判定への違和感とどう向き合うか──アミアンの夜から考える「不公平」と選択のサッカー観
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「またか」と感じた夜に、何を選び取るか アミアンと審判と、揺れる心の行き先

ロスタイムの4点目より、心に残るもの
フランス2部リーグ、アミアン対ル・マン。 2度も2点差をつけられ、そのたびに追いついたアミアンは、ついにアディショナルタイムに4失点目を喫して敗れた。 スコアだけ見れば「乱打戦の末の惜敗」という言葉が浮かぶかもしれない。
だが試合後、ピッチの熱が冷めないうちに聞こえてきたのは、プレー内容よりも「審判」という言葉だった。
アミアンの指揮官アラン・ポシャは、退場となったフォファナのレッドカードを「試合の分岐点」と捉えた。 前半のある場面で、本来なら相手にレッドカードが出ていてもおかしくない、と感じていた。 その相手選手がハーフタイムで交代させられたことも含めて、彼の中には「なぜあれは流され、うちは退場なのか」という納得のいかない感覚が残っていたようだ。
アタッカーのアントワーヌ・ロテは、以前在籍したランスの名前を出しながら「クラブが変わると、こうも審判の基準が違うのか」と率直な違和感を口にした。 中盤のノルディン・カンディルも「自分たちに対しては、迷わずカードが出る印象がある」と語り、クラブとして「自分たちは他と違う扱いを受けているのではないか」という思いが、少しずつ積もっていることがうかがえた。
結果は4失点目よりも、「自分たちは公平に扱われているのか」という感情を強く残した。 ここにこそ、考える余地がある。
| 対応 | 短期的効果 | 長期的影響 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 不満をそのまま外に出す | 感情のガス抜きになる | 冷静さを欠くプレーが増えるリスク | △ |
| 理不尽さをエネルギーに変える | モチベーション向上 | 持続できれば成長に直結する | ○ |
| 自分のプレーを振り返る | 改善点が見つかる | 再現性ある成長につながる | ◎ |
| 感情を共有しつつ次に向かう | チームの結束を保ちやすい | 心理的安全性が高まる | ◎ |
| 「どうせ損をする」と諦める | 一時的な楽さ | 長期的に成長機会を失う | △ |
「不公平だ」と感じるとき、頭の中では何が起きているのか
サッカーに限らず、「審判」「ジャッジ」「判定」は、選手や指導者にとって、コントロールしにくい存在だ。 だからこそ、そこに不満が集中しやすい。
アミアンの選手たちが口にした「他クラブとの違い」「自分たちにだけ厳しいように感じる」という感覚は、どこの国のリーグでも、どのカテゴリーでも耳にするものだ。
もし自分がアミアンの選手だったら、と想像してみる。
- 前半、相手の危険なプレーにカードが出なかった
- その選手は、後半を前に交代させられている
- 自分たちには、似たようなシーンでレッドカードが出た
- 順位は下位で、内容の割に結果が出ていない試合が続いている
こうした条件が重なれば、「またか」という感情が生まれても不思議ではない。 むしろ自然な反応だろう。
では、その「またか」と感じた瞬間、選手や指導者の頭の中では何が起こっているのか。 ざっくりと分ければ、こんな選択肢が浮かぶかもしれない。
- あのジャッジがなければ、試合は違う展開になっていたはずだ、と考える
- 理不尽さをエネルギーに変えて、「それでも勝つ」と誓う
- 感情をいったん横に置き、なぜ退場に至ったのかプレー自体を振り返る
どれも人間らしい反応であり、「正しい・間違い」と切り分けられるものではない。 大切なのは、そのとき自分はどれを選びたいのか、ということだ。
- 試合後の不満の共有と振り返りを分ける — 選手が「また自分たちだけ」と感じているなら、まず感情を受け止めたうえで翌日のトレーニングで「自分たちが変えられること」にフォーカスする時間を設ける
- カードが出た場面を戦術的に再検証する — 「審判が悪い」で終わらせず、「なぜそのタックルを選んだか」「一歩前の判断で回避できたか」を映像を使って選手と一緒に確認する
- 不満の発信レベルをチームとして合意する — 記者会見やSNSでどこまで意見を出すかを指導者が意識的に選ぶことで、選手が「感情のコントロール」をモデルとして学ぶ機会になる
言葉にする指揮官、言葉を受け取る選手
アラン・ポシャは、2部リーグに来たばかりの身であることにも触れながら、「審判を敵に回すつもりはない」と前置きしていた。 それでも「不可解だった」と表現せざるを得ないほど、違和感が大きかったのだろう。
このとき指揮官は、いわば二重の選択を迫られている。
- 自分の中の不満をどこまで外に出すか
- その言葉を聞いた選手が、どう受け取るか
不当だと感じたことを、黙って飲み込む必要はない。 ただ、記者会見での一言が、次の試合のロッカールームの空気に影響することもある。
「審判にやられた」というメッセージとして受け取られるのか。 「こういう状況でも、自分たちのプレーと向き合おう」という意図として伝わるのか。 指揮官の中には葛藤があったはずだ。
選手側も同じだ。
かつてランスでプレーした経験を持つロテが、「クラブによって、審判の接し方が変わる」と感じた背景には、トップクラブと中位・下位クラブでの、細かなジャッジの違いが積み重なっているのかもしれない。
「自分たちは軽く見られているのでは」という感覚は、
- 「だからこそ、もっと見返してやろう」というモチベーション
- 「どうせまた自分たちが損をする」という諦め
どちらの方向にも向かいうる。 その分かれ目にいるのは、常に選手自身だ。
- 不満を話すことと振り返ることは両方必要 — 感情を誰かに話すことで気持ちが整理されたら、次に「自分のプレーで変えられることは何か」を静かに考える時間を持つ
- 「強豪には甘い」という感覚を成長の動機に変える — 審判の基準を変えることは難しいが、「どの審判にも取られにくいプレーをする」という視点で練習の質を上げることはできる
- 保護者が試合後に使う言葉が選手の受け止め方を作る — 一緒に審判を批判する言葉より「じゃあ次はどう動こうか」の問いかけが、子どもの長期的なメンタリティを育てる
判定に納得できないとき、どこまで自分ごとにできるか
「相手にもレッドが出るべきだった」という感覚を抱えながら、自分たちのレッドカードのプレーを見直すことは、簡単ではない。 それでも、もしそこに意識を向けることができたら、何が見えてくるだろうか。
例えば、こんな問いが立てられる。
- なぜそのタックルに行く必要があったのか
- 一歩前のポジショニングや、味方との距離感で、そもそもの危険を減らせたのか
- 同じ接触でも「カードになる時」と「ならない時」の違いは、どこにあるのか
それは「審判の基準を言い当てる作業」とは少し違う。
どんな基準であっても、「いまの自分のプレーは、どの審判にもレッドと取られうるものか」を考えてみる。 そのうえで、「もしグレーゾーンなら、次はどうリスクを減らすか」を探る。
もちろん、判定が覆るわけではない。 だからこそ、この作業には地味さと、やるせなさがつきまとう。 それでも、そこでしか手を入れられない領域がある。
日本の育成年代でも、「うちのチームばかりファウルを取られる」という声はよく聞かれる。 そのとき、
- 審判への不満を共有する時間
- 自分たちのプレーや守り方を振り返る時間
どちらにより多くの時間を使うかで、少しずつチームの色は変わっていく。
「クラブの立場」が、見える景色を変えてしまう
アミアンはこの試合時点で下位に沈み、入れ替え戦圏内に位置していた。 降格の可能性が頭をよぎる状況では、一つひとつの判定の意味が、より重く感じられる。
同じファウルでも、
- 優勝争いをするクラブが受けるイエローカード
- 残留争いをするクラブが受けるイエローカード
選手やサポーターが受け取る感情は、まるで違う。 「また自分たちか」というフィルターが、ものの見え方を変えてしまう。
ロテが口にした「以前在籍したクラブとの違い」は、
- クラブの名前や歴史
- スタジアムの雰囲気や観客数
- メディアの注目度
といった要素が、ジャッジへの「期待値」を変えているのかもしれない。
ここで、もし自分が日本の高校生やジュニアユースの選手だったとしたらどうだろう。
- 有名クラブ同士の試合
- 地域の無名チーム同士の試合
同じプレーでも、周囲の反応が違うように見える瞬間はないだろうか。 そのとき、「自分たちは評価されていない」と感じるのか。 それとも、「それでも見てもらえるプレーをしよう」と考えるのか。
どちらの感じ方も、否定することはできない。 ただ、その感じ方の先に、どんな選択を積み重ねていくのかは、自分で決められる。
審判を敵にしない、という難しい課題

多くのリーグで、クラブや選手が審判批判をすると、罰金や処分の対象になる。 それでも、試合後のコメントで不満を口にしてしまうのは、人間としての正直さの表れでもある。
アミアンの指揮官も、「審判を敵に回したくはない」としながら、それでも「驚きのある判定だった」とせざるを得なかった。 このバランスを取り続けることは、指導者にとって一つの技術と言えるかもしれない。
審判を「敵」にしてしまうと、
- 選手が、判定に納得いかないたびに感情を爆発させる
- 冷静さを欠いたファウルや抗議が増える
- 本来向き合うべきプレーから、意識が離れていく
といった副作用が生まれる。
一方で、「何も言わない」ことが、必ずしもチームにとって良いわけでもない。 選手が理不尽さを抱えたまま、気持ちをどこにも出せない状況も、また危うい。
だからこそ、
- クラブとして、どこまで発信するのか
- ロッカールームの中で、どう本音を共有するのか
- 翌日のトレーニングで、何にフォーカスするのか
といった選択が問われる。 アミアンのコメントには、その難しさと、揺れ動く心の両方がにじんでいる。
日本の現場で起きている、もっと小さな「アミアン」
日本のグラウンドでも、おそらく同じような光景が繰り返されている。
- 「あれはレッドじゃない」「相手にも出すべきだった」
- 「うちのチームばかりファウルを取られる」
- 「強豪校には甘いんじゃないか」
試合後の保護者席、ベンチ横、帰りのバス。 そこでは、アミアンの選手たちと同じような言葉が飛び交っているかもしれない。
そのとき、大人として、指導者として、どんな言葉を子どもや選手に手渡すのか。
- 一緒になって審判への不満を語る
- 不満を聞きながら、「じゃあ自分たちは何を変えられるか」を問う
- まずは感情を受け止め、そのあと静かにプレーに目を向ける
どの順番で、何を話すのか。 そこで選ばれた言葉が、選手の「物事の受け止め方」を少しずつ形作っていく。
審判の判定を「変えよう」とするのか。 それとも、自分たちのプレーとマインドセットを「変えよう」とするのか。 どちらにエネルギーを注ぐかは、現場ごとに違っていていい。 ただ、その選択が意識的なものかどうかで、積み上がっていく景色は変わってくる。
「またか」という夜のあと、自分に問いかけてみること
アミアンのように、判定への不満を抱えたまま敗れた夜。 そこから次の試合までの数日間は、選手にとっても、指導者にとっても、保護者にとっても、「どう考えるか」が問われる時間になる。
もし、同じような経験をしたことがあるなら、自分に問いかけてみてもいいかもしれない。
- 本当に理不尽だと感じたことを、誰かに話すことで、何が変わったか
- プレーに目を向け直したとき、どんな発見があったか
- もう一度あの試合をするとしたら、同じプレーを選ぶかどうか
答えはすぐに出なくてもいい。 「どちらが正しいか」を決める必要もない。
ただ、「判定がすべてを決めた試合だった」と片付けてしまうのか。 「判定も含めて、あの状況の中で自分は何を選んだのか」と振り返るのか。 この二つの間には、小さいようで大きな違いがある。
笛の音が止んだあとに、続いていく試合がある
ル・マンに敗れたアミアンの選手たちは、今もきっと、あのレッドカードの瞬間や、ロスタイムの失点を何度も思い返しているはずだ。 不公平感を抱えた夜の記憶は、簡単には消えない。
それでも、次のキックオフはやってくる。 「審判にやられた」と感じた自分も連れて、そのピッチに立つことになる。
そこでどんなプレーを選び、どんな声をかけ、どんな表情で笛の音を聞くのか。 その積み重ねが、いつか「またか」という記憶を、別の意味に変えていくのかもしれない。
試合の結果や判定は変えられない。 それでも、あの日をどんな物語として語り継ぐかは、自分で選ぶことができる。 サッカーの面白さは、ときに、そんなところにも隠れている。
