エキティケとコナテの一週間から考える、「結果」と「選択」のサッカー観
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エキティケとコナテの一週間に見る、「うまくいく時」の裏側

アンフィールドの歓声の中、ヒューゴ・エキティケは迷いなく右足を振り抜いた。 カラバフを相手にした6−0の試合、そしてニューカッスルに4−1で勝利したリーグ戦。 この一週間だけで、彼は3ゴール1アシストという結果を残している。 リバプールでの通算は、32試合15ゴール。 数字だけを並べれば「絶好調」の一言で片付けられるかもしれない。
一方、同じリバプールでプレーするイブラヒマ・コナテは、まったく違う心境でピッチに立っていたはずだ。 父を亡くした直後の試合で、ニューカッスル相手にゴール。 チームメイトに囲まれながらも、その表情には喜びだけではない複雑な感情が見え隠れしていた。
同じピッチで輝く2人。 似ているのは結果だけで、その裏側にある思考や選択のプロセスは、まったく別の物語を持っているように思える。 では、その「裏側」にあるものとは何なのだろうか。
なぜ「絶好調」に見える選手でも、迷いを抱えているのか
エキティケの15ゴールが教えてくれること
エキティケは、今季ここまで32試合で15得点。 数字だけを見れば、すでに「成功したシーズン」と言っていい成果だろうと言われている。
だが、選手本人の頭の中はどうだろうか。
「15点取ったから満足」なのか。 「もっと点を取りたい」のか。 「このスタイルでいいのか」と悩んでいるのか。 外からは見えないその部分こそが、次の一歩を決めていく。
カラバフ戦での1ゴール1アシスト、ニューカッスル戦での2ゴール。 いずれの試合も、ただゴール前に立っていれば決められるようなものではなかったはずだ。 ボールを受ける位置、動き出すタイミング、味方との距離感。 一つ一つのプレーの前には、必ず「選択」がある。
例えば、カウンターの場面。
- スペースへ走り抜けて裏を狙うのか
- 足元で受けてタメを作るのか
- ワイドに開いて相手DFを引き出すのか
その一瞬の判断が、結果として「ゴール」になるのか、それとも「ボールロスト」になるのかを分ける。 エキティケが今季多くのゴールに絡んでいるという事実は、 「たまたま上手くいっている」のではなく、 日々のトレーニングや試合の中で、何度も何度も選択を積み重ねてきた結果だと考えたくなる。
もし自分がフォワードとしてプレーしているならどうだろう。 「ゴールを取る」ことだけに意識が行き過ぎて、 ボールを引き出す動きや、仲間のためのスペースづくりを諦めてしまうことはないだろうか。
エキティケは、ゴールという目に見える成果を出しながらも、 その裏で「どの選択がこのチームにとって最善か」を、 90分の中で何十回と問い続けているのかもしれない。
| 観点 | エキティケ | コナテ | 示唆 |
|---|---|---|---|
| 直近の結果 | カラバフ戦1G1A・ニューカッスル戦2G(週計3G1A) | ニューカッスル戦でリバプール通算7得点目 | ◎ 両者ともゴールという形で結果を出した |
| シーズン通算 | 32試合15得点 | センターバックとして7得点 | ○ ポジション問わず得点に絡む |
| プレー前の「選択」 | カウンター時に裏を狙うかタメを作るかを瞬時に判断 | 父の死という状況でピッチに立つかを選んだ | △ 選択の性質がまったく異なる |
| 「絶好調」の内側 | 「15点取ったから満足」か「まだ足りない」かは外から見えない | 喜びだけでない複雑な感情が表情に見えた | △ 結果の裏側にある感情は外見からは判断できない |
| うまくいかない選手との対比 | 週間ベストコンディション側 | 父の喪失という精神的ダメージを抱えたなかで出場 | ○ 同じ試合でも立場による心理の違いがある |
| 日本育成への応用 | 「どの位置を取るか」のプロセスに着目する視点 | 「がんばり続けること」の理由を自分で持てるか | ◎ 結果より選択プロセスを振り返る習慣が大切 |
コナテがゴールを決めた夜に、何を選んでいたのか
ニューカッスル戦でネットを揺らしたセンターバック、イブラヒマ・コナテ。 リバプールでの7得点目だった。 センターバックとして7点を取るというのは、それだけでも特別なことだが、 今回はそれ以上の意味を持っていたと言われている。
父を亡くしたばかりで迎えた試合。
- 出場するのか、休むのか
- 気持ちをどう整理するのか
- プレー中に感情が揺れたとき、どう自分を保つのか
ゴールが決まるまでに、 プレー以前のところで、彼は何度も「自分で選ぶ」ことを迫られたはずだ。
ゴールシーンそのものは、一つのセットプレーの成果に見える。 だが、その前にあるのは「ピッチに立つ」という決断であり、 さらに遡れば、「プロとしてどうありたいか」という問いへの自分なりの答えだ。
もし自分が似た状況に置かれたらどうだろう。
- 精神的なダメージを理由に、試合を休むという選択も当然ある
- あえてピッチに立ち、自分なりの「けじめ」をつけたいと考える人もいる
どちらが「正しい」かは、外から決められるものではない。 大切なのは、どちらを選ぶにしても、それが「自分で選んだ」と言えることなのかもしれない。
コナテが選んだのは、リバプールの一員としてピッチに立ち、 守備者として戦い、そして結果的にゴールという形でチームに貢献する道だった。
そこには、「苦しいからこそピッチに立ちたい」という想いもあったかもしれないし、 「家族のために戦う姿を見せたい」という気持ちもあったかもしれない。 正解は分からない。 ただ一つ確かなのは、彼は揺れる心を抱えながらも、 自分でひとつの選択をし、その結果を引き受けてプレーしていたということだ。
「勝っているチーム」にいるということは、何を意味するのか

- ゴールに至るプロセスの選択を言語化させる — シュートの場面で「なぜその位置を選んだか」「裏を取るかタメを作るかをどう判断したか」を練習後に1文で語らせる習慣をつくる
- 「出られない週」の過ごし方を観察し声をかける — ベンチや怪我で試合に出られない選手の練習への向き合い方を評価の一部として捉え、「次に向けて何を選んでいるか」を問いかける
- うまくいっている選手ほど内面の葛藤があると知る — 好調な選手でも「この役割でいいのか」「チームの中での立場をどう確保するか」という問いを抱えている。定期的に1対1で話す機会を設ける
リバプール、アーセナル、シティ…結果の裏にある視点
リバプールはカラバフに6−0、ニューカッスルに4−1と大勝を続けている。 アーセナルはチャンピオンズリーグで8戦全勝、リーグ戦でもシティに勝ち点差6をつけて首位。 シティではライアン・シェルキが、33試合で10ゴール10アシストという「ダブルダブル」の数字を残している。
「うまくいっているチーム」「波に乗っている選手」 こうした言葉は、結果から観たときの分かりやすいラベルだ。 だが、その中にいる彼らは、おそらく違う景色を見ている。
例えば、アーセナルのウィリアム・サリバ。 カイラト・アルマトイ戦では出場せず、リーグのリーズ戦ではプレーし、 チームはどちらも勝利した。 試合に出て勝つ喜びと、出場しなくても勝ち続けるチームをベンチから見る感情は、まったく違うはずだ。
数字や結果だけを追えば、
- リバプールは連勝中
- アーセナルはヨーロッパ屈指の好成績
- シティのシェルキはゴールとアシストの両方で存在感
と整理できる。 しかし、その内側には、 「出られなかった試合をどう受け止めるか」 「好調なチームの中で、自分の居場所をどう確保するか」 という、もっと繊細なテーマが横たわっている。
自分が選手だとして、チームが勝ち続けているのに自分の出番が減っていたら、 どう感じるだろうか。
- 嬉しさと悔しさが混ざった、何とも言えない感情になるかもしれない
- 「とにかくチームが勝てばいい」と割り切ろうとしても、心のどこかでモヤモヤが残るかもしれない
サッカーの世界では、結果だけが語られがちだが、 本当は「結果が良い時ほど、見えない葛藤が増えている」という側面もある。
- 得点シーンの「1つ前の判断」に注目する — ゴールが生まれる瞬間より、その直前に選手がどの位置を取り、どのタイミングで動き出したかを観るとサッカーの見方が深まる
- 「試合に出られない週」に何を選ぶかを子どもと話す — ベンチが続いたとき「練習の質を上げる」「ポジションを変えてみる」「環境を変える」など選択肢を一緒に整理する対話の場をつくる
- 「もし自分がコナテだったら」と想像してみる — 精神的に苦しい状況でピッチに立つことを選んだ理由を想像することで、プレー以前の「どうありたいか」という問いに気づくきっかけになる
うまくいかない週を、どう過ごすか
一方で、すべての選手が「良い週」を過ごしているわけではない。
パリ・サンジェルマンのゴールキーパー、リュカ・シェヴァリエは、 ニューカッスル戦でもストラスブール戦でも出場機会がなく、 新たにレギュラーに座ったGKにポジションを譲る形になっている。
スタッド・レンヌのブリス・サンバは、モナコ相手に4失点。 試合後、ゴールキーパーとして何を考えただろうか。
- 自分のプレーの問題を探すのか
- チーム全体の守備バランスを振り返るのか
- 切り替えることを優先するのか
マルセイユのバンジャマン・パヴァールは、ブリュージュ戦での大敗に出場停止で立ち会えず、 続くリーグ戦でもピッチに立てなかった。 試合に関われないもどかしさを、どうコントロールするのか。
同じ「一週間」という時間の中で、 ある選手はゴールを量産し、 別の選手はベンチで座り続け、 また別の選手は大量失点のピッチ上で苦しむ。
どの立場にも、それぞれの「考える時間」がある。
日本でプレーする選手や指導者にとっても、これは身近な話だろう。
- 試合に出られない週
- 大敗した週
- 失点に絡んでしまった週
そういう時、 「運が悪かった」「監督が悪い」「チームが弱い」と片付けてしまうのか。 それとも、もう少し立ち止まって、 「自分は何を選べたのか」「次は何を選びたいのか」と考えてみるのか。
日本ではどう考えられるか ─「結果」と距離を取る視点
点を取ることより前にあるもの
日本の育成年代の現場では、 「点を取れ」「結果を出せ」と言われる場面は少なくない。 もちろん、それは大切な要素だ。 ゴールを目指さないサッカーは存在しない。
ただ、エキティケやシェルキのように、 ヨーロッパで結果を出している若い選手たちのプレーを眺めていると、 彼らは「点を取ること」そのものよりも、 「どう関わるか」「どの位置を取るか」「どのテンポでプレーするか」といった、 一つ前のプロセスに強いこだわりを持っているようにも見えてくる。
例えば、もし自分が10番のポジションでプレーしているなら、
- ゴール前でシュートを打つことだけを狙うのか
- 味方がシュートを打てる状況を増やすことを考えるのか
- ビルドアップの起点として、低い位置に落ちる役割を選ぶのか
何を選ぶかで、自分のプレーも、チームのサッカーも変わってくる。
日本のサッカーにとっても、 「点を取ったかどうか」から少し距離を取り、 「そのプレーに至るまで、どんな判断があったのか」を ゆっくり振り返る習慣が増えていくと、 選手の成長の仕方も変わっていくかもしれない。
うまくいかない時にこそ現れる「自分の色」
結果が出ている時、人は自分を疑いにくい。 「これでいいんだ」と思えてしまうからだ。 むしろ、その人の本当の考え方や価値観が表に出るのは、うまくいかない時かもしれない。
試合に出られない選手が、
- 練習の質を上げることを選ぶのか
- 別のクラブへの移籍を考えるのか
- 現状を受け入れて役割を変えるのか
どれも、一つの生き方であり、サッカーとの向き合い方だ。
日本でも、カテゴリーが上がるにつれて、 「このままここで続けるのか」「環境を変えるのか」という選択に迫られる選手は多い。
そのとき大事なのは、 「周りがどう思うか」よりも、 「自分がどうありたいか」をじっくり言葉にしてみることなのかもしれない。
急いで答えを出さず、 一度立ち止まり、 「本当はどうしたいのか」「何を大事にしたいのか」を考える時間を持つ。
コナテが、家族の喪失という重さの中で「ピッチに立つ」ことを選んだように、 日本の選手たちも、それぞれの場面で自分なりの答えを選び取っていく。
問いを手元に残すという見方
「もし自分がエキティケだったら?」と想像してみる
自分がエキティケの立場だったら、何を考えるだろう。
- 15ゴールという数字に満足するのか
- もっと上を見て、足りない部分を探し続けるのか
- 結果よりも、チームの中での役割を優先して考えるのか
どれも「間違い」ではない。 大切なのは、自分がどの選択をしたいのかに気づくこと。
同じように、 「もし自分がコナテだったら?」と想像してみると、 プレー以前のところで、自分が何を大事にしたいのかが見えてくるかもしれない。
答えを急がないから見えてくる景色
この一週間のヨーロッパのサッカーを眺めるだけでも、
- ゴールを量産するフォワード
- 家族を失いながらもピッチに立つディフェンダー
- 勝ち続けるチームで出番を待つ選手
- 大量失点に苦しむゴールキーパー
- 得点とアシストの両方で輝くアタッカー
さまざまな物語が重なり合っている。
そこから「誰が一番すごいのか」「どの選択が正解なのか」を決めてしまうのは、簡単だ。 だが、あえて結論を急がずに、 「もし自分ならどうするか」と問いだけを手元に残しておくと、 サッカーを見る目も、プレーする時の感覚も、少しずつ変わっていく。
エキティケの15ゴールも、コナテの1ゴールも、 数字としては同じ「得点」だが、そこに至る道のりも、背負っている感情もまったく違う。
ピッチの上で何が起きたかだけでなく、 「なぜ、その選択にたどり着いたのか」を想像してみる。 そうした時間そのものが、選手にも、保護者にも、指導者にも、 新しいサッカーの見え方を運んでくれるのかもしれない。
そしていつか、自分のプレーや人生の分岐点に立ったとき、 今日眺めた彼らの一週間が、ふと頭をよぎることがあるかもしれない。 その時に選ぶ一歩こそ、自分だけのサッカーになる。
