PSG三連覇への挑戦、アーセナルの覚醒、初出場コモの決断——CLリーグフェーズ開幕で問われる「選択の積み重ね」という視点
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三連覇への挑戦が照らし出すもの
グループステージではなくリーグフェーズと呼ばれるようになったチャンピオンズリーグの新しい幕が、今季も静かに開いた。
36クラブが入り乱れる長い旅路の先に、マドリードでの決勝が待っている。
その舞台に最も近い場所にいると見られているのが、パリ・サンジェルマンとアーセナルだ。
PSGはすでに二連覇を達成している。
もし今季も頂点に立つならば、レアル・マドリードが2015年から2018年にかけて成し遂げた三連覇以来の快挙となる。
数字だけを見れば、それがいかに稀な偉業であるかは明らかだ。
しかし今、あえてそこから少し離れた場所に立ってみたい。
勝つか負けるかではなく、なぜ彼らはそこに居続けられるのか、という視点で。
ルイス・エンリケが問い続けていること
PSGの指揮官、ルイス・エンリケについての評判はシーズン序盤から一様ではない。
彼が率いるチームは、リーグフェーズを「準備の場」として位置づけ、実験的な戦い方を続けている節がある。
結果だけを追えば「不安定」と映る。
だが、その揺れは本当に弱さなのだろうか。
ルイス・エンリケは長いキャリアを通じて、サッカーの「動かし方」そのものに執着してきた指導者だ。
選手に型を押しつけるのではなく、局面ごとに何が最善かを自分たちで考えながら動くチームをつくろうとしている。
それは華やかに見えるときも、不格好に見えるときもある。
でも、その揺れを引き受けたうえで前に進もうとしている姿は、結果とは別のところに宿る強さではないかとも思う。
「強度の高いサッカー」「絶え間ないプレッシャー」という言葉で語られる彼のスタイルは、選手に膨大な判断を要求する。
指示された動きをこなすだけでは追いつかない場面が、90分の中に無数に存在する。
そこで選手は自分の頭で考え、自分で選ぶしかない。
その積み重ねが、チームに何かを宿らせていくのだとすれば、序盤の「不安定さ」は単なる迷走ではなく、意図を持った蓄積なのかもしれない。
クヴァラツヘリアという存在が教えてくれること
今季のチャンピオンズリーグで注目を集める選手の一人として、クヴィチャ・クヴァラツヘリアの名前が何度も挙がる。
PSGの左サイドで躍動する彼は、相手を内側からも外側からも崩せる両足の技術と、試合の流れを読む感覚で、ここ二年間のチャンピオンズリーグを彩ってきた。
バロンドール候補に名前が挙がること自体、彼が積み上げてきたものの証だろう。
ただ、あの左サイドでの切れ込みは、単なる技術の産物ではないと感じる。
あの選択は、その瞬間に内側を選ぶのか、外側を選ぶのか、あるいはボールを戻すのか、という判断の積み重ねだ。
守備者が揃っている場面で仕掛けるか、味方を使うか。
その一瞬の選択を、彼は毎試合、何十回と繰り返している。
「ソファから身を乗り出させる選手」という評が彼に向けられるのは、その判断の連続が生み出す緊張感ゆえではないか。
結果として正解だったかどうかよりも、その瞬間に何かを選び取ろうとしている意志が、見ている者を引きつけるのだと思う。
アーセナルがたどり着いた場所
統計モデルが弾き出した優勝確率でトップに立つアーセナルは、昨季の決勝進出を経て、今季に臨んでいる。
2005-06シーズン以来の決勝舞台を経験した彼らが、そこで得たものは何だったか。
結果は敗北だった。
しかしミケル・アルテタが率いるこのチームが、今季「勝ちながら戦い方を見つけている」と評される背景には、その経験の消化があると想像する。
負けた経験を引きずらず、かといって忘れるわけでもなく、自分たちの中に取り込んで次の一歩を踏み出せているチームは、単に強いのではなく、何かを折らずに保ち続けているチームだ。
マルティン・ウーデゴールが昨季の怪我から戻り、今季の序盤を好調に過ごしているという話が伝わってくる。
チームがより自信を持って戦えるようになったことで、選手たちが「リリース」された感覚を持ち始めているという指摘は、組織と個の関係を考えるうえで興味深い。
チームが安定するほど、個人が自由になれるというのは、逆説的に聞こえるかもしれない。
でも実際には、チームの方向性が明確になるほど、選手は自分の判断を信じて動きやすくなる。
ウーデゴールがゲームを支配できるのは、彼が特別な選手であることと同時に、チームが彼の判断を信じて動ける状態にあるからだとも感じる。
初挑戦のクラブが持ち込むもの
今季のチャンピオンズリーグには、コモ、LASK、サバー、バイキングという四つのクラブが初めて舞台に立つ。
その中でもチェスコ・ファブレガスが率いるコモは、多くの関心を集めている。
かつてアーセナルやバルセロナでプレーした元スター選手が、クラブからの信頼を受けながら自分のサッカーを形にしていく姿は、単純に「面白い話」として消費するには惜しい。
ファブレガスはここ二年間、他のクラブからの誘いを断り続けてコモに残ってきたという。
より大きな舞台、より多くのリソース、より高い評価が得られるかもしれない選択肢を、彼は手放してきた。
なぜそうしたのかは、彼にしかわからない。
ただ、その選択には何らかの確信があったはずだ。
自分が信じる方向性を、まだ完成していないチームの中で試し続けることへの意志。
「潮流に逆らいながら、いつの間にか現代サッカーの先端にいた」という評価は、時間をかけることを恐れなかった者だけが受け取れる言葉かもしれない。
バイエルンとハリー・ケインが背負うもの
バイエルン・ミュンヘンのハリー・ケインは今季、バロンドール獲得を意識したシーズンを送っていると言われる。
トッテナムでは長年、タイトルから遠ざかった。
バイエルンへ移籍した決断は、多くの角度から語られてきたが、今のケインにとって重要なのは「なぜ移籍したか」よりも「この舞台で何を見せられるか」という現在の積み重ねだろう。
バイエルンのスタイルが自分に合っていると感じているという話が伝わるが、それは戦術的な相性だけを指しているわけではないと思う。
自分が何者であるかを示せる環境を選び、そこで最大限の力を出し切ろうとしている選手の姿は、どんなレベルにいる選手でも共鳴できるものを持っている。
長い旅路の入り口に立つということ
チャンピオンズリーグのリーグフェーズが始まった今、まだ誰も「三月以降」を確約できない。
優勝確率が高いとされるクラブも、初出場のクラブも、同じ入り口に立っている。
専門家たちの予測が交差し、統計が数字を並べ、それでも誰も最後の一試合の結果を知らない。
それがサッカーというものの底にある、どうにも抗えない引力だと感じる。
選手はなぜその判断をしたのか。
指導者はなぜそのスタイルを選んだのか。
クラブはなぜその道を歩み続けるのか。
その積み重ねが、六月の夜、マドリードで一枚の絵を描き出す。
自分がそのピッチに立つとしたら、どんな選択を持って臨むだろうか。
そのことを、試合を眺めながらひとりで考えてみるのも、悪くない時間の使い方だと思う。
見ている自分も、選択の途中にいる
ピッチを離れた後も、サッカーを見続けている人がいます。スタジアムで、画面の前で、あるいはスマートフォンの速報欄で。試合の結果だけを追っている人もいれば、選手がどう動き、指揮官が何を求め、チームが何を積み上げようとしているかを、試合を通じて読もうとしている人もいます。
ルイス・エンリケが「不安定さ」を引き受けながら前に進もうとする姿には、結果とは別のところに宿る強さを感じます。自分がかつていた側、プレーヤーとして選択を迫られていた立場からすれば、その揺れの意味が、言葉にする前からわかる気がするからです。
見ている者は結果に一喜一憂しますが、どこかで「なぜ彼はそう選んだのか」という問いを手放せずにいます。それはサッカーを遠くに置いてしまった人も、今も週末にピッチへ向かう人も、同じように持っている問いかもしれません。その問いが続く限り、サッカーはその人の中で生きています。
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