握手もペナントもなかった試合で、アイルランド代表の選手たちが黒い腕章をつけてピッチに立った理由
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握手のない試合が始まるまで
選手たちがピッチに姿を現したとき、スタジアムの空気は奇妙に張り詰めていた。
ハンガリーのナジェルデイ・スタジアム。 アイルランド共和国代表とイスラエル代表によるUEFAネーションズリーグの一戦は、試合が始まる前からすでに、普通のサッカーとは異なる重力の中に置かれていた。
両チームの選手たちは国歌斉唱の場に立ち、アイルランドの選手たちはイスラエルの国歌が流れる間、頭を垂れた。 しかし試合前の握手はなかった。 ペナントの交換もなかった。 両チームのキャプテン、ダラ・オシェアとマノル・ソロモンは、互いに手を差し伸べることなくその場を離れた。
その沈黙は、何かを物語っていた。
土曜日の長い会議室
試合前日の土曜日、アイルランド代表の選手たちはデブレツェンのホテルで長時間にわたる話し合いの場を持った。
議題は、翌日の試合に参加するかどうか、だった。
ガザでの戦闘が続く中、アイルランド国内では「Stop The Game」という活動が広がり、160人を超えるアスリートが試合への不参加を求める公開書簡に署名した。 選手たちへの圧力は、試合の数週間前から積み重なっていた。
その問いを前に、選手たちは自分たちで答えを出そうとした。
会議の結果、大多数の選手が試合に臨むことを選んだ。 一方でゴールキーパーのギャヴィン・バズーニュは別の選択をした。 「参加することは正しくない」と感じた、と彼は語った。 翌日の試合だけでなく、10月のセルビアでの再戦も辞退することを、みずから申し出た。
同じ情報を持ち、同じ状況に置かれながら、選手たちは異なる結論にたどり着いた。 どちらが正しかったのか、という話ではない。 そこにあったのは、それぞれが自分の内側に向き合い、自分の言葉で答えを見つけようとした時間だったのだと思う。
コーチが「まだわからない」と言えること
アイルランド代表のヘイミル・ハルグリムソン監督は、試合前のインタビューで静かにこう語っていた。
この一週間は、監督人生で最も厳しいものだった。 正しい判断をできるだけ多くしたいと思っているが、すべてを正しくすることはできない。
「すべては正しくできない」という言葉は、指揮官の口から出るには珍しい。 勝利のために明確なビジョンを示し、迷いを見せないことを期待されるポジションにいる人間が、自分の限界と向き合う言葉を選んだ。
しかも彼は、チームの中に「複雑な感情を抱えている選手が多い」と認め、「守ってやらなければならない若い選手がたくさんいる」と述べた。 その日の試合の準備状況については「これ以上ないくらいに悪い」とまで言った。
それでも彼らは、ピッチに立った。
サッカーの現場では、答えが出ないまま試合が始まることがある。 すべてが整ってから立つのではなく、整っていない自分ごとピッチに持ち込むことを、選手も指揮官も求められるときがある。
黒い腕章と、その意味の重さ
選手たちは試合中、黒い腕章を着用した。 アイルランドサッカー協会(FAI)の最高経営責任者デヴィッド・クーレルは前日、それが「ガザ紛争で失われたすべての命への思い」を示すジェスチャーだと説明した。
3点目を決めたジャック・モイランは、ゴールを祝う際に腕章を外し、それに口づけしてから、チームのエンブレムにも口づけした。
得点シーンのパフォーマンスは、サッカーにおいて最も個人的な表現の瞬間だ。 その瞬間に彼が選んだ行動は、脚本のないものだった。 整理しきれない感情が、体の動きになって出てきた、そういう場面だったのだと思う。
試合結果はアイルランド共和国の3-0での勝利だった。 ただ、この試合をスコアだけで語ることは、何かを取りこぼす気がしてならない。
「正しい場」で行われていない試合
この試合は、ハンガリーのスタジアムで行われた。 本来ならアイルランド側のホームゲームとなるはずだった一戦は、ダブリンのアヴィヴァ・スタジアムではなく、セルビアのバチュカ・トポラで行われることがFAIによって確認されていた。 スタジアムには無観客。アイルランドのサポーターへの一般販売はなし。 イスラエルのファンもわずかしかいなかった。
スタジアムを「ホーム」と「アウェイ」で分け、サポーターが声援を送る中で行われる試合が、現代サッカーの原型とすれば、この試合はその形を大きく外れたところで行われた。
それでも蹴られたボールは転がり、ゴールは決まり、試合は終わった。
サッカーという競技が、政治や社会の文脈の中に引き込まれたとき、それでも試合を続けることの意味と、続けないことの意味が、どちらも問い直される。 正解のない地点で、それぞれの人間が判断を迫られた一日だった。
次の試合は10月4日にある
10月4日、セルビアのバチュカ・トポラで、両チームの再戦が行われる。
バズーニュはその試合にも参加しない。 残りの選手たちは、ふたたびピッチに立つ。
ハルグリムソン監督は次の試合でも、整いきらない状況の中でチームを率いるだろう。 腕章をつけた選手たちは、またあの場所に向かう。
その日もきっと、試合前に握手はないままだろう。
試合前の握手と旗の交換が持つ意味
サッカーの試合前には、いくつかの儀礼が定着しています。キャプテン同士の握手と、チームの旗(ペナント)の交換もそのひとつです。ペナントはもともと対戦への礼儀として始まったものであり、多くの試合で当たり前のように行われています。
この儀礼をしないという選択は、ルール違反ではありません。選手やチームが意図的に省略することで、「この試合は通常の対戦とは異なる文脈にある」というメッセージを発する手段になります。
今回、握手もペナントもなかったという事実は、勝敗や得点とは別の層で、試合が置かれていた重さを示しています。サッカーの儀礼は、その日のピッチが何を背負っているかを映す、静かなバロメーターでもあります。
この試合の周辺で問われること
特定の選手を長年追い続けるうちに、試合前の空気を読むようになっていきました。選手がピッチに出る足どりや視線の向け先が、その日の試合が何を含んでいるかを、言葉より先に伝えることがあります。黒い腕章をつけたまま国歌斉唱に立った選手たちの姿も、そういう意味で何かを静かに示していました。
スポーツと政治は切り離せない、とよく言われます。観戦者として思うのは、切り離せないのではなく、もともと一続きのものを別々に見ようとしてきただけかもしれない、ということです。あなたは政治の重さを感じながら観に行った試合を、これまで経験したことがありますか。
