93分を待たずに勝ち切るために──優位に立ちながら決め切れない時間との向き合い方
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93分より前に「勝てていた」試合から、何を学べるか
ロサレーダのスコアボードに時間が表示される。 92分を過ぎたあたりで、客席の誰もが時計を見ていただろう。 マラガは内容で明らかに上回りながらも、スコアでは追いかける展開。 ボールは支配している。シュートも打っている。 それでも「点」という形にならない時間が続く。
試合後、フアンフラン・フネス監督はこうした状況を振り返り、「93分より前に勝てていなければいけなかった」と表現した。 結果としては終盤に逆転し、ロサレーダは歓喜に包まれた。 だがその裏側には、「なぜこんなに優位なのに決め切れないのか」という、現場の小さくない葛藤が横たわっている。
この試合を、戦術的な分析や審判判断の是非としてだけ眺めることもできる。 しかし少し視点を変えれば、選手や監督がどんなことを考え、どんな選択を積み重ねていたのかが、浮かび上がってくる。 「もし自分がピッチにいたら」「もし自分がベンチに座っていたら」。 そう想像しながら追いかけてみたい。
「優位に立ちながら決めきれない時間」をどう過ごすか
フネス監督は、この試合で自分たちが「最初からずっと優位に立っていた」と感じていたと語っている。 相手のシュートはわずか数本、そのうちの一本がミドルシュートの失点。 数字だけを見れば、マラガは支配し、押し込み、試合をコントロールしていた。
それでも、最後のエリア付近ではパスがかみ合わず、フィニッシュまでたどり着けない場面も多かった。 監督も「最後のサードで少し慌てていた」と認めている。 ボールを持つほど、優位に立つほど、「早く点を取りたい」という思いは強くなる。 すると、余計な一歩が前に出て、ファーストタッチが大きくなり、本来なら見えているはずのフリーマンに気づけなくなる。
この時間を、選手はどう過ごすのか。 例えば、ペナルティエリア手前でボールを受けたとき、選択肢は何通りもある。
- 無理に縦へ仕掛け、シュートまで持っていく
- 一度下げて、もう一度サイドを変えながら崩し直す
- 相手を引き出すために、あえてテンポを落とす
スタジアムの空気は「行け!」と背中を押してくる。 時計は進んでいく。 相手は時間を使い始める。 そこで、「あえて一度ボールを落ち着かせる」という選択をするには、どんな感覚が必要だろうか。
フネス監督は、「スコアで負けている中でも、自分たちは慌てなかった」と話している。 相手が時間を使い、イライラする要素がそろっていた状況で、チームとして「ペースを失わない」ことを選んだとも言える。 内容で優位に立っているときこそ、「もっと早く」「もっと強く」とアクセルを踏み込みたくなる。 それでも、どこかでブレーキとクラッチを同時に踏むような瞬間を、自分たちでつくる。 その判断は、外から見るよりずっと、難しい。
| 場面・状況 | 選択A | 選択B | 評価 |
|---|---|---|---|
| ペナルティエリア手前でボールを受けたとき | 無理に縦へ仕掛けてシュートまで持つ | 一度下げてサイドを変えながら崩し直す | ○ 状況次第 |
| 相手が時間を使って試合を遅らせるとき | 焦ってロングボールで解決しようとする | あえてテンポを落として落ち着かせる | ◎ マラガが選んだ |
| 若い選手が途中出場する場面(オチョア) | ヒーローになろうと力んでシュートを狙う | 必要とされている役割を受け取って間を埋める | ◎ 監督が評価 |
| 得点を重ねる選手への期待(ラルビア) | 自分のゴール数だけを目標にプレーする | 数字とチームへの貢献の両立を意識する | ○ 次のレベル |
| ボールを持って押し込んでいる時間帯のCB | 攻撃とは無関係な存在として立っている | 次にボールを失ったらどこを消すかを考えてポジションを取る | ◎ 理想の状態 |
| 笛に納得できない判定の直後 | 「審判が悪い」という感情にとらわれたままプレーする | 判定を前提として次の1分間の使い方を選ぶ | ◎ 試合を通じた積み重ね |
「焦らない」という決断は、本当に楽なのか
「焦らないでプレーしよう」 言葉にするのは簡単だが、実際にピッチの中でそれを実行するのは、ほとんど別物に近い。
この試合のマラガは、前半から相手に大きなエネルギーを使わせていた。 監督は「相手のエネルギーは永遠ではない」と表現し、前半のうちに相手を疲弊させる意図があったことを示している。 つまり、「すぐに点が入らなくても、ゲーム全体としては自分たちが主導権を握っている」という感覚を、ベンチもピッチも共有しようとしていた。
しかし、その「共有」は、自動的に起こるわけではない。
- ボールロストした選手を責めず、次の守備への切り替えを全員で行う
- 前線の選手が「もう一本、もう少し待とう」と味方にジェスチャーを送る
- ボランチがボールを戻しながら、手で「落ち着け」と合図する
こうした小さな行為の積み重ねが、「焦らない」というチームの決断を現実のプレーへとつなげていく。 日本の育成年代でも、「落ち着け」「慌てるな」という声はよく耳にする。 ただ、その言葉の裏にある「では、今この瞬間、具体的に何をするのか」が共有されているチームは、どれだけあるだろうか。
もし自分がそのピッチの中盤に立っていたとしたら。 負けている、時計は80分を過ぎている、相手は時間を使っている。 そのとき、「急がない」という選択を自分の足で本当に選べるのか。 それとも、ボールを持った瞬間に、勢いで前へ運んでしまうだろうか。
- 「落ち着け」の裏にある具体的な行動を言語化して伝える — ボランチが手で「落ち着け」と合図する・前線がジェスチャーを送る・ボールロストした選手を責めず切り替えを全員で行うなど、「焦らない」を現実のプレーに変える具体行動をチームで共有する
- 途中出場の選手が「自分の役割」を把握できる準備をする — 試合前にベンチメンバーへも「入ったときに何を求められるか」を伝え、試合を観察しながら入る準備ができる状態を作る
- 攻めている時間帯も守備のイメージを持ち続けるよう声かけする — センターバックへ「ボールを失ったらどこを消すか」を常に問い続けることで、攻守一体の意識が育つ
ベンチから飛び込んだ若い選手は、何を見ていたか

この試合で象徴的だったのは、途中出場したアーロン・オチョアの存在だ。 まだユース年代の選手でありながら、負傷したダニ・ロレンソの代わりという難しい状況でピッチに送り出された。 監督は、彼が「ピッチの内側でも外側でも適応できる」と評価し、「ここで自分がやる」と言わんばかりのプレーを見せたと喜んでいる。
ベンチから試合を見ている若い選手には、独特のプレッシャーがある。
- 自分が入ったら何を求められるのか
- 誰の代わりに、どのポジションで、どんな役割を担うのか
- チームがうまくいっているとき、流れを壊さないために何を優先すべきか
しかもこの試合のように、内容では優位だがスコアは負けている、という状況では、「何かを変えなければ」という意識が自然と強くなる。 そこで、「自分がヒーローになろう」と力んでしまうこともあれば、「ミスしたらどうしよう」と慎重になりすぎることもある。
オチョアは、そのどちらにも振り切らず、「必要とされている役割」を選んだように見える。 負傷で下がったダニ・ロレンソの代わりに、ボールを受けて向きを変え、前進のためのラストパスを狙う。 そういう「間」を埋めるプレーを、ユース年代の選手が出来ていることに、監督は強い手応えを感じている。
自分がもし彼の立場なら、どうするだろうか。
- ゴールやアシストを急いで狙いにいくか
- まずはシンプルに味方に預けて、試合に慣れることを優先するか
- 監督が求めている「試合の流れ」を崩さない選択を、どこまで意識できるか
どれも間違いではない。 ただ、「チームとして何を続けるべきか」を感じ取りながら選ぶことができたとき、その一歩は、ただの交代出場以上の意味を持ち始める。
- 優位な展開で「急がない」選択がどれほど難しいかを観察する — スタジアムの「行け!」という空気の中で、あえてテンポを落とす選択をするには何が必要かを考えながら観戦すると、プレーの見方が変わる
- ベンチから試合を観るとき「自分ならどう入るか」を考える習慣をつける — 誰が、どのタイミングで交代しても「自分が入ったら何を優先するか」を常に考えることが、実際に出場したときの判断を早くする
- ロスタイムのドラマは「奇跡」ではなく積み重ねだと知る — 80分・85分・92分の判断の蓄積がドラマを生む。子どもが試合で「なぜその選択をしたのか」を問われたとき答えられるよう話し合う機会を持つ
得点を重ねる選手に求められる「次のレベル」
マラガの中で、今シーズン大きく存在感を増しているのが、ダビド・ラルビアだ。 この試合で2ゴールを決め、監督からは「今季は一定のゴール数を目標にしよう」と言われていたこと、その目標に向かって着実に積み上げていることが語られた。
監督は、ラルビアのポテンシャルを以前から理解しており、「彼の力をよく知っている」と表現したうえで、「本当に難しいのは、それを続けることだ」とも話している。 つまり、単発で良い試合をすることと、シーズンを通して同じ質を保つことは、全く別のチャレンジだという視点だ。
日本の育成年代でも、ある年に突然ゴールを量産する選手が出てくることがある。 しかし翌シーズンには相手のマークもきつくなり、自由にプレーできなくなる。 そこで、「相手が自分をどう見ているか」を踏まえて、次の一手を考えられるかどうかが分かれ目になる。
ラルビアに監督が求めているのは、おそらく「数字」と「役割」の両立だろう。
- 自分のゴール数という、目に見える指標
- チームの攻撃全体をどうスムーズにするかという、目に見えにくい貢献
この二つは、ときに矛盾する。 自分でシュートを打てばゴールに近づくが、味方にパスを出せばチームとしての攻撃が広がるかもしれない。 その一瞬の「打つか、預けるか」の判断をどう選ぶか。 どちらを選んだとしても、「そのとき何を見て、何を優先したのか」を自分で説明できるかどうか。 そこに、次のレベルへのヒントが隠れているのかもしれない。
「守る場所」をどこに設定するかという考え方
フネス監督は、「自分たちはゴールから離れた位置で守らなければいけない」とも話している。 これは、単なる守備のライン設定の話ではなく、試合全体の考え方につながっている。
相手を自陣に押し込むスタイルを目指すなら、
- ボールを失った瞬間にどれだけ早く奪い返すか
- 前線からのプレスで、どこまでラインを押し上げられるか
- 相手のロングボールに対して、セカンドボールをどこで拾うか
といった要素が重要になる。 この試合でマラガは、相手のシュートを最小限に抑え込むことで、「守る時間」を攻撃の中に溶かし込もうとしていたとも読み取れる。
しかし、それでも失点は起こる。 数少ない相手のシュートが決まってしまったとき、チームは何を考えるか。
「こんなにボールを持っているのに失点してしまった」と嘆くのか。 それとも、「自分たちの守備の原則を、どこかで手放してしまった」と振り返るのか。
日本では、ときに「押し込んでいるのにワンチャンスでやられた」という言葉が聞かれる。 だが、そこには「攻めている時間も守っている時間の一部である」という考え方が、まだ十分に共有されていないのかもしれない。
もし自分がセンターバックで、チームがボールを持っている時間が長かったとしたら。 そのとき、自分は「攻撃にはほとんど関係ない」存在として立っているのか。 それとも、「次にボールを失ったらどこを消すか」を考えながらポジションを取っているのか。 同じ90分でも、そこで見えてくる景色はまるで違う。
判定への感情と、プレーへの集中のあいだ

この試合では、文化レオネサ側のゴールがファウルの判定で取り消される場面もあった。 また、前節のアンドゥバでのPK判定に絡めて、監督は「もしあれがPKなら、今日はあれがファウルだ」と、判定の一貫性への疑問も口にしている。
サッカーにおいて、審判の判定は常に議論の対象だ。 VARが導入されても、「完全な正解」が保証されたわけではない。 判定に納得できないとき、選手や監督はどう気持ちを整理し、次のプレーに向かうか。
フネス監督のコメントからは、「判定に対する違和感」を示しつつも、「前の試合でもそう言った以上、今日も同じ基準で考える」という、一種の筋の通し方が見えてくる。 そこには、「判定の不満をチームの言い訳にはしない」という意志も感じ取れる。
試合の中で、理不尽に思える判定は必ず起こる。 日本の育成年代の試合でも、PKやオフサイドをめぐって、選手やベンチが感情的になる場面は珍しくない。 そのとき、「審判が悪い」とだけ考えるのか。 それとも、「判定は変えられない前提として、その後の1分間をどう使うか」を選ぶのか。
自分ならどうだろう。 笛に納得がいかないとき、次のワンプレーで冷静な判断ができるだろうか。 それとも、心のどこかでまだ「さっきの判定」にとらわれたまま、ボールに向かってしまうだろうか。
「93分」をどう迎えるかという問い
マラガはこの日、ロサレーダの後押しを受けながら、93分を待たずに勝ち切るだけの内容を示していた。 監督はそう確信していたし、数字もそれを裏付けていた。 それでも、スコアボードに映し出される現実は、なかなか彼らの思い通りには動いてくれなかった。
それでもチームは、焦りに飲み込まれずに、自分たちのやり方を手放さなかった。 若い選手は、自分に託された役割を受け取り、ベテランは試合のリズムを整えることを選んだ。 得点を重ねる選手には、「数字」と「継続」という新しい課題が差し出される。
日本でも、ロスタイムにドラマが生まれる試合はたくさんある。 ただ、そのドラマは「奇跡」や「根性」だけで説明できるものではないはずだ。 その前の80分、85分、92分までの間に、どんな判断が積み重ねられてきたのか。 どんな場面で「急がない」ことが選ばれ、どんな瞬間に「リスクを取る」ことが決断されたのか。
自分なら、どう93分を迎えるだろう。
- スコアに追われて、プレーが雑になってはいないか
- 相手の疲れや味方の動きから、ほんの少しのヒントを拾い続けているか
- ミスや判定への不満にとらわれず、今のプレーに戻ってこられているか
答えは、誰かが代わりに教えてくれるものではない。 試合ごと、プレーごとに、自分の中で選び直していくしかない。
ロサレーダで積み上がった93分までの時間は、マラガだけの物語ではない。 ピッチに立つすべての選手、タッチラインの外から見守る保護者や指導者に、「自分ならどうするか」と静かに問いかけている。
最後の笛が鳴ったあとに残るのは、勝ち負けの数字だけではない。 その90分間に、自分がどんな考え方を選び取ったのかという、小さな記憶であるはずだ。
