フェルミン・ロペスが示す「考える走り方」──バルサの名もなきゲームチェンジャーから日本の中盤が学べること
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なぜフェルミン・ロペスは「主役じゃないのに、試合を動かす」のか

ペドリやラミン・ヤマルがボールを持つと、スタジアムの空気が一段階ふくらむ。
その外側で、フェルミン・ロペスは一度スピードを落とし、相手のボランチとセンターバックの距離をちらっと確認する。
次の瞬間、前線のロベルト・レヴァンドフスキがセンターバックを背負ったのを見て、一気に加速する。
ペドリが体を半身にして前を向いた、そのタイミング。
ラミンがワイドでボールを引きつけ、相手のサイドバックが外に釣られた、その一歩目。
誰も画面の中心に映してくれない、その数メートルの「飛び出し」が、バルセロナの攻撃を決めてしまうことがある。
スタッツには「ゴール」や「アシスト」として残るかもしれない。
けれど、その前にあったのは、ゆっくり歩きながら「どこに、いつ、行くか」を考え続けた時間だ。
フェルミン・ロペスが選んだ「残る」という決断
大きなオファーより、「自分が成長できる場所」を選ぶ
2025年夏、フェルミン・ロペスにはプレミアリーグのチェルシーから大きなオファーがあったと言われている。
年俸、リーグのブランド、注目度。
どれを取っても、魅力的な選択肢だったはずだ。
けれど彼は、バルセロナに残る道を選んだ。
ハンジ・フリックは会見で、彼のことを「複数のポジションで質を出せて、毎試合高いメンタリティを持っている」と評価していたと伝えられている。
クラブも、2031年までの長期契約でその価値を認めようとしている。
一見すると、順風満帆なサクセスストーリーに見える。
しかし、そこにたどり着くまでの道のりは、決して一直線ではなかった。
| 観点 | 指示待ち型 | フェルミン型 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 飛び出しのきっかけ | 監督の「裏へ出ろ」指示 | パサーが前を向いたタイミングを自分で読む | ◎ 自律判断 |
| ポジション適応 | 「ボランチしかやりたくない」 | どのポジションでも「役割」で考える | ◎ 柔軟 |
| 縦への仕掛け | 常に縦に急ぐか常に安全パス | 「今ならリスクを取る価値がある」と判断した瞬間だけ | ◎ 文脈依存 |
| ボールロスト後 | とりあえず前から追う | パスコースを切りながら相手の選択肢を絞る | ○ 守備も考える |
| 高さの調整 | 指示されたラインを守る | 味方と相手の状況を見て自分で上下を決める | △ 習得に時間が必要 |
「バルサを出る」経験が生んだ視点
フェルミンはラ・マシア育ちだが、2022年にはスペイン3部相当のリナレスにレンタルに出されている。
その頃、本人は「バルサでの自分は終わったかもしれない」と感じても不思議ではない状況だったろう。
そこから、2023年のプレシーズンで当時の監督シャビに呼ばれ、レアル・マドリードとの親善試合でゴールを決め、一気に注目される。
こうしたストーリーだけを並べると、「チャンスを一度でつかんだ選手」とラベルを貼りたくなる。
けれど、本当にそうだろうか。
3部クラブへのレンタル。
トップチームでの居場所が見えない時間。
そこにいる選手は、毎週末の90分だけでなく、毎日のトレーニング、毎回の監督との会話の中で小さな選択を迫られている。
「ここで腐るのか」「ここで変わるのか」。
「自分はどんな選手として見てもらいたいのか」。
もし自分が同じ立場なら、どんなプレーを選ぶだろう。
無理にでも自分を目立たせようとして、難しいプレーを連発するだろうか。
それとも、チームの中で役割を探しながら、監督が求めるものをつかもうとするだろうか。
フェルミンが今、バルセロナで「試合を決めるけれど、ボールを独占しない選手」として評価されていることを考えると、そこには後者の選択の積み重ねがあったように思える。
「第二列から出ていく」ことを、どう学ぶか
- 「裏へ出ろ」ではなく「いつ出るかを考えろ」と問いかける — 飛び出しのタイミングをコーチが決める指示は選手の依存を生む。「パサーが前を向いたとき」「ウイングが相手を外に引きつけたとき」など、状況の読み方を練習の中で共有する
- ポジション変更の際は「役割で考える」言葉を渡す — 「サイドバックをやれ」ではなく「今のチームで縦パスのタイミングを判断する役割をここで担ってほしい」と伝えると、選手は自分の強みを持ち込める
- 試合後に「なぜそこへ走らなかったか」も振り返る — 飛び出さなかった選択肢こそ、判断力の成長を示す場合がある。「走らなかった理由を自分の言葉で言える選手」を育てる問いかけを持つ
ボールをもらう選手ではなく、「間」を見つける選手
フェルミンの強みのひとつは、いわゆる「第二列からの飛び出し」だと言われる。
ただ走るだけではない。
ボランチとセンターバックの間。
サイドバックがウイングに釣られた背中。
センターフォワードが相手のディフェンスラインを固定した、その横のスペース。
これらを「どこにあるか」だけでなく、「いつ空くか」を読み取ることが求められる。
例えば、ペドリやフレンキー・デ・ヨングがボールを受けて前を向くタイミング。
ラフィーニャやラミン・ヤマルがワイドで仕掛けて、相手が外へ寄った瞬間。
センターフォワードが相手のセンターバックを背負って、前を向けないとき。
フェルミンは、その一連の流れを見てから、走り出すかどうかを決めているように見える。
「感覚」だけではなく、「状況の読み取り」による判断だ。
- 「走り出す前の一瞬」に3つを確認する習慣を持つ — 「パサーは前を向けているか」「自分が出ることで誰のスペースを消すか」「出なかった場合に次のボールにどこで関われるか」をほんの一拍考えてから走り出す
- ポジションが変わっても「自分の役割」を持ち込む — フェルミンはウイングでもトップ下でも「スペースを見つけてタイミングよく入る」役割を変えていない。ポジション名ではなく「自分がチームでやること」を言葉にしておく
- 3部へのレンタルからバルサに戻ったフェルミンの経緯を知る — 「出番がない時期」も、そこで毎日どんな選択をするかが数年後に出る。苦しい時期に腐らず役割を探し続けた姿勢を知っておくと、子どもが壁にぶつかったときに一緒に考える材料になる
日本の育成年代で、この感覚はどう扱われているか
日本の育成年代の試合を見ていると、第二列からの飛び出しがうまくいく場面と、そうでない場面の差はとても大きい。
よくあるのは、次のようなシーンだ。
- ボールに近づき過ぎて、中盤に人が密集してしまう
- ゴール前に選手が並んでしまい、誰も「後ろから入ってこない」
- 飛び出したものの、パサーの準備が整っておらず、オフサイドやロストにつながる
プレーしている選手たちにとって難しいのは、「走るべきか」「待つべきか」を自分で決めることだと思う。
監督から「もっと裏へ出ていけ」と言われれば、とにかく裏へ走りたくなる。
「ポジションを守れ」と言われれば、ラインを超えないように固まってしまう。
フェルミンがしているのは、そのどちらでもない。
「いつでも出ていけるように準備しながら、出ない選択もできる状態」を保ち続けることだ。
もし自分が中盤の選手なら、こう問いかけてみるとどうだろう。
- 今、パスを出せる味方は前を向けているか
- 自分が出ていくことで、誰のスペースを消してしまうか
- 出ていかなかったとき、次のボールにどこで関われるか
この「自分に向けた問い」を試合中に持てるかどうかが、ただ走る中盤と、相手の守備を壊せる中盤の分かれ目になってくるのかもしれない。
「縦に行く」ことと「落ち着く」ことは、本当に矛盾するのか
ポゼッションの中の「一点の縦」
フリック監督のバルセロナは、ボールを握りながら試合を支配するチームだと言われる。
パスをつなぎ、相手を動かし、空いたスペースを使う。
一方で、ポゼッション志向のチームは、しばしば「安全なほう、安全なほう」へボールを動かし続けてしまい、相手にとって怖くない時間帯が長くなることもある。
そこでフェルミンが担っているのは、「必要な瞬間だけ、縦に刃を入れる役割」だ。
ドリブルで前に運ぶ。
ミドルシュートを打つ。
裏へのスルーパスを選ぶ。
どれも、「今ならリスクを取る価値がある」と判断したときにだけ使う。
スピードやフィジカルが特別に突出しているわけではないのに、彼の縦パスやシュートが効いているのは、「いつ、それを選んだか」が的確だからだろう。
日本サッカーが抱える「縦か、つなぐか」の二択
日本では、「もっと縦に速く」「もっとつなごう」と、相反するように聞こえる言葉がしばしば議論になる。
けれど、フェルミンのプレーを見ていると、その二択自体が少し違うのではないかと感じさせられる。
彼は、常に縦に急ぐわけでもなく、常に安全なパスを選ぶわけでもない。
「つなぐ時間」と「仕掛ける瞬間」を、同じ試合の中、同じポジションで行き来している。
育成年代でも、選手にこんな問い方があってもいいのかもしれない。
- 今のチームの状態なら、リスクを取るべきか、落ち着かせるべきか
- 自分が縦に行ったとき、周りはサポートできる距離にいるか
- 「縦に行かないこと」が、逆にリスクになっていないか
監督が用意したスタイルや戦い方の中で、「じゃあ、この場面ではどうするか」を選ぶのは、やはりピッチに立っている選手だ。
答えはひとつではない。
ただ「なぜその選択をしたか」を、自分の中で説明できるかどうかは、レベルが上がるほど、必ず問われる。
ボールを失った「次の一歩」を、どう決めるか
守備も「走る」前に「考える」
フェルミンを語る上で外せないのが、ボールを失った後の振る舞いだ。
フリックのバルセロナは、ボールを失った瞬間からのプレッシングを攻撃の一部として考えている。
フェルミンもまた、失った直後に「とりあえず前から行く」のではなく、近くのパスコースを切りながら相手の選択肢を狭めるように動く。
自分が出ていくのか。
一歩下がってカバーするのか。
サイドへ誘導するのか。
この判断は、攻撃のときと同じくらい「状況を見る力」を必要とする。
日本の選手にとっての「ボールを失った瞬間」
日本の育成年代の試合を見ていると、ボールを失った後のリアクションには、チームや選手ごとの色がはっきり出る。
- 一斉にボールへ寄っていくが、簡単に外されてしまうチーム
- 全員が一歩引いてしまい、相手に前進を許してしまうチーム
- 一人が出ていくが、周りがついていけず、簡単に剥がされるチーム
どれも、「正しいか、間違いか」と切り捨てられるものではない。
ただ、フェルミンのように「ボールを失った瞬間こそ、次の攻撃の準備」と考える視点を持つと、プレッシングは少し違って見えてくる。
もし自分が中盤の選手なら、ボールを失った瞬間に、こんな問いが持てるかもしれない。
- 今、自分が出ていけば、誰が自分の背中を守れるか
- 逆に、自分が一歩待てば、誰がボールに行けるか
- 相手に一番持たせたくない選手は誰か
走り出す前に、ほんの一瞬だけでも「どこを消すか」を考える習慣をつけること。
それは、フィジカルやスピードだけでは埋められない差を、少しずつ詰めていく作業かもしれない。
「どこでプレーするか」を、自分で決めるということ

ポジションではなく、「役割」で考える
フェルミンは、本来はトップ下やインサイドハーフの選手だと言える。
しかしフリックの下では、左ウイングから中に入ったり、両サイドのインテリアルとしてプレーしたり、ときには偽9番のように前線の中央に入ることもある。
それでも彼のやっていることの本質は、どのポジションにいてもあまり変わらない。
- 空いたスペースを見つけて、そこへタイミングよく入る
- 縦に行くべき瞬間と、つなぐべき瞬間を見極める
- ボールを失った直後に、攻撃をやり直すための守備をする
この「役割」で自分を考える視点があるからこそ、ポジションが変わってもチームの中で迷わないのだろう。
日本の若い選手が「ポジション変更」と向き合うとき
日本の育成年代では、よくこんな声を耳にする。
- 「自分はボランチだから、サイドバックはやりたくない」
- 「フォワードがやりたいのに、センターバックをやらされている」
- 「ポジションが変わると、何をしていいかわからない」
気持ちはよくわかる。
自分が「なりたい自分」のイメージと、現実の役割がズレると、葛藤が生まれる。
けれどフェルミンのように、「自分がピッチにいる意味」をポジションではなく役割で考え始めると、少し違う景色が開けてくるかもしれない。
例えば、サイドバックになったとしても、
- 「前線にパスをつけるタイミングを見極める役割」は続けられるかもしれない
- 「ボールを失った後に素早く奪い返す役割」は、むしろより重要になるかもしれない
- 「第二列から飛び出す感覚」は、インナーラップとして生きるかもしれない
「自分はどのポジションが向いているか」を考えることは大事だ。
同時に、「自分はどんな役割でチームに貢献できるのか」を考えることも、同じくらい大事なのではないだろうか。
「高さ」を自分で調整する選手と、日本の中盤
指示がなくても、ラインを上下できるか
フリックのバルセロナでは、4-2-3-1や4-3-3の中で、トップ下やインサイドハーフの高さは非常に重要になる。
相手のボランチの横にポジションを取るのか。
ディフェンスラインの前まで押し上げて、相手のセンターバックを引き出すのか。
それとも、中盤のラインに落ちてボール回しに参加するのか。
フェルミンは、この「高さの調整」を監督の指示を待つことなく、その場で決めているように見える。
味方センターバックの体の向き。
相手ボランチの位置。
サイドの選手が内側に入っているか、幅を取っているか。
それらを見ながら、上がるか、残るかを決めている。
日本の中盤に求められる「自分で決める」感覚
日本代表やJリーグを見ていても、「中盤の高さ」はよくテーマになるポイントだ。
前に出すぎて、間にスペースを与えてしまう試合。
逆に、ラインの前で構えすぎて、相手にプレッシャーをかけられない試合。
どちらも、「高さの選択」が難しいからこそ起こる現象だ。
この部分を、選手自身の判断で少しずつ変えていくためには、何が必要だろうか。
一つは、試合のあと自分で振り返る時間かもしれない。
- なぜ、あの時間帯は前に出てもうまくいかなかったのか
- なぜ、引きすぎてしまったのか
- どの瞬間に、前に出るきっかけがあったのか
監督に答えを求める前に、自分で「仮の答え」を出してみる。
翌週の練習や試合で、それを試してみる。
うまくいかなければ、また修正する。
フェルミンのように、「高さを自分で調整できる選手」になるまでには、きっとそんな地味な作業が続いているのだろう。
答えを急がずに、「自分ならどうするか」を持ち続ける
フェルミン・ロペスの物語は、華やかなスターのサクセスストーリーではない。
ラ・マシアで育ち、一度は3部のクラブに出され、それでも小さなチャンスを重ねてトップチームにたどり着いた選手。
チェルシーという大きなオファーを前に、バルセロナに残るという選択をした選手。
プレーの中では、ボールを長く持たず、それでも試合を決める瞬間に顔を出す選手。
そこにあるのは、「なぜ、この選択をするのか」を、ピッチの内側と外側で問い続けている姿だと思う。
日本でサッカーをしている選手にとって、それは遠いヨーロッパの物語に聞こえるかもしれない。
けれど、問いの形はあまり変わらないはずだ。
- うまくいかないとき、自分はどんな選択肢を持てているか
- 監督の指示の中で、「自分で選んでいい部分」はどこか
- ポジションや環境が変わったとき、何を手放し、何を守るのか
フェルミンのプレーを見ながら、あるいは自分の試合を思い出しながら、「もし自分なら、どんなふうに走り出すだろう」「どのタイミングで縦に行くだろう」と、一度立ち止まって考えてみる。
答えは、すぐには出ないかもしれない。
でも、その「考え続ける時間」こそが、選手としての輪郭を少しずつ形づくっていくのではないだろうか。
サッカーも人生も、決定的な一歩の前には、目立たない小さな一歩が、必ず積み重なっている。
