ジョアン・ペドロは、ブラジル代表落選後も自分の内側にある動機で動き続けた
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名前を呼ばれなかった夏の先に
ある選手が、代表のメンバーリストに自分の名前を見つけられなかったとき、その静寂の中で何を考えるだろうか。
チェルシーのストライカー、ジョアン・ペドロは、今年の夏に行われたワールドカップのブラジル代表から外れた。
24歳。クラブ・ワールドカップの決勝でゴールを決め、プレミアリーグでも確かな実績を積み上げてきた選手が、その名を呼ばれなかった。
選んだのは、かつてのチームメイトでもあるカルロ・アンチェロッティ監督だった。
その決断の理由を、外から正確に知ることはできない。
だが、選ばれなかった側の選手がどう動くかは、見えてくる。
痛みは、いつかの燃料になるのか
チェルシーの指揮官シャビ・アロンソは、その件について問われたとき、少し間を置くように答えた。
「彼にはもともと十分な動機があった。外から与える必要はなかった」と語ったとされる。
続けて、「あの経験は彼にとって痛みだったと思う。でも今はもう過去のことだ」と述べた。
指導者が選手の「痛み」を語るとき、それは励ましでも分析でもなく、ひとつの観察に近い。
人は傷つくことで変わることもあるし、変わらないこともある。
アロンソが強調したのは、ジョアン・ペドロが代表落選という出来事に頼ることなく、すでに内側に火を持っていたという事実だった。
その言葉の裏には、外的な刺激によって選手を動かそうとしない、ある種の信頼の形が見える。
折れなかったのか、それとも折れ方を知っていたのか
シーズン開幕3試合で2ゴール2アシスト。プレミアリーグの月間最優秀選手に選ばれたのは、落選から数ヶ月後のことだった。
数字だけを見れば、「悔しさをエネルギーに変えた」という物語にまとめたくなる。
だが、そう単純に片づけていいのだろうか。
落選後に活躍した選手が、必ずしも「代表落選を糧にした」わけではない。
もしかすると、ジョアン・ペドロは落選という出来事を必要以上に引きずらなかったのかもしれない。
あるいは、「今できることをやるしかない」という、ごく静かな結論に辿り着いていたのかもしれない。
どちらが正しいかは、本人にしかわからない。
ベンゼマという名前が出たとき
アロンソはジョアン・ペドロを語る文脈で、カリム・ベンゼマの名を挙げた。
ボックス内でも外でも機能する。左足も使える。ヘディングも強い。そして知性がある、と。
アロンソ自身、レアル・マドリードで195試合にわたってベンゼマと並んだ。
その目で見て、似ていると感じた、ということだ。
ハーランドとの比較も問われ、「トップストライカーを数えれば、そこにジョアンは確かにいる」と答えた。
ハーランドは57試合で42ゴール。ジョアン・ペドロは同じ57試合で25ゴールと11アシスト。
数字の差より、スタイルの違いのほうが語るものは多い。
専門性と汎用性、どちらを磨くか
ハーランドは「ゴールを取ること」において突出している。
ジョアン・ペドロは、ミッドフィールダーとして、トップ下として、ウイングとしてもプレーしてきた経歴を持つ。
どちらが「より優れているか」という話ではない。
そもそも、サッカーにおいて「ひとつのことを極める」ことと、「多くのことができる」ことは、どちらが選手を長くキャリアにとどまらせるのか。
ベンゼマが37歳まで世界トップレベルで活躍し続けたことと、そのプレースタイルの「汎用性」には、関係があったのではないかと思う。
ジョアン・ペドロが24歳でまだ「成長の途中」とアロンソに言わせる部分があるとすれば、それは伸び代でもあり、これから自分でどんな選手になるかを選べる余地でもある。
2034年まで、という契約が意味すること
先月、ジョアン・ペドロはチェルシーと2034年まで契約を延長した。
9番のシャツを受け取り、クラブとしてはディエゴ・コスタ以来となる「1シーズン20ゴール以上」を記録したストライカーとして迎えられている。
長期契約は、クラブが選手に対して示す未来の意思表示だ。
と同時に、選手にとっても「ここにいることを選んだ」という表明になる。
24歳が10年先まで同じクラブにいると想像することは、今の時代においてそれほど簡単なことではない。
それでも彼はサインした。
その選択の背景に何があったのかは、本人だけが知っている。
ブラジルへの帰還
ワールドカップから外れたジョアン・ペドロは、その後、9月のブラジル代表に再び招集された。
コーチが変わったわけでも、システムが変わったわけでもなく、ただ彼がプレーし続けた結果として、名前は戻ってきた。
「戻ってきた」と言うより、「呼ばれるべき理由を積み上げた」と言うほうが正確かもしれない。
それは派手な話ではない。
ただ、やるべきことをやり続けた、ということだ。
選手としての地図は、自分で描いていくしかない
ジョアン・ペドロの話は、特別な天才の物語ではないように思える。
落選があり、クラブでの努力があり、再び声がかかった。
ただその過程で、彼は誰かに動かされたのではなく、自分の中にあった「目指したい景色」に向かって動いていた、とアロンソは静かに語っている。
「人格と成熟と意欲」という三つの言葉で彼を形容したアロンソの言葉は、ゴール数よりも重いように聞こえる。
サッカーがうまくなることと、サッカー選手として成熟することは、必ずしも同じ速度で進まない。
ゴールを取る能力と、自分で自分を管理する能力と、環境が変わっても揺れない軸を持つこと。
そのどれひとつも、一度で手に入るものではない。
あなたが今、積み上げているものは、何のためのものだろうか。
それは、いつか自分の名前を呼んでもらうためか。
それとも、名前を呼ばれなかった夜でも、翌朝グラウンドに向かえるためか。
「痛みが燃料になった」という語り方の手前
選手が逆境の後に活躍すると、あの経験が糧になったと語られることがよくあります。言葉として美しく、共感もされやすいものです。でも、それがいつも正確な説明かというと、疑問が残ります。
アロンソがジョアン・ペドロについて語ったのは、代表落選をバネにしたという話ではありませんでした。彼にはもともと動機があった、外から刺激を足す必要はなかった、という観察でした。その違いは、思った以上に大きい気がします。外側の出来事が人を動かすのではなく、すでにある何かが出来事に関わらず動き続けるというのは、育成の場でもよく見かける現象です。
痛みがなければ成長しないという考え方は、逆に言えば痛みを与えれば成長するという錯覚につながりやすいものです。でも、動機がもともとある選手に、外側から刺激を加える必要があるかというと、そうではないことが多いです。ジョアン・ペドロのケースが語るのは、外側の出来事よりも先に、内側で何かが動いていたという事実かもしれません。
落選の経験は、本当に何も残さなかったのか
アロンソは「もう過去のことだ」と言いましたが、それはジョアン・ペドロが代表落選を完全に消化できたという意味とは限りません。選手本人が「あの経験があったから」と語らなくても、何らかの影響がなかったとは言い切れません。
内側の動機と外側の出来事は、実際には分けて測ることが難しいものです。「もともと動機があった」という観察と、「落選が何も残さなかった」という事実は、別の話です。影響の有無より、その影響をどう扱ったかのほうに意味があると考えると、24歳の選手が静かに整理して前に進んだこと自体が、ひとつの能力と言えるのかもしれません。
プロの世界に進めなかった22歳の秋を、いまも時々思い出します。そこで何かを燃やして取り戻そうとしたかというと、正直そうではなかった気がします。ただ、サッカーを続けている人たちを見る目は、そのとき確かに変わりました。選手の内側で何が動いているかを外から見ようとするようになった、ひとつの出発点だったかもしれません。
アロンソが「彼にはもともと動機があった」と言ったとき、それは分析ではなく観察だと感じました。内側の火は、外から灯せるものではありません。あなたのサッカーへの動機は、どこから来ていますか。
