笛が鳴らない夜に選手は何と戦っていたのか――判定に揺れるミラン対パルマから考える「自分の基準」
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笛が鳴らなかった夜に、ピッチの中で何が揺れていたのか

サン・シーロの空気が、一瞬止まったように見えました。
パルマ戦前半、サイドからのクロスに、ルベン・ロフタス=チークがエリア内へ強く走り込む。
そこへ飛び出してきたのは、パルマのGKコルヴィ。
ボールに向かって出たはずのパンチングは、結果としてロフタス=チークの体だけを強く捉え、ボールは別の選手のヘディングでクリアされていきました。
ピッチに倒れ込むロフタス=チーク。
スタンドからは「PKだ」というジェスチャーと叫び声。
しかし主審ピッチニーニの笛は鳴らず、VARも介入しない。
イングランド代表としてもプレーするミランのミッドフィルダーは、このあと交代を余儀なくされ、その夜のうちに手術を受けることになります。
それでもスコアは動かない。
ミラン側から見れば、「なぜ笛は鳴らなかったのか」というモヤモヤだけが、ピッチに残されました。
「なぜ笛が鳴らないのか」を、ピッチの中でどう受け止めるか
選手の頭の中に起きている、もうひとつの試合
45分という時間の中で、選手たちは常に状況を「解釈」しています。
・この主審は接触を流すのか
・今日の基準では、どこからがファウルなのか
・相手はどこまで激しく来ても許されていると感じているのか
このロフタス=チークの場面で、主審は「両者がボールに向かっていった、プレーの一部」と解釈したと伝えられています。
一方でミラン側は「ボールには触れておらず、相手にだけ大きなダメージを与えた」という見方をしている。
同じプレーを見ていても、立場によって「何を重く見るか」が違っています。
プレーしている側からすると、「自分の感覚」と「審判の解釈」がズレた瞬間に、心の中で小さな揺れが起きます。
・ここからは、どこまで行っていいのか
・次の接触プレー、ボールに行くのか、リスクを減らして引くのか
・不公平だと感じたまま戦い続けるのか、それとも基準に自分を合わせにいくのか
この「どう受け止めるか」を決めるのが、選手それぞれの思考です。
もし、あなたが同じチームの選手だとしたらどうでしょうか。
仲間が激しく倒され、PKも出ないまま、しかも負傷で交代していく。
そこで、次のプレーに向かうときに、頭の中でどんな言葉が浮かぶか。
怒りかもしれないし、諦めかもしれないし、「じゃあもっと点を取りに行こう」という開き直りかもしれない。
その選択は、外からは見えません。
けれど、チームの次の5分、10分のプレーの質を決めているのは、得てしてこの「内側の言葉」です。
VARが呼んだ「やり直しの判断」と、流されていく感情
| 反応パターン | 直後のプレーへの影響 | チームへの波及 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 怒りをそのままプレーに出す | 接触判断が荒れ、ファウルリスクが上がる | 感情が伝染しチーム全体が乱れやすい | △ 短期的にはエネルギーになるが制御が難しい |
| 「不公平だ」と引きずって守りに入る | 消極的なプレー選択が増え攻撃が停滞する | チームのムードが落ち込み追加失点のリスク増 | △ 判定に試合の主導権を渡してしまう |
| 判定を受け入れて次の選択に切り替える | 冷静な判断が続き自分のプレースタイルを維持 | チームが落ち着きを保ちやすい | ◎ 最も安定したパフォーマンスに繋がる |
| 主審の基準を試合中に読み取り対応する | 接触プレーのリスク管理と積極性のバランスが取れる | 早い段階でゲームプランを修正できる | ◎ 経験を積むほど精度が上がる技術 |
| VARや判定より自分たちのプレーに集中する | 外的要因への依存が減り内発的な集中が続く | 選手同士の信頼関係が強まる | ○ 長期的なチーム文化として定着させたい |
「明らかな誤り」って、どこからなのか
この試合では、終盤にも大きなジャッジがありました。
パルマが決めたゴールの場面。
ミラン側の感覚では、ゴールキーパーのマニャンが、パルマDFバレンティのブロックで動きを妨げられていたと見ていました。
主審も最初はファウルを取ったとされています。
ところが、VARのチェックが入り、オンフィールドレビューが行われた結果、判定は覆されてゴールが認められます。
ミラン側は、「これは明らかな誤審ではなく、解釈の問題であり、VARが介入すべきではない局面だった」と感じているようです。
直前の別の試合では、ロフタス=チーク自身が絡んだ接触でミランのゴールが取り消され、その後に審判団側から「取り消しは誤りだった」と評価されたケースもありました。
微妙な接触。
競り合いでの手の使い方。
その一つひとつが、「ある日」はファウル、「別の日」はプレー続行として扱われる。
そして選手たちは、その中で戦い続けています。
ここでもまた問いが生まれます。
・「明らかな誤り」とは、どこからなのか
・基準が揺れる中で、どうプレーを設計していくのか
VARが導入されてから、「正しさ」に近づいたはずのジャッジが、逆に選手たちの「感覚」とのズレを意識させる場面も増えました。
「なぜ今日は吹かないのか」
「どうしてこの場面だけ戻すのか」
ピッチの上には、スコアだけでは見えない、判断への戸惑いと疲労が積み重なっていきます。
「5ポイント失った」という感覚と、選手が向き合う現実
- 判定直後に声をかけるタイミングを決めておく — 笛が鳴らなかった場面の後30秒を「切替のウィンドウ」として設定し、指導者から「次のセットピースで取り返そう」など前向きな行動指示を出すことで、選手の感情を戦術思考へ引き戻す習慣をつける。
- 試合後に「判定より自分たちの判断」を振り返るフレームを使う — 「あの判定が違えば勝てた」で終わらせず、「その局面で自分たちに別の選択肢はあったか」という問いを追加する。主審の基準を掴んだ瞬間に何ができたかを選手に言語化させると判断力が上がる。
- 「リスクのあるプレーを続ける覚悟」を事前に共有する — ロフタス=チークのようにエリアに飛び込むプレーは負傷リスクも伴う。「ケガをしてでも」という選択をチームが要求するのか、リスク管理を優先するのかを公式戦前に明確にしておくと、選手は自信を持って判断できる。
タイトルレースが「変わってしまった」と感じるとき
ミランのクラブとしての感覚は、かなりはっきりしています。
ここ数試合での判定が、勝ち点の行方を左右した。
パルマ戦のPKと終盤のゴールの判定。
その直前のサッスオーロ戦で取り消された3点目。
「判定が別の方向に転んでいれば、今より5ポイント多く持っていた可能性が高い」
そう受け止めていると報じられています。
首位インテルとの差が10ポイント離れた現状と、もし5ポイント縮まっていたかもしれない世界。
「優勝争い」という言葉が現実的に見えていたか、遠く霞んで見えていたか。
その差は、ピッチに立つ選手にとっては、数字以上の意味を持ちます。
・まだ本気でタイトルを狙えるのか
・現実的な目標をチャンピオンズリーグ出場圏と切り替えるべきなのか
報道では、ミランは今もチャンピオンズリーグ出場権を狙える位置にいると伝えられています。
しかし、「あと少しで届きそうだったもの」が遠ざかった感覚は、簡単には消えません。
だからこそ選手たちは、どこかで自分に問い直す必要が出てきます。
「じゃあ、自分は何を基準にプレーを続けるのか」
日本のピッチで起きている、似ているようで少し違う揺れ
- 判定に全部の理由を預けない — 「あの判定がなければ」と感じた試合ほど、「判定に左右されにくいプレーはなかったか」を一緒に探す時間を持つ。それが次の試合で本当に使える判断力になる。
- エリアに飛び込む「リスクを引き受ける」感覚を育てる — 得点機会を増やすにはエリアへの飛び込みが必要で、その分接触のリスクもある。どちらを選ぶかを選手自身が意識し、選んだ理由を言葉にする練習が「自分の基準」を作る。
- 試合後に「次は何を選ぶ?」と聞いてみる — 判定への感情的な反応を責めず、「あの場面でもう一度プレーするならどうする?」と問いかけるだけでいい。答えを急がず、選手が自分のサッカー観を形成する時間を保護者が守ることが大切。
「審判のせい」にも「自分のせい」にも、しないという選択
日本のサッカーでも、判定を巡る議論は少なくありません。
Jリーグでも、VARによる判定変更が大きな話題になる試合は増えました。
育成年代の試合であっても、「今のはファウルだ」「ハンドだ」「オフサイドではない」と、スタンドから声が飛ぶ光景は、どの地域にもあるはずです。
ただ、トップレベルの試合と違うのは、プレーしているのが多くは成長途中の選手たちだという点です。
そして、その周りには保護者や指導者がいます。
判定に納得がいかないとき、その後の言葉選びは、選手の「物の見方」をつくっていきます。
- 「あれは審判が悪い、運がなかった」で終わらせるのか
- 「判定は変えられない。じゃあ自分たちはどこで点を取りにいくべきだったか」と振り返るのか
- 「自分たちのほうが荒くやっていたところはなかったか」と、自分にも矢印を向けてみるのか
どれか一つが正解という話ではありません。
ただ、どの視点を選ぶかで、次の日のトレーニングでどこに意識が向かうかは変わってくるはずです。
ミランが感じている「5ポイント失ったかもしれない」という感覚を、日本のチームに置き換えるなら、こうかもしれません。
「今日の判定が違っていたら、ベスト4に行けていたはず」
「この一試合がなければ、残留できていたかもしれない」
その悔しさは、本物です。
一方で、その悔しさに全部の理由を預けてしまうと、「自分が選び直せること」は見えにくくなります。
・判定に左右されにくい戦い方はなかったか
・リスクの高いプレーと、リスクの低いプレーの配分は適切だったか
・審判の基準を早く掴むために、何ができたか
こうした視点は、「審判は完璧ではない」と理解したうえで、「じゃあ自分たちはどうするか」を考えるときに生まれてきます。
ロフタス=チークの負傷から見える、「選手の選択」の重さ

体を投げ出すことと、リスクを引き受けること
今回のプレーで、ロフタス=チークは大きなダメージを受け、手術に踏み切りました。
ボックスに入っていくとき、彼は何を選んでいたのでしょうか。
クロスが上がる瞬間、ミッドフィルダーがエリアに飛び込むのは、ゴールを生み出すうえでとても重要な動きです。
その一歩を踏み出すか、ラインの外で構えるか。
どちらを選ぶかで、リスクとリターンは大きく変わります。
・飛び込めば、点を取るチャンスは増える
・同時に、GKやDFとの激しい接触の中に身を置くことになる
ロフタス=チークは、そのリスクを引き受ける選択をして、ゴール前に入っていきました。
結果として負傷し、PKも与えられなかった。
それでも、次にピッチに戻ってきたとき、彼はまた同じようにエリアに入っていくはずです。
それしか、彼のプレースタイルも、チームの攻撃の形も成り立たないからです。
これは、どのレベルの選手にも通じる部分があります。
・怖さが残った中で、またボールに向かっていけるか
・一度の判定で、自分のスタイルを変えるのか、変えないのか
その選択は、外から「正しい・間違い」とは言えません。
ただ、自分の中で一度立ち止まり、「それでもどうしたいのか」を考える時間は、きっと必要です。
「なぜ」と「どうして」を、すぐに埋めないということ
判定に揺れた試合を、自分の材料にするために
パルマ戦後、ミランのクラブとしては、最近続いている判定への不満や、タイトルレースへの影響を強く意識しています。
その一方で、ピッチに立っていた選手たちは、それぞれに別の問いも抱えているかもしれません。
- 審判が吹かなかった状況で、自分はどう振る舞いたかったか
- どんな判定でも、ゲームの中で冷静さを保つにはどうすればいいか
- リスクのあるプレーを続ける覚悟を、自分は本当に持てているのか
日本でサッカーをしている選手や、それを支える大人たちにとっても、この試合はどこか他人事ではありません。
もちろん、イタリアのセリエAと日本の育成年代やJリーグでは、取り巻く環境も、プレッシャーの大きさも違います。
それでも、「判定に左右された」と感じる試合は、どこにでもあります。
そのとき、すぐに結論を出してしまわずに、「なぜ」「どうして」を自分の中で少し寝かせておく。
・主審には、どう見えていたのか
・相手からは、この接触はどう感じられていたのか
・自分が逆の立場のキーパーやDFだったら、どう主張するだろうか
そうやって、もう一度ピッチの上を別の角度から眺め直してみると、自分のプレーや振る舞い方について、別の選択肢が浮かんでくることがあります。
終わらない試合を、自分の中で続けていく
笛は一度しか鳴りません。
判定は、その瞬間に確定してしまいます。
けれど、選手や指導者、そして見ている私たちの中では、その試合は何度もやり直すことができます。
「あそこでPKが出ていたら」「あのブロックがファウルになっていたら」という「もしも」に、答えは出ません。
ただ、「もし自分がそこにいたら、次はどう選ぶだろう」という問いなら、何度でも立ち上げることができます。
判定に揺れたミラン対パルマの夜は、そんな「自分に問い直す材料」として、静かに残り続けるのかもしれません。
スコアボードが消えたあとも、サッカーの試合は、心の中でしばらく続いていくものなのだと思います。
