0−3で負けた夜に浮かび上がる「ホーム」とは何か──レッドスターFCと一軒のバーが教えてくれるクラブの記憶
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「負けた夜」にしか見えないものがある──レッドスターと一軒のバーの物語から考えるサッカー

スコアボードには映らない「主役」がいる夜
キックオフの笛が鳴る前、すでにこの試合の「主役」は決まっていた。 フランス・サン=トゥアン、レッドスターFCの本拠地スタジアムの向かいにある一軒のバー「Olympic」。 その店主だったアクリが、1月末にこの世を去った。
この日、ホームのレッドスターはパウFCを迎えた。 リーグ2で4位につけ、昇格を狙うシーズン。 「こういう試合は落とせない」 そんな声がバーのカウンターからも聞こえていたという。 ホームでの戦績は9試合中3勝と物足りない。 数字だけ見れば、勝ち点3がすべてに思える状況だ。
それでも、この夜の人々の視線は、スコアボードではなく別の場所に向いていた。 サポーターが集うそのバーの壁一面に貼られた写真や記事。 レッドスターの歴史とともに、アクリの時間も刻まれてきた。 彼の笑顔に迎えられてからスタジアムへ向かうことが、多くの人にとって「試合の日のルーティン」だった。
キックオフ前、アクリの子どもたちが象徴的な最初のキックを行い、 スタンドでは一分間の拍手。 ウルトラスが掲げた大きな横断幕には、 「アクリ、あなたの記憶はカウンター(zinc)に永遠に刻まれている」と書かれていた。
そして試合は0−3の敗戦。 昇格を争うチームにとっては痛いスコア。 それでも、多くの人が口をそろえて言うのは、 「今日は勝ち負けだけの夜じゃなかった」ということだった。
| 要素 | スタジアムの場合 | バー「Olympic」の場合 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 拠点の役割 | 試合を観る物理的空間 | 試合前後に人が集う感情的拠点 | ◎ 相互補完 |
| クラブとの関係 | フロント・選手・ベンチ | バーのマスター(非公式の顔) | ◎ 記憶の継承 |
| サポーターの体験 | 試合の勝敗に連動した感情 | 顔なじみのコミュニティ | ○ 日常との接点 |
| 喪失への対応 | 試合結果で翌日には過去になる | 0-3敗戦後も人が集い続ける儀式 | △ 結果超えた価値 |
| ホームの定義 | スタジアム所在地 | スタジアムへの道・立ち寄り場所すべて | ○ 拡張されたホーム |
バーのマスターが「クラブの一部」になるまで
アクリはプロ選手でも、監督でもない。 ただの「バーのマスター」だ。 けれど、常連たちの言葉から浮かび上がるのは、「クラブの顔」としての姿だ。
あるサポーターは、 「バーに入って一番最初に笑顔を向けてくれるのがアクリで、その瞬間に『また来たい』と思えた」と話す。 別のサポーターは、 「スタジアムに行くなら、まずOlympicに寄るのが当たり前」と振り返る。
海外からやって来たアイルランド人やスコットランド人のサポーターたちも、 もともとは「ちょっと覗いてみようか」と好奇心で入っただけだった。 それがいつの間にか、「毎年パリに遠征する理由」になっていた。 年に一度しか来ない彼らの顔と名前を、アクリはちゃんと覚えていたという。
そのエピソードを聞くと、 サッカーの「クラブ」という言葉の意味を、もう一度考えさせられる。 クラブとは
- ピッチに立つ11人
- ベンチに座るスタッフ
- フロントで働く人たち
だけで完結しない。 スタジアムへ向かう道、試合前後に立ち寄る場所、 そこで交わされる何気ない会話も、クラブの「記憶」の一部になっていく。
もし自分の生活を振り返るならどうだろうか。 試合前に必ず寄るコンビニ、 いつも声をかけてくれるグラウンド管理人、 送迎の度に車を停めて待っている保護者の姿。 「この人がいるから、この場所が好きだ」と思える存在が、 自分の周りにもいるかもしれない。
- 選手や保護者が自然に集まりたくなる「場」がどこにあるかを把握する — バーのマスターがそうだったように、クラブの空気を作っている非公式の人・場所を指導者自身が意識して観察する
- 試合以外の場でも選手やチームを支えている人の顔を言語化する — グラウンド管理人・送迎の保護者・道具を準備するスタッフ——その存在を選手に意識させる声かけをトレーニングの中に入れる
- 「勝敗だけでは測れない日」を年間にいくつか意図的に設ける — お別れの試合、地域イベントへの参加、OBとの対話など、結果以外の意味を持つ時間がクラブへの帰属感を育てる
0−3の敗戦は、「間違い」だったのか
この日の結果だけを見れば、レッドスターはホームで0−3の完敗。 昇格争いを考えれば、「もったいない敗戦」と言うこともできる。 ただ、試合前後の流れを見ていくと、 そこには別の問いも浮かんでくる。
監督や選手たちは、 「この特別な夜に何を優先するか」を問われていたはずだ。
- リーグ戦の一試合として、冷静に勝ち点3を取りに行くか
- アクリへの想いを前面に出し、それをエネルギーに変えようとするか
- 感情を抑え込まずに受け入れながら、いつも通りのプレーを目指すか
どれが「正しい」と言えただろうか。 そもそも、感情を完全にコントロールすることは可能なのか。
スタンドにはアクリの家族や長年の常連客がいる。 選手たちの中にも、バーで言葉を交わしてきた者がいたかもしれない。 そうした人たちの前で、「絶対に勝たなければ」と肩に力を入れれば入れるほど、 普段のプレーから遠ざかることもある。
試合後、あるサポーターは 「今日に限って0−3はつらい」とこぼした。 そこには、勝敗だけでは測れない感情が混ざっている。
日本の選手や指導者であれば、こうした夜にどう振る舞おうとするだろうか。
- 「感情を見せないこと」をプロフェッショナルと捉えるのか
- あえて感情を共有し、チーム全体で受け止めようとするのか
- 一人ひとりが違う温度でその日を過ごすことを許容するのか
どの選択にも理由があるし、どれも簡単には「良い悪い」で分けられない。
- 自分のクラブにとっての「アクリ」が誰なのかを思い浮かべてみる — いつも声をかけてくれる人、送迎を支えてくれる保護者、黙々と準備するスタッフ——その人がいなくなったとき何を失うかを考えると、日常の感謝が見えてくる
- 試合後に「場」に戻ることがチームの記憶を作る — レッドスターが0-3で負けた夜もバーに人が集まったように、勝敗を超えて集まれる場所・習慣がクラブへの愛着を深める
- 「ホームゲーム」はスタジアムだけじゃないと家族で話してみる — 試合前後に立ち寄る場所、いつもの道、地域との関係——その積み重ねが子どものサッカー体験を豊かにする
「儀式」としてのサッカー、そして喪失をどう受け止めるか
試合後、スタジアムの外には、再び人々がOlympicに戻っていく姿があった。 0−3で負けた夜だというのに、バーはいつも通り、いや、いつも以上に賑わっていたという。
ある常連は、 「自分はまずアクリのファンになってから、レッドスターのファンになった」と話している。 別の日の出来事として、 彼がウイスキーコークを注文したら、アクリはボトルごと渡して 「好きなだけ自分で注ぎな」とだけ言った。 その瞬間、この店がどういう場所かを直感した、と振り返る。
これは単なる「気前の良さ」の話ではないように思える。 「お前を信じてるから、自分で決めな」 そんなメッセージとして受け取ることもできる。
この夜、試合後もバーに集まり続けた人たちは、 負けた試合の反省会をしていただけではない。 アクリの不在を受け止めきれないまま、 それでも彼の店に集まるという「行為そのもの」が 一つの儀式になっていたように見える。
サッカーは時々、
- 誰かを見送る場
- 誰かを思い出す場
- 言葉にできない感情を共有する場
にもなる。 勝つか負けるか、上がるか落ちるかだけでは説明できない価値が、そこで生まれている。
もし自分のクラブから「アクリ」がいなくなったら
ここで少し、自分の立場に置き換えて考えてみたい。 もし、あなたが所属しているチームや、応援しているクラブから、 「いないと当たり前だと思っていた人」が急にいなくなったとしたらどうだろう。
例えば、
- 毎試合、同じ場所で声を張り上げてくれる応援リーダー
- 黙々と道具の準備や片付けをしているスタッフ
- グラウンドを開け閉めしてくれる地域の管理人
- いつも送迎をしてくれる保護者
そうした人々の存在が、サッカーを続けられる前提になっていることに、 私たちはどれくらい気づいているだろうか。
このレッドスターの夜を知ると、 「クラブを支える人たちの顔を思い浮かべる」という行為自体が、 プレーや指導の中身と同じくらい大切に思えてくる。
選手の立場なら、
- 自分のプレーは、どんな人たちの支えの上に成り立っているのか
- その人たちがピッチにいないとき、自分はどう振る舞いたいのか
を一度立ち止まって考えてみることができる。
指導者やクラブ関係者の立場なら、
- 選手や保護者が自然と集まりたくなる「場」はどこにあるのか
- その「場」を支えているのは誰で、その人の存在をどう守るのか
を問い直すきっかけになるかもしれない。
「ホーム」とはスタジアムのことだけなのか

レッドスターのホームスタジアムは、ドクトル・ボーウェル通りにある。 その105番地にあるOlympicは、長く「労働者の街」として知られたサン=トゥアンの空気を色濃く残す場所だ。 近年は再開発が進み、街の景色は大きく変わりつつある。
そんな中で、 「この店は単なる飲食店ではなく、街とクラブの記憶をつなぐ場所だ」 と語るサポーターもいる。 彼らにとっての「ホーム」は、スタジアムの観客席だけではない。 試合前に集うバーもまた、ホームの一部なのだ。
日本のサッカーを思い浮かべたとき、 自分たちの「ホーム」はどこにあるだろうか。
- スタジアムの最寄駅からの道
- 試合前に選手や家族が立ち寄る公園
- 地域の商店街や商店会
そうした場所とクラブがどんな関係を持てるかによって、 サッカーの意味も少し変わってくる。
「ホームゲーム」という言葉を口にするとき、 そこにはどこまでの範囲を含めているのか。 その問いは、 クラブをどう地域に開いていくか、 育成年代のチームをどんな空気の中で活動させたいか、 というテーマにもつながっていく。
勝ち点3よりも重い「選択」がある夜
この夜、レッドスターは0−3で負けた。 昇格争いだけを見れば、大きな痛手かもしれない。 それでも、
- アクリの子どもたちに最初のキックを託したこと
- 一分間の拍手でスタジアム全体が彼を思い出したこと
- 試合後、たくさんの人がバーに戻り、そこで語り合ったこと
こうした一つひとつの行為は、クラブが「何を大事にしたいか」という選択でもある。
サッカーには、 「この試合は絶対に勝たなければならない」という日がある。 一方で、 「勝敗だけでは測りきれない夜」も、確かに存在する。 この2つをどう行き来するかは、 クラブにとっても、選手にとっても、指導者にとっても、かなり難しい課題だ。
日本の現場を考えると、
- 大会の日程
- 進学や昇格のための結果
- 指導者の評価や立場
さまざまな事情が絡み合い、 「今日は結果よりも別のものを大事にしよう」と決めることは簡単ではない。
それでも、 このレッドスターの一夜を知ると、 「どんな日を、どんなふうに特別な日にするか」を 自分たちで選び取ることの意味を考えざるを得ない。
答えを急がないまま、自分に問いを返してみる
アクリがいなくなった後も、Olympicは彼の家族によって続いていく。 店のカウンターには、これからもサポーターたちの声と笑い声が重なっていくのだろう。 その光景を想像するとき、 この物語は、遠いフランスの二部リーグの話ではなく、 自分たちの身近なサッカーの風景にもつながってくる。
もし、あなたが選手なら。
- 自分のクラブにとっての「アクリ」は誰なのか
- その人の存在を、プレーで、態度で、どう受け止めたいか
を考えてみるのもいいかもしれない。
もし、あなたが保護者なら。
- 子どもが通うチームを、どんな「場」と結びつけたいか
- 試合の日を、家族にとってどんな時間にしたいか
を、少しゆっくり考えてみる時間を持てるかもしれない。
もし、あなたが指導者やクラブ関係者なら。
- クラブの周りにいる人たちを、どれくらい「顔の見える存在」として捉えられているか
- 勝敗だけではない価値を、どんな場面で伝えていけるか
という問いを、自分に返してみることができる。
0−3で負けた夜に、 スタジアムと一軒のバーで起きていた出来事を辿ると、 サッカーが本当に扱っているのは、 「ボール」だけではないことに気づかされる。
何を大事にするか。 どこまでを自分たちの「ホーム」と呼ぶか。 誰の記憶を、どんなふうに引き継いでいくか。
その答えは、どのクラブにも、どのチームにも、一つには決まらない。 だからこそ、焦って結論を出さずに、 それぞれの場所で、少しずつ時間をかけて考えていくしかないのだろう。
スコアボードの数字が消えた後に何が残るのか。 その問いに向き合うところから、サッカーの物語は続いていくのかもしれない。
