PSGルイス・エンリケのCL連覇から、日本の選手・指導者が学べる「スターに頼らないチーム作り」とメンタル・起用の問い方
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「スターを失って、強くなる」という不思議──PSG連覇が投げかける問い

ブダペストの夜、パリ・サンジェルマンの選手たちは、最後のひとりがPKスポットに歩み出るその瞬間まで、ずっと揺れていたはずだ。
アーセナルとの決勝は1-1のまま決着がつかず、行きついたのはPK戦。
昨季のインテル相手の5-0とはまったく違う、神経をすり減らすような90分+延長だった。
それでも最後の1本を決めたとき、PSGは2年連続でチャンピオンズリーグを制し、ヨーロッパの歴史に自分たちの名前を刻んだ。
華やかなトロフィーリフトの裏には、もっと静かな変化が隠れている。
「スターを失った」チームが、なぜ「最強のチーム」へと近づいていったのか。
そして、その変化は、日本でサッカーをする自分たちに何を問いかけているのか。
ルイス・エンリケは、なぜ最初はPSGを断ったのか
「どう勝つか」ではなく「どんなサッカーをするか」
PSGの指揮官ルイス・エンリケは、今や3度チャンピオンズリーグを制した特別な監督になった。
リバプールのボブ・ペイズリー、バルセロナやレアル・マドリードを率いたグアルディオラ、アンチェロッティ、ジダンと並ぶ存在になったと言われている。
ただ、彼は最初からPSGに飛びついたわけではない。
最初にオファーが来たとき、ルイス・エンリケは「スターだらけのクラブには興味がない」と、はっきり示したとされている。
彼が求めたのは「どんな選手がいるか」よりも、「どんなサッカーを目指すか」だった。
クラブ側が問いを変えたとき、話は動き出す。
「どうやったらチャンピオンズリーグで優勝できるか」ではなく、「どんなフットボールをしたいのか」。
その問いに「攻撃的で、魅力的なサッカー」という答えが返ってきたとき、ルイス・エンリケは、文化そのものを変えられるかもしれないと感じたのだろう。
ここには、ひとつのヒントがある。
目の前の「勝つ/負ける」ではなく、「どんなサッカーを選ぶのか」という問いからスタートすること。
もし自分がチームを選ぶ立場なら。
あるいは指導者としてチームをつくる立場なら。
「どのポジションで使ってくれるか」「どの大会で勝てそうか」だけでなく、「このチームはどんなサッカーを大事にしているのか」という視点を、どこまで持ち込めるだろうか。
エースを失って、ゴールが増えた理由
| 観点 | エムバペ在籍期 | 退団後シーズン | 変化 |
|---|---|---|---|
| 総得点数 | 前シーズン比較の基準値 | 44点増加 | ◎ 大幅向上 |
| 得点した選手数 | エース集中型 | 20人が得点 | ◎ 分散化 |
| イエローカード数 | 5大リーグ平均水準 | 5大リーグ最少クラスに | ◎ 感情制御向上 |
| CL決勝の相手 | インテル(昨季・5-0) | アーセナル(1-1→PK) | △ よりタフな接戦 |
| 先発メンバーの継続性 | 変動あり | フィールド10人が2年連続同じ | ○ 安定継続 |
「50点のエース」より「10点の5人」
PSGは、クラブ史上最多得点を挙げてきたキリアン・エムバペを2024年にレアル・マドリードへ失った。
フランスリーグ最優秀選手を何度も受賞し、エースとして君臨し続けた選手だ。
普通に考えれば、得点力は落ちるはずだ。
ところが、結果は逆だった。
エムバペ退団後のシーズン、PSGは前シーズンよりも公式戦で44点も多くゴールを決めている。
しかも、20人もの選手がゴールを記録した。
ルイス・エンリケは、以前から「1人が50点取るより、5人が10点ずつ取るほうがいい」と語っていたと言われる。
それは単に数字の問題ではない。
プレーする選手の感覚で言えば、「この人に任せておけば何とかしてくれる」という安心感と、「自分も責任を持たなければいけない」という意識とのバランスの話だ。
エースがいれば、ボールは自然とそこに集まる。
それは楽でもあるが、同時に「考えなくてよくなる」危険性を含んでいる。
エースがいなくなった瞬間、選手たちは一人ひとりが「自分で選ぶ」ことを迫られる。
どこでパスを出すか。
シュートを打つのか、やり直すのか。
味方の動きをどこまで見ながらプレーするのか。
PSGはエムバペ退団後、チームとしてのバランスが良くなったと指摘されている。
それは戦術的な配置の問題でもあるが、「心の置きどころ」が変わった結果でもあるのかもしれない。
- 「なぜスタメンを変えるか・変えないか」の理由を言語化して選手に示す — 同じメンバーで続けるなら「深く掘るため」、変えるなら「競争と幅のため」と意図を説明することで、外れた選手も外れた理由を「チームの文脈」として受け取れるようになる
- 感情との付き合い方をトレーニングの一部として組み込む — 判定への不満・交代への悔しさ・失点直後の動揺を「感じてはいけない」ではなく、「感じている自分を自覚しながら次のプレーを選ぶ」練習として意識的に扱う
- エースが抜けた仮想シナリオを練習で使う — 「今日は主力なしでどう攻める?」という形で主力不在の練習を定期的に設け、全員が「自分で選ぶ」意識を持てる状態を作っておく
日本のチームに、この構図を重ねてみる
日本の育成年代や高校サッカーでも、よく似た構図がある。
圧倒的なエースがいるチームでは、どうしてもその選手に依存しやすい。
ボールを持つと、まず最初にエースを探す。
守備でも、「あの人が点を取ってくれるから」と、どこかで頼ってしまう空気が生まれることがある。
もし、自分のチームから、そのエースが突然いなくなったらどうだろうか。
今までと同じ戦い方はできない。
代わりがいないからこそ、「チームとしてどう戦うか」を、最初から考え直さなければいけなくなる。
そのプロセスを苦しみと見るか、チャンスと見るか。
選手としても、指導者としても、大きな分かれ道になるように思う。
「コントロールされた感情」がつくるチーム
- チームのエースがいなくなったとき、自分のプレーはどう変わるかを考えてみる — 頼れる選手がいなくなった瞬間が、実は「自分で選ぶ力」を育てる最大のチャンスになることをPSGの事例は示している
- PK戦や勝負の一瞬に備えて「自分の蹴り方を信じる感覚」を日頃から積む — 感情を消すのではなく、「緊張している自分を自覚しながら、それでも自分のプレーを選べるか」という感覚を練習の中でも意識する
- 保護者は「チームにとって今どんな役割を担っているか」を子どもと話す — 出場時間の長短でなく、交代で入る役割・後半から流れを変える役割を肯定的に意味づける言葉を持つと、試合後の会話が変わる
イエローカードが少ないという「見えない強さ」
今季のPSGは、ヨーロッパ5大リーグの中で、最もイエローカードが少ないチームのひとつだと伝えられている。
激しい試合をこなしていれば、カードはある程度仕方ない。
にもかかわらず、その数が少ないということは、単にファウルが少ないというだけの話ではなさそうだ。
「みんなが感情をコントロールし、互いのためにプレーしている」と評される今のPSG。
それは、プレーの激しさを抑えるというよりも、「どこまで冷静に状況を見られるか」ということに近い。
PK戦のような場面で、それが特に問われる。
ブダペストの決勝で、彼らは神経戦を制した。
一人ひとりの選手が、プレッシャーとどう向き合うか。
外したらどうしよう、という不安と、自分の蹴り方を信じる感覚との間で、どんなバランスを取ったのか。
誰かひとりが特別に強い精神力を持っていた、という話ではないだろう。
日々のトレーニングの中で、「感情とどう付き合うか」を少しずつ積み重ねてきた結果として、あの夜の冷静さが生まれたのかもしれない。
感情を殺すのではなく、「一緒にプレーする」感覚
感情をコントロールすると聞くと、「怒ってはいけない」「落ち込んではいけない」と我慢するイメージを持つ人もいるかもしれない。
ただ実際には、怒りや悔しさを無理に押し込めてしまうと、プレーが小さくなったり、思いきりが失われることも多い。
大事なのは、感情を消すことではなく、「感じている自分を自覚しながら、それでもプレーを選べるかどうか」なのだと思う。
イエローカードの少なさは、「イラッとしたけれど、蹴りに行くのではなく、ボールに行こうと決め直せた」数の積み重ねでもある。
日本のグラウンドでも、似たような場面は無数にある。
判定に納得がいかないとき。
相手に激しく当てられたとき。
ベンチに下げられたとき。
その瞬間、何を感じ、そこからどんなプレーを選ぶのか。
指導者としては、そうした「感情との付き合い方」を、戦術や技術と同じようにトレーニングの一部として見ていけるだろうか。
「同じ11人」で戦い続けるという選択
変えないことで、何を深めたのか
興味深いのは、PSGが2年連続でCLを制した際、フィールドプレーヤー10人はほぼ同じ顔ぶれだったという事実だ。
インテルを下した昨季の決勝と、アーセナルとの今季の決勝。
先発したフィールドプレーヤー10人は同じで、違ったのはGKだけだった。
現代サッカーでは、補強やターンオーバーが当たり前で、「毎年チームが変わる」ことも珍しくない。
そんな中で、ほぼ変わらない11人で、頂点に立ち続けることを選んだ。
ここにも、意図が感じられる。
新しい選手を入れて幅を広げるのではなく、同じメンバーで深く掘っていく。
選手同士が、動き方だけでなく、お互いの思考まで共有していくような感覚。
「この局面なら、あいつはこう考えるだろうな」という予測の質を、時間をかけて育てていく。
それは、単に「仲が良い」という話ではなく、「一緒に考え続けた時間の量」の問題でもある。
「毎年違うチーム」になりがちな日本で
日本の多くのチームは、学年や進学のシステム上、どうしても「3年で入れ替わる」構造になりやすい。
高校なら「去年のレギュラーは全員卒業したから、今年は一から作り直しだ」という話もよく聞く。
その中で、どこまで「継続して積み上げる時間」をつくれるか。
選手は自分がチームを離れる前に、何を後輩に渡せるか。
指導者は「今年のベスト」を狙いながらも、「来年、その先」につながるものをどこまで意識できるか。
PSGのように11人を固定することが正解というわけではない。
むしろ、多くの選手に出場機会を与える中で競争を促すやり方もある。
ただ、「変える」ことと「変えない」こと、そのどちらにも理由が必要だということは、改めて問いかけられているように感じる。
なぜスタメンをいじるのか。
なぜ同じメンバーで続けるのか。
その選択の裏側にある意図を、自分自身が説明できるかどうか。
「歴史的な連覇」の裏にある、小さな問い
偉大な記録に隠れてしまいがちなもの

PSGは、チャンピオンズリーグ連覇を達成した史上2番目のクラブとなった。
レアル・マドリードの3連覇以来の快挙であり、70年以上の大会史の中でも10クラブ目の連覇だ。
数字だけを並べれば、壮大な物語になる。
だが、その裏側には、「あえてスター依存から離れる」という決断や、「どう勝つか」より「どんなサッカーをするか」を問う姿勢があった。
そして何よりも、一人ひとりの選手が、「自分はどんなプレーを選ぶのか」を考え続けた時間がある。
ゴールを決めた瞬間だけではなく、ボールが来なかった場面や、ミスをした直後、ベンチに座っている時間など。
プレーしていないように見える時間にも、数えきれない選択が積み重なっている。
自分なら、どんな問いを持てるだろうか
ブダペストの決勝をテレビ越しに見ていた選手や指導者も多いだろう。
そのとき、自分の中でどんな問いが生まれただろうか。
「あの選手は、なぜあのタイミングでシュートを選んだのか。」
「あの監督は、なぜ交代カードを切るのをあれほど待ったのか。」
「エースがいなくなったのに、どうしてこのチームは強くなったのか。」
ニュースでは、PSGがどれだけの記録を打ち立てたかが語られる。
だが、自分のサッカーにとって大事なのは、そこからどんな問いを拾うかだ。
もし明日の練習で、チームの中から誰か一人が抜けるとしたら。
自分はどんなプレーを変えなければならないのか。
もしPK戦で最後のキッカーを任されたら。
どんなテンポで歩き、どこまで自分の蹴り方を信じるか。
もし指導者として、「勝つための選手起用」と「育てるための選手起用」がぶつかったとき。
どちらにどんな理由で重みを置くのか。
答えを急がないという、もうひとつの強さ
ルイス・エンリケがPSGとともに歩んできた2年間は、「すぐに結果を出すこと」だけを求める姿勢とは少し違っていたように見える。
文化を変えるには時間がかかる。
スターに頼らないスタイルを浸透させるには、ピッチ内外での対話が必要になる。
それでも、彼らはチャンピオンズリーグ2連覇という形で、ひとつの答えを手にした。
ただ、その答えは、通過点に過ぎないはずだ。
来季、もし結果が出なくなったら。
同じやり方を貫き通すのか、それともまた変えるのか。
彼ら自身も、また新しい問いと向き合うことになる。
サッカーは結果で測られるスポーツだが、その結果に至るまでの時間の使い方は、いつも自分で選ぶことができる。
急いで答えを出しに行くのか。
遠回りに見えても、「どうしてそうしたいのか」という問いを抱えたまま進むのか。
PSGの連覇の物語は、ひとつの「正解」を教えてくれるものではない。
むしろ、自分自身にどんな問いを投げかけるか、そのきっかけを静かに差し出しているように思う。
夜のピッチで、ペナルティースポットにボールを置くように。
自分の中にも、一つずつ、問いを置いていくこと。
その積み重ねが、まだ見ぬ自分のサッカーへとつながっていくのかもしれない。
ひとつのクラブが選手を育てる10年を、外側ではなく内側から見ていた時期があった。エースと呼ばれる選手がいなくなったあとのチームを、何度か間近で見てきた。そのとき一番変わるのは得点者の数ではなく、ボールを受けに行く前の選手の目の向き方だった気がしている。頼れる人がいないことが、かえって全員を「自分で考える人」にしていくような時期があった。
もちろん、そうならないチームもあったとは思う。ただ少しだけ思い浮かべてみてほしい——自分のチームから中心選手がいなくなったとき、自分のプレーの何かが変わった経験が、どこかにあるだろうか、と。
