赤一色のユニフォームが映し出す、クラブとサポーターの「誰のために選ぶか」という問い
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赤一色のユニフォームは、誰のための選択か

4月のドイツ・ハノーファー。
クラブ創設130周年を迎えるハノーファー96が、特別なユニフォームを発表した。
真っ赤なシャツ。
エンブレムも、スポンサーロゴも、サプライヤーのマークも、すべて赤。
遠目には、ただの「赤いシャツ」にさえ見えるかもしれない。
首の後ろには、クラブが生まれた1896年と、迎えようとしている2026年の数字が、さりげなく刻まれている。
130年の歴史を、目立たない場所に、ひっそりと。
このユニフォームは、2部リーグでのパダボルン戦で着用される予定だという。
「攻めたデザインだ」「ミニマルすぎる」「クラブらしくない」。
そうした賛否の声が、すでにサポーターのあいだで交わされている。
では、この赤一色のシャツは、いったい誰のための選択なのだろうか。
クラブの「顔」をどう選ぶか
ユニフォームは、単なるウェアではない。
クラブにとっては「顔」であり、サポーターにとっては「仲間の証」であり、選手にとっては「戦うときにまとう肌」のような存在でもある。
そこに色をどう置くのか。
どこまで伝統を踏襲し、どこから新しさを出すのか。
このバランスを決める過程では、毎回、目に見えないたくさんのやり取りや葛藤があるはずだ。
ハノーファー96の今回の選択は、初期のユニフォームへのオマージュだと説明されている。
創設期の姿に立ち返りながら、現代のデザインで表現する。
だからこそ、クラブ名の由来にもなっている「96」ではなく、その元になった「1896-2026」という年号を、あえて襟の裏に小さく潜ませたのかもしれない。
表に派手なメッセージは出さない。
代わりに、身にまとう人だけが知っている「印」をそっと残す。
そう考えると、このユニフォームは、外から見る人ではなく、「内側の人」の感覚を優先した選択にも見えてくる。
選手、スタッフ、クラブに関わる人たちが、「自分たちの歴史を自分たちの距離感で抱きしめる」ための服。
一方で、サポーターのなかには、もっとはっきりクラブを主張してほしいという人もいる。
スタジアムで誇らしく掲げたくなるような、わかりやすいデザインを求める人もいる。
赤一色の中に溶け込んでしまったエンブレムを見て、物足りなさを覚える人がいるのも自然だ。
クラブは、どちらの声も知っているはずだ。
そのうえで、あえてこの「トーン・オン・トーン」の大胆なミニマルを選んだ。
そこには、結果よりも「いま、この節目に何を大事にしたいか」を優先した判断がある。
| 観点 | 派手・わかりやすい路線 | ミニマル・静かな路線 | 評価 |
|---|---|---|---|
| SNS話題性 | 高い(拡散されやすい) | 低め(玄人受け) | △ 目的による |
| スポンサーロゴの視認性 | 高い | 低い(今回は赤に溶け込む) | △ スポンサー要求次第 |
| 伝統・歴史の表現 | 大きく目立つ形で訴求 | 着る人だけが知る印として内包 | ◎ ミニマル型が深い |
| 選手の着用時の感覚 | 「特別な日」を外側に示す | 首の裏に歴史を背負う内側の感覚 | ○ どちらも価値あり |
| 日本への文化的転用 | 受け入れやすい | 説明なしでは誤解を生む可能性 | △ 対話が必要 |
「みんなの顔」を決める、難しさ
サッカーの世界では、「誰のために決めるか」という問いが、いたるところに潜んでいる。
監督がシステムを変えるとき。
クラブが育成方針を転換するとき。
キャプテンがロッカールームで言葉を選ぶとき。
そのどれもが、ある意味では「みんなの顔をどうするか」を選ぶ作業だ。
ユニフォームのデザインは、その象徴的な一例かもしれない。
派手で、わかりやすく、SNS映えするようなデザインに寄せれば、話題は増える。
スポンサーにとっては、ロゴがはっきり見えたほうがうれしいかもしれない。
しかし今回は、ロゴまで赤くして、あえて埋もれさせた。
クラブのマーケティング担当者や、スポンサーの担当者、デザイナー、経営陣。
それぞれの立場から、違う「正解」があったはずだ。
例えば、こんな会話があったかもしれない。
- サポーターにとっての誇りとは何か
- クラブが「自分たちらしさ」を語るときに、どこまで過去を前面に出すのか
- 130年という節目を、「大きく叫ぶ」のか「静かに噛みしめる」のか
その中で、強く主張する人もいれば、迷う人もいる。
多数決で決まった部分もあるかもしれないし、最後はトップのひと言だったかもしれない。
いずれにせよ、「誰のためのデザインか」を、何度も自分たちに問い直しながらの決定だったのではないか。
これは、指導現場にもつながる話だ。
たとえば、日本の少年団やクラブチームでも、ユニフォームやエンブレムを決めるとき、誰の声をどれだけ反映させるかは、意外と難しいテーマになる。
保護者の希望、子どもたちの好み、指導者が掲げる理念、クラブとしての歴史。
全員を100%満足させることは、おそらくできない。
だからこそ、過程が大事になる。
「どうしてこの色になったのか」
「なぜこのエンブレムなのか」
そこに至る思考のプロセスを、関わる人たちがどれだけ共有できているか。
ハノーファー96の赤一色ユニフォームも、外からは結果だけが見えている。
けれど、中で交わされたであろう対話に目を向けてみると、単なる「かっこいい・かっこ悪い」では括れない選択が浮かび上がってくる。
- ユニフォームやエンブレムの決定プロセスを開示する — 「なぜこの色か」「誰の声をどれだけ反映したか」を説明することで、選手が自分たちのアイデンティティを理解できる
- 「誰のための決定か」という問いをチームの選択に使う — 背番号・メンバー選考・システム変更など、あらゆるチーム決定に「誰がうれしくて誰が我慢するか」を言語化する習慣を持つ
- 節目の年に歴史を振り返る機会を作る — 創部何年目・どんな選手がいたかを選手が調べて発表する機会が、チームへの誇りと帰属意識を育てる
「見えること」と「見えないこと」のどちらを選ぶか

襟の後ろに隠れる「1896-2026」という数字。
これを、胸の真ん中に大きく掲げることも、もちろんできたはずだ。
しかしクラブは、それを選ばなかった。
あえて、「見えない場所」に置いた。
ピッチに立つ選手は、プレー中はその数字を見ることがない。
それでも、首の後ろに歴史を背負っていることは、着た瞬間にわかる。
この感覚は、プレーにどう影響するだろう。
ある選手は、いつもと同じように感じるかもしれない。
別の選手は、「今日は特別な日だ」と心のどこかで意識するかもしれない。
その「特別さ」が、力になることもあれば、重さになることもある。
選手の心の揺れは、外からは見えない。
ただ、ユニフォームという「見えるもの」をきっかけに、それぞれの「見えないもの」が少しずつ動き始める。
この構図は、試合の中でも起こっている。
観客席から見えるのは、パスの成否、シュートの結果、スコアボードの数字。
しかし、その裏には、たくさんの「見えない選択」が積み重なっている。
・リスクを取るか、確実な選択をするか
・プレッシャーをかけにいくか、ラインを整えるか
・自分でシュートを打つか、味方を信じて預けるか
ユニフォームは、その一番外側にある「見えるもの」だ。
そこに、あえて多くを語らないミニマルなデザインを選ぶというのは、「表では騒がず、内側で感じてほしい」というメッセージとも受け取れる。
もし自分が選手だったら、このユニフォームを着てピッチに立つとき、何を思うだろうか。
自分の背中に隠れた「1896-2026」の数字を、どんな重さとして受け取るだろうか。
- ユニフォームを着るときに「このクラブが何を大切にしているか」を一度考える — 単なる着替えではなく、クラブの歴史や仲間との誓いをまとう感覚が試合への向き合い方を変える
- 子どものチーム選びで「ユニフォームの意味」を聞いてみる — そのクラブが歴史や価値観をどう表現しているかを一緒に調べることで、強さ以外の視点で選択できる
- ポジション・背番号の変更を「なぜか」と一緒に考える — 決定結果だけを受け止めるのではなく、選択の理由を聞くことで選手としての自己認識が育つ
日本で同じ選択をしたら、どう受け取られるか
では、日本のクラブが同じような「赤一色」「ロゴまで同色」のユニフォームを、節目の年に出したとしたら、どういう反応になるだろう。
「スポンサーのロゴが目立たないのは問題ではないか」
「遠くの席から見てクラブがわからないのは不親切だ」
「特別ユニフォームなのだから、もっと派手に盛り上げてほしい」
そんな声が出る可能性もある。
一方で、
「このクラブは、こういう静かな誇りを選んだんだな」
と、そこにクラブの価値観を見る人もいるかもしれない。
日本の育成年代でも、たとえばこんな場面がある。
- 他クラブと被らない派手な色にするか、伝統的な色を守るか
- 子どもが好きなデザインを優先するか、長く着られる落ち着いたものにするか
- 勝ち負けよりも「自分たちらしさ」をどう形にするか
そこで、「どっちが正しいか」だけを急いで決めてしまうと、大事なものを見落としやすくなる。
むしろ、
「なぜ、こっちを選びたいと思うのか」
「それを選ぶと、誰がうれしくて、誰が少し我慢することになるのか」
そうした問いを、一度立ち止まって共有できるかどうか。
ハノーファー96のユニフォームを眺めながら、日本のクラブや学校チームでの選択を想像してみると、「デザインの好み」の話から一歩先に進んだ対話が始めやすくなる。
結果ではなく、選び方を見てみる
特別ユニフォームを着た試合で勝つか負けるか。
世間で「かっこいい」と言われるか、「ダサい」と言われるか。
もちろん、そうした評価は気になる。
クラブにとっても、選手にとっても、サポーターにとっても。
ただ、そこにたどり着くまでに、どんなふうに考え、どんなふうに選んだか。
そこまで目を向けてみると、見えるサッカーの景色は変わってくる。
たとえば、あなた自身のチームでも、似たようなことが起きているかもしれない。
- ポジションを決めるとき
- 背番号を振り分けるとき
- 大会に出るメンバーを選ぶとき
その場面で、自分ならどう考えるか。
監督なら、何を優先するか。
選手なら、どんな気持ちでその決定を受け止めるか。
保護者なら、そこにどんな言葉を添えるか。
ハノーファー96の赤いユニフォームをきっかけに、そんな問いを自分ごととして想像してみることができる。
問いを残したまま、ピッチに立つ
特別ユニフォームを着たからといって、ピッチの上で答えがはっきり出るわけではない。
うまくいくプレーもあれば、うまくいかないプレーもある。
130年の歴史をまとっていても、目の前のワンプレーで迷うことは変わらない。
むしろ、その「迷い」こそがサッカーの一部なのだと思わされる。
赤一色のシャツに身を包んだ選手たちは、それぞれに違う思いを抱えながら、同じピッチに立つ。
歴史を誇りとして感じる者もいれば、プレッシャーとして感じる者もいるかもしれない。
ただ、それでもボールが転がれば、次の判断を迫られる。
パスか、ドリブルか、シュートか。
つねに、答えの出ない問いを抱えたまま、プレーを続けていく。
ユニフォームを選ぶという行為も、どこかそれに似ている。
「これでよかったのか」という問いは、たぶん完全には消えない。
それでも、自分たちで考え、自分たちで選んだという感覚があれば、その問いを抱えたまま前に進んでいける。
サッカーをしている人も、見守る人も。
華やかな結果や派手なデザインに目を奪われがちなときこそ、その裏で交わされている「静かな選択」に、少しだけ想像を向けてみる。
赤一色のユニフォームは、そんな想像の入り口になるのかもしれない。
そして、自分のチーム、自分のプレー、自分の選択について、「自分ならどう考えるか」を問い直すきっかけは、案外こうした一枚のシャツから、ふと立ち上がってくるのだと思う。