の長い旅が始まる
1985年、RCトゥーロンで選手としての第一章を終えたクルビスは、そのまま第二章へと歩みを進めます。 それが「監督ローラン・クルビス」の始まりでした。
ボルドー、レンヌ、マルセイユ、ランス、モンペリエ、アジャクシオ、さらにはアルジェリアのUSMアルジェ。 フランス国内外の多くのクラブを渡り歩きながら、30年以上にわたってベンチに座り続けた彼は、どのクラブでも「長期政権」のイメージはない一方で、どこへ行っても強い存在感を残していきました。
タイトルの数だけを見れば、彼は決して「偉大な勝者」ではありません。 リーグ・ドゥ(2部)の優勝をアジャクシオで達成した2002年。 USMアルジェで手にしたアルジェリア杯のトロフィー。
しかし、クルビスは自分の価値を、こうした「数」だけで測られることを嫌いました。
「Il y a toute une liste de joueurs que j’ai entraînés qui sont devenus entraîneurs. Sans parler de Zizou, il y a Casoni, Alfano, Blanc, Casanova, Montanier, etc. En tout, plus d’une dizaine. Eh bien, ils disent tous que je leur ai appris des choses.」 「私が指導した選手の中で、監督になった者はたくさんいる。ジズー(ジダン)はもちろん、カソニ、アルファノ、ブラン、カザノヴァ、モンタニエ……全部で10人以上だ。彼らはみんな、“あのときクルビスから学んだ”と言ってくれる。」
戦術家として過小評価されることへの反論でもあり、同時に、指導者としての誇りがこもった言葉です。 監督としての「成功」を、トロフィーではなく「人に何を残したか」で語るこの視点を、みなさんはどう感じるでしょうか。
子どもたちが将来、コーチや先生、あるいは親になったとき。 「自分の教え子たちが何かを受け取ってくれた」と胸を張って言えること。 それは、順位表に載らない、でもとても大切な「勝利」なのかもしれません。
忘れられない試合──0-4からの大逆転とモンペリエ昇格のドラマ
クルビスの監督としてのキャリアを語るとき、どうしても触れずにはいられない試合があります。 OM(オリンピック・マルセイユ)を率いていたときの、モンペリエ戦。 前半を0-4で折り返しながら、後半で5点を奪ってひっくり返した、5-4の歴史的逆転劇です。
スコアだけを見ると夢物語のようですが、「最後まで試合を諦めない」というサッカーの基本を、これほどわかりやすく体現した試合も多くはありません。
また、モンペリエHSC(MHSC)を率いて2部から1部への昇格を果たした2009年のシーズンも、クルビスの名を語る上で欠かせません。 このクラブは、その後2012年にジル・ニコラン会長とルネ・ジラール監督のもとでリーグ優勝を成し遂げますが、その前段階で「昇格」という土台を築いた一人がクルビスでした。
クラブの歴史に残る「頂点」の前には、必ず、その前夜にあたる時間があります。 その静かな「前夜」を作った人たちに、私たちはどれだけ目を向けているでしょうか。
「コーチ・クルビス」という声──RMCとタクシーの中のフットボール
2005年、ローラン・クルビスはRMCのコンサルタントとして、新たなステージに立ちます。 マイクの前に座り、サッカーを語る。 これまでピッチサイドで発してきた言葉が、電波に乗ってフランス中のリスナーの耳へ届くようになりました。
彼はこう語っています。
「Neuf fois sur dix, quand je rentre dans un taxi, le chauffeur me dit : ‘Bonjour coach !’ et me demande s’il peut me poser une question. Je lui réponds qu’il peut en poser peut-être deux, mais pas trois. Cela concerne généralement le dernier match, l’équipe de France, ce qu’a dit untel.」 「10回中9回は、タクシーに乗ると運転手が『ボンジュール、コーチ!』と声をかけてきて、質問していいかと聞いてくる。私は『2つまではいいけど、3つはダメだよ』と答えるんだ。たいていは直近の試合、フランス代表、誰かの発言についての質問だね。」
街角で、タクシーの中で、深夜の電話で。 クルビスはいつでも「フットボールの話し相手」として存在し続けました。
ファンの心に残っているのは、戦術図面の細かい説明よりも、彼特有のユーモアと、時に鋭い「一言」でしょう。 意見が激しく分かれるテーマでも、自分の考えをはっきりと述べ、なおかつどこかに笑いを忍ばせる。 サッカーを「語り合う楽しさ」を教えてくれた人物でもありました。
みなさん自身にも、試合後に必ず見たり聞いたりする「この人の解説だと、つい聞き入ってしまう」という存在がいるのではないでしょうか。 情報としての解説を超えて、「一緒にサッカーを見ている感覚」をくれる人。 クルビスは、まさにフランスにとってそんな存在でした。
「続けて存在し続ける」ということ──クルビスが語った晩年の満足感

プロとしてのキャリアをスタートさせてから、50年以上。 ローラン・クルビスは晩年、自分の歩んできた道を、このように振り返っています。
「J’ai tout de même réussi à durer, malgré certaines difficultés. Au niveau des regrets, il y a celui de ne pas avoir joué avec Marius Trésor, que j’ai croisé en quittant l’OM pour Ajaccio. Mais bon, j’ai eu une carrière de joueur qui a duré 14 ans, dont 13 en première division, je suis devenu entraîneur pour rendre service et cela a finalement duré 30 ans, j’ai remplacé Luis Fernandez chez RMC au pied levé pendant une semaine et cela fait 14 ans que cela dure… Donc le fait de continuer à exister, et que des inconnus me disent ‘Comment ça va, coach ?’ comme si on s’était vus la veille, c’est une énorme satisfaction, même si les années passent à une allure vertigineuse.」 「いろいろな困難はあったけれど、それでも長く続けることはできた。後悔としては、マリウス・トレゾールと一緒にプレーできなかったことがある。私はOMからアジャクシオへ移るタイミングで彼とすれ違ったからね。 でも、選手として14年、そのうち13年は1部でプレーした。人の頼みで監督になり、それが結局30年続いた。RMCではルイス・フェルナンデスの代役として1週間だけのつもりで入ったのに、もう14年もやっている。 だから、こうして存在し続けられて、知らない人から『元気かい、コーチ?』と、まるで昨日も会ったかのように声をかけられる。それが本当に大きな満足なんだ。たとえ、時間がものすごいスピードで過ぎていくとしてもね。」
この言葉には、「スター」ではないかもしれないけれど、「ずっとそこにいる存在」であり続けた人の静かな誇りがあります。
サッカー界には、タイトルやゴール数で記憶される人物もいれば、人々の日常の中に自然と溶け込んでいる人物もいます。 クルビスはまさに後者でした。
「存在し続けること」。 それは、勝った負けたを超えて、サッカーと関わる全ての人にとって、大きなテーマではないでしょうか。 選手であれ、監督であれ、サポーターであれ、「あの人は今もサッカーのそばにいる」と誰かに思ってもらえること。 それは、キャリアの長さ以上の価値を持つのかもしれません。
ローラン・クルビスの物語から、私たちが学べること
黒い噂やスキャンダル、刑務所行き、銃弾がかすめた夜。 ローラン・クルビスの人生は、決して「模範的」という言葉だけでは語れません。
けれど、そこにあるのは、転んでも転んでもサッカーのそばに立ち続けた、一人のマルセイユっ子の物語です。 OMから始まり、アジャクシオ、オリンピアコス、モナコ、トゥーロン。 そしてボルドー、レンヌ、マルセイユ、ランス、モンペリエ、アジャクシオ、USMアルジェ──。 さらにRMCのスタジオと、タクシーの中の小さなディベート。
みなさんは、この物語から何を感じるでしょうか。 「きれいではないけれど、どこか憎めないサッカー人生」でしょうか。 それとも、「タイトルよりも、人とのつながりを誇りにした指導者」の姿でしょうか。
サッカーは、完璧な人だけが関われるスポーツではありません。 むしろ、迷い、失敗し、やり直し、それでもボールを追い続ける人たちのスポーツです。 ローラン・クルビスの70余年は、そのことを教えてくれる一つの長い物語でした。
「Le football, ce n’est pas seulement gagner des titres, c’est exister dans le cœur des gens.」 「サッカーとは、タイトルを取ることだけではない。人々の心の中に存在し続けることでもある。」
| フェーズ | 期間・所属 | 主な出来事 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 選手:OM・アジャクシオ | 1972年〜 | トップ出場5試合・学校を偽り練習時間確保 | △ 苦しいスタート |
| 選手:オリンピアコス(ギリシャ) | 1シーズン | 「ギリシャ人の祖父」をでっち上げて加入・1年で帰国 | ○ 冒険的な挑戦 |
| 選手:ASモナコ | 1977〜1982年 | リーグ・アン2度優勝・ロジェ・ミラらと共闘 | ◎ 選手キャリアの頂点 |
| 監督:国内外多数 | 30年以上 | OM戦0-4から5-4大逆転・モンペリエ2009年1部昇格・アジャクシオでリーグ・ドゥ優勝(2002年) | ◎ 人を育てる指導者 |
| コメンテーター:RMC | 2005年〜14年以上 | 「コーチ・クルビス」の愛称でタクシー運転手にも声をかけられる存在に | ◎ 市民に根ざした語り手 |
| 育てた監督人材 | ジダン・ブラン・モンタニエ等10人以上 | 「私から何かを学んだ」と全員が証言 | ◎ 最大の遺産 |
- 教え子が後に「学んだ」と言える指導をする — クルビスはジダンを含む10人以上の監督を育て、全員が「あのとき学んだ」と語っている。試合の勝敗だけでなく、選手が次のステージに持ち越せる考え方・姿勢・戦術知識を意識的に伝える。
- 「前夜を作った人」の存在を選手に伝える — モンペリエが2012年にリーグ優勝した背景には2009年のクルビスによる1部昇格があった。「頂点の前には誰かが静かに土台を作った」という視点を育成の言葉として持っておく。
- 自分の失敗談を素材にして選手の共感を引き出す — クルビスが0-4から5-4で逆転した試合を語るように、指導者自身の「絶望からの反転」エピソードをストックし、選手が追い込まれた局面で語れるようにする。
- ポジションや成績より「続ける姿勢」が記憶を作る — クルビスはスーパースターではなかったが、タクシー運転手が「ボンジュール、コーチ!」と声をかけるほど市民に愛された。どんな立場でも最後まで関わり続けることが人の記憶に残ることを伝える。
- 「0-4から5-4」の逆転を知っておく — 前半を0-4で終わっても後半に5点取ることがある。試合の途中で諦めない理由として、クルビスが実際に指揮した逆転劇を子どもとの観戦の合言葉にする。
- 夢のためにギリギリの工夫をする姿勢を学ぶ — クルビスが学校に通っていないとクラブに信じさせて練習時間を確保したエピソードは、夢に向かって知恵を絞る姿勢として伝えられる。諦めない工夫の大切さを子どもに伝える機会にする。
