練習する場所がなくなったとき、サッカーは何を映し出すのか
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「練習する場所がない」という問題から見える、サッカーのもうひとつの顔

ある日、いつも通りにグラウンドへ向かった選手たちが、ロッカールームでこう告げられたと想像してみてほしい。
「今日から、ここは使えません」
イタリア南部、バジリカータ州の州都ポテンツァ。 若い選手たちが日々ボールを追いかけてきた人工芝のピッチ「ウンベルト・ディ・パスカ(通称フェデラーレ)」が、ある出来事をきっかけに使えなくなった。
理由は、サッカーとは直接関係のないヘリコプターの着陸によるピッチの損傷。 プロの試合でも、育成年代のリーグ戦でも、多くのチームが使ってきたこの場所が、突然 “閉じられた” のだ。
ニュースとしては「施設トラブル」の一行で片づけられてしまうかもしれない。 けれど、その裏側には、選手・指導者・クラブが迫られる「選択」と「考え直し」の積み重ねがある。
グラウンド不足という現実の中で、何を優先するか
ポテンツァに起きていること
ポテンツァの状況を少し整理してみる。
・フェデラーレは損傷して使えない。いつ戻ってくるかもはっきりしない。
・「プリンチペ・ディ・ピエモンテ」という民間のグラウンドは、すでにアッソ・ポテンツァやPGSドン・ボスコといったクラブでほとんどの時間帯が埋まっている。
・街のメインスタジアム「ヴィヴィアーニ」はトップチームのポテンツァ・カルチョが使用。育成年代のU17以下は、20km離れたヴァリオのグラウンドまで移動して練習している。
・大司教区の「セミナリオ・マッジョーレ」にあるプライベートピッチは、育成クラブ・リュコスが主に利用。ただし、公式戦はサイズの問題で、トルヴェのサン・ファウスティーノで行わなければならない。
・エナオリやラヴァンゴーネといった名前のグラウンドは、すでに長年使われておらず「幽霊施設」のような存在。
・マッキア・ジョーコリは、かつてサッカー場だったが、今後は市営プールに転換される予定だという。
その一方で、州内の別のエリアには、立派な施設がありながら、チームの数が少なく、ほとんど使われていないピッチもあると報じられている。
使いたいチームが多すぎてグラウンドが足りない街と、 施設はあるのに使われていない街。
「誰にどれだけのピッチを用意するか」という、すごく現実的で、けれど簡単には答えが出ない問題が、そこにはある。
| 施設名 | 現状 | 利用状況 | 評価 |
|---|---|---|---|
| フェデラーレ(人工芝) | ヘリコプター着陸で損傷・使用不可 | 多数クラブが利用していた主要施設 | △ |
| プリンチペ・ディ・ピエモンテ(民間) | 稼働中 | アッソ・ポテンツァ等でほぼ時間帯が埋まる | ○ |
| ヴィヴィアーニ(メインスタジアム) | 稼働中 | トップチーム専用・育成U17以下は20km先へ移動 | △ |
| セミナリオ・マッジョーレ | 稼働中 | 育成クラブ・リュコスが主に利用 | ○ |
| エナオリ/ラヴァンゴーネ等 | 長年未使用・幽霊施設化 | 使いたいクラブがあっても使えない状況 | ◎ |
クラブはどんな選択を迫られるのか
フェデラーレが使えなくなったことで、サンタマリア、チッタデッラ、セブンティーンなど、多くのクラブが、ポテンツァ近郊を「渡り歩きながら」グラウンドを探していると伝えられている。
クラブ側にとっては、毎日のように問いが突きつけられているはずだ。
- 限られた時間枠の中で、どのカテゴリーをどの時間に練習させるか
- 遠くのグラウンドまで行くのか、それとも時間を短くするのか
- 公式戦のために「サイズが足りない」グラウンドをあきらめ、遠くの公式ピッチで試合をするのか
- 小さな子どもたちに長距離移動をさせるリスクと、ボールに触る時間をどう両立させるか
グラウンドという「物理的な条件」が、育成の考え方や優先順位を、強制的に問い直してくる。
そこに「正解」はない。 ただ、どのクラブも、どの指導者も、現実の中で「選び続ける」ことだけは避けられない。
選手は「環境のせい」にできるのか
- 練習場所が変わるたびに「今日の優先事項」を宣言する — ピッチサイズや移動疲労に応じてメニューを変更し、その理由を選手に説明する習慣をつける
- 「なぜこの選択をしたか」を自分で言語化できる状態を保つ — 半面しか使えない日でも「今日はこれを磨く」という意図を持って指導する
- 制約を学びの素材として活用する — 毎回違うグラウンドでのプレーを通じて、ピッチサイズやボールの転がり方の差に敏感な選手を育てる
練習場所が変わるとき、選手は何を考えるか
もし自分がポテンツァのU15の選手だったら、と想像してみる。
昨日まで歩いて通えたグラウンドが使えず、今日からは車で30分の場所。 トレーニング時間は短くなり、帰宅時間は遅くなる。
そんなとき、心の中ではさまざまな声が聞こえてくるかもしれない。
- 「こんな環境じゃ、強くなれない」
- 「もっと設備が整った街でやりたい」
- 「移動がきついから、練習を休みたい」
同時に、別の声も聞こえるかもしれない。
- 「この状況の中で、自分にできることは何だろう」
- 「移動時間も含めて、どうコンディションを整えればいいか」
- 「短い練習時間の中で、何を一番大事にするか」
どちらの声も「本音」だと思う。 大切なのは、そのどちらかを否定することではなく、その間で揺れながらも、最終的に自分で「どう向き合うか」を選んでいくことだろう。
- 移動時間をコンディション管理の練習に使う — 30分の車移動中に体のケアや試合のイメージトレーニングをする習慣は、育成年代から使える実用スキルになる
- 「こんな環境じゃダメだ」の前に「何ができるか」を一度考える — 制約の中で育つ適応力・柔軟性・メンタリティは、整った環境では鍛えにくい側面もある
- クラブの送迎・運営への参加を通じてサッカーへの関与を深める — 保護者が環境整備に加わることで、子どものサッカーへの向き合い方にも変化が生まれることがある
日本の選手・保護者・指導者にとっての「他人事ではない話」
日本でも、似たような状況は少なくない。
・土のグラウンドしかない
・ナイター設備がなく、冬はすぐ暗くなる
・人工芝はあるが、少年団・部活・クラブチームで取り合い
・学校の部活とクラブの練習時間がぶつかる
・移動に1時間以上かけて遠征や練習に通う
イタリア・ポテンツァの話を聞きながら、「うちの街もそうだ」と感じる人は多いのではないだろうか。
日本でよく語られる「欧州は環境がいい」というイメージと、今回のような現実とのギャップも、どこかで感じるかもしれない。
環境は、もちろん大事だ。 安全で、質の高いピッチがあれば、ケガのリスクも減るし、プレーの精度にもつながる。 ただ一方で、「環境が整っていないから、何もできない」と考え始めたとき、サッカーは少し窮屈になる。
サッカーを続けていく上で、 「環境の制約を、どう受け止め、どう工夫するか」 という視点は、日本でも避けて通れないテーマなのかもしれない。
指導者が背負う「見えない決断」
どのチームをどこへ連れていくか
フェデラーレを失ったポテンツァのクラブは、今、毎週のように「決断」を求められているだろう。
・どの学年を、どのグラウンドに割り当てるか
・グラウンドまでの移動手段をどうするか
・練習時間を減らすのか、曜日を増やすのか
・保護者の負担をどこまでお願いするのか
指導者にとっては、純粋にサッカーの内容だけを考えたい気持ちもあるはずだ。 しかし現実には、スケジュール調整、施設管理者との交渉、保護者への説明など、「ピッチの外」の仕事が増えていく。
結果として、 「今日はこのメニューをやりたいが、ピッチサイズ的に難しい」 「移動で子どもたちが疲れているから、強度を落とすべきか」 といった、現場での細かな判断にも影響してくる。
そのたびに、指導者は問いを突きつけられる。
- いま優先すべきは、技術トレーニングか、コンディション管理か
- 勝つことか、経験を積むことか
- この試合に向けた準備か、長期的な育成か
グラウンド不足という一見「事務的な問題」の裏側には、こうした無数の判断が積み重なっている。
日本で同じ状況に直面したらどうするか
日本の指導者も、似た場面を経験していることが多いだろう。
例えば、
- 他の部活との共有で、半面しか使えない
- 雨のあと、グラウンドコンディションが悪く、メニューを変更せざるを得ない
- 遠征続きで、選手の疲労が見える
そんなときに、 「本当はこうしたい」という理想と、 「現実としてできること」の間で、どう折り合いをつけるか。
そこには、指導者の価値観がにじむ。
・それでもボールを使う
・あえてフィジカルに振り切る
・ミーティングに切り替える
・ゲーム形式だけにする
選択肢はいくつもある。 大事なのは、「なぜその選択をしたのか」を、自分なりに説明できることかもしれない。
「恵まれていない環境」は、本当にマイナスだけなのか

制約があるからこそ、生まれるもの
ポテンツァのような状況を「悲劇」とだけ捉えることは簡単だ。 しかし、少し視点を変えてみると、別の側面も見えてくる。
・毎回違うグラウンドでプレーすることで、ピッチのサイズやボールの転がり方の違いに敏感になる
・限られた時間内で、自分が何を意識すべきかを考える習慣がつく
・移動時間を含めて、自分のコンディションを管理する力が求められる
・急な変更やハプニングに、柔軟に対応するメンタリティが鍛えられる
もちろん、だからといって「環境が悪い方がいい」と言うつもりはない。 ケガのリスクや、サッカーをやめてしまう子どもたちが増えるなら、それは大きな問題だ。
ただ、「制約があること=すべて悪い」と決めつけてしまう前に、 その中で育つ力も確かに存在する、という視点を持ってみる価値はある。
自分なら、この状況をどう受け止めるか
もし自分が選手なら。
・不満を口にしながらも、結局は何となく流されて練習に行くのか
・「この条件でうまくなるには?」と一度立ち止まって考えてみるのか
もし自分が保護者なら。
・「こんな環境じゃダメだ」と言ってクラブを変えるのか
・クラブと一緒に、送迎や運営をどう支えるかを話し合うのか
もし自分が指導者なら。
・「環境が悪いから仕方ない」と諦めてしまうのか
・限られた条件の中で、何を一番大事にするかを、選手たちと共有するのか
どの選択にも、それぞれの理由があるはずだ。 簡単に「正しい・間違っている」とは言えない。
問いを抱えたまま、ピッチに立つということ
「なぜここでサッカーをするのか」を、もう一度考えてみる
ポテンツァのフェデラーレは、いつかまた修復され、選手たちを迎え入れる日が来るだろう。 そのとき、クラブや指導者、選手たちは、今までと同じようにピッチに立つのだろうか。
・施設が戻ってきたから元通り、でいいのか
・グラウンドを失った期間に気づいたことを、どう活かすのか
・「当たり前に使える」という状態のありがたさを、どう次の世代へ伝えていくのか
こうした問いは、イタリアだけのものではない。 日本のどの街の、どのチームにも、いつかふいに訪れるかもしれない。
答えを急がずに、問いを手放さないために
グラウンド不足、設備の老朽化、移動の負担。 サッカーを取り巻く現実的な問題は、決して軽くはない。
それでも、「だから無理だ」と言ってしまう前に、 もう少しだけ粘って、 「この状況で、自分たちは何を選べるだろう」 と考え続けることはできる。
答えはすぐには出ないかもしれない。 出たとしても、完璧だとは限らない。
それでも、選手も保護者も指導者も、 それぞれの立場で「どう向き合うか」を考え続けることができたとき、 サッカーは、ただの勝ち負け以上の意味を持ち始めるのではないだろうか。
今日、あなたがボールを蹴るその場所は、 どんな選択の積み重ねで、そこにあるのだろう。 そして、あなたはその中で、何を選び、何を大事にしようとするのだろう。
その問いを抱えたままピッチに立つこと自体が、 サッカーを続けるうえでの、ひとつの大切な力なのかもしれない。