変えるべきか、信じるべきか──クレモネーゼとニコラが向き合う「解任」と「継続」のあいだ
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「変えるべきか、信じるべきか」クレモネーゼのベンチに映る、サッカーのもうひとつの戦い

夜のスタディオで試合が終わるとき、スコアボードよりも先に、ベンチに座る指揮官の表情を追ってしまうことがある。
フィオレンティーナに敗れたクレモネーゼのベンチで、ダヴィデ・ニコラはいつものように激しく、しかしどこか遠くを見ているようでもあったと言われている。
順位表では、チームは降格圏に近づき、勝利は12月7日のレッチェ戦を最後に途絶えたまま。
直近15試合で勝ち点4、11敗。
数字だけを並べると「解任」の二文字が自然と浮かぶ状況だ。
実際、クラブはルカ・ゴッティやマルコ・ジャンパオロといった後任候補の名を検討していると伝えられている。
けれど、ここでいったん立ち止まってみたい。
これは成績不振のクラブが監督交代を検討している、よくある話として片づけてしまってよいのだろうか。
数字の裏側にある「脆さ」という言葉
試合後、ニコラはチーム状況について「僕らは今、とても脆くなっている」といった趣旨の言葉を使っている。
先制点をあっさり許してしまう。
相手の最初の決定機で失点してしまう。
シーズンが進むほど、勝ち点24という数字が、前半戦からの明らかな後退を映すものになっていった。
それでも彼は、足りないのは「怒り」や「落ち込み」ではなく、「熱や前向きさ」だと強調している。
ここにひとつの興味深い選択がある。
成績が悪いとき、監督が選べる言葉はいくつもある。
- 選手の集中力不足をなじる
- 審判や日程、運の悪さを持ち出す
- 「走りが足りない」と精神論に逃げる
ニコラが選んだのは、「脆さ」という、見えづらくて扱いにくいテーマだった。
これは、戦術よりも前に、選手たちの心の状態を見つめようとする姿勢とも受け取れる。
もし自分がチームの一員だったとしたら、この言葉をどう受け取るだろうか。
責められていると感じるのか。
それとも、自分たちの心の揺れを言葉にしてもらった安心感のようなものを抱くのか。
| 判断の観点 | 続投を選ぶ論拠 | 解任を選ぶ論拠 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 残り試合数と時間 | 新監督が戦術を落とし込む練習時間が足りない | 早期に変えるほど残り試合を新体制で戦える | ◎ |
| 選手との信頼関係 | 積み上げた関係性を壊さずに状況改善を待てる | 現監督のもとでチームの「脆さ」が固定化されている | ○ |
| クラブのビジョン | 現監督のスタイルが中長期の方向性と一致している | 後任候補のスタイルが今の選手構成と噛み合う | ◎ |
| 監督の責任姿勢 | 「最後まで責任を負う」覚悟が選手の信頼を保つ | 責任の所在が曖昧なままでは選手も迷走しやすい | △ |
| 降格・残留リスク | 連敗中でも続投が「信念の継続」として機能する | 順位表が手遅れを告げる前に動くことが生存条件 | △ |
「キャップ・エスピアトリオ」として残るという覚悟
ニコラは会見で、さらに踏み込んだ意味合いの発言もしている。
クラブがそう望むなら決断すればいい、自分は恐れを抱いていない。
そして「もし責任が自分にあるというなら、最後まで残って“生け贄役”になる」といった趣旨の言葉を口にしたと伝えられている。
ここにも、はっきりしたひとつの「選択」がある。
解任を恐れ、言葉を濁して自分の立場を守ることもできたはずだ。
あるいは、責任を分散させることもできる。
- 補強が不十分だった
- ケガ人が多かった
- 開幕前の準備期間が短かった
そうした現実的な事情が本当にあったかどうかにかかわらず、守りに入ることはできる。
しかし彼は、「責任」を自分のところで引き受ける姿勢を示した。
これは強さとも言えるし、ある意味では危うさでもある。
すべてを自分の責任とみなすことは、選手やクラブを守る行為でもあり、同時にチームの問題を「監督ひとりの問題」として単純化してしまうリスクもはらんでいる。
もし自分が指導者なら、ここまで言い切れるだろうか。
あるいは、もう少し「一緒に背負おう」という言い方を探そうとするだろうか。
- 「脆さ」を認める言葉を先に使う — 成績不振のとき、精神論や選手批判より「今チームは脆い状態にある」と現状を正直に言語化することで、選手は責められる恐怖より「共に解決しようとしている」という連帯感を得やすくなる
- 「責任は自分が負う」と言い切る覚悟を選手に見せる — 指揮官が結果に対して前に出る姿勢を示すと、選手は「監督の指示を信じて動こう」という心理的安全が生まれる。ただし「全て自分のせい」と単純化しすぎると、チームの問題解決の主体性を奪うリスクもある
- 連敗中の選手に「小さな選択の積み重ね」を意識させる — 失点直後に一人が味方を集めて声をかける、安全なプレーだけでなくあえてボールを受ける回数を増やすなど、一人ひとりが選べる小さな行動を言語化して伝えると「脆さ」が少しずつ「強さ」に変わっていく
クラブの「選択のタイミング」をどう考えるか
一方で、クラブ側にはクラブ側の葛藤がある。
スポーツディレクターのシモーネ・ジャケッタは、少なくとも表向きには落ち着いた姿勢を示している。
ニコラの去就については「もし判断するなら、もっと前にしていたはずだ」といったニュアンスの言葉を残し、「カテゴリー残留への意欲は強く、ひとつになって戦う」と語っている。
だが、報道ベースでは、ゴッティやジャンパオロといった名前が既に挙がっている。
チームが勝てていない現状で、クラブが監督交代を「検討する」のは、ごく現実的な動きでもある。
ここで問いになるのは、「いつ決断するか」だ。
早く変えれば、残り試合を新しい指揮官のもとで戦える。
しかし、それは今まで積み上げてきたものを一度壊すことでもある。
遅くまで待てば、信頼関係を守りつつ状況の改善を待てるかもしれない。
ただし、待ちすぎれば順位表が手遅れを告げる可能性がある。
クラブは、どこかのタイミングで「もう少し待つか」「ここで変えるか」という二択に向き合わざるをえない。
日本でも、Jリーグのなかで似たような状況は何度も起きている。
成績不振のチームが、夏前に監督を代えるのか、終盤まで託すのか。
どちらが「正しい」という話ではなく、どのタイミングで「賭け」をするのか。
その決断は、いつもきれいな答えを用意してはくれない。
- 監督の将来が不透明な時期でも「今日の自分のプレー」だけを考える — 監督交代の報道やチームの雰囲気に引きずられると、プレーに余計な緊張や萎縮が生まれる。自分がコントロールできるのは今日の練習と試合の中の選択だけと割り切ることが最善の対処法
- 連敗が続くとき「安全なプレー」より「必要なプレー」を選ぶ勇気を持つ — ミスを恐れて縮こまると、チーム全体の「脆さ」をさらに深めてしまう。失点した直後こそ「誰かが動く」「誰かがボールを引き受ける」という小さな勇気が流れを変えるきっかけになる
- 保護者は「評価の言葉」より「経過を見守る姿勢」を子どもに示す — チームが苦しい時期、子どもが一番プレッシャーを感じているのは外から見えにくい。「なぜ勝てないの?」より「今日頑張ったことは何?」と問いかけることで、子どもは結果ではなく過程に目を向けられるようになる
ゴッティか、ジャンパオロか、それとも続投か
報道によれば、後任候補として挙がっているのはルカ・ゴッティとマルコ・ジャンパオロだとされる。
ふたりはイタリアでもよく知られた指揮官だが、そのスタイルやチームづくりのアプローチは異なる。
ゴッティは、守備組織を整えつつ現実的に勝ち点を拾うイメージを持つ人が多いだろう。
ジャンパオロは、ポゼッションやポジショナルな攻撃構造にこだわる監督として知られる。
今のクレモネーゼに必要なのはどちらなのか。
あるいは、「変えない」という三つめの選択肢は、本当にテーブルから消えているのか。
クラブが考えなければならないのは、単純に「誰がいい監督か」ではない。
- 今の選手たちの特徴と、候補者のスタイルは噛み合うのか
- 残り試合数と練習時間の中で、新しいやり方をどこまで落とし込めるのか
- 短期的な残留と、中長期的なクラブの方向性をどう両立させるか
たとえば守備にテコ入れしたいからといって、守備的な監督を選べばすべて解決するわけではない。
攻撃的なスタイルを志向する監督に変えたとしても、今の順位表が待ってくれるわけでもない。
日本のクラブでも、「クラブとしてどういうサッカーをしたいのか」と「目先の残留や昇格」の間で揺れる場面は多い。
どこかで、「今シーズンはこういう覚悟で進む」と腹をくくる瞬間が必要になる。
クレモネーゼのベンチをめぐる話は、その揺れが表に出たひとつの例に見える。
結果が出ないとき、選手は何を選べるか

監督やクラブの決断が注目される一方で、その渦中にいる選手たちは日々ピッチに立たなければならない。
0-1で先制されたとき、あるいは連敗が続く中でキックオフを迎えるとき。
彼らはどんなことを考えているのだろうか。
「また失点したらどうしよう」という不安。
「今日こそは何とかしないと」という焦り。
監督の将来が報じられているとき、無意識のうちに「自分たちのせいだ」と抱え込む選手もいるだろう。
そのときに、選手が自分で選べることは何か。
- 失点直後に、誰か一人が味方を集めて言葉をかけること
- プレーがうまくいかないときに、ボールを避けるか、あえて受ける回数を増やすか
- メディアやSNSにどんな言葉を残すか、あるいは沈黙を選ぶか
どれも小さな選択かもしれない。
しかし、その積み重ねが「脆さ」を少しずつ「強さ」に変えていくこともある。
日本の育成年代でも、チームが連敗しているとき、選手ひとり一人は同じような問いに向き合っている。
今日は安全なプレーだけを選ぶのか。
それとも、ミスを恐れずに前につけるパスを選ぶのか。
監督の戦術に疑問を感じたとき、黙って従うのか、タイミングを見て意見を伝えるのか。
どれが「正解」かは、簡単には決められない。
けれど、自分で考えて、自分の意思で選んだかどうかは、あとで振り返ったときに大きな意味を持つ。
指導者として、「解任」をどう受け止めるか
監督という仕事には、いつも「解任」の可能性がつきまとう。
ニコラのように、それを恐れないと言い切るスタイルもあれば、内心は揺れながらも表には出さない人もいるだろう。
日本の指導現場でも、クラブチーム、部活動、スクール、どこであっても「結果」や「評判」は避けて通れない。
例えば、保護者からの評価や、クラブ内部の評価。
それが自分の立場に影響することを、指導者はよく知っている。
そうした中で、指導者は次のような選択を迫られる場面がある。
- 短期的に勝つための戦い方に振り切るか
- 選手の成長を優先して、目先の結果をある程度手放すか
- 自分が理想とするスタイルと、チームの現実の力との間で、どこまで譲るか
ニコラのように「責任は自分が負う」と前に出る形もあれば、「クラブ全体で決めること」と一歩引くスタンスもある。
どちらが優れているという話ではない。
大切なのは、「自分はどうありたいか」を自分なりに掘り下げておくことかもしれない。
もし自分が監督だったら、結果が出ないとき、どう振る舞いたいか。
「次の試合こそは」と選手にプレッシャーをかけるのか。
「今は耐える時間だ」と伝えるのか。
その選択は、練習メニューの組み立てと同じくらい、チームに影響を与える。
「正解」がないからこそ、立ち止まって考えてみる
クレモネーゼがこの先どういう決断を下すのかは、まだ定まっていない。
ニコラが続投して巻き返しを狙うのか。
ゴッティかジャンパオロ、あるいは別の監督がチームを託されるのか。
いずれにしても、その決断は後になってから「正しかった」「間違っていた」と評価されるだろう。
勝てば「英断」、負ければ「判断ミス」。
サッカーの世界では、結論がいつも結果によって上書きされる。
しかし、そこに至るまでのプロセスには、もっと多くの思考や迷いがある。
- 数字だけでは測れない、ロッカールームの空気
- 練習の中で見える、小さな変化や兆し
- クラブとして描いている、数年先のイメージ
それらをすべて抱え込みながら、関わる人たちは、それぞれの立場で「今、何を選ぶか」を決めている。
その姿に、自分自身のサッカーを重ねてみることもできる。
選手なら、「自分はプレーの中で、どんな選択をしているだろう」と問い直してみる。
保護者なら、「子どもがミスをしたとき、どんな言葉を選んでいるだろう」と振り返ってみる。
指導者なら、「結果が出ないとき、自分は何を手放し、何を守ろうとしているだろう」と静かに考えてみる。
終わりに:まだ途中にある物語として
クレモネーゼの今季は、数字だけ見れば「苦しいシーズン」とひと言でまとめることができてしまう。
しかし、そこには、監督、選手、クラブ、それぞれの「選ぶ」という行為が幾重にも重なっている。
勝つか、負けるか。
続投か、解任か。
その二択の裏側には、「なぜ、そのときそうしたのか」という無数の物語が隠れている。
答えを急がず、そのプロセスに目を向けること。
それは、試合をただ消費するのではなく、自分のサッカー、自分の生き方を考えるきっかけになるのかもしれない。
シーズンが終わったとき、この選択はどう振り返られているだろうか。
その答えは、もう少し先の時間が教えてくれる。
今はただ、その途中にある揺れや迷いごと、ひとつのサッカーの物語として受け止めてみたい。
