フェアプレーという見えないスコアが、地域のサッカーを変えていく
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「フェアプレー」という見えないスコアを、僕らはどう扱うか

土曜の朝、スイスのヴォー州にある小さな街オロンに、地域のクラブ関係者たちが集まった。
議題は多岐にわたる。
40年前にFCパレジューとFCオロンが合併して生まれたASオート=ブロワの歴史。
設備不足、ボランティアの存在意義、子どもたちにとってのスポーツの価値。
女子サッカーの普及、そしてフェアプレーをどう評価し、どう守るか。
そのどれもが、スイスだけの話には聞こえない。
ピッチの大きさや芝の種類は違っても、ここで語られているのは、サッカーに関わる人なら誰もが向き合うテーマばかりだからだ。
悲しみのあとで、「どうサッカーを続けるか」を問われる
黙とうの60秒に込められた選択
集まりの冒頭で、FCルトリーの会長が、クラン=モンタナで起きた悲劇について言葉を絞り出した。
クラブに関わる人命が失われた出来事。
彼は支えてくれた人々への感謝を伝え、遺族への思いを口にしたという。
その少し前には、スイスサッカー協会がルトリーを支援するため、ムラト・ヤキンやダヴィデ・カッラ、パトリック・フォレッティ、アドリアン・アーノルドといった代表チームに関わる面々を送り、ジュニアA・Bカテゴリーのトレーニングを共に行っていた。
さらに、3月21日と22日に行われるリーグ戦の初戦では、黙とうの時間を設けることが決まった。
ここには「なぜサッカーをするのか」という問いが静かに横たわっている。
悲劇のあと、サッカーを続けることには、時に罪悪感のような感情が混じる。
それでもボールを蹴ることを選ぶのか。
黙とうをしてから試合に入る60秒で、選手たちは何を考えるのか。
「いつも通りプレーしろ」と言われて、それが簡単な選択ではない場面が、確かに存在する。
もし自分が同じチームの選手だったら、笛の音とともにどんな走り出し方をするだろうか。
全力でいくことで仲間への敬意を示すと考えるのか。
あるいは、安全にプレーすることをいつも以上に意識するのか。
どちらが「正しい」かではなく、「どんな理由で、そのプレーを選ぶか」が問われる時間だ。
40年前のままのロッカールームで、子どもたちが走っている
| 施策 | 対象 | 期待される効果 | 評価 |
|---|---|---|---|
| フェアプレー係数の数値化 | 全クラブ | 反則傾向の客観的把握と比較が可能になる | ◎ |
| 係数を順位決定の補助指標に採用 | 同勝点クラブ | フェアプレーが勝点と同等の価値を持つ意識の醸成 | ○ |
| 勝点減算ペナルティの導入検討 | 重大違反クラブ(約1%) | 個人処分を超えたクラブ全体の責任意識が生まれる | ○ |
| フェアプレー担当者を各クラブに配置 | ジュニア全カテゴリー | 試合日の雰囲気づくりを専任で担う大人が生まれる | ◎ |
| 女性対象JSコースの開催 | 指導者・運営女性 | 女性ロールモデルの増加で女子参加率の向上を図る | △ |
設備が足りない環境で何を育てられるか
ASオート=ブロワの会長は、クラブ誕生から40年の歴史を振り返った。
印象的なのは、「施設は当時とほとんど変わっていない」という言葉だ。
ピッチの数もロッカールームの広さも、40年前のまま。
それでも今も地域の子どもたちは、そこでサッカーを続けている。
日本でも、人工芝のグラウンドやナイター完備の環境が増えてきた一方で、土のグラウンド、暗くなるまでに片付けないといけない照明のないピッチはまだまだ多い。
「もっといい環境だったら、もっと育つのに」と感じることもあるかもしれない。
ただ、設備が足りない現実の中で、クラブがどんな「選択」をしているかを見てみると、別の景色が見えてくる。
ASオート=ブロワでは、ボランティアの重要性が改めて語られた。
送迎をしてくれる保護者、ラインを引く人、用具を管理する人、試合の日に軽食を出す人。
ピッチの周りにいる「顔が見える大人たち」の存在が、子どもたちの安心感を支えている。
もし、あなたのクラブのグラウンドが突然最新のスタジアム並みに整備されたとして、同じボランティアの温度は残るだろうか。
逆に、設備は変わらないままでも、人のつながりの質を上げることはできるだろうか。
どちらを優先すべきかという二択ではなく、「今ある条件の中で、何を大事に育てるのか」を問われているように思える。
女子サッカーは「やりたい子が少ない」からなのか
- フェアプレー担当の役割をチーム内に設ける — 審判批判ではなくベンチ周りの雰囲気を見守る大人のポジションを明確にし、試合日に実践する
- 判定への反応を映像で振り返る機会をつくる — 「審判の立ち位置からどう見えたか」「相手GKの視点では」といった複数の角度から状況を分析し選手と共有する
- 戦術的ファウルの是非をチームで話し合う — フェアプレー係数がクラブ評価に影響する時代に、カード覚悟の判断をどう位置づけるかを選手とともに言語化する
数字から見える「最初の一歩」の難しさ
議題は女子サッカーにも及んだ。
スイスでは2025年に女子欧州選手権が開催される。
大会の盛り上がりはあったが、クラブへの女子の新規登録者が一気に増えたかと言えば、どうやらそうでもなかったようだ。
女子サッカーを担当するベアトリス・ペレスは、ジュニアカテゴリーにおける女子比率を12パーセントに引き上げたいという目標を示した。
現在、最も参加者が少ないのは5〜10歳の年代だという。
ここで提案されているのが、放課後の学童保育などパラスクールの場でサッカー体験を行うことだ。
「サッカー部に入るかどうか」を決めさせる前に、「ちょっと蹴ってみる」段階のハードルを下げようとしている。
もしかしたら日本でも、似たようなジレンマを抱えているのかもしれない。
女子ワールドカップやなでしこジャパンの活躍を見て、「女子サッカーが盛り上がっている」と感じる。
一方で、地域のクラブに小学生の女子選手が少ないという現実。
「やりたい子が少ないから仕方ない」と片付けることもできる。
でも、本当に「やりたくない」のか、それとも「出会っていないだけ」なのか。
その違いをどう見分けるかで、次の一手は変わる。
例えば、学校の休み時間にボールに触れる機会がほとんどない子。
体育の授業で、サッカーは「男子がやるもの」という空気の中にいる子。
そんな子にとって、「クラブの体験会に来てください」という案内は、ハードルが高く感じられるかもしれない。
日本でも、放課後の校庭開放や地域の公民館イベントを使って、もっと「なんとなくボールに触れる」場を増やすことはできるのか。
そして、その場には女性のコーチやスタッフがどれくらいいるのか。
- タッチライン外から聞こえる大人の声は、選手の心に試合後も残り続ける——次の試合の前に、自分がどんな声をかけてきたか一度振り返る
- 黙とうの60秒や試合前の握手など、勝敗と無関係に見える場面ほど、選手としての価値観が問われる瞬間だと意識する
- 女子サッカーに興味がありそうな友人に「一度ボールを蹴ってみない?」と声をかけることが、地域のサッカー文化を変える最初の一歩になりうる
「女性が少ない」という事実から何を選び取るか
スイスのヴォー州では、政治家のクリステル・ルイジエが、「女子選手だけでなく、指導者やクラブ運営に携わる女性も足りない」と指摘した。
この認識のもとで、女性を対象にしたJS(青少年スポーツ)コースの開催が決まっている。
ピッチに立つ選手だけでなく、その周辺にいる「大人のロールモデル」を増やす試みだ。
日本でも、女子チームの指導者が男性ばかりというケースは珍しくない。
それ自体が悪いわけではないが、女子選手が「10年後の自分」を想像したとき、どんな未来像を思い描けるかは、ピッチの外の大人たちの顔ぶれに少なからず影響される。
もしあなたが女子のジュニア選手だとして、自分のクラブに女性のコーチはいるだろうか。
もしあなたが指導者だとして、女性が関わりやすい雰囲気や役割を、チームの中にどれくらい意識して用意しているだろうか。
「増やしたい」と願うだけでなく、そのためにどんな小さな一歩を選ぶのか。
そこにも、サッカーの「考える力」が問われている。
フェアプレーを「数字」にしたときに生まれる新しい問い
イエローカードが「勝点」に変わる世界
この日、議題に上がったもうひとつのテーマが、「フェアプレーの指標化」だった。
ヴォー州のサッカー協会は、シーズンを通じて各クラブの反則やカードを集計し、「フェアプレー係数」として数値化している。
イエローカード、レッドカード、暴力行為などをポイント化し、それを試合数で割る。
数字が小さいほどフェアプレー、という考え方だ。
この数値は、勝点で並んだチーム同士を比べるときの参考としても使われることがある。
一見すると、理にかなった仕組みに思える。
ただ、その内側には、なかなか難しい選択が潜んでいる。
例えば、勝点3がどうしても欲しい終盤の時間帯で、相手のカウンターを止めるために、いわゆる「戦術的ファウル」をするかどうか。
カードを覚悟で腕を引っ張るのか。
それとも、抜かれてしまうリスクを取りながらも、足を出さずに見送るのか。
従来は、「チームの勝利のために、あえてファウルを選ぶ」という判断も、戦術の一部として語られてきた。
しかし、これからはその選択が、フェアプレー係数を通じて「クラブ全体の評価」にも影響していくかもしれない。
もし自分が選手だとしたら。
もし自分が監督だとしたら。
どこまでを「許される勝負の駆け引き」と見なし、どこからを「クラブの価値を下げる行為」と考えるのか。
フェアプレーが数値化されることで、「勝つか負けるか」にもう一つ別のスコアが加わる。
それをどう受け止めるかが、新しい宿題として手元に戻ってくる。
重いペナルティをあえて導入するという決断

協会が危機感を抱いているのは、「全体的なフェアプレーの傾向は安定しているのに、試合中断や暴力行為といった重い違反が増えている」という点だ。
そこで検討されているのが、「ある一定のラインを超えたチームには、シーズン中に勝点を減点する」という仕組みだという。
推計では、現在のところ対象になるのは全クラブの約1パーセントに過ぎないらしい。
それでも、わざわざ制度として導入しようとする背景には、「放っておいてはいけない」という強い意志が読み取れる。
勝点という、チームの努力の象徴とも言える数字を削るというのは、相当重い選択だ。
そこには、「ペナルティの重さ」よりも、「行動の積み重ねがクラブ全体の責任になる」というメッセージが込められている。
日本の育成年代でも、暴力や暴言、審判への執拗な抗議が問題になることがある。
そのとき、クラブや大会運営は、どこまで踏み込んだ対応を選ぶのか。
・個人の処分で終わらせるのか
・クラブ全体への指導やペナルティにするのか
・次の世代にどうつなげるかまで考えた「学びの機会」にするのか
どれも完璧な正解ではない。
ただ、「何もしない」という選択肢もまた、一つのメッセージになってしまうという点だけは、忘れたくないところだ。
「いい雰囲気」をつくる役割は誰のものか
フェアプレー担当者というポジション
ヴォー州の協会は、「フェアプレー・エシック」というプロジェクトも進めている。
ジュニア年代の全カテゴリーで、リスペクトやスポーツマンシップを育てていこうという取り組みだ。
具体的には、各クラブにフェアプレー担当者を置き、試合の日には相手チームを迎え入れたり、ベンチ周りの雰囲気を見守ったりする役割を担ってもらうという。
これは、審判とも監督とも違う、もうひとつの「大人のポジション」だと言える。
日本の少年サッカーでも、「会場責任者」や「当番コーチ」「保護者代表」といった役割はある。
でも、「フェアプレーだけを見ている人」はいるだろうか。
・ベンチでの言葉づかい
・交代選手のふるまい
・相手のミスに対する反応
・審判の判定に対する大人の態度
こうしたものは、試合後のスコアボードには残らない。
それでも、子どもたちの心の中には、かなり鮮明に刻まれる。
「勝点3」と「今日の空気」、どちらを優先するのか。
もちろん、どちらか一方だけを選ぶ話ではない。
ただ、自分の立場から「どんな空気を選び取るか」は、いつでも問われている。
もしあなたが選手なら、チームメイトのプレーにどう声をかけるか。
もしあなたが保護者なら、タッチラインの外からどんな雰囲気をつくるか。
もしあなたが指導者なら、勝敗とは別に、何をチームの「文化」として残したいか。
カレンダーの一行から考えられること
「いつリーグを始めるか」にも、隠れた意図がある
ヴォー州の協会は、2026-2027シーズンについて、リーグ戦を8月22・23日の週末から開幕させると発表した。
これは新学期が始まった直後のタイミングにあたる。
この一行も、ただの事務連絡で終わらせることもできる。
でも、「なぜこの日程なのか」と考えてみると、もう少し違う景色が広がる。
・学校生活のリズムが少し落ち着いたタイミングに合わせたいのか
・夏休みの長期旅行や家族行事とのバランスを考えたのか
・気候条件やピッチの状態を見越した選択なのか
日本のリーグ戦でも、「年度のどの時期に何を優先するか」という問いは、常に存在する。
トレーニングのピークをどこに置くのか。
受験や進学を控える年代をどうサポートするのか。
ただスケジュールをこなすのではなく、「この日程の中で、選手にどんな時間を渡したいのか」を考えてみると、同じカレンダーが少し違って見えてくる。
問いを手放さないまま、シーズンを迎える
「もし自分だったら」を忘れないために
オロンの会場で交わされた話題は、どれもすぐに答えが出るものではない。
・悲劇のあとに、どうサッカーを続けるか
・設備が足りない中で、何を育てるか
・女子サッカーとの出会いのハードルをどう下げるか
・フェアプレーを数字にしたとき、何を守り、何を改めるか
・試合の空気を、誰が、どうつくるか
どのテーマも、「これが正解です」とは簡単には言えないものばかりだ。
だからこそ、一つひとつの場面で、「もし自分だったらどう考えるか」と立ち止まることが大切になってくる。
あなたが次にピッチに立つとき、もしかしたら、似たような小さな選択が目の前に現れるかもしれない。
味方のラフプレーに、何か声をかけるかどうか。
大会での黙とうの時間を、どんな気持ちで過ごすか。
興味ありそうな友だちに、「一緒にやってみない?」と声をかけるかどうか。
カード覚悟のタックルに行く前に、ほんの一瞬、別の選択肢を思い浮かべられるか。
サッカーの現場で起こる出来事は、一つひとつは小さい。
でも、そのたびに「なぜそうするのか」を自分なりに考え続けることが、いつかチームやクラブ、地域のサッカーを少しずつ変えていくのかもしれない。
答えを急がず、問いを抱えたまま、次のキックオフを迎える。
そんな姿勢もまた、サッカーの一部として、大切にしていけたらと思う。
