ヨン・ハイティンハがトッテナムにもたらすもの──挫折と再出発を繰り返したDFが語る「続ける勇気」
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ヨン・ハイティンハという物語を、トッテナムから読み解く
「ジョン・ハイティンハ」「ヨン・ハイティンガ」「ヨン・ヘイティンガ」。 ひとりの人間なのに、これだけ呼び方がある名前もめずらしいかもしれません。 オランダ語ではnとgを別々に発音するため、本来は「ハイティンハ」に近いと言われます。 ファーストネームの“John”は英語読みで「ジョン/ジョニー」。 グローバルなキャリアを歩んだ彼の人生そのものが、名前の揺れ方に表れているようにも感じられます。
2024-25シーズン、トッテナム・ホットスパーはこのヨン・ハイティンハをファーストチーム・アシスタントコーチに招聘しました。 プレミアリーグ優勝経験を持つ指導者、オランダ代表87キャップ、アヤックスから世界へ羽ばたいた元ディフェンダー。 しかし、その経歴は「順風満帆」という言葉では語り切れません。 むしろ、挫折と再出発を繰り返した、濃密なフットボール人生です。
アヤックスで育った少年は、いかにしてヨーロッパを渡り歩いたのか

ハイティンハの原点は、アヤックス・アムステルダムのユースです。 7歳からアヤックスに通うため、住んでいたアルフェン・アーン・デン・レインから父の車でアムステルダムまで通ったと、本人はこう振り返ります。
「We drove from Alphen aan den Rijn to Amsterdam for training, my father took me every time.」 「練習のためにアルフェン・アーン・デン・レインからアムステルダムまで車で通いました。毎回、父が送ってくれたんです。」
父はアマチュアクラブSV ARCの元選手で、ユースコーチも務めていた人物。 サッカーを始めたきっかけも、この父の影響だといいます。 子ども時代から、家族に支えられて積み上げてきた時間が、そのまま彼の土台になっているのでしょう。
2001年、17歳でアヤックスのトップデビュー。 デビュー戦がフェイエノールト戦というのも、彼の「勝負強さ」を象徴しているかもしれません。 1年目からリーグ戦15試合に出場し、順調に見えたキャリアは、翌シーズン、二度にわたる選手生命に関わる大怪我で一変します。 2002-03シーズンは、わずか1試合の出場にとどまりました。
それでも、2003-04シーズンに復帰すると、不動のセンターバックへ。 リーグ戦26試合3ゴールでアヤックスの優勝に貢献し、ラファエル・ファン・デル・ファールト、ヴェスレイ・スナイデル、ヘドヴィヘス・マドゥロらとともに「新世代アヤックス」の中核になっていきます。
一方で、アヤックスはやがてリーグ優勝から遠ざかり、スター選手たちが次々と流出。 スナイデルはレアル・マドリードへ、マドゥロはバレンシアへ、ヤープ・スタムは引退。 ハイティンハは残留してタイトルを目指しましたが、2007-08シーズンは2位。 ユース時代から17年間を過ごしたクラブを離れる決意を固めます。
アトレティコ、エヴァートン、フラム、ヘルタ…400試合を超える戦いの日々
2008年、ハイティンハはアトレティコ・マドリードへ移籍します。 5年契約、移籍金1000万ユーロという期待の大きさ。 しかし、そこでまた彼は「命の危険」と隣り合わせの出来事に直面します。
RCDマジョルカ戦で、相手DFダビド・ナバーロと空中戦で頭部を激しく接触。 ピッチ上で意識を失い、緊急搬送。さいわい軽傷で済みましたが、選手として、そしてひとりの人間として、大きな衝撃となる出来事でした。
それでも2008-09シーズンはリーグ27試合、公式戦32試合に出場して3得点。 恐怖を乗り越え、ハイレベルなリーガでプレーし続けました。
2009年にはエヴァートンFCへ。 5年契約、約500万ポンドの移籍金で、マンチェスター・シティへ移籍したジョリオン・レスコットの後継として期待を集めます。 エヴァートン時代は、堅実で闘志あふれるディフェンスで知られ、プレミアリーグでの経験を積み上げました。
その後、フラムFC、ヘルタ・ベルリンを経て、2015年にアヤックスへ復帰。 しかし、復帰シーズンは負傷に悩まされ、出場機会に恵まれません。 2016年2月、ついに現役引退を決断します。
オランダ代表としては、国際Aマッチ87試合7得点。 2004年から2013年までを代表で過ごし、2006年W杯、EURO2008、そして2010年W杯決勝まで出場したDFは、まさに「オランダ黄金世代」を支えた存在と言っていいでしょう。
2010年W杯決勝の退場―「英雄」と「戦犯」の間で揺れる記憶
2010年南アフリカW杯。 オランダ代表はスペインとの決勝まで勝ち進みます。 ハイティンハは全試合に出場し、決勝のピッチにも立っていました。
しかし延長後半、アンドレス・イニエスタへのファウルで二枚目のイエローカードを受け退場。 その6分後、イニエスタの決勝ゴール。 オランダは世界一にあと一歩届かず、準優勝に終わりました。
「もしあの退場がなかったら」「あの場面でどうするべきだったのか」。 おそらく本人がいちばん、自分に問い続けてきたはずです。 ひとつのプレーが、ひとりの選手の代表での記憶を強く色づけてしまうことがあります。 それでも、87キャップという数字が示すように、監督たちはハイティンハを信頼し続けました。
私たちも、ときに「ひとつの失敗」だけで人を評価してしまうことがあります。 でも本当は、その人がどんな道のりを辿り、どれだけ積み重ねてきたかに目を向けなければいけないのかもしれません。
「選手」から「指導者」へ―アヤックスで学び直したサッカー
引退後、ハイティンハはすぐに指導者としての道を歩み始めます。 古巣アヤックスのアカデミーで各年代を指導し、「育成のアヤックス」でコーチとしての哲学を磨きました。
2021年5月からはヨング・アヤックスの監督に就任。 そして2023年1月には、成績不振で解任されたアルフレト・スフリューデルの後任として、トップチームの暫定監督に昇格します。
結果は、エールディヴィジ3位、KNVBカップは決勝進出もPSVにPKで敗れ、22試合14勝4分4敗。 数字だけ見れば健闘ですが、アヤックスにとっては「5シーズンぶりの無冠」「CL出場権を逃す」という厳しい評価が下りました。 シーズン終了後、彼は監督を退任します。
クラブの期待、サポーターの要求、水準の高い伝統。 アヤックスの監督席は、かつての名DFといえども容赦なく結果を求める場所でした。 ここで「勝者」として残れなかった経験は、彼の指導者人生にとって大きな学びとなったはずです。
ウェストハム、リヴァプール…プレミアリーグで高められた視野
2023年9月、ハイティンハはウェストハム・ユナイテッドのファーストチーム・アシスタントコーチに就任します。 エヴァートン時代の指揮官デイビッド・モイーズの右腕として、プレミアリーグのベンチに戻ってきました。
ウェストハムは前半戦を6位で折り返したものの、後半戦に失速して最終的には9位。 前シーズンから順位を5つ上げた一方で、クラブとしては「もっと上」を望んでいた部分もあったかもしれません。 2023-24シーズン終了後、モイーズとともに退任が発表されます。
そして2024年7月17日。 同胞アルネ・スロットのアシスタントとしてリヴァプールFCへ。 名門クラブで、タイトル争いのど真ん中に身を置くことになりました。
プレミアリーグ第28節、ニューカッスル・ユナイテッド戦では、エヴァートン戦での言動により2試合のベンチ入り禁止処分を受けたスロットに代わって指揮を執ります。 選手時代に戦ったエヴァートン、そしてプレミアリーグの強度を知る男が、今度はコーチとしてアンフィールドのタッチラインに立つ。 サッカーの世界の不思議な「縁」を感じさせる瞬間でもありました。
ふたたびアヤックス、そしてトッテナムへ―「戻る」ことと「進む」こと

2025年5月31日、ハイティンハは二度目のアヤックス監督に就任します。 プレーヤーとして、指導者として、何度も関わってきたクラブ。 しかし結果は期待を満たせず、成績不振により同年11月に解任されてしまいます。
それでも彼の評価は終わりませんでした。 2024-25シーズン、トッテナム・ホットスパーはハイティンハをファーストチーム・アシスタントコーチとして迎え入れます。 クラブはリーグ戦直近6試合でわずか1勝、14位に沈む苦しい状況。 ヘッドコーチのトーマス・フランクは、次のように語りました。
「John is a great addition to our coaching staff. His ability, personality and character will add huge value both on and off the pitch.」 「ジョンは私たちのコーチングスタッフにとって素晴らしい補強です。彼の能力、人柄、そしてキャラクターは、ピッチ内外で大きな価値をもたらしてくれるでしょう。」
「He had an impressive playing career across Europe – including five years in the Premier League – and with the Dutch national team.」 「彼はヨーロッパ中で素晴らしい選手キャリアを送り、プレミアリーグでの5シーズン、そしてオランダ代表での実績を持っています。」
「As a former defender, that will be one of his main responsibilities on the training pitch, and he brings great coaching and management experiences from all levels of the game, which will really help us moving forward.」 「元ディフェンダーとして、その経験はトレーニングピッチでの主な役割のひとつになるでしょう。また、さまざまなレベルで培ったコーチングとマネジメントの経験は、今後のチームの前進に大きな助けとなるはずです。」
崩れかけたチームを立て直したいトッテナム。 ディフェンス出身で、プレミアもオランダも、ビッグクラブのプレッシャーも知るハイティンハ。 この組み合わせは、単なる「有名OBの招聘」以上の意味を持っています。
「華やかさ」と「現実」の間で―元スター選手が語る、引退後の生活
2017年、ハイティンハは現役時代と引退後の生活について、こんな言葉を残しています。
「以前はプライベートジェットをチャーターすることもありましたが、今はそうしません。休暇のときは今でも豪華な別荘を借りますが、その豪華さの範疇は異なります。私たちはそれに慣れようとしていますが、難しいこともあります。」
ピッチの上でスポットライトを浴びた選手たちにも、「その後の生活」があります。 きらびやかなイメージの陰で、生活レベルの変化に向き合い、家族とともに新しい「普通」を探していく。 サッカー選手もまた、私たちと同じ「人生の悩み」を抱えるひとりの人間なのだと感じさせられます。
妻は元リヴァプールのボウデヴィン・ゼンデンの妹。 アヤックスユース時代のチームメイトにはヴェスレイ・スナイデル。 周囲にはビッグネームが並びますが、彼自身の歩みは、派手さよりも「継続」と「適応」、そして「学び」に満ちています。
私たちは、ヨン・ハイティンハから何を学べるだろうか
17歳でアヤックスデビュー。 二度の大怪我を乗り越え、不動のセンターバックに。 アトレティコでの頭部負傷、2010年W杯決勝での退場。 エヴァートン、フラム、ヘルタと移り、アヤックスに戻って引退。 指導者としてアヤックス、ウェストハム、リヴァプール、そして再びアヤックス、今度はトッテナム。
そのキャリアは、「一直線の成功物語」とは言えないかもしれません。 むしろ、「転んだあとにどう立ち上がるか」を何度も試されてきたような道のりです。
サッカーを学ぶ子どもたちにとって、そして大人になってもサッカーを愛し続ける私たちにとって、彼の物語はこんな問いを投げかけているように思えます。
・ひとつの失敗や退場シーンだけで、人を「ダメだ」と決めつけていないだろうか。
・思い入れのあるクラブでうまくいかなかったとき、それでも「次」に進む勇気を持てるだろうか。
・大きな成功を経験したあと、少し控えめな生活になっても、自分らしさを失わずにいられるだろうか。
トッテナムで再びプレミアリーグのベンチに立つヨン・ハイティンハ。 今度は「守備の安定」「メンタルの強さ」「勝者のメンタリティ」を、選手たちにどう伝えるのでしょうか。 アヤックス、エヴァートン、リヴァプール、そしてトッテナム。 彼の経験はクラブの枠を超えて、「サッカーを続ける意味」を教えてくれているように思います。
あなたなら、もしハイティンハのように、何度もつまずきながらもトップレベルに戻るチャンスが来たとき、もう一度挑戦するでしょうか。 それとも、静かな場所でキャリアを終える道を選ぶでしょうか。
最後に、こんな言葉を添えたいと思います。 「Success is not final, failure is not fatal: it is the courage to continue that counts.」 「成功が最終地点なのではない。失敗が命取りになるわけでもない。大切なのは、続ける勇気である。」
ヨン・ハイティンハの物語は、その言葉をピッチの上と、タッチラインの外側で体現しているように見えます。 トッテナムでの新たな章が、彼にとって、そしてクラブにとって、どんな続きになるのか。 私たちは、その答えをこれから一緒に見届けていくことになります。
| フェーズ | クラブ/役職 | 主な出来事 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 育成期 | アヤックスユース(7歳〜) | 父の送迎でアムスまで通い続け17歳でトップデビュー | ◎ 継続努力の原点 |
| 復活期 | アヤックス(2003-04) | 大怪我2度から復帰しリーグ優勝・新世代の中核へ | ◎ 逆境からの復活 |
| 試練期 | アトレティコ(2008-09) | 頭部激突で意識不明→復帰して公式戦32試合出場 | ○ 恐怖を乗り越えた継続 |
| 代表の傷 | W杯2010年決勝 | 延長後半に退場→6分後にスペインが決勝ゴール | △ 一つの判断が記憶を塗り替える |
| 指導者転換 | アヤックス暫定監督(2023) | 22試合14勝も無冠でシーズン終了後退任 | △ 結果の厳しさを体感 |
| 現在地 | トッテナム(2024-25) | ウェストハム・リヴァプールを経てアシスタントコーチへ | ◎ 多様な経験を蓄積 |
- 「ひとつの失敗」で選手を評価しない環境をつくる — ハイティンハはW杯決勝退場という傷を背負いながら87キャップを獲得した。一場面だけで選手の可能性を閉じず積み重ねを見続ける姿勢を持つ
- 怪我・解任・失敗を次のロールで活かす設計をする — アヤックス暫定監督での無冠経験がその後のアシスタントとしての判断力を深めた。失敗から学ぶ構造を選手・スタッフに示す
- ユース・アカデミー指導を「現場のリアル」として尊重する — ハイティンハは引退直後にアヤックスアカデミーで各年代を指導した。育成現場を知る指導者がトップチームにいることがチームの厚みをつくる
- 大きな失敗が代名詞になっても、積み重ねが評価を決める — W杯決勝退場が語られるハイティンハだが監督たちは87試合で代表に選び続けた。長い期間の積み重ねの方が本当の実力を表す
- 怪我で出られない時間も「蓄える時間」に変えられる — 2002-03シーズンは1試合のみだったが翌年に不動のCBへ復帰した。ピッチ外でも観察・分析・準備を続けることが復帰を早める
- 親は「試合の結果」より「諦めなかったこと」を評価する — ハイティンハの父はアムスまで毎回送り届けた。継続的なサポートと「続けること自体を認める」姿勢が選手の土台をつくる
