フランス代表が歩んだ「旅の軌跡」が問いかける サッカーにおける遠征と選択の意味
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フランス代表がたどった「旅」と、サッカーを選ぶということ

南米へ、アジアへ、アフリカへ。 ある代表チームの足跡を線でつないで地球儀に描くと、その国のサッカーがどんな問いを抱き、どんな選択を重ねてきたのかが、うっすらと浮かび上がってきます。
今回の主人公はフランス代表。 ヨーロッパの外へなかなか出なかった時代から、地球を駆け巡る時代、そして再び「どこで戦うのか」を考え直す時代へ。 その変化を追いかけると、選手や指導者が向き合ってきた「判断」と「迷い」は、日本のサッカーにもどこか重なって見えてきます。
船で大西洋を渡ったチームが、専用ジャンボ機を飛ばすまで
1930年、たった一度の「大冒険」
1904年に代表チームとしての歴史をスタートさせたフランスが、ヨーロッパを出たのは長いあいだ一度きりでした。 1930年、ウルグアイで行われた第1回ワールドカップ。 選手たちはブラジル経由で南米へ向かう船に乗り込み、大西洋を渡りました。
今の感覚で言えば、長距離移動は「仕事の一部」であり、飛行機移動も当たり前。 けれど当時は、国境を越えること自体が大きな決断で、ましてや大陸を離れるのは「遠征」というより「探検」に近かったはずです。
もし自分がその時代の選手だったとしたら。 何日も船に揺られながら、「本当にここまでして行く意味があるのか?」と心のどこかで問い続けていたかもしれません。 それでも船に乗るかどうか。 選手たちは、その一歩を選んだ。 その選択の重さは、今よりもずっと大きかったはずです。
| 時代 | 遠征スタイル | 背景・判断 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 1930年 | 船で南米・唯一の大陸遠征 | 第1回W杯ウルグアイへ。大陸越えは「探検」に近い決断 | ◎ 歴史的一歩 |
| 1904〜1970年代 | ほぼヨーロッパ内にとどまる | 移動手段の限界・費用・安全面の制約 | △ 地理的制限 |
| 2000〜2002年 | 地球一周ツアー・専用ジャンボ機 | W杯・EURO制覇後の世界ブランド展開。50時間超の移動 | △ 疲労・コンディション問題 |
| 2000年代半ば以降 | 遠征を絞り込みヨーロッパ内中心 | コンディション優先・必要最低限の海外移動 | ◎ 合理的選択 |
| 2026年予定 | ボストン・NY・ワシントン等複数都市 | W杯開催国アメリカへの再訪。新ファン層・市場開拓 | ○ 競技外要素も含む判断 |
飛行機の「当たり前」が、選択肢を増やしてしまった
戦後、移動の中心は飛行機へと変わります。 それでもフランス代表がヨーロッパを出たのは、1971年のアルゼンチン遠征まで待たなければなりませんでした。
そこから流れは一気に変わります。 1970年代にはアルゼンチン、ブラジル、そしてアメリカ。 超音速旅客機コンコルドが就航し、かつて何十時間もかけていた移動が、7時間ほどのフライトに変わる。 「行けるかどうか」ではなく、「なぜ行くのか」「どのくらい行くのか」を考える時代に入っていきます。
技術が発達して移動が楽になったとき、 サッカーに限らず、多くのチームは「できること」が増えます。 その一方で、「本当にやるべきこと」を選ぶのが難しくなります。 どこまで行くのか。 どの試合を組むのか。 何を優先し、何を削るのか。
選択肢が増えたからこそ、問われるのは「考える力」です。
タイトル獲得後の「地球一周」と、その反動
- 遠征先を決めるときは目的を3つ言語化してから提案する — 「本場のスピードを体感させたい」だけでなく、「どのスタイルの相手と戦わせたいか」「選手にどんな揺さぶりをかけたいか」まで言葉にすると、移動コストと得られる経験のバランスを判断しやすくなる
- 「遠征を減らした時期でも強豪だった」事実をチームで共有する — フランスは地球一周をやめた後に再び世界のトップに返り咲いた。たくさん海外へ行けば強くなるわけでも、行かないから準備不足になるわけでもないと選手に伝え、環境の変化より日々の判断の積み重ねに目を向けさせる
- 合宿・遠征中の「選手が自分で決める領域」を明示する — 移動や宿泊先はスタッフが決める。しかし時差対応や睡眠ルーティーン・食事の選び方は選手が自分で選べる。その領域をあらかじめ伝えることで、環境が変わっても自律して準備できる選手を育てる
2000年代、地球を駆け巡るフランス代表
フランスがワールドカップとEUROを立て続けに制した2000年前後。 代表チームのスケジュールは、ある意味で「世界ツアー」のようになります。 モロッコ、南アフリカ、韓国、日本、オーストラリア、チリ…。 2000年から2002年にかけて、アフリカ、アジア、オセアニア、南米を一気に回りました。
中には、チャンピオンズリーグの合間にオーストラリアまで飛び、数日で戻るような「超短期遠征」もありました。 そのために、特別仕様のジャンボジェットをチャーターし、空の上にマッサージルームやゲームルームまで用意する。 移動だけで合計50時間近くかかる4日間。 そこに「遠征」という名の予定を入れる。
この選択をどう捉えるかは、人によって意見が分かれるかもしれません。 選手にとっては
- 時差や疲労を抱えたままクラブへ戻るリスク
- 世界中のファンの前でプレーする喜び
- 代表での立場を守る必要性
など、複雑な思いがあったはずです。
「代表として世界に顔を出すこと」と 「コンディションを守ること」。 どちらも否定できない価値を持っています。 その間で、どのラインを引くのか。 これは指導者だけでなく、選手一人ひとりにも突きつけられた問いだったはずです。
- 試合観戦のとき「このチームはなぜここへ来たのか」を想像してみる — スコアだけでなく、「対戦相手の選び方」「移動の組み方」の裏側にある判断を想像することで、サッカーをより深く楽しめる視点が育つ
- 遠征中に「自分で決められること」を事前にリストアップしておく — チームが決めたスケジュールに従いながらも、睡眠・食事・ウォームアップのルーティーンを自分で整える習慣を持つと、どんな環境でもコンディションを安定させやすくなる
- 結果が出なかった遠征の「何を受け取ったか」を子どもと話す — 負けた・うまくいかなかった遠征でも、「初めてのスタジアムの雰囲気」「時差や移動への適応」など、得た経験は必ずある。「何を感じたか」を言葉にさせることで経験を学習に変える
「行き過ぎた遠征」のあとに訪れた、落ち着き
その後、フランスは世界王者の座を失い、いわゆる「黄金期」が終わると、遠征のスタイルも変わります。 2000年代半ば以降、ヨーロッパの外に出る回数は減り、海外遠征はぐっと慎重になります。
南アフリカ・ワールドカップに向けた時期も、多くの試合をヨーロッパでこなし、アフリカや南米への移動は必要最低限。 かつてのような「地球一周ツアー」は影を潜めます。
面白いのは、派手な遠征を減らしたからといって、フランス代表のクオリティが落ちたわけではないことです。 むしろ2010年代後半にかけて、フランスは再び世界のトップに返り咲きます。
「たくさん海外へ行ったから強くなる」わけではない。 逆に「海外へ出ないから準備不足になる」とも限らない。 結局のところ、
- どこで
- 誰と
- 何を目的に
試合をするのか。 その一つひとつの選択の積み重ねが、チームの現在地を形づくっていきます。
「なぜそこへ行くのか」を問い続ける
初めてのアジア、初めてのアフリカ
フランス代表が初めてアジアで試合をしたのは、1990年のクウェート。 日本と対戦したのは1994年です。 アフリカ大陸での初めての試合は、1998年のモロッコ。 ワールドカップ自国開催を控えた年でした。
意外なことに、アフリカへの遠征はそれほど多くありません。 北アフリカのチュニジアには数回訪れたものの、アルジェリアとはいまだにアウェイマッチを行っていません。 エジプトやサハラ以南のアフリカ諸国とも、現地で対戦したことはありません。
フランス代表には、セネガル、マリ、コートジボワール、カメルーン、ガーナ、コンゴ民主共和国、アンゴラなど、アフリカ生まれやルーツを持つ選手が数多くいます。 それでも、代表チームとしてアフリカを「訪れる」機会は限られている。
ここには、政治的な配慮もあれば、安全面やスケジュールの事情もあるでしょう。 ただ、その一方で 「ルーツを持つ土地でプレーしてみたい」 という思いを抱く選手も、きっといるはずです。
「なぜ、あの国にはまだ行っていないのか」 「なぜ、このタイミングで行くのか」 遠征先の地名の裏には、そうした見えない会話や、決断にいたるまでの時間があります。
ユーラシアの端、カザフスタンという選択
フランス代表の「もっとも遠いヨーロッパ内アウェイ」は、ロシアW杯で訪れたカザンやエカテリンブルクを経て、2021年のカザフスタン遠征へと更新されました。 ヨーロッパサッカー連盟に所属しながら、地理的にはほぼアジアにある国。 首都ヌルスルタンまでは、パリからおよそ4760km。
地図を見れば、そこがヨーロッパなのかアジアなのか、境界線はあいまいです。 それでも大会のレギュレーションとしては「ヨーロッパ内のアウェイゲーム」。
UEFAに所属することで、カザフスタンはヨーロッパの強豪と定期的に対戦する道を選びました。 もしアジア連盟にとどまっていれば、また違う対戦相手、違う移動、違う経験があったはずです。
この「どの連盟で戦うのか」という選択もまた、 サッカー協会が未来を見据えて行った大きな決断です。
日本の視点で言えば、AFC(アジア)から移ることは現実的ではありません。 ですが、
- どの大会に出るか
- どのレベルの国際大会を重視するか
- 世代別代表をどの国に送り出すか
といった選択は、常に存在します。 「格上とだけ戦うのか」「同じレベルと試合を重ねるのか」「あえて格下に行って主導権を握る試合を学ぶのか」。 どんなマッチメイクにも、「なぜその相手なのか」という理由が必ずあるはずです。
ワールドカップ・カタールと、滞在の「質」をどう考えるか
ひとつのホテルにとどまるという判断
2022年、フランス代表はおよそ33年ぶりにペルシャ湾岸地域を訪れました。 クウェート以来となる湾岸での大会は、カタール・ワールドカップ。
この大会では、彼らはずっと一つの高級ホテルに滞在し、国内移動も最小限に抑える形を選びました。 試合会場への移動は短く、気候もある程度読みやすい。 選手にとっては、コンディションを整えやすい環境だったと言えます。
2018年のロシア大会で、フランスはモスクワ近郊の森の中、2021年のヨーロッパ選手権ではブダペストなど、環境面で苦労したと言われる大会も経験しています。 そこから逆算して、「今回は移動をできるだけ減らし、生活の安定を優先する」という判断に至ったのかもしれません。
合宿や大会で、
- どこに泊まるか
- いつ移動するか
- どれだけ生活リズムを変えるか
といった決定は、外から見ると小さな差に見えるかもしれません。 けれど、選手にとっては毎日の睡眠、食事、練習の質に直結します。
指導者は、「サッカーの内容」だけでなく、「サッカーをするための環境」も選ぶ立場にあります。 そこにどこまで意識を向けるのか。 現場にいる人ほど、その難しさを感じているのではないでしょうか。
アメリカへの「再訪」が意味するもの
フランス代表がアメリカへ行ったのは、1979年のニュージャージーでの試合が唯一の経験でした。 それが2026年には、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、フィラデルフィアと、複数の都市で試合を行う予定になっています。
アメリカは、サッカー文化という意味ではヨーロッパや南米と違う文脈を持つ国です。 観客の雰囲気、スタジアムの空気、メディアの扱い方も独特です。
そこへ、なぜ今、再び向かうのか。 当然、ワールドカップの開催国という事情が大きい。 しかし同時に、 「アメリカという市場」 「新しいファン層との接点」 「選手たちへの経験値」 といった、競技以外の要素も影響しているはずです。
ここでも、 「勝つためだけなら、もっと楽な選択肢もある」 という前提がありながら、 あえて「移動距離」を受け入れ、違う環境に飛び込む決断をしている。
この「環境の変化をあえて受け入れる」という姿勢は、クラブや代表だけでなく、ひとりの選手にも通じるものがあります。
日本のサッカーにとって、「どこへ行くか」はどんな問いになるか
海外遠征の「正解」はひとつなのか
日本でも、代表やクラブ、育成年代のチームが海外遠征を行うことがあります。 ヨーロッパへ、南米へ、アジアの他国へ。
そのときによく耳にするのは、
- 「本場のスピードを体感する」
- 「外国の選手と戦って自信をつける」
- 「国際経験を積む」
といった言葉です。
けれど、「海外に行くこと」自体が目的になってしまうと、その前後で本当に大事にすべき問いが見えなくなります。
例えば、こんな問い方もできるかもしれません。
- なぜ、その国なのか。他ではなく、そこに行く意味は何か。
- どんなスタイルの相手と戦いたいのか。
- 選手にどんな「揺さぶり」をかけたいのか。
- 移動や時差の負担と、その経験がもたらす価値のバランスはどうか。
フランス代表が、時期によって「地球を飛び回る」時代もあれば、「あえて近場にとどまる」時期もあったように、 日本のチームにとっても、毎年同じ正解があるわけではありません。
選手の年代、チームの目標、シーズンの流れ。 それぞれに応じて、「今、何を優先するのか」を選び直していく必要があります。
選手自身は、どうやって「選ぶ側」に回っていくか
代表やクラブの遠征先は、多くの場合、スタッフや協会が決めます。 選手はその決定に従う立場です。
それでも、選手自身が完全に「受け身」でいるかどうかは、また別の話です。
例えば、
- 時差や移動がある中で、どんな準備を自分で選ぶか
- 食事や睡眠のリズムを、自分なりにどう整えるか
- 環境が合わないときに、何を優先して適応するか
といった部分は、選手が「自分で選べる領域」です。
フランス代表の選手たちも、 南米の長距離移動、アフリカの気候、アジアの時差、ロシアやカタールの特殊な環境の中で、 それぞれが自分なりの「遠征の過ごし方」を探してきたはずです。
同じ飛行機に乗り、同じホテルに泊まり、同じピッチに立っていても、 選手によって、「どの情報を大事にするか」「何をルーティーンに入れるか」は違います。
もし自分が選手だとしたら、 「チームが決めたスケジュールに従うだけ」ではなく、 その中で自分は何を選び取れるのか。 そう考えてみると、遠征の1日1日が、少し違って見えてくるかもしれません。
「旅するチーム」から受け取る、小さな問い

結果ではなく、選択のプロセスに目を向ける
フランス代表が
- 一度きりの南米船旅を選んだ1930年
- なかなか大陸を出なかった戦後の時代
- 地球を駆け巡った2000年代
- あえて遠征を絞り込んだその後
- 再びアメリカ行きを決めた2020年代
それぞれの背後には、 「なぜ、今、それを選ぶのか」という問いがありました。
その答えは一つではありません。 経済的な事情もあれば、政治的な背景もある。 選手の健康や、クラブとの関係も絡んでくる。
だからこそ、おもしろいのは、結果そのものではなく、そのプロセスです。 誰が、どんな情報をもとに、どこで線を引いたのか。 思い切った決断の裏側で、何をあきらめ、何を優先したのか。
自分なら、どんな「旅」を選ぶだろうか
今、サッカーに関わっている立場は、人それぞれだと思います。 選手としてプレーしている人。 子どもを見守る保護者。 チームを預かる指導者やスタッフ。
それぞれの立場で、こんな問いを自分に投げかけてみるとどうでしょうか。
- 自分のチームが、来年どこかに遠征に行くとしたら、「なぜそこなのか」をどこまで言葉にできるだろうか。
- もし自分が選手なら、長距離移動の中で「自分で決められること」は何だろうか。
- 結果が出なかった遠征だったとしても、その中で何を経験として受け取るか、自分で選べるだろうか。
フランス代表の旅の歴史をたどることは、日本のサッカーにとっても、「どこへ行くのか」「なぜそこへ行くのか」をもう一度考え直すきっかけになるかもしれません。
サッカーのピッチは、どの国にあっても同じ大きさかもしれません。 けれど、そのピッチに立つまでの「旅」の選び方は、チームごと、選手ごとにまったく違います。 その違いに目を向けてみるとき、勝ち負けだけでは語れないサッカーの物語が、静かに立ち上がってきます。
次に画面の向こうで、あるいはスタジアムで代表チームの試合を見るとき。 スコアだけでなく、「ここに至るまで、彼らはどんな旅と選択をくぐってきたのか」と、少しだけ想像してみる。 その想像力こそが、サッカーをより深く味わうための、小さな一歩なのかもしれません。
