降格圏からCL出場へ――膵臓がんと闘いながらブレストを変えたエリック・ロワが、指導者に残した問い
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ピッチの外側で、彼は何を抱えていたのか
2023年1月、スタッド・ブレストは降格圏に沈んでいた。
フランス西端の港町にあるこのクラブは、決して潤沢な予算を持つわけではない。
それでも、クラブ会長ドニ・ル・サンはその冬、ひとつの軸を持ってヘッドコーチを探した。
「監督である前に、マネージャーである人間を」という基準だった。
そこに現れたのが、エリック・ロワという男だった。
指標では測れないものを、彼は持っていた
現代のサッカーは、データの時代に入って久しい。
プレッシングの強度、ライン間のスペース活用率、ボールロスト後の秒数。
あらゆるものが数値化され、指導者はその数字と対話しながら戦術を組み立てる。
エリック・ロワが、そうした要素を軽視したとは思わない。
ただ、彼の周囲にいた人々が語るとき、出てくる言葉はそういう種類ではなかった。
「人間として、偉大な人だった」とクラブ会長は振り返る。
「本当に彼のことが好きだった」と、チームキャプテンのブレンダン・シャルドネは声を詰まらせた。
データが示さないもの──それは、信頼の手触りだ。
降格圏から、チャンピオンズリーグへ
ロワが指揮を執ってから、ブレストは変わっていった。
残留を確保し、翌シーズンにはリーグ3位でフィニッシュ。
フランスのトップリーグでチャンピオンズリーグの出場権を手にするというのは、強大なPSGやモナコが存在するなかで、どれほどの成果であるかは想像に難くない。
シャルドネが「クラブの歴史で最高のシーズンだった」と語ったのは、単なる感傷ではないだろう。
では、何がブレストを変えたのか。
戦術の刷新だったのか。
補強の成功だったのか。
それとも、もっと別の何かだったのか。
監督は、何をマネジメントしているのか
「マネージャー」という言葉は、日本のサッカー現場ではしばしば「選手の管理者」として理解される。
規律を保ち、戦術を徹底させ、チームをひとつの方向に動かす人。
しかしドニ・ル・サンが求めたマネージャーとは、少し違うものだったのではないかと思う。
選手を管理するのではなく、選手が自分で判断できる環境をつくる人。
不安を排除するのではなく、不安と共に立っていられる人。
指示を出す前に、まず聴く人。
エリック・ロワという指導者が残した功績は、スタッツシートの上だけにあるわけではないのかもしれない。
| 観点 | 管理型(規律・指示中心) | 信頼構築型(ロワ方式) | 評価 |
|---|---|---|---|
| 短期的な戦術遂行度 | ◎ 指示が明確で動きが揃いやすい | △ 個人の判断に委ねる部分が多くぶれが生じやすい | 管理型が有利 |
| 選手の主体的判断力 | △ 指示待ちになりやすい | ◎ 自分で考え動く選手が育ちやすい | 信頼構築型が有利 |
| 降格危機など逆境での結束 | △ 不安を外から抑えるアプローチは限界がある | ◎ 「この人についていけば」という感覚が選手を動かす | 信頼構築型が有利 |
| 選手がコーチを語る言葉 | △ 「厳しかった」「規律があった」などの言及が中心 | ◎ 「人間として偉大だった」という言葉が自然に出てくる | 信頼構築型が有利 |
| クラブ全体の文化形成 | △ 規律はあるが文化の継承が難しい | ◎ 「何かを語り継ぎたい」という空気が生まれる | 信頼構築型が有利 |
病と闘いながら、ピッチに立ち続けた
ロワが膵臓がんを患いながら、指揮を続けていたことは知られている。
ブレストの病院に通う彼の姿を、地元のサポーターたちは目にしていた。
それでも誰もその話を外に漏らさなかったと、クラブ会長は語っている。
なぜ黙っていたのかは、そこにいた人たちにしかわからない。
ただ、ひとつ想像できることがある。
「彼が病気だからではなく、彼自身の仕事を見てほしかった」という意志が、クラブ全体に流れていたのではないか、と。
フランスサッカー連盟の会長は、「彼の闘病には、誰もが頭を下げるべき意志の強さがあった」と述べた。
その言葉は、ロワの戦術論でも実績への賞賛でもなく、一人の人間の在り方への敬意だった。
指導者を選ぶということ、選ばれるということ
日本でも、指導者の選択はクラブの未来を大きく左右する。
予算規模の小さなクラブほど、「知名度」や「経歴」よりも「人柄」や「文化的な相性」を重視することがある。
それは一見、非科学的に映るかもしれない。
しかし、ブレストのケースを見ると、その直感の中に深い理由があったことがわかる。
降格の崖っぷちに立たされたとき、選手たちが頼れるのは戦術書ではなく、隣に立っている人間だ。
「この人についていけば、何かが変わるかもしれない」という感覚を、どれだけ引き出せるか。
それもまた、指導者としての能力のひとつであることは間違いない。
- 選手の状態を「試合の前に感じる」習慣を持つ — 戦術的な準備の前に、今日その選手が何を必要としているかを観察する時間を作る
- 「この子に何が必要か」という問いを毎回の練習に持ち込む — 全体への指示だけでなく、個別の状態に応じた関わり方を変える柔軟性を持つ
- 不安を排除しようとせず、不安と共に立ち続ける姿勢を示す — 降格圏のような逆境で選手が頼れるのは戦術書ではなく、隣に立っている人間だと知っておく
- 指導者を「戦術の知識量」だけで評価しない視点を持つ — データや経歴ではなく「この人と練習したいか」という感覚も重要な判断軸になる
- 指導者に「なぜ自分を起用しないのか」を直接聞く勇気を持つ — 聴いてくれる指導者かどうか自体が、信頼関係の入り口になる
- チームの逆境期に指導者がどう振る舞うかを観察する — 結果が出ない時期の指導者の言葉と態度が、信頼の本質を映し出す
育成の現場でも、問いは同じかもしれない
ジュニアやユースを指導する立場にある人たちも、同じ問いに直面することがある。
「どんな言葉をかければいいか」
「どのタイミングで介入すべきか」
「この子が今、何を必要としているか」
戦術の前に、人をどう見るか。
試合の前に、その子の状態をどう感じるか。
エリック・ロワが「人間として偉大だった」と言われるとき、そこには技術論を超えた何かがある。
そしてその「何か」は、プロの現場だけに存在するわけではない。
答えは出なくていい、でも問いは残る
ディディエ・デシャンはロワへの追悼コメントの中で、「ピッチの外で出会い、彼のことを知るようになった」と語っている。
フランス代表の監督と、地方クラブの指揮官。
立場は違う。
予算も、注目度も、背負うものの大きさも。
それでも、ピッチの外の人間として出会ったとき、そこに残るものが確かにあった。
サッカーという競技は、90分間の中に多くのドラマを持つ。
しかしときに、最も重要な出来事はピッチの外で起きている。
どんな環境の中でも誠実であろうとした指導者が、58歳という年齢でその場を去った。
彼が選手たちに伝えたかったことは何だったのか。
そして彼が指揮台に立ち続けたのは、勝利のためだけだったのか。
その問いに、簡単に答えを出す必要はないのかもしれない。
ただ、「なぜ彼はそう選んだのか」という問いを持つこと自体が、サッカーをもう少し深いところから見つめる入り口になる気がする。
人が去った後に語られる言葉は、その人が何を大切にしていたかを映す鏡だ。
エリック・ロワの周囲にいた人々が語ったのは、戦術でも記録でもなく、「人」そのものについてだった。
そのことが、静かに、しかし確かに、何かを伝えている。
同じクラブの監督が何度も入れ替わるのを、一サポーターではなく一プレーヤーとして肌で受け取っていた時期がある。監督が代わるたびにチームの空気がまるごと変わる経験を何度もした。戦術が変わることより、その人間が発する言葉やピッチサイドでの振る舞いが、選手の動きに直結していることを体感として知っている。
「データが示さない信頼の手触り」という表現が、この記事には出てくる。その感覚は確かに存在する。でも、それをどうやって選手との間に作るのかは、簡単には言語化できない。あなたが今関わっている選手は、あなたのことをどんな言葉で語ると思いますか。
