守られるだけの選手から、選び取る選手へ──スペイン発・新しい選手会が投げかける問い
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「守られる側」から「選び取る側」へ──スペイン発・新しい選手会の動きから考えること

マドリードに、新しい「キックオフ」の笛が鳴ろうとしています。
試合ではありません。
スペインのサッカー選手会(AFE)が、スイス、メキシコ、ブラジル、南アフリカなど複数の国の選手会とともに、国際選手会FIFPROを離れ、新しい世界組織を立ち上げようとしている、というニュースです。
会長のダビド・アガンソを中心に、マドリードを拠点とした新しい国際組織をつくる。
背景には、「今の仕組みでは、選手を守れていないのではないか」という不満や、「政治的な思惑に縛られて動けなくなっているのではないか」という疑問があります。
一見すると、これは大人たちの世界の「組織のケンカ」にも見えます。
でも、少し視点を変えると、これはひとりのサッカー選手が「自分のプレーをどう守るか」を考えるのと、とてもよく似た出来事にも見えてきます。
疲れた身体で、誰のために走るのか──72時間ルールが投げかける問い
「休ませてほしい」は、わがままなのか
FIFAの会長ジャンニ・インファンティノは、2025年に世界各国の選手会の代表たちと、2度にわたって話し合いを持ちました。
議題には、こんなものがあったと伝えられています。
- 試合と試合の間に、最低72時間の休養を保証してほしい
- 給与の未払いが生じたときのための「保証基金」を復活させてほしい
- FIFAの一部の意思決定の場に、選手会の代表も参加させてほしい
つまり、「試合が増えすぎて選手の身体がもたない」「お金が払われない選手もいる」「選手のいないところで、勝手に大事なことを決めないでほしい」という訴えです。
もし自分が選手だとして、週に2試合、3試合とこなす日程を想像してみるとどうでしょうか。
身体の疲れだけでなく、頭も重くなり、判断も遅くなっていく。
それでも「ファンがいるから」「クラブのために」「代表のために」と、走り続けてしまう。
そんなとき、本来なら「ブレーキ役」になってくれるはずの存在が選手会です。
けれど今回、FIFAと直接話し合いに応じたいくつかの国の選手会は、FIFPROから処分を受けかけました。
スペインのAFE、そして会長のアガンソも、その中に含まれていたとされています。
「選手のために動いた結果、選手会同士の関係で罰を受けるかもしれない」。
このねじれは、グラウンドの上でも、どこか見覚えがないでしょうか。
チームのためを思って声を上げた選手が、「和を乱した」と見なされてしまう場面。
指導者にとっても、クラブにとっても、難しい局面です。
| 観点 | FIFPro(既存) | AFE主導の新組織(構想) | 評価 |
|---|---|---|---|
| 組織規模 | 世界最大の選手会連合 | スペイン・スイス・メキシコ等数カ国 | △ 規模では劣勢 |
| 意思決定への選手参加 | 選手会との協議が形骸化との批判 | 意思決定の場に選手代表を参加させる方針 | ◎ 改善 |
| 加盟基準 | 国内活動問わず広く受け入れ | 「自国で権利保護実績あること」を条件に | ◎ 質重視 |
| プラン・マイアミへの対応 | 対応なし | AFEが選手の声をまとめ計画を白紙撤回 | ◎ 成果あり |
| 72時間ルール | FIFAとの直接交渉を一部選手会が実施 | 保証基金復活・試合間隔の担保を要求 | ○ 進行中 |
| FIFAとの関係 | FIFAへの批判で内部処分のリスク | FIFAと直接交渉を維持しながら独立行動 | △ 不安定 |
カレンダーを埋める試合と、「見えない疲労」
AFEなどが問題視しているのは、FIFAやUEFAが新しい大会を次々に生み出し、カレンダーがどんどん埋まっていくことです。
ファンとしては、ビッグマッチが増えるのは楽しいかもしれません。
クラブとしては、収入のチャンスが増えます。
でも、ピッチに立つ選手の足には、その1試合ごとの「消耗」が静かに積み重なっていきます。
筋肉だけではなく、集中力、決断力、自信。
本来なら、1回1回のプレーに全力で「考えて」関わりたいところを、頭が回らず反射的なプレーが増え、「とりあえず蹴る」「とりあえず走る」に傾いてしまうこともあるかもしれません。
それは、選手のキャリア全体で見れば、どんな影響を持つのでしょうか。
若い選手ほど、多くの試合に出たいと願うものです。
でも本当は、「出られるだけ出る」のではなく、「どう積み重ねていくか」を選ぶ力が求められているのかもしれません。
「プラン・マイアミ」が映した、選手とビジネスの距離
- 選手が声を上げられる場を設ける — AFEのケースのように、選手が「言えない」環境ではなく、チーム内で意見を表明できる仕組みを意識的に作る。ミーティングや個別面談で「どう感じているか」を定期的に聞く。
- 過密日程と「見えない疲労」を数値化する — 「走れていない」の前に、何試合目の連続か・練習強度はどうかを確認する。気持ちの問題と身体の問題を分けて分析し、采配に反映する。
- 「チームのために動いた選手が罰せられない」文化をつくる — 声を上げた選手が「和を乱した」と見なされる場面を防ぐ。積極的に問題提起した選手を尊重する態度を指導者が示す。
ビッグマッチを海外で──誰のための試合だったのか
AFEの姿勢を象徴する出来事として、スペインの「プラン・マイアミ」の話が挙げられます。
スペイン・リーグの試合、ビジャレアル対バルセロナを、アメリカ・マイアミで開催しようとする計画がありました。
リーグ側や、興行を担当する企業にとっては、新しい市場へのアピールのチャンスです。
世界中のファンにとっても、魅力的に映るかもしれません。
しかし、スペインの選手たちは、この計画に強く反発しました。
理由として挙がったのは、十分な説明がないこと、国内のファンのこと、そして移動や環境の変化が選手のコンディションに与える影響などです。
AFEは、選手たちの声をまとめ、リーグ、協会、UEFA、FIFAなどを相手に、計画の見直しを求めていきました。
最終的に、この試合がマイアミで開催されることはありませんでした。
この一連の流れは、「選手がまとまって意見を持てば、巨大なプランも止められる」という例として、他国の選手会からも注目されています。
- 「休ませてほしい」はわがままではない — 試合と試合の間に最低72時間の休養を求めるのは、プロ選手の正当な権利だという議論がある。子どもの疲労サインを「甘え」と片づけず、身体の声を聞く習慣を持つ。
- 「誰のための試合か」を問う目を育てる — プラン・マイアミのように、選手より興行が優先されたと感じる場面が子どものサッカーにもある。「この試合は誰のために行われているのか」を親子で話し合うきっかけにする。
- チームへの不満を「選択」として考える — 出場機会・練習環境・指導方針への不満を単なる感情で終わらせず、「ではどうするか」を一緒に考える。移籍・残留・改善提案など、選択肢を整理して判断する経験が選手を成長させる。
日本で同じことが起きたら、どう考えるだろう
ここで少し、日本に置き換えて考えてみたくなります。
もしJリーグの公式戦が、ある日突然、海外で開催されると発表されたらどうでしょうか。
選手は何を感じるのか。
クラブはどう説明するのか。
サポーターや保護者は、何を問いかけるのか。
「新しい挑戦だからいいじゃないか」という見方もあるでしょう。
「選手や地元のサポーターを置き去りにしていないか」という心配もあるでしょう。
どちらが正しい、間違っている、という話ではなく、「誰と、どこまで話し合えているか」が問われる出来事なのかもしれません。
AFEが強調したのは、「説明が足りない」「当事者である選手が置いていかれている」という点でした。
同じような場面で、自分ならどうするか。
プレーヤーとして。
指導者として。
保護者として。
一度立ち止まって考えてみる価値があるテーマです。
「守ってくれる組織」から、「自分たちで選ぶ組織」へ
新しい国際組織をつくる、というリスク
AFEやメキシコ、ブラジル、スイス、南アフリカなどが新しい国際組織をつくろうとする背景には、「FIFPROは大きくなりすぎて、選手から遠くなってしまったのでは」という失望があります。
透明性の不足、政治的な駆け引き、FIFAとの関係の悪化。
そうしたものが重なり、「このままでは選手を守れない」と感じる国が増えた、と報じられています。
だからといって、新しい組織をつくることは、簡単ではありません。
- FIFPROほどの資金力は、すぐには持てない
- FIFAやUEFAとの交渉力も、当初は弱いかもしれない
- 世界中の選手たちから「本当に信頼できるのか」を試される
それでも彼らは、「数を増やすためだけに加盟を広げることはしない」と考えているようです。
条件として挙げられているのは、「自国でしっかり選手の権利を守る活動をしていること」「労働条件についての協約を持っていること」など。
つまり、「国内でプレーヤーと向き合えていない組織」が、国際舞台に出ていくのは違うのではないか、という考え方です。
目先の「規模」よりも、「中身」を優先しようとする姿勢とも言えます。
日本の現場にどう映るだろう
このニュースを日本から眺めるとき、「ほかの国の話」で終わらせることもできます。
でも、こんな問いを自分たちの足元に向けてみることもできそうです。
- 自分が所属するチームやクラブは、選手の声をどこまで聞いているだろうか
- 選手自身は、自分のコンディションや不安を、どれくらい言葉にできているだろうか
- 保護者として、試合数や遠征の負担について、どこまで「なぜ」を問いかけられているだろうか
選手にとって一番簡単なのは、「大人が決めたことに従う」ことです。
指導者にとって一番楽なのは、「上から降りてきた方針をそのまま伝える」ことかもしれません。
けれどAFEたちは、「決められる側」でいることに疑問を持ち、「決める側」として責任を引き受ける道を選びつつあります。
それは、ピッチの上で「監督の指示どおりに動く」だけの選手から、「ピッチの状況を自分で読み、プレーを選び取る」選手になっていく過程にも、どこか重なります。
判断を急がない勇気──「新組織」が本当に選手の味方かは、これから試される
今はまだ、スタートラインに立っただけ
もちろん、新しい国際組織の構想が、すべて正しく、すべてうまくいく保証はありません。
名前もまだ確定していません。
「国際プロサッカー選手協会」「国際選手会連盟」といった案が検討されている段階だと伝えられています。
最初は、FIFPROよりも小さな存在かもしれません。
運営の透明性や、実際の交渉力なども、これから問われていきます。
AFEも、アガンソも、完璧ではないでしょう。
プラン・マイアミを止めたことや、FIFAとの対話に踏み出した行動は評価されても、別の場面では批判を受けることもきっとあるはずです。
だからこそ、この動きを「FIFPROが悪くて、新組織が正しい」といった単純な図式で見てしまうと、大事なものを見落としてしまいそうです。
「自分ならどうするか」を、急いで決めない
このニュースを目にしたとき、自分の中にどんな感情が生まれたか。
「やっと選手が声を上げた」と感じた人もいれば、「また政治的な争いが増えるだけでは」と感じた人もいるかもしれません。
どちらも、自然な反応です。
大切なのは、そこで考えることを止めないこと。
ピッチの上で、「とりあえず前へ蹴る」だけではなく、「本当に今、前に蹴るべきか?」と一瞬迷うように。
「選手の権利を守る」と聞いたときも、「それは、具体的には何を意味するのか?」「自分の周りでは、どんなことが起きているのか?」と、立ち止まりながら考えてみる。
たとえば日本の育成年代でも、似たような構図が存在します。
- 試合数は増やしたほうがいいのか、減らしたほうがいいのか
- 長距離移動の遠征は、どこまで必要なのか
- 選手が「休みたい」と言える雰囲気はあるのか
どれも簡単に答えが出る話ではありません。
でも、「誰かが決めてくれるから」と思考を止めてしまうか、「自分ならどう感じるか」「チームとしてどう在りたいか」を言葉にしようとするかで、見えてくる景色は変わります。
サッカーを続けるために、「声を出す」というプレーを身につける
プレーの判断と、人生の判断はつながっている
AFEたちが新しい組織を立ち上げようとしているのは、世界のトップレベルの話です。
けれど、その根っこにあるのは、とてもシンプルな問いのようにも見えます。
「自分のサッカー人生を、誰に預けるのか。」
監督に従うことも必要です。
クラブの方針を理解することも、大事です。
一方で、「自分の身体の状態」「自分の将来」「プレーヤーとして何を大切にしたいか」を、自分なりに言葉にしていくことも、同じくらい大切です。
AFEの選手たちは、まさに今、それを組織のレベルでやろうとしています。
FIFPROに残りながら、内部から変革を求める道もあったはずです。
あえて出ていくという選択は、大きなリスクを伴います。
それでも、「このままではいけない」と感じたからこその決断なのでしょう。
その選択が正しかったかどうかは、数年、あるいはもっと先にならないと分からないのかもしれません。
いま、目の前のボールにどう向き合うか

プロの世界の大きな動きは、遠い世界の話に見えるかもしれません。
それでも、こんなふうに自分の日常に引き寄せてみることができます。
- 今日の練習で、分からないことを「分からない」と言えただろうか
- 試合に出たい気持ちと、身体の違和感、その両方を正直に伝えられているだろうか
- 子どもの声を、結果だけで判断せず、奥にある不安や葛藤まで聞こうとしているだろうか
サッカーは、誰かに指示されたコースをなぞる競技ではありません。
状況を見て、考えて、その瞬間の最善を選び続けるスポーツです。
AFEや他国の選手会が新しい一歩を踏み出した今、そのニュースをどう受け取るかも、ひとつの「判断」です。
FIFPROを批判するのか、新組織を持ち上げるのか、それとも様子を見るのか。
もしかしたら、急いで答えを出さず、「何が起きているのか」を追い続けてみる、という選び方もあるかもしれません。
試合のラストプレーで、あえて慌ててシュートを打たず、ワンタッチ置いて状況を見ることがあるように。
自分のサッカーを、自分の人生を、誰に預けるのか。
その問いに、すぐに結論を出さなくてもいい。
ただ、「自分で選ぶ」という感覚だけは、手放さないでいたいものです。
新しい選手会の動きは、その感覚をもう一度確かめる静かなきっかけを、遠くマドリードから運んできているのかもしれません。
