ヴァランが訴えた「12歳以下ヘディング禁止」──コモ1907が育成に問う、脳を守ることが最大の投資である理由
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頭を守る決断──コモが問いかける、育成の「優先順位」
サッカーの試合で、選手がヘディングをする瞬間がある。
高く上がったボールに向かって跳び、額でコントロールし、ゴールを狙う。
その一瞬の判断と身体能力が絡み合う場面は、ピッチ上でもっとも美しい局面のひとつとして語られることもある。
しかし今、イタリア・セリエAで新たな存在感を示しているコモ1907が下した決断は、その「美しい一瞬」よりも、もっと根本的なものを守ることを選んだものだった。
ラファエル・ヴァランという存在が、クラブにもたらしたもの
ラファエル・ヴァランという名前を聞いたとき、多くのサッカーファンが思い浮かべるのは、2018年ワールドカップでのフランス優勝か、レアル・マドリードでのチャンピオンズリーグ制覇だろう。
だが今のヴァランは、ピッチに立つ選手としてではなく、コモの取締役会メンバーとして、クラブの未来を考える立場にいる。
膝の故障が積み重なり、2年近く前に現役を退いた彼が、ユニフォームを脱いだ後も「サッカーにどう関わるか」を問い続けていることは、それだけで一つのストーリーになる。
彼がクラブ内で強く訴えたのは、ヘディングが若い選手たちの脳に与えるリスクについてだった。
頭部への衝撃が神経変性疾患のリスクを一般人の3倍以上に高めるという研究結果は、以前から語られてきた。
ヴァランはその問題を、単なる医学的なデータとしてではなく、「自分自身の経験を持つ人間」として語ったのだろう。
選手としてのキャリアを通じて、身体とどう向き合うかを考え続けてきた人間だからこそ、言葉に重みが生まれた。
「子どもたちに同じ思いをさせたくない」という動機
コモが打ち出したルールは明確だ。
12歳以下の選手には、練習でも試合でも一切のヘディングを禁止する。
12歳以上であっても、月に一度、軽いボールを使った練習のみ許可し、一回のセッションで行えるヘディングは5本を上限とする。
さらに、ボールの空気圧にまで細かく注意を払い、過度に硬くなったボールを使わないよう管理するという。
このルールを聞いて、最初に「やりすぎではないか」と感じる人もいるかもしれない。
ヘディングはサッカーの基本技術のひとつであり、試合では欠かせない場面も多い。
それを制限することで、技術習得が遅れるのではないか──そういう疑問は自然に生まれる。
しかしヴァランが語ったのは、むしろ逆の発想だった。
脳がまだ発達途中にある子どもたちに、リスクのある動作を繰り返させることよりも、その時間を技術判断力の育成に充てるべきだ、という考え方だ。
「正しいタイミングで、段階を踏んで、必要な技術を身につけさせる」──それが彼の言いたいことの核心だった。
セスク・ファブレガスのチームで起きていること
コモのトップチームを率いるのは、セスク・ファブレガスだ。
バルセロナ、アーセナル、チェルシーでプレーし、スペイン代表として世界の頂点を経験した彼が、監督として率いるチームのアカデミーで、このような方針が打ち立てられたことには、偶然以上の必然性を感じる。
ファブレガスは現役時代、「見ている景色が違う」と言われるほどのゲームビジョンを持っていた選手だった。
パスを出す前に、次のプレーを、その次のプレーをすでに考えていると語ったこともある。
そのような選手が指揮を執るクラブが、育成においても「考えること」を最優先に置くのは、一つの哲学の一貫性として読むことができる。
ヘディングの練習時間を減らして何をするか。
それは、ボールを扱う技術であり、状況を読む判断力であり、プレーを選択する力だ。
身体を守ることと、思考する力を育てることが、このクラブでは同じ文脈で語られている。
日本の育成現場に重ねて考えると
日本のサッカー育成の場では、ヘディング禁止の取り組みはまだ広くは浸透していない。
一部の年代別カテゴリでルールの見直しが議論されることはあっても、「なぜそうするのか」という根拠が保護者や選手にまで共有されているかというと、まだ道半ばだろう。
たとえばある少年が、練習でヘディングを禁止されたとする。
「試合でヘディングが必要な場面があるのに、なぜ練習しないのか」と疑問を持つのは当然だ。
指導者がその問いに答えられるかどうかが、実はとても重要だと思う。
「決まりだから」では届かない。
「あなたの脳を守るために、今は別の方法でサッカーを深く学ぼう」と言えるかどうかが、信頼の分岐点になる。
ヴァランの言葉が説得力を持つのは、彼自身が長いキャリアの中で身体の限界と向き合い、その先に何を残すかを考えてきたからだ。
経験と思考が重なったとき、「守る」という行為は制限ではなく、投資になる。
「長い時間をかけて考えてきた末の決断」という言葉の重さ
今回のコモの決断について、ある媒体はこう表現した。
「長い間語られてきた課題が、ようやく一つの形をとった」と。
サッカー界でヘディングの問題が議論され始めてから、すでに多くの時間が経っている。
研究データが蓄積され、引退した選手たちが後遺症に苦しむ姿が報告されても、なかなか動かなかった部分がある。
それはなぜだったのか。
「変えることで何かを失うかもしれない」という恐れか。
「これまでそうしてきたから」という慣性か。
あるいは、「誰かが先に変えるのを待っていた」という空気だったのか。
コモが今季から明確なルールを設けたことは、一つのクラブの決断であると同時に、他のクラブや育成現場への静かな問いかけでもある。
「あなたのクラブは何を優先しますか」という問いだ。
選手の未来を、選手が選べる環境をつくること
ヴァランは現役引退後、自分が守れなかったものと向き合いながら、次の世代のために何を残せるかを考えている。
その姿は、勝利や栄光とは別の軸で「サッカーにどう向き合うか」を問い続けることの価値を示している。
育成年代の選手たちは、今この瞬間も、コーチの言葉を受け取りながらプレーしている。
その言葉の背景に、「なぜそうするのか」という思考があるかどうかが、10年後の彼らの身体と思考力に、静かに積み重なっていく。
「守る」ことは、弱さではない。
何を守るかを選ぶことが、すでに一つのプレーなのかもしれない。
ピッチの上でも、ピッチの外でも、どんな選択をするかは、いつだって自分自身に問い返すことから始まる。
| 観点 | コモ1907の対応 | 一般的な育成現場 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 12歳以下の扱い | 練習・試合ともに全面禁止 | 明確な禁止基準がないことが多い | ◎ |
| 12歳以上の扱い | 月1回・軽量ボールで5本まで | 制限なく自由に実施されることが多い | ◎ |
| ボールの空気圧管理 | 硬すぎるボールの使用を管理 | 特に管理されないことが多い | ○ |
| 提言者の立場 | 元代表CB・現取締役会メンバーが主導 | 医学データのみで議論されがち | ○ |
| 監督の指導哲学との関係 | ファブレガスの「考える」思想と一致 | 指導方針との連動が薄いことも | ○ |
| 日本の育成現場での浸透度 | まだ限定的、根拠共有も道半ば | 同様に議論はあるが浸透度は低い | △ |
- 「なぜ禁止か」を言葉で説明する — 「決まりだから」で済ませず、脳を守る理由を選手本人に伝える。
- 空いた時間を判断力育成に充てる — ヘディング練習を減らした分、状況把握やパス選択のトレーニングに時間を使う。
- ボールの空気圧を毎回確認する — 練習前にボールの硬さをチェックし、過度に硬い状態での使用を避ける。
- ヘディング場面を「必要性」で見る — 観戦時、そのヘディングが本当にそのタイミングで必要だったかを考えてみる。
- 「禁止」を制限でなく投資と捉える — わが子がヘディングを制限されても、それは今伸ばせる技術に時間を使うことだと伝える。
- 元選手の言葉の背景を想像する — ヴァランのように、現役時代の経験があるからこその発言の重みに注目してみる。
後に日本代表に選ばれることになる選手たちと、ジュニアユースからユースまでの時期、同じピッチでボールを蹴っていた。当時はヘディングの回数や強度について、誰も深く考えていなかったように思う。ただ、身体が大きく強い選手ほど、頭で競り合う場面を任される傾向があったことは、いまになって振り返ると気になる記憶として残っている。
もちろん、皆さんが見てきた育成年代の現場が、すべて同じ空気だったとは限らない。あの頃、頭で競り合う回数が多かった選手たちが、その後どんな時間を過ごしてきたのか、少しだけ思い浮かべてみてほしい。
