迷いを抱えたまま戦う勇気――ニコラとクレモネーゼが示す「正解を急がないサッカー」
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「奇跡の残留請負人」が、通年指揮で突きつける問い ダヴィデ・ニコラとクレモネーゼの“迷いながら戦うサッカー”

ブロックの中で、ひとりだけ自由な男
相手はインテル。 ボールはほとんど握れない。 それでも、クレモネーゼの選手たちは、自分たちの「立ち位置」を一つひとつ選びながら、90分を積み重ねていた。
5枚の最終ライン、その前に3枚、さらに2枚。 きっちりとした1-5-3-2のブロックを作り、時に1-5-4-1や1-5-2-3に変化しながら耐え続ける。 しかし、その中でひとりだけ、少しだけ“ルールの外”を生きている選手がいる。 フランコ・バスケスだ。
バスケスは、いわゆる「決められた場所」にずっとはいない。 時に中盤のラインまで下りて数的優位を作り、時に最前線近くでボールを引き出す。 チームが「型」を守るほど、彼には「型から離れる」役割が与えられているようにも見える。
守備では、全員が同じ高さまで下がる。 攻撃になれば、全員で外側を素早く駆け上がる。 その中で、バスケスだけはボールと仲間と相手を見ながら、自分の居場所を決め直し続けていた。
このチームにおいて、その「自由」は、いったい何に基づくものなのだろうか。
| 要素 | クレモネーゼの選択 | メリット | 評価 |
|---|---|---|---|
| 守備ブロック | 1-5-3-2 / 1-5-4-1の低いブロック | ゴール前の人数を確保・対人CBの強みを活かす | ◎ |
| ラインの高さ | 意図的に低く保つ(オフサイドライン不使用) | スピード不足のCB陣のリスクを軽減する | ○ |
| 攻撃の起点 | バスケスに自由を集約 | ボール前進の確実性が増し役割が明確になる | ○ |
| 攻撃パターン | サイド+クロスとロングボール+セカンドボールの2択 | 実行難度が低くミスが減る一方、止められると行き詰まる | △ |
| ビルドアップの質 | 3+2など複数形を使い分けるが完成度は未発展 | 変化の余地があるが相手に読まれるリスクあり | △ |
「奇跡の残留」の監督が、今あえて選んでいること
ダヴィデ・ニコラの名前を聞くと、多くの人は「残留請負人」というイメージを持つかもしれない。 クロトーネ、トリノ、サレルニターナ、ジェノア、エンポリ。 シーズン途中に呼ばれ、崖っぷちのチームを立て直してきた指揮官だ。
昨季はカリアリを最初から最後まで率い、落ち着いた形でセリエAに残した。 今季はクレモネーゼを開幕から指揮し、序盤から好スタートを切っている。
これまで「火消し」の仕事が多かった監督が、1シーズンを通してチームを作る。 そこには、これまでとは少し違う選択が求められるはずだ。
- 短期決戦なら、とにかく「やることを絞る」方が効果的かもしれない
- 長いシーズンなら、「変化の余地」も含めたチーム作りが必要になってくる
クレモネーゼを見ていると、その両方を抱え込もうとしているように映る。 守備は明確。ブロックを作り、距離を詰め、ライン間を消す。 一方で、攻撃では3-4-1-2をベースにしながらも、状況に応じて形を細かく変える。
3バックの右のチェッケリーニが高い位置を取れば、ボランチのボンドが空いた場所を埋める。 左のウイングバック、ペッツェッラが下がれば、その分をジョンセンが幅取りで補う。 ビルドアップは3+2だったり、4+2だったり、5+1だったり。 細かい「入れ替わり」が仕込まれている。
ただ、だからといって「攻撃に多彩さがある」とは言い切れない。 実際、弱点として「ビルドアップの質の低さ」「バスケス頼みになったときの限界」も指摘されている。 構造としての工夫と、個の質、その両方の間で揺れているチームでもある。
この揺れを、どう捉えるか。 「未熟さ」と見るか、「成長途中」と見るか。 そこには、サッカーを見る人それぞれの視点が表れるのかもしれない。
- 選手の弱点を「なかったこと」にしない設計をする — クレモネーゼのニコラがスピードのないCB陣に対して低いブロック守備を選んだように、選手の特性を正直に見つめた上で「あるもので戦う」仕組みを作る。練習でも「この選手には何が合うか」を逆算してメニューを設計する。
- 「誰かに自由を集約する」役割設計を意識して使う — 全員に自由を与えるのではなく、バスケスのように特定選手に「型から離れる権限」を与え、他の選手はその自由を支えるために特化する。役割を明確にすることで、各選手が「自分の仕事」に集中できる環境が生まれる。
- 「形の中の小さな選択」を選手に意識させる — クロスに入る人数は何人か、ウイングバックはどのタイミングで上がるか。決まりごとの中にある選手自身の判断の余地を毎試合後に振り返らせることで、戦術理解と個性が両立する。
守るのか、出ていくのか 最終ラインが抱える“1メートルの葛藤”
インテル戦でのクレモネーゼは、ほとんどの時間を自陣で過ごした。 1-5-3-2、あるいは1-5-4-1。 はっきりと「低いブロック」を選び、ラインをゴール前まで下げる守り方だ。
このやり方には、明確なメリットがある。 最後の局面で人数を揃えやすい。 スペースを背後にほとんど残さない。 センターバックのバスキロットやビアンケッティのように、対人に強く、体を張れる選手の良さが出る。
一方で、デメリットもはっきりしている。 ラインを上げるときに、足の速い相手に背後を取られるリスクが高まる。 実際、クレモネーゼのセンターバック陣はフィジカルは強いが、スピードでは不利な相手も多い。 だからこそ、ニコラは「リスクを取ってラインを上げる」より「ゴール前で耐える」ことを選んでいるように見える。
しかし、ずっと低い位置で構えていると、別の問題が顔を出す。 奪っても、そこから一気に相手ゴールまで運ぶのは簡単ではない。 カウンターの起点も、自陣深くなりがちだ。
それでもクレモネーゼは、ボールを奪った瞬間、2つの道を用意している。
- 無理に出て行かず、全員で素早く自陣に戻り形を整える
- 前線のサナブリアやウイングバックへ、速さを活かした一発のロングボールを蹴る
どちらを選ぶのかは、その瞬間の選手の判断だ。 リスクを冒してでも前へ出るか。 それとも、まずは「守り切ること」を優先するか。
センターバックが迷いながら1メートルラインを上げるのか、下げるのか。 その迷いには、試合のスコアだけでは見えない「決断の重さ」が詰まっている。
もし自分がディフェンダーだったら。 リードしている試合の終盤、相手が前がかりになってきた時間帯。 自分の足の速さ、相手のスピード、味方の疲労を感じながら、前に一歩出るだろうか。 それとも、あえて下がる一歩を選ぶだろうか。
- 「守備専門」の役割を誇りに変える — バスケスが攻撃で自由を持つ分、ボンドやグラッシはその土台を支えることに徹する。「目立たない役割」を任された選手は、その中で「自分にしかできない仕事」を突き詰めることで独自の価値を作れる。
- スピードで勝てない時の代替手段を3つ用意する — ポジショニングを1歩早く取る、体の向きで相手を誘導する、味方との距離を常に保って数的優位で守る。クレモネーゼのCB陣が示すように、速さがなくてもサッカーは戦い方を選び直せる。
- 「正解を急がない」時間をチームで過ごす — クレモネーゼはシーズン序盤から「完成形」ではなく「変化途中」のチームとして戦っている。保護者も指導者も、今この瞬間の完成度だけを評価せず、成長の余地を楽しむ視点を持つことが長い目での育成につながる。
「バスケス頼み」は、悪いことなのか

攻撃面の分析では、クレモネーゼが「バスケスに依存している」と言われる。 彼がボールを持てば、前進できる。 彼が消されれば、単調になる。 そういう構図だ。
確かに、数字だけを見れば、その指摘には一定の説得力があるだろう。 しかし現場の感覚からすると、それは単純な「依存」とは少し違うようにも感じる。
チームが「誰に、どこまで自由を与えるか」を決めることは、 同時に「他の選手がどんな役割に徹するか」を決めることでもある。
- バスケスには、スペースを自由に見つけてもらう
- ボンドやグラッシは、その自由が機能するための土台になる
- フロリアーニやペッツェッラは、決まったタイミングで幅を取り、走り続ける
こうして見ると、チームとしては「役割を偏らせる」という選択をしていると捉えることもできる。 全員が同じように自由になるのではなく、誰かに自由を集約し、他の選手はその自由を支える方向に特化する。
日本の育成年代では、どうだろうか。 同じような役割の偏りを、どこまで許容しているだろうか。
例えば、小学生や中学生のチームで、 「この10番に自由を与えるから、まわりはひたすらサポートに徹しよう」 と明確に決めてしまうことに、不安を感じる指導者や保護者もいるかもしれない。
- 一人に頼るチームになってしまうのではないか
- 他の選手の個性が育たないのではないか
一方で、実際のプロの現場では、 「誰かが特別な自由を持つ」構造は、珍しいことではない。 それをどう支えるか、また、自由を与えられていない側の選手がその中で何を獲得していくかも、立派な成長のテーマになり得る。
自分が選手だったとして。 もし監督に「お前には、まず守備のバランスを優先してほしい」と言われたら、どう感じるだろう。 「もっと攻撃で目立ちたい」と思うだろうか。 それとも、「この役割を突き詰めて、自分にしかできない仕事にしてやろう」と考えるだろうか。
選択肢を増やすのか、選択を絞るのか
クレモネーゼの弱点のひとつとして、「攻撃のバリエーションが少ない」という点も挙げられている。 ほとんどの決定機が、サイドに起点を作り、クロスに多くの選手で飛び込んでいく形。 もしくは、サナブリアへのロングボールから、セカンドボールを拾ってのシュート。
それは裏返せば、攻撃パターンをある程度「絞っている」ということでもある。 この「絞る/増やす」のバランスは、どのレベルのサッカーでも常に悩ましいテーマだ。
- 選択肢を増やせば、相手は読みにくくなる
- ただし、選手一人ひとりの理解と実行の難易度は上がる
- 選択肢を絞れば、質を高めやすく、迷いも減る
- ただし、止められたときの「行き詰まり」は大きい
ニコラは今のところ、守備に多くのエネルギーを割き、 攻撃では「サイド+クロス」「前線へのロングボール+セカンドボール」という、比較的明確な形に寄せているように見える。
ただ、その中にも、小さな「選択の余白」はある。 クロスに入っていく人数は4人なのか、5人なのか。 ボランチのグラッシは、どのタイミングでペナルティエリア内に入るのか。 ウイングバックは、深い位置までえぐるのか、少し手前から速いクロスを入れるのか。
それぞれのプレーには、決まりごとの裏側に、選手自身の判断がかすかに揺れている。 与えられたパターンの中で、「どこで」「どの程度」自分なりに選ぶのか。 そこが、選手としての個性になっていくのかもしれない。
日本でサッカーをしている選手にとっても、これは身近な問いだろう。 監督から「うちはこういう形で攻める」と言われたとき、 その「形の中で」、自分はどんな小さな選択を積み重ねることができるだろうか。
スピードのない守備陣で、どう戦うか
クレモネーゼのセンターバックたちは、対人は強いが、スピードには不安を抱えていると言われている。 バスキロットはリーグでも屈指のフィジカルを持つが、足は速くない。 ビアンケッティも体は強いが、敏捷性では不利な場面が出てくる。
その条件の中で、「じゃあどう守るか」を考えた結果が、 ・徹底したブロック低めの守備 ・オフサイドラインを積極的に使わない ・サイドでの数的優位と、短い斜めのカバー といった選択なのだろう。
つまり、弱点を「なかったこと」にしようとはしていない。 むしろ、「あるもの」として受け入れた上で、やり方を選び直している。
これは、選手個人にも通じる話だ。 自分がスピードで勝てないと分かったとき、何を選ぶか。
- ポジショニングを一歩早く取る
- 体の向きを工夫して、相手を誘導する
- 味方との距離を常に意識し、数的優位で守る
クレモネーゼのディフェンスラインが見せる「常に誰かがカバーに入る」動きは、 速さという武器がなくても、サッカーの中で戦い方を選び直せることを示しているようにも見える。
もし自分が、チームの中で何か「足りない」と感じている部分があるなら。 それを無理にごまかすのではなく、一度認めたうえで、そこから逆算して自分のプレーを組み立て直す。 そんな発想も、ひとつの選択肢としてあり得るのかもしれない。
「正解」を急がないチーム作りという視点
こうしてクレモネーゼを眺めると、 「奇跡の残留請負人のチーム」と聞いて想像するほど、 単純で分かりやすいサッカーをしているわけではないことが分かる。
守備では、ブロックを締める明快さがある。 一方で、攻撃ではローテーションや役割の偏り、バスケスという自由な軸。 長所と短所は表裏一体で、まだ「完成した正解」からは遠いようにも見える。
ただ、その「遠さ」を、どう受け止めるか。 そこにもまた、見る側の選択がある。
- 今の時点での完成度の低さを、単なる欠点と見るのか
- シーズンを通じて変化していく余地として、楽しみにするのか
日本で育成年代に関わる人たちにとっても、 「今この瞬間の完成度」と「長い目で見た成長」のどちらに重きを置くかは、常に悩ましいテーマだろう。
チームを作る側も。 そこに関わる選手や保護者も。 短いスパンですぐに「正解」を求めるのか。 それとも、不完全さを抱えた時間を、あえて引き受けるのか。
ニコラのクレモネーゼは、 奇跡の残留という派手なラベルの裏側で、 その問いに向き合い続けているチームのひとつなのかもしれない。
自分なら、どの一歩を選ぶか
深いブロックで耐えるセンターバック。 自由を与えられたバスケス。 ただひたすらサイドを上下し、クロスに合わせに飛び込むウイングバック。 攻撃のほとんどを「ターゲット」として背負うサナブリア。
誰もが、与えられた条件の中で「どう戦うか」を選んでいる。 完璧な答えがあるわけではない。 その場その場で、迷いながら一歩を出している。
もし、自分がピッチの中にいたら。 今の自分の特性とチームのやり方の中で、どんな一歩を選ぶだろうか。 監督に何を求められた時、自分はそれをどう受け止め、どこから変えていくだろうか。
サッカーは、プレーの連続であると同時に、 小さな選択の積み重ねでもある。 ニコラとクレモネーゼが今している選択を眺めながら、 自分自身の次の一歩を、少しだけゆっくり考えてみるのもいいかもしれない。
正解を急がない時間の中にこそ、 サッカーも人生も、じわりと形を変えていくのかもしれない。
