負傷者続出のバルサBでベレッティが示した「勝利」と「育成」を両立させる采配基準
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ジュリアーノ・ベレッティが「足りない戦力」から選び取ったもの

後半、左サイドバックのジョフレがピッチに座り込み、そのまま交代を求めた。 アルコヤーノ相手に勝ち点3がほしい試合で、またひとり、負傷者の列に加わる。 ベンチから呼ばれたのは、本職センターバックのレオ・サカ。 彼に与えられたポジションは、慣れ親しんだ中央ではなく左サイドだった。
スコアは1−1。 ホームのヨハン・クライフ・スタジアム、本来なら「取りこぼしたくない場所」での終盤。 若いセンターバックに、逆足のサイドバックという、簡単ではない役割が渡される。 その瞬間、監督と選手、そして周囲のスタッフは、どんなことを考えていたのだろうか。
「ケガ人だらけ」だからこそ見える、選択の中身
ジュニアを「使わざるを得ない」のか、「あえて使う」のか
バルサ・アトレティックは、アルコヤーノとの一戦で勝ち点2を失った形になった。 それでも、延期されているカステリョンB戦に勝てば、プリメーラ・フェデラシオン(3部相当)への自動昇格圏まで5ポイント差という位置につけている。
一方で、チームは深刻な負傷者に悩まされている。 その結果、ポル・プラナス率いる下部カテゴリーから、複数の選手が呼ばれる状況が続いている。 この試合でも、
- ギリェム・ビクトル
- アレックス・カンポス
- ペドロ・ビジャール
- シェーン・クライファート
- レオ・サカ
といった選手たちがピッチに立ち、ヌフ・フォファナ、ペドロ・ロドリゲスもベンチに名を連ねた。
ベレッティ監督は、ジュニアを起用した理由として「彼らはよく働き、野心を持っている。助けになっているし、できるだけ快適にプレーできるようにしている」といった趣旨の言葉を示している。 ここには、単に「足りないから使う」のとは違うニュアンスがにじんでいるように感じる。
もし自分が監督なら、どうだろう。 昇格争いのプレッシャーの中で、経験の少ないジュニアを、これだけの数ピッチに送り出せるだろうか。 あるいは、安全策として、多少コンディションに不安があっても年長の選手を優先してしまうだろうか。
| 選手 | 与えられた役割 | 評価されたポイント | 評価 |
|---|---|---|---|
| ペドロ・ビジャール | ピボーテとしてフル出場 | キャラクター・個性・クオリティ | ◎ 全面的な信頼 |
| アレックス・カンポス | センターバックとして先発 | 「良い流れにある」と経過を評価 | ○ 成長過程を承認 |
| ギリェム・ビクトル | サイドバックとして先発 | ジュニアとして戦力計算 | ○ 柔軟起用 |
| シェーン・クライファート | ウイングとして途中出場 | 多くの攻撃的アクションを生み出した | ◎ 攻撃性を評価 |
| レオ・サカ | 左SB(本職はCB)として途中出場 | 本職外でよくやった。これ以上は求めない | △ 現実的な期待値設定 |
| アルバロ・コルテス | センターバックとして先発 | Bチーム通算50試合の経験を活かす | ◎ 経験との組み合わせ |
「信じる」と「任せすぎる」の境界線
アレックス・カンポスは、アルバロ・コルテスとともにセンターバックとして先発し、コルテスはこの試合でBチーム通算50試合目を迎えた。 ベレッティは、カンポスについて「とても良い流れにある」と評価している。 隣には50試合の経験を持つセンターバックがいて、その隣に若いカンポス、右には同じくジュニアのギリェム・ビクトル。 ピッチ上には「経験」と「若さ」が混ざり合ったラインができていた。
監督にとって、ここにもひとつの選択がある。 経験値のある選手を真ん中に集め、若い選手をサイドに置くのか。 あるいは、あえてセンターラインにジュニアを置き、試合の「芯」に触れさせるのか。 この日のベレッティは、後者に近い形を選んだようにも見える。
日本の育成年代でも、似たような場面は少なくない。 大事な大会の決勝トーナメント、勝ち上がれば注目も集まる。 そのときに、
- 信頼できる3年生で固めるか
- 勢いのある1・2年生をあえて中心に据えるか
どちらを選ぶかは、指導者の価値観が強く表れる。 どちらが「正しい」わけではない。 ただ、そこに「なぜその配置にしたのか」という問いを、自分に向けて持てるかどうかが、チーム作りの中身を変えていくのだと思う。
ペドロ・ビジャールの90分に見える「任せる」という決断
- 「今の選手にとってのリアルな期待値」を明確にして言葉にする — レオ・サカに「本職外でよくやった。これ以上は求めない」と言えたように、本職外での起用時は「何を求め、何は求めない」を試合前に選手と共有することで心を折らずに動かせる
- ピボーテや中心ポジションにあえてジュニアを置く「成長の布石」を検討する — 大事な試合でも下級生に芯となるポジションを任せる選択は、その選手の1年後・2年後のためになる。「なぜその配置にしたのか」を自分に問いかけることでチーム作りの中身が変わる
- 攻撃的な役割でチャレンジを促し、ミスをポジティブに評価する文化をつくる — クライファートへの起用のように、若手が「守りに入る」ことを良しとしない采配上のメッセージが、チーム文化を形成していく
ピボーテ(ボランチ/アンカー)に託されたもの
この試合で、ピボーテとして90分を戦い抜いたのがペドロ・ビジャールだ。 ベレッティは、彼のプレーについて「キャラクター、個性、クオリティがある。だからこそ、フル出場を任せた」といった評価をしている。
ピボーテというポジションは、単にボール奪取やパス回しだけではなく、
- ビルドアップの起点として、どこでボールを受けるか
- 前の選手が捕まっているときに、後ろからどのタイミングで顔を出すか
- チームが押し込まれたとき、リスクをかけるのか、時間を作るのか
といった複数の判断を、90分間続けて求められるポジションだ。 単発の「ナイスプレー」だけでは評価しきれない役割で、そこにジュニアの選手を置き、フル出場させることは、監督にとっても小さくない賭けになる。
もし、自分がピボーテの選手だったとして。 監督から「今日は90分いくぞ」と言われたとき、どんな気持ちになるだろうか。 ワクワクもあれば、不安もある。 ミスを恐れて無難なプレーを続けるのか、それとも「自分の色」を出しにいくのか。 その迷いを抱えたまま、キックオフの笛を聞くことになるのかもしれない。
ベレッティの言葉からは、ビジャールに対する「プレーだけでなく、性格や姿勢も含めて信じている」という視線がうかがえる。 技術や戦術の評価の前に、「彼ならこの試合の重さに耐えられる」と感じたからこそ、90分を任せたのではないだろうか。
- 慣れないポジションで起用された時、自分が「元々持っている強み」を最大限に発揮することに集中する — サカがCBとして持つ守備力と競り合いの強さを発揮したように、「そのポジションの理想像」ではなく「自分の武器がどこで活きるか」を考えてプレーする
- 「ミスしたら怒られる」という恐れがプレーの選択肢を狭めていないかを振り返る — 安全なパスだけでボールを回すことは「賢い」ように見えるが、自分の可能性を自分で縛っている側面もある。監督が攻撃性を求めて送り出した意図を受け取ってプレーする
- 保護者として「我が子が試合に出られなかった」時、その背景にある指導者の考えを想像する — 勝ち点のプレッシャー、将来の育成、他選手との組み合わせ——試合の結果だけでなくその過程に目を向けることで、帰り道の声かけが変わる
日本で似た場面があったら、どうするか
日本の高校サッカーやユースの現場でも、重要な大会ほど、ピボーテには最上級生が置かれやすい。 理由はシンプルで、「安定感」と「経験」をそこに求めるからだ。 一方で、下級生にそのポジションを任せるときには、周囲から「なぜ彼なのか」と問いかけられることもある。
そのとき指導者は、
- 「技術的に優れているから」だけでなく
- 「チームの中心として、これから2年、3年をどう過ごしてほしいか」
という視点を持っているだろうか。 ある試合の采配が、その選手の1年後、2年後の姿にまでつながっているとしたら、何を優先して起用を選ぶのか。 ベレッティの決断は、そんな問いを日本の現場にも投げかけているように見える。
サイドの一枚として入ったシェーン・クライファートの「攻撃性」
求められたのは、守ることだけではなかった
シェーン・クライファートもまた、この試合で出場機会を得たジュニアのひとりだ。 監督は彼について、「ウイングとして出場し、多くの攻撃的なアクションを生み出した」と評価している。
昇格争いの渦中で、試合が硬直している時間帯。 監督は交代カードを切るとき、守備の安定を優先するか、攻撃に振り切るかを選ばなければならない。 若いウイングを送り出すということは、「リスク」を引き受ける選択でもある。
クライファートに求められたのは、サイドで無難にボールを回すことではない。 仕掛けること。 相手をはがし、ゴールに向かっていくこと。 ときにはボールロストのリスクを承知で、前に出る勇気を見せること。 その選択を、ベンチではなくピッチの上で、自分自身が繰り返し迫られる。
日本の選手の中には、「ミスしたら怒られるかもしれない」と感じた瞬間、プレーの選択肢がぐっと狭くなってしまうケースも多い。 安全なパスをつなぐことで、評価を下げないように振る舞う。 それはある意味で「賢い」選択にも見えるが、同時に、自分の可能性を自分で縛っている側面もある。
クライファートの起用には、そうした「守りに入る若手」を増やさないためのメッセージも含まれていたのかもしれない。 監督が攻撃的な役割を任せ、そのチャレンジをポジティブに捉える。 それは、数字には見えにくいが、チーム文化をつくるうえで大きな意味を持つ選択だ。
「できること」と「できないこと」の線引き
レオ・サカに求めなかったもの
左サイドから投入されたレオ・サカについて、ベレッティは「本職ではないポジションでよくやってくれた。これ以上を求めることはできない」といった趣旨の言葉を残している。
ここには、「できること」と「できないこと」の線をきちんと引いて選手を見ている姿勢が表れている。 センターバックで育ってきた選手が、急に左サイドバックとして投入される。 しかも、試合の流れとしては勝ち点3を取りにいきたい時間帯。 その中で、完璧な「サイドバックらしいプレー」を求めるのは、現実的ではない。
だからこそ監督は、
- 「左利きのSBとしてのクオリティ」ではなく
- 「センターバックとして持っている守備力や競り合いの強さ」
といった、彼が元々持っている部分に期待したのではないか。 そして、そのパフォーマンスを素直に評価し、「それ以上」は要求しなかった。
日本の育成年代では、選手を本職ではないポジションで起用したとき、つい「そのポジションに必要な理想像」と比較してしまいがちだ。 たとえば、センターバックがボランチを任されたとき、「もっと前を向いて運べ」と求め続ける。 その結果、選手が「自分はこのポジションでダメなんだ」と感じてしまうこともある。
レオ・サカに対するコメントは、「今の彼にとって何がリアルな期待値なのか」を見極めようとする視点を示しているように思える。 期待をかけながらも、すべてを一度に求めない。 そのバランス感覚は、選手の心を折らずに成長を促すうえで、見過ごせないポイントだ。
負傷者続出の中で、監督は何を優先しているのか

「勝つこと」と「育てること」のあいだにある揺れ
ここまで見てきたように、ベレッティは負傷者に苦しむ中で、多くのジュニア選手に出場機会を与え続けている。 そこには当然、「今の勝ち点をどう守るか」と「未来の選手をどう育てるか」という、二つの軸のあいだで揺れる感情があるはずだ。
昇格争いのプレッシャーが高まるほど、「今」を優先したくなるのは自然なことだ。 ベンチには、多少コンディションに不安のある経験者が座っているかもしれない。 そちらを選べば、短期的にはリスクが減るように見える。
それでも、ベレッティはジュニアの選手を起用し、そのパフォーマンスを前向きに評価し続けている。 「彼らはよくやっている」と繰り返し言葉にすることも、その選択の一部だ。
もし自分が監督だったら、どうだろう。 同じように、未来のための選択を今この瞬間に積み重ねる勇気を持てるだろうか。 あるいは、結果を守るために、若い選手への信頼を少しずつ先延ばしにしてしまうだろうか。
日本の現場に重ねてみると
日本のクラブや学校チームでも、「勝つこと」と「育てること」のあいだで揺れる場面は日常的にある。 たとえば、
- 3年生最後の大会で、成長著しい1年生をどこまで起用するか
- ケガ明けのエースに無理をさせてでもピッチに立たせるか
- 全国大会のかかった一戦で、セットプレーのキッカーを誰に任せるか
それぞれに、選手の気持ち、保護者の期待、クラブの方針、さまざまな要素が絡み合う。 外から見れば「もっと若い選手を使えばいい」「結果より育成を」と言えるかもしれない。 だが、現場で決断する側に立つと、その一歩は簡単ではない。
だからこそ、ベレッティのような選択を目にしたとき、「自分だったらどうするか」を少し立ち止まって考えてみることに意味がある。 答えはひとつではない。 ただ、その問いと向き合った経験そのものが、次に自分が決断を迫られたときの「軸」になっていく。
「答えを急がない」サッカーの見方
引き分けか、前進か
この試合は、ホームでのドローという結果に終わった。 昇格争いを考えれば、「痛い引き分け」と表現されてもおかしくないスコアだ。 だが、90分の中で多くのジュニアがプレーし、それぞれが新しい役割やプレッシャーに向き合った時間をどう評価するかは、見る側にも委ねられている。
結果だけを見れば、「2ポイントを落とした」と片付けることもできる。 一方で、
- ピボーテとして90分を戦い抜いたビジャール
- センターバックで存在感を示したカンポス
- 慣れない左サイドで任務を果たしたサカ
- 攻撃のスイッチを入れようとしたクライファート
彼らが得た経験値を、「後になって効いてくるもの」として捉えることもできる。
サッカーを見ていると、どうしても結論を急ぎたくなる。 「この采配は成功か、失敗か」「この選手は通用するのか、しないのか」。 だが、ときには「今はまだ途中経過かもしれない」と思いながら見てみると、試合の景色が少し変わってくる。
自分なら、どんな選択をするだろうか
もしあなたが選手なら、
- 慣れないポジションでプレーを求められたとき、何を大事にしてピッチに立つか
- 監督からの期待と、自分の不安をどう折り合いをつけるか
もしあなたが指導者なら、
- 「今の勝ち点」と「選手の未来」のあいだで悩んだとき、どこに軸を置くか
- ジュニアに何を求め、何はまだ求めないと決めるか
もしあなたが保護者なら、
- 我が子が試合に出られなかったとき、その背景にどんな考えがあるかを想像してみるか
- うまくいかなかった試合のあと、どんな言葉をかけるか
それぞれの立場から、「自分ならどう考えるだろう」と立ち止まってみることで、サッカーの見え方は少しずつ変わっていく。
アルコヤーノ戦の1−1というスコアは、変わらない事実だ。 けれど、その裏側にあった選手たちと監督の選択は、見る人の数だけ違う物語として受け取ることができる。
ひとつの試合を、「正解探し」ではなく、「問いをくれる出来事」として眺めてみる。 そんな見方が、サッカーを少しだけ長く、深く楽しませてくれるのかもしれない。
