日常にひそむ静かな一言から育つ、サッカーのリーダーシップ
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静かなリーダーシップが、ボールの行方を変えるとき

大きなタイトルマッチでもない、平日の午後のトレーニング。 照明もカメラもないグラウンドで、ひとりの選手が味方に向かって小さく声をかける。 「もう一回、やってみよう」
派手なジェスチャーではない。 監督の耳にも届いたかどうか分からないほどの声。 けれど、その一言でチームの空気が少しだけ変わり、次のプレーの質が目に見えて上がる瞬間がある。
ドイツサッカー連盟のアカデミーが取り組む「Leadership Talk」やハッカソン、リーダーシップフェスティバルといった企画は、一見するとビジネス寄りの言葉が並ぶ。 だが、その根っこにあるのは、こうした「静かな一言」がどう生まれるのかを探る試みでもある。
華やかな優勝トロフィーではなく、その手前にある小さな選択や対話に光を当てる。 それは、サッカーをする誰にとっても、じわりと響くテーマかもしれない。
リーダーシップは、キャプテンマークの外側にある
「任命されたリーダー」と「その場で生まれるリーダー」
ドイツのアカデミーが掲げるのは、「リーダーシップは特別な場面だけのものではない」という考え方だ。 だからこそ、日常を切り取るようなタイトルに「everyday」という言葉が選ばれている。
ここで語られているリーダー像は、おそらく次の二つを行き来する。
- 監督やキャプテンのように、役割としてのリーダー
- プレーの流れの中で一瞬だけ立ち上がる、その場限りのリーダー
前者は分かりやすい。 腕章を巻き、ミーティングで発言し、審判と話をする。
難しいのは後者だ。 特別な役職はなくても、
・ビルドアップでパスコースを指で示す
・セットプレーのマークの確認を小声で済ませる
・ミスした仲間のところにさりげなく近づく
こうした、誰の目にも残らない動きの中に、実は「その場で生まれるリーダーシップ」が潜んでいる。
ドイツのアカデミーが、経営やイノベーションの専門家を招いてまで「リーダーシップ」を語ろうとする背景には、おそらくこうした「見えにくいリーダー」をどう育てるかという問いがある。
では、自分がピッチに立つとき、この「見えにくい側」にどれだけ意識を向けられているだろうか。
| 観点 | 任命されたリーダー | その場で生まれるリーダー | 評価 |
|---|---|---|---|
| 可視性 | 腕章・ミーティング発言・審判との対話など分かりやすい | パスコース指示・マーク確認・ミス後の声かけなど誰の目にも残らない | ◎ |
| 育成アプローチ | 役割として与えることで責任感が生まれる | 日常の小さな選択を意識させる積み重ねで育つ | ◎ |
| ピッチ上の影響 | 試合の方針や雰囲気の設定に関わる | 得点3本前のパス選択など結果に直結する静かなプレーに現れる | ○ |
| 指導者の関わり方 | 役職を与えて責任を持たせる | 「なぜそう選んだか」を問う対話で自分で決める力を鍛える | ◎ |
| 失敗への向き合い方 | 結果責任を負う場面が多くなる | 「誰が悪いか」ではなく「次はどうするか」へ問いの向きを変える | △ |
「正しい答え」より、「どう決めたか」を聞く場
トークイベントの内容は多岐にわたるが、共通しているのは「成功の方法」をひとつに絞らない姿勢だと感じる。
ゲストたちは、おそらくこんな話をしているだろう。
- 思い切った決断をしたとき、迷いはなかったのか
- うまくいかなかったとき、何を変え、何を変えなかったのか
- チーム内で意見が割れたとき、どうやって一つの方向にまとめていったのか
どれも、「何をしたか」を説明するだけなら、短い言葉で終わる。 しかし、そこに「なぜそう選んだのか」を丁寧にたどろうとすると、一気に時間がかかる。
サッカーの指導現場でも、似たようなことが起きてはいないだろうか。
・「そこはシュートだ」
・「そこは出さないと」
こうした指示は、場面を切り取れば正解かもしれない。 ただ、選手の頭の中には 「相手が近かったから怖かった」 「さっきパスミスしたから、もう一度つなぐのが不安だった」 といった、小さな感情や迷いが渦巻いている。
もしその部分を聞かずに、次々と「正しいプレー」だけを上書きしていったら、 ある時点から選手は「自分で決める筋肉」を使わなくなっていく。
ドイツのアカデミーが、あえて「経験」「アイデア」「解決策」という言葉を並べ、しかもそれを対話形式で取り上げるのは、その筋肉をもう一度動かそうとする作業に似ている。 すぐに答えを渡すのではなく、「どうしてそうしたのか」を一緒にほどいていく場をつくろうとしている。
「静かな瞬間」に価値を置く文化は、どう育つのか
- ゴール以外の「ナイス判断」を3つ見つけることを自分に課す — 試合や練習後に、拍手が起きないビルドアップの判断・カバーの一歩・忍耐のポジショニングにスポットを当てて言語化する
- 「どうしてそうしたか」を一緒にほどく5分を週に一度設ける — 「そこはシュートだ」と正解を上書きする前に、選手の頭の中にあった感情や迷いを聞く時間を意図的にスケジュールに入れる
- 「話す力」と「聞く力」をセットでトレーニングに組み込む — 今日一日で仲間のどの言葉が最も助けになったかを振り返る習慣を作り、発言する側だけでなく受け取る側の質も育てる
拍手が起きないプレーに、どれだけ目を向けられるか
ドイツのアカデミーが重ねているイベントやトークは、「ハイライト」ではなく「プロセス」に焦点を当てようとするものだ。 リーダーシップフェスティバル、イノベーションに関する表彰、ハッカソン。 どれも「試合のスコア」ではなく、「そこにたどり着くまでの工夫や対話」に光を当てる仕組みだと受け取れる。
サッカーに置き換えるなら、こんなイメージかもしれない。
- 得点シーンそのものではなく、その3本前のパスの選択を振り返る
- ピンチを防いだ守備の声かけに注目する
- 戦術ミーティングで、発言しなかった選手が何を考えていたかを聞いてみる
結果だけを追うなら、90分の映像をダイジェストにしてしまえばいい。 しかし、育成という視点に立つと、「ダイジェストに残らない瞬間」にどれだけ価値を置けるかが問われる。
日本のグラウンドでも、拍手や歓声が起きるプレーは大体決まっている。 ゴール、派手なドリブル、スライディングタックル。
一方で、次のようなプレーには、ほとんど音がつかないことが多い。
- ビルドアップで危険な縦パスをあえて選ばなかった判断
- 自分のマークを捨てて、味方のカバーに入った一歩目
- 相手のキーマンにボールが入らないよう、微妙なポジショニングを取り続ける忍耐
こうした「静かなプレー」を拾い上げるかどうか。 そこに、そのチームの「リーダーシップ観」が表れているようにも思える。
もし自分が指導者なら、 「今日はゴール以外で、誰かのプレーを3つ褒める」 というテーマをこっそり自分に課してみるのもひとつの方法かもしれない。
- 試合中に誰かに声をかけた瞬間を自分で数える — 試合後に「今日自分が出した声は何種類あったか」を振り返ることで、自分のリーダーシップの実態を可視化する習慣を持つ
- 「もっと声を出せ」と言われたとき、どんな声なら出しやすいかを考える — 抽象的な指示に対し「自分はどんな声なら自然に出せるか」「どんな声をかけられるとプレーしやすいか」を自問する
- 保護者はわが子の「静かなリーダーシップ」に気づいて言葉にする — ゴールや派手なプレーより先に、仲間への一言・ポジション確認・ミス後の声かけを見つけて帰り道に伝える
「話す力」と「聞く力」はセットで育てるしかない
ドイツのアカデミーは、元グローバル企業のマネージャーなど、サッカー以外の分野の人材も巻き込みながら、対話の場を広げている。 そこでは、おそらく「どう話すか」と同じくらい「どう聞くか」が重視されている。
ピッチ上のコミュニケーションも、本来はセットになっている。
- 指示を出す声
- 情報を伝える声
- 感情を整える声
これらは、ただ「声を出せ」と言われたところで、急にうまくならない。
選手が「何を伝えたいのか」を言葉にしてみる時間。 それを周りが「どう受け取ったのか」をフィードバックする時間。 サッカーそのもののトレーニングとは別に、そんな「聞いたり話したりする練習」を積み重ねていくことで、ようやくピッチ上の一言が変わってくる。
日本のチームでも、円陣やミーティングの場面で 「もっと声を出せ」 という言葉が飛ぶことは多い。
もしそこで、こう問い直してみたらどうだろう。
- どんな声なら、自分は出しやすいか
- 逆に、どんな声をかけられるとプレーしやすいか
- 今日一日で、仲間のどの言葉が一番助けになったか
「リーダーシップ」というと、前に立って話す姿が思い浮かびがちだが、 実際には「聞く側の質」を上げない限り、前に立つ人の言葉も育っていかない。
失敗を「やり直し可能な実験」に変える視点
ハッカソン的な発想は、サッカーにも持ち込めるか
ドイツのアカデミーは、「ハッカソン」と呼ばれるイベントも開催している。 参加者が短期間でアイデアを出し合い、試し、形にしていく取り組みだ。
その背景には、「失敗を責める」のではなく「検証を繰り返す」姿勢がある。
サッカーでも、似たようなことができるかもしれない。
- 週末の試合でうまくいかなかった戦術を、翌週のトレーニングで意図的に「もう一度試す」
- 選手同士で、「違うやり方」の案を出し合い、少しずつ形を変えていく
- 指導者の側も、「自分の指示」がどう受け取られたかを選手にたずねてみる
ここで重要なのは、「誰が悪かったか」を探すのではなく、「どこを変えれば次はうまくいくか」を一緒に探す空気をつくることだ。
そういう意味で、ハッカソンはサッカーの「失点シーンの振り返り」を別の形でやっているようにも見える。
・なぜそのパスを選んだのか
・あのタイミングでラインを上げたのは、どんな意図だったのか
・別の選択肢はなかったのか
これらを、 「だからダメなんだ」 ではなく、 「じゃあ次はどうする?」 につなげていけるかどうか。
選手にとっても指導者にとっても、その「問いの向き」を変えるだけで、失敗の重さは変わる。
「賞」は、何のために用意されているのか

ドイツのアカデミーには、イノベーションに関する表彰もある。 これは、単に「結果を出したチーム」だけを称えるものではない。 新しい取り組み、工夫されたプロセス、周囲を巻き込むアイデアなど、「見えにくい努力」にもスポットライトを当てようとする意図が感じられる。
もし、自分のチームに「MVP以外の賞」をひとつ増やすとしたら、どんなものが考えられるだろうか。
- 一番多く味方に声をかけた選手への賞
- 練習メニューのアイデアを出してくれた選手への賞
- ミスの後もプレーをやめなかった選手への賞
これらは、スコアに直接は現れない。 だが、「どんな行動を大事にしたいか」をチーム内で共有するうえで、分かりやすいメッセージになる。
ドイツのアカデミーの表彰も、そうしたメッセージづくりの一環なのだろう。
日本で「everyday leadership」をどう育てるか
「考える時間」をどこに確保するか
日本の育成年代では、トレーニング時間そのものが限られていることが多い。 その中で、「走る」「蹴る」「戦術」を詰め込もうとすると、「考えるための余白」は真っ先に削られてしまう。
しかし、ドイツのアカデミーが重ねているような対話やイベントは、まさにその「余白」をつくる試みでもある。
すべてを真似る必要はないけれど、こんな工夫はできるかもしれない。
- 週に一度、トレーニング後に5分だけ「今日の一番難しかった判断」を話し合う
- 試合の振り返りで、「ナイスゴール」より先に「ナイス判断」をピックアップする
- 保護者との会話でも、「勝った・負けた」だけでなく「どんな選択をしたのか」を話題にする
「考えるサッカー」と口で言うのは簡単だが、そのためには「立ち止まって考える時間」をどこかで確保しなければならない。 それは、フィジカル練習や技術練習と同じくらい、意識的に「スケジュールに入れるべきもの」なのかもしれない。
指導者もまた、揺れながら選んでいる
ドイツのリーダーシップトークに登場するのは、選手だけではない。 指導者、マネジメントに関わる人たちも、自分たちの経験や迷いを語る。
そこには、「指導者=常に正しい答えを持っている人」というイメージから少し距離を置こうとする姿勢がある。
日本の現場でも、指導者は時間と結果のプレッシャーの中で、常に選択を迫られている。
- 短期的な勝利を優先するのか、長期的な育成を優先するのか
- 選手の自主性に任せるのか、細かく指示を出すのか
- 保護者の期待と、自分の信じる方針の間で、どこに線を引くのか
どの選択にも、正解はない。 あったとしても、状況が変われば簡単に裏返ってしまう。
それでも、一つひとつの決断の裏側にある「なぜ」を自分なりに言葉にしてみる。 それを、ときには選手やスタッフと共有してみる。 その積み重ねが、「一緒に考えるチーム」の土台になっていくのかもしれない。
問いを急がずに、ボールと一緒に運んでいく
ドイツのアカデミーが取り組む Leadership Talk やハッカソン、フェスティバル。 そこに共通して流れているのは、「正解を急がない」姿勢だと感じる。
すぐに答えを与えるのではなく、 なぜそう選んだのか、 他にどんな選択肢があったのか、 その選択がもたらしたものは何だったのか。
そうした問いを、時間をかけて一緒に運んでいく。 それは、ボールを前に進めながらも、常に次のパスコースを探しているプレーにどこか似ている。
日本でサッカーに関わる私たちにとっても、同じ問いが静かに投げかけられている。
- 自分はどんなときに、周りの判断を待ってしまうだろうか
- どんな場面なら、自分の意思で選べそうだろうか
- うまくいかなかったとき、その理由を誰かと一緒に探す時間を持てているだろうか
リーダーシップという言葉に構える必要はない。 試合中の一言、ミーティングでの一つの発言、帰り道の何気ない会話。 そのどれもが、小さな「everyday leadership」のかたちになり得る。
次にボールを受けたとき、 次に誰かのプレーを見たとき、 ほんの少しだけ立ち止まって、「自分ならどう考えるか」と自分に問いかけてみる。
そのささやかな習慣が、気がつけばチーム全体の景色を変えている。 そう信じてみるところから、静かなリーダーシップは始まっていくのかもしれない。
