アレックス・ポアタンの“階級アップ”から学ぶ──ポジション変更やカテゴリー昇格に悩むサッカー選手のための「変えない核」と「適応する勇気」
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カテゴリーを変える、という決断からサッカーを考える

オクタゴンの中央で、新しい階級に挑もうとしているアレックス・ポアタン。
いつもより重い相手、いつもと違うリズム、そして「歴史的な一戦」と呼ばれる舞台。
そのブラジル人ファイターが語ったのは、派手な決意表明ではなく、「あまり何も変えていない」という静かな言葉でした。
階級を上げるという大きな決断をしながら、日々のルーティンは大きく変えない。
自分のやり方を信じる一方で、新しい相手への適応も口にする。
その揺れ動くバランス感覚は、サッカーをしている私たちにもどこか重なるものがあるのではないでしょうか。
「新しいカテゴリー」に飛び込む勇気
なぜ、あえて別の世界に踏み込むのか
ポアタンが挑むのは、ヘビー級という新しい階級です。
これまでの実績が通用するかどうかも分からない、力も体格も違う世界への挑戦です。
相手は、UFCで暫定王者の経験もあるシリル・ガーヌ。
体の大きさだけでなく、「ヘビー級らしくない」と評される独特の動き方を持ったファイターです。
ポアタンは、その動きを最大の特徴として挙げ、「そこにしっかり対応したい」と語っています。
サッカーで置き換えると、こんな状況に似ているかもしれません。
- 長くセンターバックをやってきた選手が、突然ボランチを任される
- 地域トップのチームから、全国レベルのクラブに移籍する
- 中学生から高校生へとカテゴリーが上がり、当たりの強さも、スピードも、求められるものも変わる
これまで評価されてきた自分のスタイルを、あえて違う環境で試す。
「今の場所でヒーローのままでいる」のではなく、「また一からやり直すかもしれない場所」を選ぶ。
そこには、単なる向上心だけではない、いくつかの問いが隠れているように感じます。
もし自分が選手なら、同じように新しいカテゴリーに飛び込む選択をするでしょうか。
それとも、今のポジションやチームにとどまるでしょうか。
| 観点 | 全部変える型 | 核を残し適応する型 | 頑なに守る型 |
|---|---|---|---|
| プレースタイル | 求められた役割に合わせて大きく変える | 核は保ちつつ新しい要求に少しずつ適応 | 自分の得意領域を優先し変更に慎重 |
| ルーティン | 新環境に合わせ刷新 | 日々のルーティンは変えず土台にする | 従来通り維持 |
| 相手分析 | 総入れ替えで再構築 | 相手の特徴に絞って対応策を準備 | 従来の対戦相手像で見る |
| リスク | 自分の良さを失う恐れ | 適応に時間はかかるが軸は崩れない | 新環境で通用しない恐れ |
| ポアタンのアプローチ | △ | ◎ 該当 | ○ 部分的に該当 |
日本のサッカーでいう「カテゴリーアップ」の難しさ
日本でも、ジュニアからジュニアユース、ユース、そして大学やプロへ。
カテゴリーが上がるたびに、多くの選手が「ここまでは通用していたけど、次ではどうだろう」と不安を抱えます。
たとえば、ある中学生の選手は、地元ではエースで10番を背負っていたとします。
しかし強豪高校に入ると、同じような選手が何人もいて、自分はサイドバックからのスタートになるかもしれない。
そのとき、その選手の中では、いくつもの選択肢が行ったり来たりします。
- 慣れないポジションでも挑戦するか
- 別の学校で「10番」を貫く道を選ぶか
- 一度サッカーから距離を置くか
どれも、簡単に「正解」とは言い切れません。
ポアタンが新しい階級に挑むというニュースを聞いたとき、その「決断の重さ」は、こうしたサッカーの現場にもつながっているように感じました。
自分の現在地を認めながら、「もう一段上の世界」に踏み出す勇気。
それは、技術やフィジカルの問題だけではなく、「自分のものさしをどこに置くか」という問いでもあります。
「あまり変えない」という準備の仕方
- 「ここを変えてほしい」と「ここは残してほしい」を分けて伝える — 役割変更指示は核と適応を区別して言語化する
- ルーティンを「習慣」ではなく「土台」として扱う — 練習前の自主ボール・試合後ノート等を継続価値で評価する
- 結果が見えない選択も振り返り材料にする — 失敗時に「なぜそう選んだか」を一緒に言葉化する場を設計する
全部を変えるか、核を残すか
ポアタンは、新しい階級への挑戦にあたって、「特別に大きく変えたことはない」と語っています。
日々のトレーニングを続け、その延長線上で新しいチャレンジに入っていく。
一方で、相手の特徴である「重さのある選手なのに、軽量級のように動く」部分には、しっかりと目を向けている。
つまり、「変えない部分」と「適応する部分」を自分の中で切り分けているように見えます。
サッカーの選手にとっても、これは難しいテーマです。
たとえば、高校に入って監督からこう言われたとします。
「君は技術があるから、もっと守備で走って、ボールを奪う役割もやってほしい」
そのとき、選手の中にはこんな声が生まれるかもしれません。
- 「自分の良さはボールを持ったときなのに」
- 「守備に追われて、攻撃の部分が消えてしまわないか」
ここで選択肢は分かれます。
- 求められた役割に合わせて、プレースタイルを大きく変えていく
- 自分の得意な部分を優先し、役割の変更に慎重になる
- 自分の核の部分は保ちながら、新しい要求に少しずつ適応していく
ポアタンのアプローチは、三つ目に近いように見えます。
「自分のやり方」を手放さないけれど、「相手に対応する準備」は怠らない。
日本の育成年代でも、もし新しい監督やコーチに「ここを変えてほしい」と言われたら、自分ならどこまで変えるのか。
どこを絶対に残したいのか。
一度立ち止まって考えてみる価値があるテーマかもしれません。
- 自分の「絶対に残したい部分」を1つ決める — 何を変え何を残すか境界線を自分で引く
- 小さなルーティンを「自分を整える仕組み」にする — 試合前夜のスマホ手放し等を意識化して続ける
- 「10番の場所」と「次のカテゴリー」のどちらを選ぶか自問する — エースのまま残るか挑戦かを家族と言葉にする
ルーティンの意味を考える
ポアタンが「日々のルーティンを変えずに準備している」と語る背景には、もうひとつの物語があります。
彼は、自身のキャリアを語るときに、戦績やベルトだけでなく、「アルコール依存と向き合った過去」にも触れています。
戦う相手は、必ずしもリングの中だけではなかったということです。
そこから抜け出した彼にとって、「毎日同じ時間にジムに行く」「同じ流れでトレーニングを積み上げる」といったルーティンは、単なる準備ではないのかもしれません。
生活を安定させ、自分を保つための「土台」でもあるはずです。
サッカーでも、ルーティンを「ただの習慣」と見るか、「自分を守るための仕組み」と見るかで、意味は大きく変わってきます。
- 練習前に必ず10分、自主的にボールを触る
- 試合前夜は、決まった時間にスマホを手放す
- 試合後に、良かったことと課題をノートに書き出す
こうした小さなルーティンも、「何となくやる」のと、「自分を整えるためにやる」のとでは、続き方も、意味も変わってきます。
もし自分が、何かを変えたいと思いながらもうまくいかないと感じているなら、「ルーティンそのものを見直す」視点も持てるかもしれません。
レガシーをどう捉えるかという問い
「三つのベルト」よりも、その先にあるもの
ポアタンは、新しい階級への挑戦や歴史的なイベントへの参加に触れながら、「三つの階級でベルトを獲りたい」という目標も口にしています。
それは格闘技の世界でも極めて珍しいことで、「史上最高」の一人として名前が刻まれる可能性もあります。
けれど彼は、それを自慢としてではなく、「自分の歩んできた道を、多くの人に伝えるための入り口」として語っています。
トロフィーやタイトルは、あくまで物語を語るための「鍵」に過ぎないのかもしれません。
サッカーの世界でも、「タイトル」「全国出場」「プロ契約」といった分かりやすい目標があります。
しかし、その先に何を見ているかは、人によってまったく違うはずです。
- プロになって、家族に楽をさせたい
- サッカーを通して、地元の子どもたちに夢を見せたい
- 指導者になって、自分が救われたように、誰かの居場所をつくりたい
もし自分が「何かを目指している」と感じているなら、その目標のさらに一歩先に、どんな景色を見たいのか、静かに問いかけてみてもいいかもしれません。
ポアタンが語る「レガシー」は、「偉業」というよりも、「自分の歩みを誰かに手渡す」感覚に近いように聞こえます。
それは、サッカー選手や指導者、保護者にも通じる視点かもしれません。
日本サッカーでの「レガシー」を考える
日本のサッカー界でも、ワールドカップで活躍した選手や、海外でタイトルを獲った選手が増えてきました。
そうした選手たちは、単に「すごい選手」として称えられるだけでなく、その後の歩みによって「どんなものを残すのか」が問われ始めています。
ジュニアやユースの現場で一緒にボールを蹴る。
自分の経験を、成功も失敗も含めて言葉にする。
クラブや地域の育成環境に関わっていく。
「レガシー」というと大きな言葉に聞こえますが、実際にはこうした一つ一つの選択の積み重ねです。
現役の選手であっても、「自分はサッカーを通じて、何を次の世代に残したいのか」と考え始めたとき、プレーの見え方が少し変わってくるかもしれません。
「答えを急がない」強さ
うまくいくかどうかは誰にも分からない

ポアタンがヘビー級に挑むことが、「成功」で終わるのか、「厳しい結果」に終わるのかは、誰にも分かりません。
三つの階級でベルトを獲るという夢も、今の時点では「可能性」でしかありません。
それでも彼は、自分の歩みと向き合い、自分の選択としてリングに上がります。
サッカーでも、ポジション変更、進路選択、チーム移籍など、結果が見えない選択の連続です。
「この選択が正解です」と誰かが保証してくれることは、ほとんどありません。
だからこそ、選手も指導者も保護者も、「今、この瞬間に自分でどう考えるか」が問われます。
結果が出る前から、「これは失敗だ」「やっぱり無理だった」と線を引いてしまうのか。
それとも、うまくいかなかったときも含めて、「なぜそう選んだのか」を振り返る材料にしていくのか。
答えを急がない姿勢は、実は、とても粘り強い生き方なのかもしれません。
自分なら、どう考えるか
最後に、いくつかの問いをそのまま手渡したいと思います。
- もし自分が、新しいカテゴリーへの挑戦を勧められたら、どう感じるか
- 今のルーティンは、自分を整えるものになっているか、それとも惰性になっていないか
- 自分がサッカーを続けることで、誰に、どんなものを残したいと思っているか
どの問いにも、すぐに答える必要はありません。
試合のあと、帰り道、ふとした練習の合間に、少しずつ言葉になっていけば十分かもしれません。
オクタゴンの中で新しい階級に挑む一人のファイターの姿は、ピッチの上で悩みながらプレーする私たちの姿と、どこかでつながっています。
結果がどう転んだとしても、その過程で何を見つけるのか。
サッカーも格闘技も、その問いを抱えたままプレーする競技なのだとしたら、私たちは今日もまた、一歩だけ、自分の答えに近づいていけるのかもしれません。
