オストゥーニへ向かうバスの中で──結果の前にある「選ぶ時間」をどう生かすか
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オストゥーニへ向かうバスの中で、何を選ぶのか

イタリア南部、バジリカータ州の代表選手たちを乗せたバスが、朝の光の中をプテンツァから走り出しました。
向かう先はプーリア州の町オストゥーニ。
そこで彼らは、「トルネオ・デッレ・レジョーニ 2026」に挑みます。
カテゴリーはU19、U17、U15、そして女子。
ビアジョ・サヴァレーゼ、ディーノ・テレスカ、アレッシオ・スパターロ、ミンモ・ウーヴァという4人の監督が、それぞれのチームを率いています。
初戦の相手はウンブリア。
その後にラツィオ、ボルツァーノ(南チロル)の代表と戦い、各5グループの1位と、成績上位の2位チームだけが準々決勝に進めるレギュレーションです。
「10年以上、決勝トーナメントに進めていない。
今年こそ、どれか1チームは突破を」と願う周囲の期待。
選抜チームの強化のために、地域各地でのトレーニングキャンプと、数多くの練習試合を積み上げてきたという事実。
ただ、そのすべてを抱えながらも、バスに揺られる10代の選手たちの手には、まだ何も結果はありません。
あるのは、「これから自分が何を選ぶのか」という時間だけです。
結果よりも前にあるものを、どう扱うか
10年越しの“悲願”は、選手にとって何になるのか
この大会で、バジリカータは長いあいだ決勝トーナメント進出から遠ざかっていると言われています。
だからこそ、協会は今年、これまで以上に多くのトレーニングキャンプを行い、チームづくりに力を入れてきました。
その努力が「悲願の突破」を後押ししてくれるのかもしれません。
ただ、少し立ち止まってみると、この「10年以上勝てていない」「今年こそは」という空気は、選手にとって何になっているのでしょうか。
背中を押してくれる原動力なのか。
それとも、プレーを固くさせる重荷なのか。
同じ言葉でも、それをどう受け取るかは、人によってまったく違います。
保護者の立場から見れば、「せっかく選ばれたのだから、頑張ってほしい」という素直な応援かもしれません。
指導者の立場から見れば、「結果を出して、地域のレベルを示したい」という責任感かもしれません。
でも、ピッチに立つ選手本人は、どうでしょうか。
もし、自分がそのバスの中にいたら。
「10年ぶりの突破」という言葉を、追い風にするのか、ただの情報として横に置くのか。
あるいは、あえて何も考えないようにするのか。
そこには、ひとりひとりの「選び方」があります。
| 立場 | 外圧・状況 | 受け取り方の選択肢 | 成長への影響 |
|---|---|---|---|
| 選手 | 「10年ぶりの突破」という期待 | 追い風にする/情報として置く/遮断する | ◎ 自律的判断が身につく |
| 選手(U15) | 前年無敗でも予選通過できなかった経験 | 「今年はリスクを取れるか」と問い直す | ◎ 経験を選択の根拠に変換 |
| 選手 | 複数コーチから方針が微妙に異なる場合 | 状況に合う方を自分で判断して選ぶ | ○ 情報処理力が高まる |
| 指導者 | 例年より多くのトレーニングキャンプを積んだ | 量だけでなく「考える回数」が増えたか確認する | ○ 準備の質を検証できる |
| 保護者・選手 | 同日に別カテゴリーの結果が先に出る | 勢いとして使う/「自分たちは自分たち」と集中する | △ 感情コントロールが必要 |
U15の“無敗”が問いかけてくるもの
昨年の大会では、バジリカータU15は予選で負けなし、つまり「無敗」だったと言われています。
ただ、それでも決勝トーナメントには進めませんでした。
勝ちきれない引き分けが多かったのかもしれませんし、得失点差で他のチームに及ばなかったのかもしれません。
ここで面白いのは、「無敗なのに突破できなかった」という出来事を、どう解釈するかです。
「負けていないのだから、十分評価できる」と見るのか。
「大事なところで、リスクをとれなかった」と見るのか。
おそらく、どちらにも一理あります。
でも、もっと大切なのは、おそらく「その経験をもとに、今年は何を選ぶのか」という視点です。
同じ状況で、同じ選手なら、どう戦うのか。
去年のU15の無敗を知っている今年の選手たちは、1点ビハインドになった時、終盤にどんな判断をするのか。
- 安全にボールをつなぎ、負けを避けにいくのか
- あえてリスクをかけ、前に人数をかけて同点や逆転を狙うのか
どちらが「正解」という話ではありません。
大事なのは、「なぜそう選ぶのか」を、自分の中で言葉にできるかどうかです。
たくさんのトレーニングキャンプは、何を育てたのか
- 指示より問いかけを使う — 「なぜそこでそうするの?」とひと言添えることで、選手が自分の判断を言語化する習慣ができる
- 複数コーチ体制では方針のすり合わせを事前に行う — コーチ間で意図が一致していれば、選手は「混乱の元」ではなく「視野を広げるチャンス」としてフィードバックを受け取れる
- 試合前のミーティングで「自分が今日選ぶこと」を1行書かせる — 大会前の緊張を、選手自身が能動的な集中に変換できる具体ツールになる
「準備量」と「考える量」は比例するのか
今年のバジリカータは、過去よりも多くのトレーニングキャンプを行い、地域のさまざまな場所で選手を集めてきたと伝えられています。
これは、単純に「準備の量が増えた」と言えます。
では、その「量」の増加は、選手に何をもたらしたのでしょうか。
フィジカルの向上かもしれません。
チームとしての連携の精度かもしれません。
戦術の理解度かもしれません。
一方で、もう少し静かなところで、こんな変化も起きている可能性があります。
- いろいろな地域、いろいろなクラブから来た選手同士が、「なぜ君はそこでそうするの?」と問い合う時間
- 監督の意図を、ただ聞くだけでなく、「自分ならどうするか」を頭の中で比較してみる習慣
- 公式戦とは違う緊張感の中で、自分のプレーを試してみる勇気
トレーニングキャンプの数が増えたことが、もし「考える回数」を増やしているのだとしたら、それは結果以上に価値があるかもしれません。
指導者の言うことを、ただ「覚える」だけではなく、「なぜそれが必要なのか」を自分なりに理解しようとする時間。
仲間が失敗したプレーを見て、「自分なら同じ状況で何を選ぶか」を心の中でシミュレーションする時間。
そうした小さな積み重ねは、スタッツには残りません。
でも、ふとした1プレーの判断スピードや、ピンチでの落ち着き方に、必ずにじみ出てきます。
- 期待の言葉を「情報」として受け取る練習をする — 「頑張れ」「今年こそ」という言葉を追い風にするか重荷にするかは自分が決められる。試合前に「どう使うか」を意識するだけで気持ちの整理がしやすくなる
- 前の試合の結果に引きずられないルーティンを持つ — 同じ大会で別カテゴリーの結果が先に出るとき、「自分たちはどう戦うか」とひと言声に出す習慣が集中を取り戻させる
- 保護者は「何も言わずに送り出す」という選択肢を持つ — 選手が自分のペースで気持ちをつくれる時間を残すことも、支えのひとつの形だと知っておく
「監督が2人」の意味をどう受け取るか
バジリカータのU17は、ディーノ・テレスカとモナコという2人の指導者が関わっています。
U15も、アレッシオ・スパターロとタンクレーディという形で、複数のコーチがチームを見ています。
こうした「指導者が複数いるチーム」は、日本の育成年代でも増えつつあります。
ここで問われるのは、選手側の「受け取り方」です。
戦術的な指示や、試合中のコーチングが、監督によって少し違うこともあるでしょう。
そのとき、選手はどう対応するのか。
- どちらか一方の言うことだけを、機械的に優先するのか
- 状況に応じて、より適切だと思う方を自分で判断するのか
- 矛盾しているように見える2つの意見の「共通点」を探すのか
ここにも、「自分で選ぶ力」が問われています。
指導者が増えることは、単純に「情報が増える」ことでもあります。
情報が増えれば増えるほど、「考えない選手」にとっては、混乱の元になってしまいます。
一方で、「なぜこの指示なのか」を自分で噛み砕こうとする選手にとっては、視野を広げるチャンスにもなります。
同じ環境、同じ監督陣。
そこで「何を拾い、何を捨てるか」を決めているのは、いつも選手本人です。
初戦ウンブリア戦の90分に、どんな選択が詰まるのか
1日の中で4カテゴリーが続けて試合をするということ
大会2日目、3月28日。
バジリカータの4つのカテゴリーは、同じ日に、それぞれ別の時間帯でウンブリアと対戦します。
- 9:30 U15
- 11:30 U17
- 14:00 女子
- 16:30 U19
同じ代表として、同じ地域名を背負いながらも、キックオフ時間も、対戦相手の顔ぶれも違う4つのチーム。
もし、U15が良い試合をして勝ったとしたら。
その後に試合を控えるU17や女子、U19には、「自分たちも続きたい」という感情が生まれるかもしれません。
逆に、U15が大差で負けたとしたら。
肩に乗る空気は、少し重くなるかもしれません。
チームスポーツは、こうした「見えない流れ」に左右されることがあります。
だからこそ、ここでも問われます。
自分たちの前に戦ったカテゴリーの結果を、どう扱うのか。
- 勢いとして利用するのか
- あえて距離を取り、「自分たちは自分たち」と線を引くのか
- 前の試合の良かった点・悪かった点を、分析材料として取り込むのか
答えはひとつではありません。
同じバジリカータのユニフォームを着ているからこそ、他カテゴリーの結果に心が揺れるのは自然なことです。
その揺れを認めたうえで、「じゃあ、自分たちはどう戦う?」と問い直せるかどうか。
そこに、メンタルの強さというより、「自分の状態を理解しようとする姿勢」が現れます。
90分の中で、何度もやってくる「小さな分岐点」
試合は90分、もしくはそれより短い時間で終わります。
でも、その中には何十回、何百回という「分岐点」があります。
例えば、U17のセンターバックが、自陣でボールを持ったとします。
相手の前線からのプレッシャーはそこまで強くない。
サイドバックは高い位置をとっていて、そこにパスを出せば、前進はできそう。
一方で、安全にボランチに戻して、もう一度組み立て直す選択肢もある。
その一瞬の判断は、映像で見れば1秒にも満たないかもしれません。
でも、その1秒の中に、これまでのトレーニングキャンプでの経験や、監督の言葉、前のプレーの成功・失敗の記憶が凝縮されています。
日本の育成年代の試合でも、同じような「小さな分岐点」は数えきれないほどあります。
- 味方がミスをしたあと、どんな声をかけるか
- 自分がミスをしたと感じたとき、次のプレーで何を優先するか
- ベンチに下がったとき、残り時間をどう過ごすか
どれも、戦術ボードには載らない選択です。
でも、こうした小さな決断の積み重ねが、チームの雰囲気や、自分の成長スピードを左右していきます。
日本の育成現場に、この物語をどう映すか

「地方選抜」の意味を、もう一度問い直してみる
日本でも、「県トレセン」「地域選抜」といった形で、各地域の代表がつくられます。
バジリカータ代表のように、ひとつの州や県を背負って大会に挑む姿は、日本の選手や指導者にとっても他人事ではありません。
そこで、あらためて考えてみたくなる問いがあります。
- 地方選抜に選ばれることは、「ゴール」なのか、それとも「スタート」なのか
- 選抜に呼ばれなかった選手は、本当にそこで「チャンスを失った」のか
- 選抜という場を、「答えを教えてくれる場所」にしてしまっていないか
バジリカータの選手たちも、日本のトレセンの選手たちも、おそらく共通しているのは、「限られた時間で、自分を試す場所に立っている」ということです。
選抜に選ばれたからといって、すべてが保証されるわけではありません。
選抜に呼ばれなかったからといって、成長の道が閉ざされるわけでもありません。
大切なのは、おそらく「今、目の前にある環境をどう使うか」です。
たとえば、選抜に呼ばれた選手なら、こう自分に問いかけてみることができます。
- ここでしか出会えない指導者から、何を学び取るのか
- 他クラブの選手と一緒にプレーする中で、自分の強み・弱みをどう再確認するのか
- この短い期間で、自分の中の「当たり前」をどれだけ疑ってみるのか
選抜に呼ばれていない選手も、同じように問いを持つことができます。
- 今いるチームで、今日の練習をどう意味のあるものにするか
- 週末の試合で、「自分で決めたチャレンジ」をひとつ用意して臨めるか
- 選ばれている友だちの話を、ただうらやむのではなく、「自分の刺激」として聞けるか
そこに優劣はありません。
あるのは、「どの環境にいても、自分の頭で考えようとするかどうか」という違いだけです。
結果を急がないことは、言い訳なのか
バジリカータの指導者たちは、10年以上届いていない決勝トーナメント進出を目標にしつつも、今季のトレーニングキャンプの取り組みに手応えを感じていると伝えられています。
もし、今年も突破できなかったとしたら、その取り組みは「失敗」になるのでしょうか。
日本の現場でも、「結果だけを見れば成功ではない」と感じるシーズンは、少なくありません。
ただ、そのときに「結果を急がない」と口にすることは、時に「負けの言い訳」と受け取られてしまいます。
そこで、もう一歩だけ踏み込んでみる価値があります。
「結果を急がない」とは、本当は何を意味しているのか。
- 短期的な勝敗よりも、選手が自分で考える経験を増やすことを優先するのか
- 今は負けるかもしれないが、3年後・5年後に生きる判断材料を選手に渡したいのか
- 指導者自身も、「自分のやり方は本当にこれでいいのか」と問い続ける覚悟を持つのか
「結果を急がない」という言葉は、使い方次第で、単なる逃げにも、本物の覚悟にもなります。
目の前の大会で、全力を尽くすこと。
そのうえで、「今年の結果だけで、すべてを決めつけない」と心のどこかで決めておくこと。
その両方を同時に持つことは、わがままでも、甘えでもありません。
むしろ、長くサッカーと付き合っていくために、必要な視点なのかもしれません。
「もし自分があのバスに乗っていたら」と、少しだけ想像してみる
選手として、保護者として、指導者として
オストゥーニへ向かうバスの中で、選手たちは何を考えていたのでしょうか。
初めての州代表に胸を躍らせていた選手もいれば、「結果を出さなければ」と緊張している選手もいたはずです。
指導者は、頭の中でスタメンとゲームプランを反芻していたかもしれません。
もしかすると、「もしプラン通りにいかなかったら」という不安も、すでに抱えていたかもしれません。
保護者は、遠くから送られてくるスコア速報を想像しながら、「怪我だけはしないで」と祈るような気持ちで送り出しているかもしれません。
そのどれもが、「サッカーに関わるひとつの選び方」です。
この物語を、日本でサッカーに関わる自分自身に重ねてみると、いくつかの問いが浮かび上がってきます。
- もし自分が選手なら、大会前の数日間をどう過ごしたいか
- もし自分が保護者なら、子どもにどんな言葉をかけたいか、あるいは何も言わずに送り出すのか
- もし自分が指導者なら、「結果」と「育成」の間で、どんなバランスを取りたいか
どれも、すぐに答えは出ないかもしれません。
むしろ、簡単に答えが出てしまう問いの方が、危ういこともあります。
それでも、「自分ならどう考えるか」と立ち止まってみること。
その時間そのものが、サッカーを少しだけ深く味わうことにつながっていきます。
終わりに──まだ結果の決まっていない物語の中で
この記事を書いている時点で、バジリカータ代表の2026年トルネオ・デッレ・レジョーニの結果は、まだわかりません。
ウンブリアとの初戦で、どんなプレーが生まれるのか。
ラツィオ戦、ボルツァーノ戦で、どんな表情でピッチを後にするのか。
それらは、これから紡がれていく物語です。
ただひとつだけ言えるのは、その物語は「勝った」「負けた」というひと言では語りきれないということです。
そこには、選ばれたことの喜びと、選ばれなかった仲間への思い。
期待と不安が入り混じるバスの中の沈黙。
トレーニングキャンプで繰り返された、無数の小さな判断と、その積み重ねがあります。
サッカーは、いつも「結果」という形で物語を締めくくろうとします。
スコアボードに刻まれた数字は、確かにひとつの真実です。
けれど、その数字の手前にあった「選ぶ時間」を、どれだけ大切にできるか。
それは、選手だけでなく、見守る大人たちにも、静かに投げかけられている問いなのかもしれません。
まだ結果の決まっていない物語の中で、自分なら何を選ぶのか。
その問いを胸に、今日もボールを蹴る時間に向き合ってみたいところです。
