マルセイユ大敗に見る「選び直す力」──説明できない崩壊と、ピッチに立つ11人の決断
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「なぜここでは戦えないのか」マルセイユの大敗から考える、選手の「選び直す力」

パルク・デ・プランスで、何が起きていたのか
パリの夜、パルク・デ・プランス。
キックオフの笛が鳴ってからしばらくのあいだ、マルセイユの選手たちは、まるでピッチの大きさが急に変わってしまったかのような表情をしていたように見えました。
最終的なスコアはパリ・サンジェルマンの大量得点、ポスト直撃を含めれば、もっと失点していてもおかしくない内容。
5バックでラインを高く保ちながらも、パリのスピードに裏を取られ続ける最終ライン。
キャプテンのレオナルド・バレルディは、最初の4失点すべてに絡んでしまい、読み違い、タイミングのズレ、技術的なミスが連鎖しました。
中盤のピエール=エミル・ホイビュアは、プレミアやヨーロッパの経験豊富な選手であるはずなのに、ボールに寄せる一歩が遅れ、体の向きも合わず、パリの中盤に翻弄されました。
さらに前線では、今季リーグ戦で得点を重ねているメイソン・グリーンウッドが、パリ相手の大一番になると存在感を消してしまう。
「なぜここまでやられてしまうのか」。
ロベルト・デ・ゼルビ監督は試合後、理由を探そうとしながらも、はっきりとした答えを示すことはできませんでした。
チームとしても、個人としても、「説明できない」ほど崩れたゲーム。
ここから何を読み取るかは、見る側に委ねられています。
| 観点 | 選択が定まっている状態 | 選択が定まらない状態 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 守備ラインの判断 | 「今日は裏を捨てて前に行く」と決め切れる | 「行くのか待つのか」でブレ続ける | ◎ 決め切ることが先 |
| ボールを受ける前の準備 | 次の方向・プレス対応・奪われた際の対処をすでに決めている | ボールを受けてから考える(反応プレーが増える) | ◎ 先読みが大前提 |
| 苦しい展開での行動 | 「自分はこうする」と決め切ってプレーする | 「何を優先すべきか」を探り焦りと慎重さが同居する | △ 焦りが連鎖ミスを生む |
| チームの意思統一 | 隣の選手と一歩を合わせられる | 「高い位置で守りたい」と「裏を恐れる」が噛み合わない | △ 個の迷いが組織崩壊になる |
| 大敗後のミスの扱い方 | 「なぜその選択をしたのか」を丁寧に振り返る | 「誰が悪いか」を急いで決めつける | ○ 振り返りの質が次につながる |
| 変化を選ぶ決断 | 「変えない」という選択も明確な意図で選べる | 惰性でそのまま続けてしまう | ○ 継続もまた強い選択肢 |
戦術は「選択の積み重ね」に過ぎない
大敗の理由として、戦術やシステムは、いつも真っ先に議論されます。
なぜ5バックだったのか。
なぜラインをあれほど高く保ったのか。
なぜパリのスピードに対して、もう少し慎重な立ち上がりを選ばなかったのか。
しかし、どんな戦術も、最後はピッチの中にいる11人の「選択の連続」で形を変えていきます。
例えば、同じ5バックでも、
- 相手の最初の縦パスに、どこまで食いつくか
- センターバック同士の距離をどのくらい保つか
- サイドが絞るタイミングをどこに合わせるか
こうした違いで、全く別の守備になります。
この日のマルセイユは、全体として「高い位置で守りたい気持ち」と「裏を恐れる気持ち」が噛み合っていないように見えました。
一歩出るか、一歩下がるか。
その一歩を、隣の選手と合わせられない時間が続くと、システム以前に、守備は崩れます。
守備の要となるバレルディは、その象徴でした。
ラインコントロール一つ、縦パスに対する寄せ一つ、そのたびに「行くのか、待つのか」の判断がブレてしまう。
技術的なミスは表面上の結果で、その奥には「選択が定まらない状態」があったように思えてなりません。
もし自分がセンターバックとしてピッチに立っていたら、どこで腹を決めただろうか。
「今日は、裏を捨てて前に行く」と決めるのか。
「今日は、ブロックを下げてでも失点を防ぐ」と決めるのか。
どちらが正しいかではなく、「決めきれるかどうか」が試される場面だったのかもしれません。
- ミスが出たとき「なぜその選択をしたのか」を丁寧に聞く習慣をつける — 「下手くそ」で終わらせず、「何を見て、何を感じていたのか」を一緒に言語化し、「他にどんな選び方があったと思う?」と考える時間をつくる。これがプレッシャーの大きな試合で「自分で選び直す力」につながる。
- 守備位置・出しどころ・プレス開始位置を全部指示で固めない — 「守備ラインはここ」「ボールを取ったらここに出せ」という指示だけでは、想定外の展開に対応する力が育ちにくい。選手自身が情報を集め選択肢を思い浮かべ選ぶ経験を、普段のトレーニングから積ませる。
- 「説明できない負け」を短絡的な原因帰属で終わらせない — 「戦術が悪かった」「キャプテンが不甲斐なかった」と答えを一つに絞るほど、選手個々が抱えていた選択の迷いが見えなくなる。なぜを問い続ける姿勢がチームの適応力を高める。
経験豊富な選手でも、迷いは簡単に顔を出す
中盤のホイビュアのプレーぶりも、多くの人の目に焼きつきました。
ヨーロッパのトップレベルで戦ってきたはずの選手が、なぜあれほどまでに後手を踏んでしまったのか。
一つのプレーだけ切り取れば「対応ミス」で済んでしまいますが、その裏には、もっと静かな揺れが潜んでいるかもしれません。
パリの中盤は、ボールを奪う瞬間のテンポを上げたり、少し緩めたり、そのリズムの変化で相手を外してきます。
そこで求められるのは、「ボールを持つ前」にすでに決めておくことです。
- 次にどの方向へ運ぶのか
- プレスが来たとき、逃げるコースをどこに用意しておくのか
- 奪われたとき、最初に誰を捕まえにいくのか
この準備がワンテンポ遅れるだけで、「反応でプレーする」時間が増えていきます。
経験豊富な選手でも、「今日はうまくいかない」と感じた瞬間から、一つひとつの判断が慎重になりすぎたり、逆に焦り気味になったりすることがあります。
ホイビュアも、パルク・デ・プランスの雰囲気、ゲーム展開の速さの中で、「自分は何を優先してプレーするのか」を見失った時間帯が長かったのかもしれません。
こうした場面は、プロだからといって無縁ではありません。
中学生や高校生の試合でも、少しレベルの高い相手と対戦すると、いつもの判断が急に鈍ってしまうことがあります。
そのとき、自分がどんなことを考え、何を怖がっているのかに目を向けられるかどうか。
そこに、次の一歩のヒントが隠れているのではないでしょうか。
- レベルの高い相手と対戦したとき「何を怖がっているのか」に目を向ける — いつもの判断が急に鈍ってしまう試合では、技術の問題より「何を優先してプレーするのか」が見えなくなっていることが多い。その瞬間の自分の迷いに気づくことが次の一歩のヒントになる。
- 試合後に「あのシーン、自分だったら」と一つ問いを立てて振り返る — 観戦でも「もし自分がセンターバックだったら、あの場面でラインを下げただろうか」と問い直す習慣が、自分のプレー判断の幅を広げる。勝敗を超えた学びがそこにある。
- 保護者はプロの大敗を「誰が悪い」で解説しない — 「あの選手がダメだから」と決めつけて見せるより、「なぜあの選択をしたんだろうね」と一緒に考えることで、子どもは判断を見る目と自分のプレーを振り返る習慣を育てていく。
エースは「結果」だけで語れるのか
攻撃面では、グリーンウッドの名前が挙がります。
リーグ全体で見れば得点ランキング上位にいるストライカー。
しかし、フランス国内の上位クラブとの試合になると、出場試合数のわりに得点がついてこない。
この日も、パリの強度と集中力の中で、試合を決定づけるようなプレーを見せることはできませんでした。
エースストライカーに対しては、「大事な試合で決められるかどうか」が必ず問われます。
一方で、「決められなかった」事実だけを並べてしまうと、その選手がどんな迷いの中でプレーしていたのかは、見えなくなってしまいます。
この手の試合で、前線の選手は、いつも難しい選択を迫られます。
- 自分が下りてつなぎ役になるか
- あえて高い位置に張って、カウンターの起点に専念するか
- 守備での献身を増やすか、それとも決定的な場面に力を残すか
グリーンウッドも、スコアが開く中で、「自分は何を優先すべきか」を探り続けていたはずです。
シュートを打てない時間が続けば続くほど、「次こそは」と焦る気持ちと、「ボールを失いたくない」という怖さが同居します。
もし自分がエースと呼ばれる立場なら、0-3や0-4になったあとに、どんなことを考えて前線に立つだろうか。
「一矢報いること」も選択肢なら、「チームのバランスを少しでも戻すこと」に徹する選択肢もあります。
どちらが正しいとは言い切れません。
ただ、どの選択をするにせよ、「自分はこうする」と決め切れるかどうかが、苦しい試合での存在感を左右していきます。
「説明できない負け」をどう扱うか

デ・ゼルビ監督は「理由が見つからない」と繰り返しながら、それでも「なぜこうなるのかを話し合いたい」とも示していました。
これは、指導者にとっても選手にとっても、簡単ではない作業です。
相手が強かったから。
審判がどうだったから。
戦術の選び方を間違えたから。
そうした「わかりやすい理由」を並べれば、少しは気持ちが楽になります。
けれど、その先にある「自分たちは試合の中で何を選んでいたのか」という問いからは、逃げられません。
例えば、この試合のマルセイユには、次のような選択肢がありました。
- 前半のうちに、ラインを下げて守り方を変える
- ハーフタイムで、システムを4バックに戻す
- ボールを奪った後のアプローチを、カウンター重視からポゼッション重視に変える
何を選んでも批判はあるでしょう。
しかし、「変えない」という選択もまた、一つの強い決断です。
そこで重要になるのは、「なぜそのまま続けることを選んだのか」を、後から自分たちで説明できるかどうかです。
もし自分が選手だったら、「このままではマズい」と感じたタイミングで、ピッチの中でどこまで変えようとするのか。
ベンチに指示を求めるのか。
自分たちでラインを下げるのか。
キャプテンとして、あるいは一選手として、「今この瞬間、何を変えるか」を考え続けることは、勝敗とは別の価値を持っています。
日本ではどう考えられるか
このマルセイユの大敗は、日本のサッカーにとっても他人事ではありません。
国際大会やアジアの舞台で、日本のクラブや日本代表が、似たような「説明しづらい崩れ方」を見せることはあります。
国内のリーグ戦ではうまくいっていたやり方が、少しレベルが上がった途端に機能しなくなる。
選手それぞれが実力不足というより、「何を優先して戦うのか」が揃わないまま、試合が進んでしまう。
そんな光景は、トップレベルだけでなく、育成年代でも起きます。
そこで問われるのは、「どの戦術を採用するか」という監督の決断だけではありません。
ピッチに立つ一人ひとりが、
- うまくいかないときに、どんな情報を集めるのか
- その情報をもとに、どんな選択肢を思い浮かべるのか
- その中から、どれを選ぶのか、あるいは選ばないのか
こうしたプロセスを、普段のトレーニングからどれだけ経験しているかどうかが、大きな差になります。
指導者の側からすれば、選手に「正解」を与えて楽にさせることはできます。
守備ラインはここ。
ボールを取ったらここに出せ。
プレスはここからかけろ。
しかし、それだけでは、パルク・デ・プランスのような「予定通りにいかない試合」に対応する力は育ちにくいかもしれません。
日本の現場でできることの一つは、ミスが出たときに「なぜその選択をしたのか」を丁寧に扱うことです。
結果ではなく、「選ぶまでに何を見て、何を感じていたのか」を聞いてみる。
そのうえで、「他にどんな選び方があったと思う?」と一緒に考えてみる。
そうした時間が、プレッシャーの大きな試合で「自分で選び直す力」につながっていくのではないでしょうか。
答えを急がない、という選択
マルセイユのこの大敗は、サポーターにとっては受け入れがたいものでした。
選手たち自身も、悔しさや恥ずかしさを抱えているはずです。
だからこそ、「誰が悪いのか」を急いで決めつけてしまうのは、ある意味では簡単な逃げ道でもあります。
戦術が悪かったのか。
キャプテンが不甲斐なかったのか。
ビッグマッチで結果を出せないエースが問題なのか。
そうやって答えを一つに絞り込もうとするほど、サッカーの複雑さや、そこで戦う人間の揺れは見えにくくなります。
一方で、「なぜ」を問い続けることには、終わりがありません。
だからこそ、しんどい作業でもあります。
それでも、あのパリの夜にピッチに立っていた11人も、ベンチにいたスタッフも、それぞれの「なぜ」と向き合う時間をこれから過ごしていくのでしょう。
読む側、見る側にできるのは、そのプロセスを想像しながら、自分自身の「なぜ」を静かに積み重ねていくことかもしれません。
自分なら、どこで何を選ぶだろう
圧倒的な敗戦の中にこそ、サッカーの本質が顔を出します。
思い通りにいかないとき、
- どの情報を信じるのか
- どこで踏みとどまるのか
- どこでやり方を変えるのか
そして、その判断を誰かに預けるのか、自分で引き受けるのか。
マルセイユの選手たちが、これからどんな言葉を交わし、どんな練習を積み、次のビッグマッチに向かうのか。
その過程は、外からは簡単には見えません。
ただ、サッカーをする人、それを見守る人、一人ひとりが、自分の日常の中で問い直すことはできます。
もし自分がバレルディだったら、あの大敗の翌日に何を見返すだろうか。
もし自分がホイビュアだったら、どの場面から整理を始めるだろうか。
もし自分がグリーンウッドだったら、「大事な試合で結果が出ない」という言葉をどう受け止め直すだろうか。
その問いに、すぐに答えを出す必要はありません。
サッカーのピッチは、次の90分でまた、新しい選択を求めてきます。
そのたびに、少しずつ、自分なりの答えを更新していけばいいのだと思います。
大敗の記憶さえ、いつかは「考え続けた時間」として、選手たちの中に残っていくのかもしれません。
