サイドバックからボランチへ──トマス・タヴァレスがポーランドで見つけた「もうひとつの自分」
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ポーランドの冬、サイドバックの心──トマス・タヴァレスが選んだ「別の自分」

ピッチの中央、最終ラインの前。 雪が残るスタジアムで、ひとりの選手がボールを受けている姿を想像してほしい。
かつては右サイドを駆け上がり、タッチライン沿いで勝負していた選手が、今は相手の前線と中盤をつなぐパスコースを消しながら、味方の最初の攻撃の起点になろうとしている。 ポジションは、右サイドバックから守備的ミッドフィルダーへ。
ポルトガルの名門ベンフィカで育ち、スペイン、スイス、ロシア、オーストリアを経て、今はポーランドリーグの首位を走るヴィスワ・プウォツクに所属する24歳、トマス・タヴァレス。 寒さの厳しいポーランド、ウクライナにほど近い土地、文化も言葉も違う環境の中で、彼は「新しいポジション」と向き合っている。
この物語は、ひとりの選手が「どこでプレーするか」ではなく、「どうやって自分を選び直しているか」の話でもある。
サイドバックからボランチへ──「決めた」のは誰か
ある日、「あなたはボランチだ」と言われたら
タヴァレスは、これまでキャリアのほとんどをサイドバックとして過ごしてきた。 そんな彼に、ポーランドで待っていたのは、守備的ミッドフィルダーという新しい役割だった。
きっかけは、監督のひと言だったという。 「あなたの特徴なら、中盤の前で生きる」 監督はそう判断し、彼を中央へと移した。
ここで立ち止まってみたい。 もし自分が選手で、長年やってきたポジションから離れてほしいと言われたら、どう感じるだろうか。
- 「自分の良さはサイドにある」と主張して、抵抗するか
- 「試合に出られるなら」と割り切って受け入れるか
- 「新しい自分を見つけられるかも」と前向きに楽しむか
タヴァレスは、「どっちが好きか」と聞かれても、「サイドでも中盤でも、自分がピッチに立てることがうれしい」と語っている。 好き嫌いよりも、「チームの中で自分はどう生きるか」という問いを優先しているように見える。
監督がポジションを「決めた」。 しかし、その中でどう振る舞うかは、結局その選手自身が「選ぶ」。 与えられた役割と、自分の意志のあいだにある、その微妙な距離感を、どう扱うかが問われる場面だ。
| 観点 | サイドバック | ボランチ(守備的MF) | タヴァレスへの影響 |
|---|---|---|---|
| 主な移動方向 | 縦(アップダウン) | 横・斜め(ポジショニング) | △ 動き方が変化 |
| 求められる認知 | タッチライン沿い・1対1 | 前後左右の同時認知 | △ 情報量が急増 |
| ボールの受け方 | 開いた状態でパスを受ける | 圧力下でのターンも必要 | △ 感覚の再構築 |
| チームへの貢献 | 幅をつくる・クロス供給 | 攻撃の起点・パスコース消し | ◎ 長所が生きる場面増 |
| スプリント量 | 高い(アップダウン多い) | 相対的に少ない | ◎ タヴァレスの特性に合致 |
| 映像・自己分析の必要性 | 中程度 | 高い(パターンが多い) | ○ 努力で補える領域 |
「走り回るタイプじゃない」からこそのポジションチェンジ
タヴァレスは、自分を「走り回るタイプではない」と表現している。 サイドバックと聞くと、「運動量」「アップダウン」「スプリント」といった言葉が浮かびやすい。 一方で、守備的ミッドフィルダーは、
- 位置取り
- 周囲の状況認知
- ボールの受け方・配り方
など「頭」と「感覚」がより強く求められるポジションでもある。
監督は、おそらくこう考えたのかもしれない。 「スプリントよりも、読みや判断力に長所がある。ならば中央のほうが、その価値が出る」と。
ここに、「ポジション=能力」ではなく、「能力×環境」の視点が浮かぶ。 同じ選手でも、置かれる位置によって、長所にも短所にもなり得る。 日本の育成年代でも、「身長が高いからセンターバック」「足が速いからサイド」といった決め方がされることがあるが、本当はもう少し立ち止まって考えてもいいのかもしれない。
「この選手の良さは、どこで一番表現されるのか」 「それは今のポジションなのか、別の場所なのか」
タヴァレスのポジション変更は、そんな問いを静かに投げかけているように思える。
ポジションが変わると、何が一番つらいのか
- 「走れる選手=サイド」の固定観念を疑う — タヴァレスのように読みや判断力に長所がある選手は、中央に置くことでより価値を発揮する。「身体的特性→ポジション決定」の単純な図式を離れ、認知・判断能力も判断軸に加える。
- ポジション変更後の「3週間」を設計する — 適応期間に選手がよく経験する「ボールを受けるタイミングのずれ」「周囲の声が入らない」「味方との距離感の迷い」を事前に言語化し、何が起きているかを一緒に整理する機会を週1回以上つくる。
- 「なぜそこに置くか」を選手に伝える — 一方的にポジションを告げるだけでなく、選手の長所とポジション特性の接点を具体的に共有する。理解と納得があると、映像自主学習などの自発的な適応行動が生まれやすくなる。
一番「しんどい」のは、走ることではなく考えること
タヴァレスは、ポジション変更で一番大変だったのは「走る量」ではなく、「ポジショニングのパターンの多さ」だと語っている。 サイドバックと比べて、中盤の前では
- 相手のトップの位置
- 自分の両脇のインサイドハーフ
- 背後のセンターバック
- ボール保持側の味方との距離
など、同時に見ておくべき情報が一気に増える。 しかも、前を向いてボールを受けるだけでなく、背後のプレッシャーを感じながらのターンも求められる。
彼は、
- 練習や試合の映像を何度も見直すこと
- 「数センチ」「数メートル」レベルの位置調整
- 味方との距離感の微調整
といった作業を繰り返したと打ち明けている。
この「映像を見て自分の位置を修正する」というプロセスは、外からは見えにくい。 スタンドから見ていると、「今日はボランチでも落ち着いていたな」と一言で済んでしまうことかもしれない。 しかし、その裏側には、日々の「細かい違和感」を拾い集めて、自分の中の地図を書き換えていく作業がある。
日本の選手たちにとっても、これは他人事ではない。 ポジションを変えられたとき、「合うか合わないか」だけで判断していないだろうか。 本当は、
- 何がまだ分かっていないのか
- どの場面で迷っているのか
- 自分のどの感覚が、前のポジションから抜けきっていないのか
といった「見えない部分」を、自分で見つめ直す時間が必要になる。
- 何がまだ分かっていないかを言葉にする — 「合わない気がする」で止めず、「どの場面で迷っているか」「前のポジションのどの感覚が残っているか」を具体的に書き出す。タヴァレスは映像を繰り返し見てこの作業を続けた。
- 「違和感の時期」は成長の証拠と知る — 新しいポジションで最初の2〜3週間は誰でも戸惑う。「うまくいかない=自分に向いていない」ではなく「まだ新しい地図を書いている最中」と受け止めると、焦りが減り行動できる。
- 保護者の方へ:「今のポジションで何を感じてる?」と聞く — 「向いているか向いていないか」より、子どもが自分のプレーをどう言語化しているかに耳を傾ける。問いかけ自体が、子どもの自己分析力を育てる練習になる。
「3週間の違和感」をどう過ごすか
タヴァレスは、ボランチとしてプレーし始めた最初の2〜3週間を「適応期間だった」と振り返っている。 結果だけ見れば、ポジション変更は「成功」のように語られやすい。 しかし実際には、
- ボールを受けるタイミングを誤る
- 相手の背後を取りこぼす
- 味方からの声が頭に入りきらない
といった、細かい失敗の積み重ねがあったはずだ。
この「違和感の3週間」を、どう過ごすか。 そこで「やっぱり自分には合わない」と感じてしまえば、心は元のポジションを恋しく思うかもしれない。 逆に、「まだ分からないことがあるだけだ」と受け止められれば、少しずつ視野は広がっていく。
周りからの評価が定まらない時期こそ、 「自分は今、何に戸惑っているのか」を言葉にできるかどうかが、次の一歩を分けるのかもしれない。
「外国でひとり暮らし」という、もうひとつのポジション変更
グラウンドの外でも、位置取りが変わる
タヴァレスは、スペイン、スイス、ロシア、オーストリアを経て、今はポーランドでの生活を送っている。 家族のいるポルトガルを離れ、ひとりで暮らす生活には、グラウンド外の「ポジション変更」もつきまとう。
言語、食文化、気候、街の空気。 ポーランドの冬はロシアを思い出す寒さで、食事の習慣もポルトガルとは違う。 クラブの外では現地の人との接点が限られ、普段一緒にいるのは、むしろポーランド人ではない外国人選手が中心だという。
そんな中で、「ここが自分の居場所だ」と感じるまでには時間がかかる。 彼は、「これまで海外生活が長いから、どこへ行っても順応しやすい」と淡々と語るが、その裏には、
- 分からない言葉のまま、笑ってやり過ごした経験
- スタジアムの外で感じる、微かな孤独感
- ニュースで流れる戦争や社会問題を、隣国として意識する日常
のような、簡単には言葉にしにくい感情もあるはずだ。
「安全」と「不安」のあいだにある生活
ポーランドは、ウクライナと国境を接する国でもある。 タヴァレスが暮らしているのは国内の中部で、直接的な危険を感じるわけではないという。 それでも、同じ大陸で続いている戦争を、まったくの他人事としては見られないだろう。
街の人々の多くはウクライナを支持しており、露骨に政治が話題に上るわけではないが、どこか空気として流れている。 サッカーの試合は変わらず行われ、スタジアムには多くのサポーターが集まり、熱気に包まれる。
そのギャップの中で、「自分は今、何のためにボールを蹴っているのか」という問いが、ふと浮かぶ瞬間もあるかもしれない。 遠く日本で暮らす私たちには実感しづらいが、サッカー選手もまた、社会や政治の動きと地続きの場所で生きている。
「首位のクラブ」で考える、目標との距離感

中位クラブが「優勝」を口にするとき
ヴィスワ・プウォツクは、もともとリーグの真ん中あたりに位置することが多いクラブだった。 そのクラブが、今はポーランドリーグの首位を走っている。
タヴァレスは、「シーズン前には現実味がなかった目標」が、今は頭のどこかにあると認めている。 それでも、「タイトルだけを見つめてしまうと、足元がおろそかになる」として、一戦一戦に意識を向けようとしているようだ。
ここでも、「大きな夢」と「今日やるべきこと」のバランスが問われる。 チームが勢いに乗っているときほど、
- 次の試合の内容より、順位表が気になる
- ミスを恐れてチャレンジが減る
- 「負けられない」という重圧が、判断を曇らせる
といったことが起きやすい。
クラブとしても選手としても、「タイトル」という言葉をどう扱うか。 それを口にするタイミングや、チームの中での共有の仕方ひとつで、雰囲気は大きく変わる。
日本のチームでも、全国大会を目指すとき、似たような空気が生まれることがある。 「優勝」と口に出すべきか、あくまで日常に集中すべきか。 その悩みの中で、自分たちなりの答えを探していく過程は、プロも育成年代も変わらないのかもしれない。
「ポジションを変える」という選択を、日本ではどう捉えるか
「得意な場所」にしがみつくか、「知らない場所」に踏み出すか
タヴァレスのように、プロの世界でポジションを変えるケースは少なくない。 ただ、その裏で見過ごされがちなのは、「本人の心の揺れ」だ。
長年慣れ親しんだ場所から動くとき、多くの選手は
- 「そこで評価されなかったらどうしよう」という不安
- 「前のポジションのほうがよかった」と言われる恐怖
- 「自分の武器はここにも通用するのか」という疑問
を抱えている。
日本の育成年代では、ポジションを固定して育てることが多い環境もあれば、複数のポジションを経験させようとする指導もある。 そのどちらが正しいという話ではなく、選手自身が
- なぜそのポジションをやるのか
- 自分のどんな良さをそこで出そうとしているのか
- 変わってみて、何が見えるようになったのか
を、自分の言葉で考えられるかどうかが大切になってくる。
タヴァレスは、「監督が決めたから」だけではなく、「映像を見て、感覚を修正し、自分の中に新しい地図を作る」というプロセスを自ら引き受けた。 その姿勢があったからこそ、「サイドバックだった自分」から「ボランチとしての自分」へと、静かに移行していけたのだろう。
もし、自分が明日ポジションを変えられたら
読んでいるあなたが、もし選手だとしたら。 「明日から別のポジションでいこう」と言われたとき、どんな問いを自分に投げかけるだろうか。
- そのポジションで、自分のどんな力を生かせるだろうか
- どんな場面で一番困るか、事前に想像できるだろうか
- 映像やメモを使って、自分のプレーを客観的に見られるだろうか
保護者の立場なら、 「うちの子にはこのポジションが向いている」と決めつける前に、 「今のポジションで、何を感じている?」と問いかけることもできるかもしれない。
指導者の立場なら、 「お前はここだ」と一方的に伝えるだけでなく、 「なぜそこに置きたいのか」を丁寧に共有することで、選手自身の理解と納得を引き出せるかもしれない。
答えを急がないポジションチェンジという旅
「まだ分からないまま」でも、走り続けていい
タヴァレスは、今もポーランドで、ボランチとしてのキャリアを歩んでいる。 怪我のリハビリでポルトガルに戻りながらも、チームの首位争いを気にかけ、再びピッチに戻る日を待っている。
サイドバックとボランチ、ポルトガルとポーランド。 どちらが「正解」かは、今の時点では誰にも分からない。 この先のキャリアの中で、「あのときのポジション変更があったから」と振り返る日が来るかもしれないし、「やっぱり自分はサイドで勝負したかった」と思う瞬間が訪れるかもしれない。
大事なのは、そのどちらであっても、「あのとき、自分なりに考えて選んだ」と言えることだろう。 環境に流されるだけでもなく、正解を急いで決めつけるのでもなく、迷いながらも問い続けること。
サッカーは、90分の中で何度もポジションを変え、役割を変え、判断を変えていくスポーツだ。 その変化にどう向き合うかは、ピッチの外の生き方ともつながっている。
ポジションが変わった日。 監督のひと言の裏に、自分はどんな意味を見つけるのか。 うまくいかなかった週の夜、映像を見返す自分に、どんな言葉をかけるのか。
タヴァレスの旅路に重ねながら、 「もし自分だったら、どう考えるだろう」 そんな問いを、一度ゆっくり抱えてみるのもいいのかもしれない。
サッカーは、ときに答えが出ないまま続いていく。 その「答えの出なさ」を抱えたまま、ボールを蹴り続けること自体が、ひとつの物語になっていくのだろう。
