フットボールにチャレンジ制度は必要か――小さな緑のカードが変える審判・監督・選手の関係
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フットボールに「チャレンジ制度」は必要か?小さな緑のカードが開く、大きな対話の扉
いま、フランスサッカー界では、審判とクラブ、そして協会の関係が限界まで緊張しています。
その中で浮かび上がってきたのが、「監督にチャレンジ権を与える」というアイデアです。
バスケットボールやバレーボールではすでに当たり前になっている仕組み。
それが、いよいよサッカーにも本格的に議論として上がり始めました。
フランスでは、FFF(フランスサッカー連盟)の審判部門トップであるアンソニー・ゴーティエが、審判とクラブの「リエゾン委員会」を再始動させようとしています。
一度は「うまくいかなかった」として実質的に機能停止となった場を、もう一度立ち上げる。
それほど、いまの空気は張り詰めています。
その議論の中で、半ば冗談のように、しかしもはや冗談では済まされない案として語られているのが、監督に与えられる「チャレンジ」です。
U17、U20ワールドカップでテストされた「グリーンカード」。
一試合に一度、判定に異議を唱え、審判にビデオ確認を求めることができる仕組み。
判定が覆らなかった場合は回数を消費しますが、審判がチャレンジに「監督側が正しい」と判断すれば、そのチャレンジ権は再び戻ってきます。
IFAB(国際サッカー評議会)が公式に導入を決めたわけではありません。
しかし、すでに他競技で定着しているこの制度を、サッカーにどう生かすか。
それを考え始める段階に、フットボール界は足を踏み入れています。
バレーボールが変えた「審判との距離」――ロラン・ティリが語るチャレンジの効果
バレーボールでは、チャレンジ制度は2014年から国際大会で導入されました。
元フランス代表監督のロラン・ティリは、その変化を誰よりも近くで見てきた人物です。
彼はこう語ります。
「Il n’a pas changé le jeu, mais il a changé le confort des arbitres et celui des coachs, parce qu’on ne peut plus contester l’image.」
「チャレンジは、競技そのものを変えたわけではありません。
しかし、審判と監督の“安心感”は大きく変えました。
なぜなら、映像に対しては、もう誰も文句を言えないからです。」
バレーボールのボールスピードは、10メートルにも満たない距離を時速130kmで飛んでいきます。
ブロックに触れたか、ラインを割ったか、ネットにかかったか。
人間の目だけに頼るのは、もはや不可能に近い世界です。
だからこそ、チャレンジの導入は、選手・監督・審判の態度を一変させました。
ティリは続けます。
「C’est un point positif qui a changé à 100 % l’attitude des coachs, des arbitres et des joueurs. Il y a plus de confiance, un climat plus détendu avec le corps arbitral et les décisions.」
「これはポジティブな変化で、監督、審判、選手たちの態度を100%変えました。
審判団への信頼が増し、判定に対する空気もより落ち着いたものになりました。」
かつては、特に海外の大会では、地元のラインズマンが“少しだけ現実を曲げる”こともありました。
そのグレーゾーンを、ティリはこう振り返ります。
「Aujourd’hui, avec les caméras, on ne peut plus tricher.」
「今は、カメラがあるので、もうごまかすことはできません。」
技術が人間を監視するのではなく、「不信感」そのものを減らしていく。
そんな空気の変化を、バレーボールはすでに経験しているのです。
バスケットボールのチャレンジは「正義」と「戦術」の両面を持つ
一方で、バスケットボールはどうでしょうか。
フランス代表監督のフレデリック・フォトゥーは、チャレンジをこう表現します。
「C’est à la fois un outil de justice et un outil tactique.」
「チャレンジは、“公正さ”のための道具であると同時に、“戦術的な武器”でもあります。」
ボールが誰の手から出たのか。
アンスポーツマンライク・ファウルかどうか。
残り時間が何秒か。
チャレンジは、試合を左右する「細部」を修正する力を持っています。
しかし同時に、フォトゥーは注意深く続けます。
「Il faut savoir le garder pour les moments importants, surtout en fin de match, parce qu’on n’en a qu’un par rencontre, renouvelable si on a raison.」
「チャレンジは、特に試合の終盤など、本当に重要な場面まで取っておく必要があります。
なぜなら、一試合で使えるのは一度だけで、こちらが正しかった場合にのみ再び使えるからです。」
そのため、バスケットではチャレンジの「マネジメント」が、一つの技術になっています。
さらに興味深いのは、ティリが明かした、バレーボールでの「人間関係の道具」としての使い方です。
「Souvent, je l’utilise pour calmer mes joueurs. Ils me hurlent : “J’AI PAS TOUCHÉ ! J’AI PAS TOUCHÉ !” On challenge… et finalement ils ont touché la balle. Après, c’est réglé : c’est moi qui décide.」
「私はよく、選手を落ち着かせるためにチャレンジを使います。
彼らは“触ってない!触ってない!”と叫びますが、チャレンジしてみると、実はちゃんと触っているんです。
そこまでいけば話は終わり。
最終的に決めるのは監督である私だということも、自然と伝わります。」
ここには、「技術による正しさ」のみならず、「感情の整理」という側面も見えてきます。
映像が、選手と監督、監督と審判の間に入ることで、対立ではなく納得へと導く。
それは、スポーツにおける新しいコミュニケーションのかたちかもしれません。
とはいえ、バスケットボールでも、チャレンジは万能ではありません。
フォトゥーはこうも語ります。
「Le basket est un sport d’erreurs : le but du jeu est d’en faire le moins possible.」
「バスケットボールは“ミスのスポーツ”です。
目標は、ミスをゼロにすることではなく、“いかに少なくするか”なのです。」
チャレンジがあっても、判定への不満は消えません。
ただ、その不満が「もう少し論理的な形」に変わるだけなのです。
サッカーにチャレンジが導入されたら、何が変わるのか
では、サッカーはどうでしょうか。
VARはすでに存在しますが、多くの人が感じているように、その運用は「見えにくい」ものです。
「明らかな間違い(clear and obvious error)」というあいまいな基準。
ピッチの外にいる、顔の見えないVAR担当審判。
監督は叫んでも、誰に届いているのかわからない。
サポーターも、判定のプロセスを理解する手がかりがほとんどありません。
だからこそ、チャレンジ制度は、サッカーに「責任を分かち合う仕組み」をもたらす可能性があります。
・監督は、ここぞという場面でだけチャレンジを切る責任を負う。
・主審は、自らの目と映像の両方を見て、ピッチ上で決断を下す。
・選手も、監督に無駄なチャレンジを使わせないよう、自身のプレーとリアクションに責任を持つ。
それは、いま多くの人が感じている「VARにすべてを押しつける空気」からの、静かな転換なのかもしれません。
さらに踏み込めば、「ビデオ専門の審判」という新たな役割を作ることも考えられるでしょう。
元選手をそのポジションに据え、プレーの意図や身体の動きを深く理解したうえで判定を支える。
そうした発想も、すでに議論の中では語られ始めています。
U20ワールドカップ決勝で見えた、チャレンジの「力」
チャレンジの象徴的な例として、U20ワールドカップ決勝が挙げられます。
モロッコ対アルゼンチン、その試合で生まれたヤシール・ザビリの直接フリーキック。
このゴールは、本来なら存在しないはずの一点でした。
なぜなら、そのフリーキックの元となったファウルは、最初は主審に見逃されていたからです。
VARの介入対象ではないエリアのプレー。
本来なら流されていたはずの場面でした。
しかし、モロッコ代表監督モハメド・ワービとスタッフは、そのファウルを見逃しませんでした。
彼らはグリーンカードを掲げ、チャレンジを要求します。
リプレイが流れ、ファウルは明確になり、アルゼンチンGKにはイエローカード。
そこから生まれたフリーキックを、ザビリが直接決め、試合は動きました。
このシーンは、監督がゲームの「主役の一人」として、判定プロセスに参加する新しいかたちを示しています。
しかも、この試合では、主審がマイクを通して自らの判断をスタジアムと視聴者に説明しました。
これは、すでにセリエAなど一部のリーグや、バスケットボールの世界で行われている手法でもあります。
フォトゥーは、この点についても冷静です。
「C’est très intéressant pédagogiquement, expliquer la règle et le processus. Ça éduquera une partie du public. Mais il y en aura toujours une autre qui ne comprendra pas. Prenez le stade Vélodrome : même avec une explication, est-ce que tout le monde accepterait la décision ?」
「ルールや判定のプロセスを説明することは、教育的な意味で非常に興味深いことです。
それによって理解が深まるサポーターも、もちろんたくさんいるでしょう。
しかし、それでも納得しない人も必ず残ります。
たとえばヴェロドロームのようなスタジアムで、どれだけ丁寧に説明しても、本当に全員が判定を受け入れるでしょうか。」
この問いは、サッカーが抱える「情熱」と「理性」のせめぎ合いそのものです。
技術と説明で、全員を納得させることはできないかもしれない。
それでも、「知る権利」に応えることに意味がある。
あなたは、どう感じるでしょうか。
誤審もまた「物語」の一部?それでもチャレンジは要るのか
チャレンジやVARの導入で、すべての問題が解決されるわけではありません。
グレーゾーン、つまり「解釈」が分かれる判定は、必ず残り続けます。
例えば、PSGがグルパマ・スタジアムで2-3と勝利した試合での、ヴィティーニャとタナー・テスマンの接触。
主審ブノワ・バスティアンは、VARルームからの情報を信じてプレーを続行させました。
もし、そこにパウロ・フォンセカ(もしくはジョルジェ・マシエル)がチャレンジを要求し、ビデオを確認したうえでも、主審が判定を維持していたらどうなっていたでしょうか。
おそらく議論は、今と同じか、それ以上に続いていたはずです。
さらに、フォトゥーが警鐘を鳴らすのは、「終盤のチャレンジ乱用」です。
NBAでは、残り数十秒の時間が、チャレンジやレビューの連発で10分、15分とかかることもあります。
彼はこう認めています。
「Ça nous sert parfois de temps mort déguisé. On casse le rythme quand il ne nous est pas favorable.」
「チャレンジは、ときに“隠れタイムアウト”として使われます。
試合の流れがこちらに向いていないとき、そのリズムを断ち切る手段になるのです。」
このように、チャレンジは「戦術の一部」として悪用される可能性もあります。
それでもなお、導入する価値はあるのか。
ここで、フォトゥーの、少し寂しさを含んだ一言が印象的です。
「Certaines légendes viennent d’erreurs humaines.」
「いくつかの伝説は、“人間のミス”から生まれているのです。」
誤審が歴史を作ってきたことも、確かに事実です。
“あのゴールが認められていれば”“あのオフサイド判定がなければ”。
サッカーの語り草の一部は、まさに「判定のゆらぎ」から生まれてきました。
では、技術が発達し、映像がすべてを映し出す現在。
私たちは、どこまで「人間の不完全さ」を許容し続けるべきなのでしょうか。
それでも「話し合うサッカー」へ――小さな緑のカードがもたらすもの
いまのVARの在り方は、しばしば「審判をサービス提供者にしてしまっている」と言われます。
選手や監督、クラブは“お客様”。
審判は“クレームの対象”。
そんな空気が、週末ごとに噴き出しています。
チャレンジ制度は、そのバランスを少しだけ元に戻そうとする試みとも言えるかもしれません。
監督もまた、責任を持って判定プロセスに関わる。
審判も、ビデオを含めて「自分の決断」として説明を行う。
VARは、表には見えない“影の判定者”ではなく、プロセスを支える一員となる。
もちろん、それで完璧な世界が訪れるわけではありません。
解釈の違いも、怒りも、不満も、これからも消えることはないでしょう。
それでも、「判断がどのように行われたか」が、少しでも見えるようになること。
そのプロセスに、監督や選手が「参加できる」と感じること。
その積み重ねが、「責任の押しつけ合い」から「責任の分かち合い」へと、一歩ずつスポーツを変えていくのかもしれません。
あなたなら、もし自分が監督だったとして、どんな場面でチャレンジを使うでしょうか。
そして、サポーターとして、チャレンジで覆った判定を、いまより少しだけ冷静に受け止められるでしょうか。
最後に、フットボールにも通じる、スポーツの本質を言い表した言葉で締めくくりたいと思います。
「Le sport, ce n’est pas la recherche de la perfection, mais l’acceptation de l’imperfection, partagée par tous.」
「スポーツとは、完璧さを追い求めることではなく、みんなで“不完全さ”を引き受けていくことなのです。」
| 観点 | バレーボール | バスケットボール | サッカー(試験導入) | 評価 |
|---|---|---|---|---|
| 導入時期 | 2014年(国際大会) | NBA等で先行実装 | U20W杯等でテスト中 | ◎ |
| 1試合の使用回数 | 複数回(正解で回復) | 1回(正解で回復) | 1回(正解で回復) | ○ |
| 主な効果 | 審判・選手の態度変化100% | 正義+戦術ツールの両面 | 責任の分かち合いに期待 | ◎ |
| 戦術的悪用リスク | 低い | 隠れタイムアウトとして使用 | 試合終盤の乱用懸念あり | △ |
| 誤審ゼロ化への限界 | 解釈次第の判定は残る | ミスのスポーツ・最小化が目標 | グレーゾーンは消えない | △ |
- チャレンジを「戦術の一手」として教える — 消費のタイミングを試合後に選手と振り返り、判断力を育てる機会として活用する
- 映像確認を「感情の整理」に使う — 選手が「触っていない」と主張する場面で映像を一緒に確認し、事実ベースの対話を習慣化する
- 審判との信頼関係をチームの文化にする — 抗議ではなく「確認を求める姿勢」を選手に示し、審判を敵ではなくプロセスの一員として捉えさせる
- VAR・チャレンジの目的を理解する — 「明らかな誤審の修正」が目的であり、すべての判定に介入する仕組みではないことを知っておく
- 判定への不満を感情ではなく言葉で伝える習慣をつける — 映像がある場合は感情的な抗議より論理的な確認要求の方が実効性が高い
- U20W杯のザビリFKのような場面を観戦で探す — チャレンジが試合を動かした歴史的場面を知り、制度の意義をリアルに体感する