アレックス・デ・スーザが「偽造ライセンス問題」で自ら誤りを認めた背景に、元一流選手が指導者転身で直面する構造的な落差がある
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資格という名の近道と、積み上げという名の遠回り
アレックス・デ・スーザという名前を聞いて、胸に浮かぶ映像がある人は多いはずだ。
フラメンゴやパルメイラスでプレーし、ブラジル人でありながら日本の地でも深く愛された元選手。 その彼が今、選手としてではなく、指導者として新たなキャリアを歩んでいる。 アチレチコというクラブで、ピッチの外から選手たちと向き合う立場になった。
その彼の名前が、思いがけない形で報じられた。 ブラジルのメディアが明らかにしたのは、アルゼンチンの著名なコーチング機関ATFAの指導者ライセンスを偽造・販売していたとされる詐欺的なスキームの存在だった。 被害者の中には、アレックス・デ・スーザをはじめ、チアゴ・シウヴァ、フェリペ・メロ、パウリーニョ、ディエゴ・ルガーノ、パオロ・ゲレーロといった、南米を代表する名選手たちの名前が並んでいた。
「時間をかけなくていい」という言葉の重さ
このスキームの核心にあったのは、一つのシンプルな約束だった。
「元プロ選手なら、長い研修を受けなくてもライセンスが取れる。」
報道によれば、提供されていたのはプロレベルの国際ライセンスから育成年代向けの資格まで、四段階のパッケージだった。 本来であれば最短でも三年間を要するとされる過程が、オンライン手続きとわずかな書類でほぼ即座に完結するとされていた。 元有名選手であれば、時間はかからないと強調されていたという。
アレックスはこの件について、自ら誤りを認めた。 簡単に済む方法だと思って動いてしまったこと、しかし実際にそのライセンスを使ったことは一度もないこと、そして自分にはCBFアカデミーを通じた正式な指導者資格がすでにある事実も、合わせて明かした。
届いた証明書には「フットサル指導者」と記載されていた。 サッカーではなく、フットサルの資格として。
この一点に、何かが集約されているように感じる。
「近道」が用意される理由と、それを選ぶ心理
なぜ、これほどの実績を持つ選手たちがこのスキームに関わってしまったのか。
答えは単純に「騙された」という一言では収まらないと思う。
現役時代に世界のトップレベルでプレーした選手は、指導者になった瞬間、ある種の矛盾に直面する。 自分がプレーで体得してきたものは確かに存在している。 感覚も経験も、若い選手には到底ない種類のものが体の中に蓄積されている。 それでも制度の上では、研修を修了した新人指導者と同じスタートラインに立つことを求められる。
その落差が、「近道」への扉を開く。
「自分の経験は、すでに資格以上のものを証明しているはずだ」という感覚。 それは完全に間違っているとも言えない。 けれど、その感覚に従って動いたとき、気づかぬうちに「学ぶプロセスそのものを飛び越える」という選択をしてしまっていた。
指導者になることは、選手を再びゼロから始めること
アレックスがCBFアカデミーで正式な指導者教育を受けていたことは、この件を考えるうえで重要な背景になる。
彼はすでに、公式なプロセスを踏んでいた。 それでもなお、より広い国際的な認定を求める気持ちが生まれたとすれば、指導者としてのキャリアをより広い舞台で展開したいという意志の表れだったのかもしれない。
ただ、そこで一つの問いが自然に浮かぶ。
「資格を持つこと」と「指導できること」は、同じことなのか。
紙の上の資格は、それ自体では何も保証しない。 選手を読み、場面を判断し、声のかけ方一つで選手の内側を変えていくような力は、課程を修了した証明書が自動的に与えてくれるものではない。
だとすれば、三年間のプロセスが持つ意味は何か。 それは単なる義務ではなく、自分の「感覚」を言語化し、再構築し、他者に伝える形にしていくための時間なのではないか。
元一流選手ほど、この再構築が難しい場合がある。 自分の感覚があまりにも精緻すぎて、それを言葉に直す必要をかつて感じなかったからだ。
日本の育成環境が直面していること
この問題を、遠いブラジルの出来事として見るだけでは、もったいない気がする。
日本でも、元プロ選手が指導者に転身する流れは続いている。 経験値が高い元選手が育成の現場に加わることは、サッカーの底上げにとって大きな可能性を持つ。
一方で、「元プロだから」という肩書きが、指導の中身よりも先に評価される場面が、少なくない。 保護者も選手も、その名前に安心してしまう。
名前ではなく、今日の練習で何を見ていたか。 うまくいかなかった選手に、どんな言葉をかけたか。 それを問い続けられる環境が、本当の意味での育成を支える。
資格制度はその一つの基準になりうるが、制度それ自体が形骸化したとき、誰も得をしない。 アレックスの件が示しているのは、制度への不信感というよりも、「プロセスを飛ばすことで何かを失う」という構造の話だと思う。
アレックスは、今日もピッチに立っている
アレックス・デ・スーザは現在、アチレチコの指揮官として選手たちと向き合い続けている。
今回の件について、彼はすでに自分の言葉で誤りを認めた。 それ以上の発言は控えると、周囲は伝えた。
詐欺的なスキームを仕掛けたとされる人物は、報道機関に対して全てを否定した。 資格の販売も、金銭の受け取りも、組織への関与も。
この先、この問題がどのような形で決着するかは、まだ誰にもわからない。 ただ、指導者としてのアレックスは、CBFアカデミーを通じて積み上げた正式な資格を手に持ち、次の練習の準備をしている。
資格の話題がどれだけ世間を賑わせても、翌朝のトレーニングは来る。 選手たちは今日も、ピッチでボールを蹴っている。
感覚を言葉にする時間の、本当の意味
アレックスが認めたのは、「簡単に済む方法を選んでしまった」ということでした。それは正直な告白です。同時に、この告白が指し示すものは、彼個人の問題にとどまりません。
選手として長くピッチに立ってきた人が、指導者として初めて問われるのは、「自分はなぜそう動いたのか」という問いです。プレー中に瞬時に判断してきたことを、言葉に直す作業がここで始まります。三年間の研修課程が担うのは、この再構築の時間です。持っている感覚を否定するためではなく、それを他者に届けられる形に変えるために。
元選手が近道を求めやすいのは、自分がすでに「分かっている」と感じているからです。しかし指導の言語は、プレーの感覚とは別のところで育ちます。その別のところに時間をかけて立つことが、指導者としての再出発になります。プレーヤーとして積み上げてきたものは、その再出発の土台にはなります。ただ、それは終わりではなく始まりです。
指導者になることを考えるとき
- ['自分の感覚を言葉にしてみる', 'プレー中に自然にやっていた判断を、声に出して説明できるかどうか試してみます。感覚が先にある人ほど、言語化に時間がかかります。']
- ['資格の期間に「なぜ」を積む', '指導者研修の本質は義務の完了ではなく、自分の経験を再構築する時間を確保することです。その時間に「なぜ」を問い続けます。']
- ['分からないことを言える立場に立つ', '現役時代に答えを持っていた場所でも、指導者として問いを持ちます。それが選手との対話を開きます。']
