「必要とされないかもしれない」から始まる復帰物語──ルーカス・パケタと先輩たちが教えてくれる、サッカーの“選択”と関係性
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「フラメンゴは僕を必要としていないかもしれない」から始まる物語
一人の選手が、古巣への復帰を前に口にした一言がある。 「もしかしたら、フラメンゴは自分を必要としていないかもしれない」。 そう語ったのは、ブラジル代表としても知られるルーカス・パケタ。 ヨーロッパで経験を積んだ彼が、育成年代から過ごしたクラブへ戻ってくる。 そのニュースは移籍市場の話題として大きく扱われたが、 この言葉には、結果だけでは測れない、ひとりのフットボーラーの思考の揺れがにじんでいるように思える。
そして、その復帰を誰よりも喜び、あたたかい言葉を贈ったのが、 フラメンゴの元10番、ディエゴ・リバスだった。 同じピッチで時間を共有した先輩は、パケタの迷いを包み込むように、 「フラメンゴだけじゃなく、ブラジルのフットボールが彼を必要としている」とメッセージを送った。 ここには、戦術ボードには書き込めない「選手同士のまなざし」と「サッカーを選び続ける覚悟」がある。
なぜ、戻るのか。なぜ、「必要とされないかも」と感じるのか

成功者の復帰に潜む、静かな不安
外側から見れば、パケタのフラメンゴ復帰は「華々しい凱旋」に映るかもしれない。 ブラジル代表、欧州でのプレー、そしてビッグクラブへの移籍。 多くの選手が憧れるキャリアを歩んできた選手が、育ったクラブに戻ってくる。 物語としては分かりやすいし、感情も乗せやすい。
けれど当の本人は、「フラメンゴは僕を必要としていないかもしれない」と感じている。 このギャップはどこから来るのだろうか。 想像してみると、いくつかの要素が浮かぶ。
- クラブはすでに強く、タイトルを獲得し続けている
- 新たなスターやタレントが台頭している
- 自分がいない間に、チームは別のスタイルやリーダーシップを築いている
そう考えたとき、「自分はそこに本当に“必要”なのか?」という問いが生まれても不思議ではない。 これは、トップ選手だからこそ抱く感覚かもしれないし、 中学生や高校生、社会人リーグでプレーする誰かにも、どこか共通する感覚かもしれない。
たとえば、久しぶりに古巣チームから「戻ってこないか」と声をかけられたとき。 あるいは、地域トレセンや強豪校への再挑戦を前にしたとき。 「自分は本当に戦力になるのか」「迷惑にならないか」。 表には出さなくても、心のどこかに浮かんでくる問いだ。
| 立場 | 主な問い | 行動・反応 | 評価 |
|---|---|---|---|
| パケタ本人 | クラブに本当に必要とされるか | 「必要とされないかも」と自問しながら古巣へ戻る決断 | ◎ 覚悟の選択 |
| ディエゴ・リバス(先輩) | 戻る選手にどんな言葉を贈るか | 「ブラジルのフットボールが必要としている」とメッセージ | ◎ 継承の言葉 |
| フラメンゴ(クラブ) | いつ・どう起用するか | スーパーカップでの即時起用も視野に入れた | ○ 慎重さとの両立 |
| フィリペ・ルイス(現監督) | かつての仲間と指導者の境界線をどう引くか | 「あだ名禁止令」の冗談が境界線の変化を示す | △ 関係性の変化 |
| チームメイト・サポーター | 大物の復帰をどう受け止めるか | ポジション競争・憧れ・仲間意識が同時に動く | ○ 複層的な受容 |
「必要とされる側」から「必要とさせる側」へのシフト
ディエゴ・リバスは、パケタのそんな揺れを知ってか知らずか、 彼の復帰を「クラブのためだけではなく、国全体のフットボールのため」と位置づけた。 これは、シンプルな称賛以上に、役割の変化を示す言葉でもある。
若い頃のパケタは、クラブに「選ばれる側」だった。 チームの戦術の中で、自分に与えられたタスクをこなし、個性を示しながら、 評価を勝ち取り、ポジションを競い合う存在だった。
しかし今、彼は「影響を与える側」として見られている。 プレーだけでなく、姿勢や言葉、価値観そのものが、 周りの選手やサポーター、子どもたちにとっての“サンプル”になる。 ディエゴは、そうした影響力を「価値観や原則を伝える力」として捉え、 パケタに期待を込めているように見える。
「必要とされるかどうか」から一歩進んで、「自分はここで何を差し出せるか」。 この視点の変化は、年齢やレベルに関係なく、誰にとってもひとつのヒントになる。 もし自分が新しいチームに行くとき、あるいはかつて所属したチームに戻るとき、 「使ってもらう自分」だけでなく、「チームに何を返せる自分」も想像してみると、 また違った選択肢や準備が見えてくるかもしれない。
「学びたい意欲」と「遊び心」のバランス
- 先輩からの言葉をチーム内で仕組み化する — ディエゴのようなロッカールームの兄貴分が新加入選手に声をかける文化を意図的に作り、チーム全体の受容を促す
- 「選ばれなかった選手」へのフォローを先に行う — 新戦力の起用より前に、競合するポジションの選手に役割と成長の見通しを伝える
- 友人と指導者の境界線をルールとして一貫させる — 練習中・試合中の指示は役職として出す姿勢をチーム全員の前で一貫して示す
先輩が見ていた、ひとりの若手の横顔
ディエゴ・リバスは、パケタについて、 「学ぶ意欲」「バランス感覚」「謙虚さ」。 そして同時に「個性」と「おそれないプレー」を印象的な要素として挙げている。 チームメイトとして彼を間近で見ていたからこそ出てくる言葉だろう。
トップレベルに近づくほど、 「戦術理解」「ポジション取り」「守備での役割」など、 頭を使って整理しなければいけない要素が増えていく。 一方で、パケタのようなタイプには、幼い頃から染みついた「遊び心」や「ひらめき」がある。 その両方をどう共存させるか。 ここには、選手としての大きなテーマが隠れている。
日本の育成年代でも、 「自由にやっていいよ」と言われる場面と、 「役割をきちんとこなせ」と求められる場面の間で揺れる選手は少なくない。 どちらが正しいというより、 「いまこの状況なら、どの振り幅でプレーするべきか」を自分で選び取る力が問われている。
- 迷いは持ったまま挑戦していい — パケタも「必要とされないかも」と感じながら復帰を選んだ。完全な自信がなくてもピッチに立てる
- 先輩の言葉を素直に受け取る — ディエゴのメッセージのように、先輩からの一言は自分を動かすエネルギーになる。言葉を軽く流さず持ち続ける
- 「役割が変わった」ことを前向きに捉える — 選ばれる側から影響を与える側へ。学年が上がるたびに周囲の見本になる側面が増えると知っておく
フィリペ・ルイスへの“あだ名禁止令”が示すもの
ディエゴは冗談交じりに、 「フィリペ・ルイスにあだ名をつけないように。怒られるぞ」とパケタにメッセージを送っている。 一見するとただの笑い話だが、ここにも興味深いポイントがある。
フィリペ・ルイスは、現役時代から戦術理解度の高いサイドバックとして知られ、 引退後は指導者の道へ進み、現在はフラメンゴの監督を務めている。 かつては同じロッカールームで笑い合っていた相手が、 今はチームの方向性を決定する立場にある。 そこに戻っていくパケタは、昔の延長線上だけではいられない。
指導者と選手。 友人とプロフェッショナル。 この境界線の引き方もまた、サッカーにおける重要な“選択”のひとつだ。 冗談を飛ばし合える関係性は大事だが、 チーム全体の前での振る舞い、練習中のスタンス、 戦術的な指示に対しての態度は、過去の関係よりも優先される。
もし自分のかつてのチームメイトが、 監督やコーチとして自分の前に立ったらどう振る舞うだろう。 仲の良さをそのまま出すのか。 一歩引いて、あえて距離を取るのか。 その場その場で、どの関係性のスイッチを入れるのか。 それを選び続けるのもまた、「考えるサッカー」の一部と言える。
「帰ってきた選手」を、どう迎えるか
クラブ側と周囲の期待
パケタはすでに登録を済ませ、 フラメンゴはコリンチャンスとのスーパーカップでの起用も視野に入れている。 タイトルを懸けた一発勝負の舞台で新戦力をどう使うかは、 監督にとっても難しい判断だ。
- すぐに先発で起用し、“象徴”としての存在感を示すか
- 途中出場で、プレッシャーを少し和らげながらチームに慣れさせるか
- あえてデビューを先送りし、トレーニング期間を優先するか
どの選択にも、それぞれの理由がある。 そして、どの選択をしても、外からは必ず何かしらの評価や意見が飛んでくる。 「即戦力として取ったのだから使うべきだ」「まだチームになじんでいない」など。 指導者は、そうした声を受け止めつつ、 チームの現状、対戦相手、選手本人のコンディションやメンタルを総合して決断を下す。
一方で、チームメイトにとっても、 「大物が戻ってくる」という状況は、少なからず影響を及ぼす。 ポジションがかぶる選手は、自分の出場機会を意識するだろう。 若手にとっては、憧れの存在が、 同じロッカールームで隣に座るかもしれないという緊張と興奮がある。
そんな中で、ディエゴのような“先輩”が、 復帰する選手に向けてあたたかいメッセージを送る行為には、 ロッカールーム全体をやわらかくする効果もある。 「この選手は、自分たちの仲間なんだ」と。 サポーターだけでなく、クラブ全体にそう思わせる力だ。
日本で同じことが起きたら、どう受け止めるか
この出来事を日本サッカーに重ねてみると、 ヨーロッパからJリーグのクラブに戻ってくる選手たちの姿が思い浮かぶ。 彼らが戻ってきたとき、 私たちはどんな期待をかけ、どんな目線で見ているだろうか。
- 「チームを救ってくれる存在」として、結果をすぐに求める
- 「若手の見本」として、振る舞いや姿勢に注目する
- 「クラブの象徴」として、勝敗以上の意味を背負わせる
どれも間違いとは言えないが、 それぞれがプレッシャーにもなりうる。 そこにいるのは、「物語の主人公」として見られる一人の選手であると同時に、 失敗もするし、迷いも抱える、ひとりの人間だ。
もし、自分の応援するクラブに「帰ってきた選手」がいたとしたら。 最初の試合でうまくいかなかったときに、 どんな言葉をかけたいか。 どんな声援を送りたいか。 一歩立ち止まって考えてみると、 サッカーを見る目線そのものが、少し変わってくるかもしれない。
「兄貴分」と「弟分」の関係がつくるもの

一通のメッセージが示す、見えないパス
ディエゴ・リバスの言葉に対して、 パケタは「兄のような存在だ」と感謝を返している。 ピッチ上でのコンビネーションや、 一緒に戦った時間を土台にした信頼関係。 それが、世代を超えて受け継がれていく。
ブラジルでも日本でも、 クラブには必ず「兄貴分」と「弟分」のような関係が生まれる。 先輩が若手を気にかける。 若手が先輩の背中を見て学ぶ。 練習後に一緒に残ってシュート練習をしたり、 ミーティングのあとにさりげなく話しかけたり。 そうした、小さな“見えないパス”の積み重ねが、チームの色をつくっていく。
もし、自分が先輩側になったとき、 チームに新しく入ってきた選手に、どんな言葉をかけるだろうか。 そして、自分が新しく来た側、あるいは戻ってきた側だったら、 先輩や指導者の言葉をどう受け止めるだろうか。 そこに正解はないが、 一つひとつの関わり方を自分で選ぶことはできる。
問いを持ったまま、ピッチに立つということ
「答えのないサッカー」とどう向き合うか
パケタの復帰物語を追っていくと、 サッカーは「正しい選択」を探す競技というよりも、 限られた時間の中で「納得できる選択」を繰り返す競技なのだとあらためて感じる。
- クラブは、どのタイミングで誰を迎え入れるか
- 監督は、どのような役割を与え、どの試合で起用するか
- 選手は、どういう覚悟とスタンスでそのクラブに戻るか
- チームメイトやサポーターは、戻ってきた選手をどう迎えるか
どの場面にも、「これが絶対に正しい」という答えはない。 結果が出たあとで、「あの選択は成功だった」「あれは間違いだった」と判断されがちだが、 本当の意味で問われているのは、 「なぜそのとき、その選択をしたのか」というプロセスの部分だ。
日本のサッカー現場でも、 移籍、ポジション争い、戦術変更、進学先の決定など、 似たような決断の連続がある。 そのときに、「周りがそう言うから」だけでなく、 自分自身の中でじっくり時間をかけて考える余白を持てるかどうか。 それが、後悔の少ないキャリアづくりにもつながっていくのかもしれない。
最後に残るのは、「どう生きたか」という記憶
フラメンゴとコリンチャンスがブラジル・スーパーカップで激突する日。 スコアやスタッツは、試合が終わればすぐにニュースで流れるだろう。 誰がゴールを決めたか、誰がMVPだったか。 それらはもちろん、大切な情報だ。
けれど、もう少し長い時間軸で見たときに、 人の心に残っていくのは、 「この選手はどんなふうに戻ってきたのか」 「どんな表情でピッチに立っていたのか」 「どんな言葉を後輩に残したのか」という、 プレーの奥にある物語かもしれない。
自分がサッカーを続ける中で、 あるいは子どもを見守る保護者として、チームを率いる指導者として、 もし似たような場面に立ち会ったときに、 「自分ならどう考えるだろう」と一度立ち止まってみる。 パケタの復帰と、ディエゴのメッセージは、 そんな問いをそっと手渡してくれる出来事の一つのように思える。
答えを急がず、迷いごと抱えたままピッチに立つ。 そこから生まれる一歩一歩もまた、サッカーの一部なのだろう。
