アーセナルの赤はどこから来たのか──三枚のフォレストのシャツから始まった140年の物語
Compartir esta columna
アーセナルの赤はどこから来たのか?──三枚のユニフォームが生んだクラブの物語
ロンドン南東部・ウーリッジ。 1886年、軍需工場ロイヤル・アーセナルの労働者たちが、一つの決断をします。 「自分たちのサッカーチームをつくろう」。 こうして生まれたのが、現在ではイングランドでリーグ優勝回数3位を誇る名門、アーセナルFCです。
最初のクラブ名は「Dial Square Football Club」。 1886年12月11日、彼らはその名で初めての試合に臨み、イースタン・ワンダラーズを6–0で破ります。 そして、そのときすでに彼らは「赤いシャツ」を着ていました。 では、なぜ赤だったのでしょうか。
「赤」の始まり──ノッティンガム・フォレストから届いた三枚のシャツ

いま、世界中を見渡せば、赤いユニフォームのクラブは数え切れません。 プレミアリーグだけでも、アーセナルのほかにリヴァプール、マンチェスター・ユナイテッド、ノッティンガム・フォレスト、サンダーランド、ブレントフォード、ボーンマスなど、多くのクラブが赤をまとう伝統を持ちます。
その中で、アーセナルの赤のルーツは、少し不思議で、どこか人間味のあるエピソードに結びついています。 まだクラブがプロになる前のこと。 ロイヤル・アーセナルの労働者たちで構成されていたチームに、ノッティンガム・フォレストから3人の選手が加入します。 フレッド・ビアーズリー、ビル・パー、チャーリー・ベイツの3人です。
当時のクラブには、新しいユニフォームを一式そろえる資金などほとんどありませんでした。 そこで、この3人は、かつて「トリッキー・ツリーズ」と呼ばれるノッティンガム・フォレストで着ていた赤いシャツを、アーセナルに持ち込みます。
彼らの持ち込んだ3枚の赤いシャツを前に、クラブは考えます。 「いっそのこと、みんな同じ赤にしよう」。 新たに買うシャツが3枚少なくて済むという、きわめて現実的な理由もありました。
こうして、アーセナルはクラブカラーとして赤を選びました。 華やかなマーケティング戦略でも、デザイナーのコンセプトでもなく、「お金がないから」と「仲間が持ってきたから」。 ここに、サッカーの始まりの素朴さと、クラブの原点が見えてきます。
もしかすると、いま赤いアーセナルのユニフォームを着てスタジアムへ向かうサポーターも、 「たった三枚のフォレストのシャツから、この伝統が始まった」 と考えれば、いつもと少し違う重みを感じるかもしれません。
初期ユニフォームの姿──深い赤、白いパンツ、青いソックス
最初期のアーセナルのホームキットは、現在のものとは少し違う雰囲気をまとっていました。 長袖で襟付き、胸元には三つのボタン。 色は現在よりも濃く、2005–06シーズンに着用していた「ガーネット色」の記念ユニフォームに近い深い赤でした。
パンツは白。 ソックスは青地に白いリング模様が入ったウール製。 ゴールキーパーだけは、上半身がクリーム色のセーターというスタイルで区別されていました。
シンプルでありながら、どこかクラシックで、時代を超えても美しさを感じさせる組み合わせ。 このスタイルは1913–14シーズン、クラブがハイバリーで初めて戦ったシーズンまで、何十年にもわたって愛され続けました。
あなたがもし、歴代ユニフォームの画像を見返すことがあれば、 「この赤はどんな時代の人たちが着ていたのだろう」 と、ちょっと想像してみてください。 そこには、工場帰りの労働者たち、泥だらけのピッチ、まだ照明も整っていなかったスタジアムの姿が重なって見えるかもしれません。
アーセナルが与えた影響──プラハまで届いた「赤」
アーセナルは、ノッティンガム・フォレストから赤を受け継ぎました。 しかし、その赤はやがて、他のクラブへと受け渡されていきます。
1906年、チェコスロバキア(当時)の名門クラブ、スパルタ・プラハの会長ドクター・ペトリッチがロンドンを訪れます。 彼は、当時「ウーリッジ・アーセナル」と呼ばれていたクラブの試合を、ハイバリーで観戦しました。
観客席から見たアーセナルの赤いシャツに、彼は心を奪われます。 その色合い、そのバランス、そのシンプルさ。 そして、自分のクラブにもこの色を取り入れることを決めます。
以来、スパルタ・プラハは現在に至るまで、アーセナルにインスピレーションを受けたこの色をクラブカラーとして守り続けています。 赤は、フォレストからアーセナルへ、そしてアーセナルからプラハへ渡っていったのです。
「好きになったクラブの色を、自分のクラブでも着たい」 その感情は、サポーターにもどこか通じるものがあるのではないでしょうか。 あなたにも、「あのチームの色に憧れた」という経験があるかもしれません。
白い袖を生んだのは誰か──ハーバート・チャップマンの“美意識”
現代のアーセナルのホームユニフォームといえば、赤いボディに白い袖。 シルエットを見ただけでアーセナルだとわかるほど、アイコニックなデザインです。
この「白い袖」を生み出したのが、名将ハーバート・チャップマンです。 彼は戦術面だけでなく、クラブの見せ方やスタイルにまでこだわりを持った監督として知られています。
その誕生には、二つの“伝説”があります。 一つ目の説は、チャップマンがハイバリーでの試合中、観客席にいた一人のファンに目を留めたというものです。 そのファンは、 「a white polo shirt with a sleeveless red sweater on top」 「白いポロシャツの上に、袖なしの赤いセーターを重ねて」 というスタイルで観戦していたと言われています。
そのコントラストにチャップマンはインスピレーションを受け、赤いボディに白い袖という新しいユニフォームデザインを提案した、というのが一つ目の物語です。
もう一つの説では、チャップマンはゴルフ好きで、友人だった風刺画家トム・ウェブスターとよく一緒にプレーしていたとされます。 ウェブスターは、ゴルフのときに先ほどのファンと同じようなスタイル、つまり 「a white shirt with a red sleeveless jumper」 「白いシャツに赤いノースリーブのセーター」 を好んで着ていたと伝えられています。
どちらの説が真実かは、いまでは誰にもはっきりとはわかりません。 しかし、いずれにしても、「白い袖」というアイデアは、日常の中のちょっとしたファッションから生まれたのかもしれないのです。
戦術の革命児として語られることの多いチャップマンですが、 「どう見えるか」というクラブのイメージ作りにも大きな影響を与えていた。 そう考えると、監督の仕事の奥行きについても、少し見方が変わってきます。
胸の“砲”とスポンサーの時代──変化と伝統のバランス

アーセナルといえば、胸に輝く「大砲」のエンブレムも忘れてはなりません。 クラブが「ガナーズ(砲手)」と呼ばれるゆえんでもあり、その由来はもちろん、創設時のロイヤル・アーセナルという軍需工場にあります。
この大砲の紋章がユニフォームの左胸に初めて登場したのは、1967年のことでした。 以来、その形や細かなデザインは時代ごとに変化してきましたが、「大砲」というモチーフそのものは、常にクラブの象徴として君臨し続けています。
1970年代後半には、アーセナルのユニフォームに本格的なスポーツブランドのロゴが入り始めます。 先駆けとなったのは「Umbro(アンブロ)」でした。 そして1981年には、 「JVC」 という日本の電子機器メーカーが、クラブ史上初のユニフォームスポンサーとなります。
テレビCMや広告看板とともに、胸に「JVC」のロゴが入った赤と白のユニフォーム。 それは多くのサポーターにとって、80年代から90年代のアーセナルを象徴する風景になっていきました。
ここで一つ、あなたに問いかけてみたいことがあります。 時代が変わる中で、スポンサーやメーカーのロゴが増え、デザインも毎年のように変わるようになった現代。 それでも「アーセナルらしさ」を感じさせるものは、どこにあるのでしょうか。
色でしょうか。 エンブレムでしょうか。 それとも、そのユニフォームを着てピッチに立つ選手たちの姿、そのプレースタイルでしょうか。 あなた自身の中にある「アーセナル像」を、少し言葉にしてみるのも面白いかもしれません。
それでも変わらない「赤」──現代フットボールと伝統の価値
マーケティング、ファッション性、SNS映え。 現代のフットボールにおけるユニフォームは、もはや単なる「試合着」ではなく、ビジネスとカルチャーが交差する大きな存在になっています。
シーズンごとに大胆なデザインが登場し、サードユニフォームはクラブカラーから離れた配色になることも珍しくありません。 しかし、アーセナルはどれほど時代が移り変わっても、「ホームのユニフォームは赤」という原則だけは決して手放していません。
ノッティンガム・フォレストから受け継いだ三枚のシャツ。 工場労働者たちが選んだ、ささやかな節約の背景にあった「赤」という色。 ハーバート・チャップマンが磨き上げた、白い袖とのコントラスト。 胸に輝く大砲のエンブレムと、時代ごとに変わるスポンサーロゴ。
そのすべてを積み重ねた先に、約140年の歴史をまとった「アーセナルの赤」があります。 あなたが今日、スタジアムで、テレビの前で、あるいはゲームの中で目にするその赤は、決して昨日今日つくられたものではありません。
クラブの歴史、街の物語、そこで働いていた人々の暮らし、監督や選手の決断、サポーターの感情。 そうした無数の「物語」が、一本一本の糸のように織り合わさって、一枚のユニフォームを形作っています。
サッカーを観るとき、私たちはつい「誰が点を取ったか」「どのくらい勝ったか」に目を向けがちです。 けれど、ときにはユニフォームの色やデザインの背景にあるストーリーにも、少し耳を傾けてみませんか。 そこには、点数には表れない「クラブの魂」が宿っているかもしれません。
あなたにとって、「チームの色」とは何でしょうか。 応援するクラブのユニフォームを初めて手にしたときの気持ちを、少し思い出してみてください。 それは、アーセナルの工場労働者たちが、初めて赤いシャツに袖を通したときの気持ちと、どこか通じ合っているのかもしれません。
最後に、一つの言葉を添えて、この物語を締めくくりたいと思います。
「Colors are not just what you wear; they are what you share.」 「色とは、ただ身にまとうものではない。ともに分かち合うものなのだ。」
| 時代・出来事 | 変化の内容 | きっかけ | 評価 |
|---|---|---|---|
| 1886年 創設期 | ノッティンガム・フォレストの赤をクラブカラーに採用 | 移籍選手3名が赤シャツを持参。資金節約で全員赤に統一 | ◎ 伝統の始まり |
| 初期スタイル(〜1913年) | 長袖・襟付き・濃い赤、白パンツ、青ソックス | 現在より深いガーネット色。1913-14シーズンまで継続 | ◎ 継承 |
| 1930年代 白い袖誕生 | 赤ボディに白い袖というアイコニックデザインが登場 | 名将ハーバート・チャップマンが観客のファッションからインスピレーション | ◎ 継承 |
| 1967年 大砲エンブレム | 左胸に「大砲」の紋章が初登場 | クラブ名の由来・軍需工場ロイヤル・アーセナルを象徴 | ○ 象徴的追加 |
| 1981年 JVCスポンサー | 胸に日本企業JVCのロゴが入り始める | クラブ史上初のユニフォームスポンサー契約(1970年代末アンブロが先駆け) | △ 商業化の変化 |
- ユニフォームの由来をチームで共有する機会を作る — アーセナルの赤が「3枚のシャツと節約の決断」から始まったように、自チームのユニフォームや色の歴史を選手に伝えることで着るものへの誇りと所属意識を育てる
- 「伝統」と「変化」の両方を意識的に語り分ける — 白い袖のデザインが監督の美意識から生まれたように、チームの慣習の中で「変えない核」と「時代に合わせて変える部分」を選手と一緒に言語化しておく
- クラブや地域のルーツを指導の軸として使う — 工場労働者が始めたアーセナルのように、チームの発足背景や地域との関係を掘り起こし、選手が「このチームで戦う意味」を感じられる物語として伝える
- 次の試合でユニフォームの色の「なぜ」を一つ調べてみる — アーセナルの赤がフォレストからの3枚のシャツに始まったように、好きなクラブの色や番号には必ず物語がある。それを知るだけで試合の見え方が変わる
- スパルタ・プラハとアーセナルのつながりを豆知識として持つ — 1906年、スパルタ・プラハ会長がアーセナルの赤に惚れてクラブカラーに採用。「色が国境を越えて受け継がれる」というサッカーのロマンをチャンピオンズリーグ等で意識して楽しめる
- 子どもが初めてユニフォームを手にしたときの気持ちを大切にする — アーセナルの労働者たちが初めて赤いシャツを着た瞬間と同じように、ユニフォームに袖を通す体験はチームへの帰属感の出発点。その感情を子どもと一緒に言葉にしてみる
