友情の力は戦術になりうるか――レアル・マドリードに見る「ピッチ外の時間」の選び方
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「友情の力」は戦術か。レアル・マドリードの“ピッチ外の選択”から考える

マドリードで行われたダービー。
一人少ない状況で、3-2のスコアを守り切ったレアル・マドリードの選手たちを、監督のアルベロアはこう表現した。
「友情の力だ」と。
試合後のコメントとしては、少しロマンチックに聞こえるかもしれない。
だが、その言葉の裏側には、いくつかの「具体的な選択」が積み重なっている。
二月、チーム全員での食事会。
総勢十二人で出かけた総合格闘技イベント観戦。
最近では、フェデリコ・バルベルデがSNSで公開した、ヴィニシウスと組んでブラヒム、アレクサンダー=アーノルドと対戦したプライベートのパデルマッチの様子。
「仲がいい」と言ってしまえばそれまでだが、そこには「仲良くなろう」として動く意志もある。
そして、その意志そのものが、試合の中の「一歩」を左右していく。
食事会とパデルが、なぜダービーの守備に効くのか
ダービーのような大一番で、一人退場になったチームが勝ち切る。
そのとき、ピッチの中では何が起きているのか。
戦術的には、ラインの高さをどうするか、プレスを続けるか、ブロックを固めるか、監督から指示は出る。
ただ、その指示が「機能するかどうか」は、もう少し別のところで決まる。
例えば、次のような場面を想像してほしい。
・自分のマークにつくべき相手が一瞬フリーになる。
・自分のエリアを捨ててスライドすべきかどうか迷う。
・味方が限界に近いのを感じるが、自分も疲れている。
そのときに、体が自然と一歩前に出るか、ほんの少し遅れるか。
それは、「この仲間のためなら走れる」と思えているかどうかに、意外なほど左右される。
二月のチーム全体での食事会も、総合格闘技のイベント観戦も、パデルも、サッカーのスコアに直接は関係ない。
でも、「あいつ、普段は明るく見えるけど、実はこういうこと考えてるんだな」と知る時間でもある。
「この前パデルで自分をフォローしてくれたから、今度は自分がカバーしよう」と、無意識に感じているかもしれない。
友情が戦術になる、というと大げさに聞こえる。
けれど、戦術を最後に動かすのは、人の感情と決断力だと考えると、それほど不思議ではない。
| 活動 | 目的・効果 | 日本育成への転用可能性 | 難度 |
|---|---|---|---|
| チーム全員での食事会 | 互いの人間性を知り、信頼の土台を作る | ◎年数回の食事会・バーベキュー等で実施可能 | ○低コスト・保護者同伴も可 |
| スポーツ観戦(格闘技等) | サッカー以外の競争・感情体験を共有する | ○映画鑑賞・スポーツ観戦への応用可 | ○時間・保護者許可の調整が必要 |
| パデル等のプライベート競技 | 「本気の勝ち負け」を仲間と安全に共有する | ◎練習後の5対5・ゲーム等で日常的に可能 | ◎追加コスト不要 |
| 選手自身が場を企画する | 自主性・チームメイトへの働きかけ力を育てる | ○選手主導のレクリエーション設計を促す | △大人のサポートが必要な年代も |
| 練習前後10分の雑談タイム | 日常のコミュニケーション密度を上げる | ◎すぐ実践可能・スマホ禁止等の工夫と組合せ | ◎コストゼロ |
パデルコートを自宅に作る、という「選ぶ力」
ニュースの中で触れられているのは、ヴィニシウスが自宅にパデルコートを作ってしまったという話だ。
このエピソードは分かりやすく「お金持ちだな」で終わらせることもできる。
だが、もう少しサッカー寄りに見ると、別の側面が見えてくる。
・オフの時間をどう使うか。
・誰と一緒に過ごす時間を増やすか。
・自分から人を誘える環境を作るかどうか。
パデルコートを自分の家に作るというのは、「いつでも、誰かを誘える場所」を持つという選択でもある。
チーム関係なく、友人でも家族でもいい。
でも、そこに頻繁にやってくるのは、たぶんチームメイトだろう。
一緒に汗をかいて、笑って、負けて悔しがる。
それがサッカーではない別の競技であっても、「一緒に戦う関係」を積み重ねることには変わりない。
オフをどう過ごすか。
その「選び方」もまた、サッカー選手の仕事の一部なのかもしれない。
もし自分だったら、部活終わりや週末を、どう過ごすだろう。
仲の良い友達とゲームをするか、家で休むか、個人練習をするか。
そこに「チームメイトを誘って何かをする」を混ぜてみたとき、何が変わりそうか。
それを想像してみるだけでも、自分の中の選択肢が少し増える。
- チームスローガンを「日常の場」と結びつける — 「全員攻撃」「走り勝つ」等の言葉が「掲げて終わり」にならないよう、そのスローガンに対応する具体的な行動(誰かを誘う・声をかける・食事をともにする)を一つ決めてシーズン序盤に提示する
- 年に1〜2回、選手が企画する活動の時間を設ける — 大人が決めた行事ではなく、「どこで・誰と・何をするか」を選手自身が決める機会を作ることで、誘う力・調整する力・異なるタイプの仲間と関わる力が育つ
- 「仲が良い=馴れ合い」の誤解を解く対話をする — 仲が良いからこそ言い合える・厳しいことも伝えられるという関係性が本物のチームになる条件を、シーズン開始前のミーティングで選手と共有する
指導者の言葉はスローガンか、道しるべか
アルベロアは、マーケティングにも関心があり、自身でその分野の会社も持っていると言われている。
だからこそ「友情の力」というフレーズが、キャッチコピーのようにも聞こえる。
だが、その言葉は一度きりの思いつきではなく、何度も繰り返し使われているという。
ここで浮かんでくる問いは一つだ。
それは単なる「盛り上げの言葉」なのか、それとも「チームが進む方向を示す言葉」なのか。
もし、後者だとすれば。
監督は、戦術だけでなく「どういう関係性のチームでありたいか」を、かなり意識していることになる。
例えば日本の現場でも、スローガンやチーム目標を掲げることは多い。
「全員守備・全員攻撃」「一戦必勝」「走り勝つ」など。
ただ、それが「掲げて終わり」になるか、「日常の選択と結びついていくか」で、意味は大きく変わる。
アルベロアが言う「友情の力」は、食事会やパデルや格闘技観戦と結びついている。
つまり、言葉と行動がセットになっている。
もし自分が指導者なら、どんな言葉をチームにかけるだろう。
そして、その言葉がただの飾りにならないように、どんな「場」を用意しようとするだろう。
- 仲間を誘う小さな一歩を踏み出す — 「練習後に少しだけ話す」「帰り道を一緒に歩く」「好きな動画を共有してみる」など、ピッチ外での接点を自分から作ることが、試合中の「あいつのために走ろう」という一歩につながる
- サッカー以外の仲間の顔を知る — チームメイトが普段どんなことを考え、何に熱中しているかを知ると、試合中の「あの動き・あの目線」の意味が分かるようになり、プレーの連動性が自然と上がる
- 保護者として「場」を応援する — 子どもがチームメイトを家に呼ぶ・一緒に出かけると言ったとき、学業への影響を確認しつつも「ピッチ外の関係性づくりもサッカーの一部」と捉えて可能な範囲でサポートする
「ピッチ外」をどこまでサッカーとみなすか
日本の育成年代では、しばしば次のような悩みを耳にする。
・練習以外の時間で、選手たちをどこまで関わらせるべきか。
・仲が良すぎると緊張感がなくなるのではないか。
・保護者や学校との関係もあり、時間的な制約が大きい。
プロと違い、子どもや学生には学業もあり、習い事もある。
だから、レアル・マドリードのように、頻繁に集まることは難しいかもしれない。
それでも、「ピッチ外の時間をサッカーの一部とみなすかどうか」は、クラブや指導者ごとに違う選択がある。
例えば、こんな工夫もありえる。
- 年に数回だけでも、全員で食事をする機会をつくる
- 保護者も交えたレクリエーションを行う
- 練習前後の10分だけ、意図的に「雑談の時間」をつくる
逆に、「あえてピッチ外には踏み込まない」という哲学もあるだろう。
それぞれに、良さと難しさがある。
指導者側も、保護者側も、「どこまでがサッカーなのか」を、自分なりに決めなければいけない。
アルベロアやレアル・マドリードの選手たちの選択は、その一つの答え方に過ぎない。
大切なのは、それを「正解」と見なすことではなく、自分たちの現場に照らして、「自分たちならどうするか」を考えることだろう。
「仲がいい」と「馴れ合い」の境界線
チームの雰囲気づくりというテーマは、いつも別の疑問を連れてくる。
仲が良くなると、甘くならないか。
厳しさが失われないか。
この不安は、多くの指導者や保護者が共有しているものだと思う。
ここでヒントになりそうなのが、レアルのケースに見られる「競争」と「友情」の同居だ。
パデルのペアマッチでは、ヴィニシウスとバルベルデが組み、相手にはブラヒムとアレクサンダー=アーノルドがいた。
想像するだけで、かなり本気の勝負になっていそうだ。
笑い合いながらも、負けたら本気で悔しがるタイプのゲーム。
そこには「優しさだけの関係」ではなく、「勝ち負けを共有できる関係」がある。
サッカーのトレーニングでも、同じことが起こりうる。
仲が良いからこそ、言い合える。
仲が良いからこそ、厳しいことも伝えられる。
その境界線はどこに引かれているのか。
たぶん、それは日々のコミュニケーションの積み重ねの中で、少しずつ作られていく。
「ここまでは冗談」「ここからは本気」という感覚。
選手自身が、お互いを理解し合う時間が長いほど、その感覚は磨かれていく。
だからこそ、ピッチ外の関わり方は、ピッチ内の「厳しさ」にも影響するのかもしれない。
もし自分のチームだったら、どんな「場」を選ぶか

プロの世界では、食事会も、イベント観戦も、パデルも、選手たちが自分で企画し、選び取っているように見える。
では、日本の子どもたちや学生たちのチームではどうだろうか。
選手たちが、自分たちで「どこで」「どうやって」一緒に時間を過ごすかを決める場面は、どれくらいあるだろう。
大人が決めた行事に参加するのではなく、自分たちで決めて、動いてみる。
それはサッカーの上手さと直接は関係ないように見えて、次のような力を育てるかもしれない。
- 誰を誘うかを選ぶ力
- 異なるタイプの仲間とどう関わるかを考える力
- 時間や場所を自分たちで調整する経験
アルベロアのチームがしていることを、そのまま真似する必要はない。
重要なのは、「自分たちなら、どんな場をつくれるか」を考えてみることだろう。
たとえば、放課後の10分でもいい。
練習後の帰り道でもいい。
「今日はサッカー抜きの話だけしよう」と決めてみるのも一つの選択かもしれない。
バイエルン戦に向かう「一つのかたまり」として
レアル・マドリードには、二週間後にバイエルンとの大きな試合が待っている。
クラブ内部では、ダービーでの勝利と、その過程に見えた「一つのかたまり」としてのチーム像に、手応えを感じているという。
何があっても、「自分たちは一緒にいる」と思える集団。
それは、プレッシャーのかかる試合ほど、大きな支えになる。
日本でも、全国大会や選手権、重要な入れ替え戦など、大一番に向かうチームはたくさんある。
そのとき、「戦術的な準備」と同じくらい、「関係性の準備」を意識しているだろうか。
もちろん、時間も環境も限られている。
それでも、試合の前の一週間、チームとしてどんな時間を過ごすのかを選ぶ余地は、ほんの少しはあるはずだ。
それを「ただ流れで過ごす」のか、「意図してつくる」のか。
そこで生まれる差は、ピッチ上の一歩に現れるかもしれない。
答えのない「友情の力」を、どう受け取るか
「友情の力」という言葉は、聞く人によって、受け取り方が変わる。
精神論だと感じる人もいれば、チームビルディングの戦略だと捉える人もいる。
どれが正しいかを決める必要はない。
むしろ大切なのは、自分のサッカーに照らして、静かに問いを立ててみることではないだろうか。
自分は、どんな仲間とプレーしたいのか。
そのために、ピッチ外でどんな時間を選び取りたいのか。
指導者として、どこまで選手同士の関係に関わるべきなのか。
保護者として、子どもたちがチームメイトと過ごす時間を、どう見守るのか。
レアル・マドリードの食事会やパデルコートは、遠いヨーロッパの出来事かもしれない。
それでも、その裏側にある「一緒に時間を過ごすことを、自分たちで選んでいる」という姿勢は、日本のどんなチームにも関係している。
サッカーは90分で完結するようでいて、実はピッチの外での選択の積み重ねが、その90分を形づくっていく。
次にピッチに立つとき、自分の隣にいる仲間のことを、どれだけ知っているだろうか。
そして、これからどれだけ知ろうとするだろうか。
その小さな問いが、まだ誰も知らないチームの未来を、少しずつ変えていくのかもしれない。
