左利きセンターバックが映し出す「選べない条件」とサッカーの問い
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左利きのセンターバックが問いかけてくるもの

自陣左サイドでボールを受けたセンターバックが、ほんの一瞬だけ止まる。
前方にはサイドバック、インサイドハーフ、そして縦に張るウイング。
どこへ出すのか。
右利きの選手なら少し身体を開いて内側へつけるかもしれない。
しかし、その選手が左利きなら、自然と見える景色も、選ぶパスも、少しだけ違ってくる。
ブラジル代表のカルロ・アンチェロッティ監督が、次のワールドカップへ向けて「左利きのセンターバック」を一人探していると報じられている。
名前が挙がるのは、フラメンゴのレオ・ペレイラ、ノッティンガム・フォレストのムリーロ、パリ・サンジェルマンのルーカス・ベラルド。
特別な「スター物語」ではなく、「どちらの足で蹴るか」という、とても当たり前に見える要素から、代表の最後のピースが決まろうとしている。
なぜ、たったそれだけの違いが、こんなに重く扱われるのか。
左利きという「条件」が生む思考
なぜ左利きのセンターバックなのか
アンチェロッティが求めているのは、単なる「上手いディフェンダー」ではなく、「左利きで左センターバックを安定してこなせる選手」と伝えられている。
すでにアーセナルのガブリエウ・マガリャンイスという左利きCBがいる中で、それでももう一人、同じ利き足の選手を探す。
ワールドカップまで残り二回の招集。
そこで「利き足」という条件が、選考を左右するほどの要素になっている。
左利きのセンターバックがいると、ビルドアップではこんな変化が起こることが多い。
- 左足のアウトサイドで、タッチライン際の味方に素早くパスを通せる
- 身体を開いたまま、内側と外側の両方にパスコースを持ちやすい
- ボールを動かしながら前進する時、相手のプレッシャーからボールを遠ざけやすい
もちろん、右利きでも左でプレーできる選手はいる。
だが、最高レベルの舞台になるほど、「ほんの0.1秒の迷い」が失点につながる。
その0.1秒を減らすために、利き足まで含めた細かい条件が求められていく。
ここで面白いのは、「上手いかどうか」だけでなく、「どの足で蹴るか」という、自分では選べない要素が、サッカーの中で一つの「役割」と結びついていることだろう。
| 観点 | レオ・ペレイラ | ムリーロ | ルーカス・ベラルド | 評価 |
|---|---|---|---|---|
| 所属クラブ | フラメンゴ(ブラジル) | ノッティンガム・フォレスト | パリ・サンジェルマン | ◎ 各地で活躍 |
| A代表経験 | 未招集 | テスト済み | テスト済み | △ レオのみ未経験 |
| プレーリーグ | ブラジル国内リーグ | プレミアリーグ | リーグ・アン | ○ 欧州組2名 |
| 選手本人の心境 | 「もどかしさを感じる」と公言 | 代表試験中 | 代表試験中 | △ 不確定要素あり |
| アンチェロッティの検討度 | 新たな候補として検討中 | 既テスト済み | 既テスト済み | ◎ 最終比較段階 |
「選べないもの」とどう付き合うか
レオ・ペレイラは、フラメンゴで長くプレーし、国内でも評価を高めてきた左利きのセンターバックだ。
世代別代表には何度も呼ばれてきた一方で、A代表にはまだ縁がない。
2025年のインタビューで、彼は正直な胸の内を語っている。
「呼ばれないことに、正直もどかしさを感じている」と。
チームで結果を出し、キャリアの中でも最高の状態だと感じている。
それでも選ばれないとき、「自分に何が足りないのか」と問い続けていると明かした。
もし自分が同じ立場だったらどうだろう。
毎週のようにスタジアムを沸かせ、タイトルも取り、周りからは「代表にふさわしい」と言われる。
けれど、代表監督からの電話は鳴らない。
しかも、その最終的な決断に、自分ではどうしようもできない部分も多い。
利き足も、その一つかもしれない。
「選べない条件」が、自分の価値を決めてしまうように感じる瞬間に、人はどう向き合うのか。
「呼ばれない時間」に何を考えるか
- 左利き選手のポジション固定を見直す — 「左利きだから左サイド」で終わらず、なぜそのポジションで左利きであることが意味を持つのかを言語化してトレーニングに組み込む
- 右利き選手に逆サイドを経験させる — 右利き選手を意図的に左センターバックや左サイドに置き、「利き足が逆の選手がいると何が起こるか」をチーム全体で体感させる
- 選考で「選ばない決断」の重みを持つ — 誰を外すかの判断は誰を選ぶ判断と同じ重さを持つ。外した選手を頭に浮かべながらも覚悟を持って決断するプロセスを自分の言葉で説明できるようにしておく
努力と結果の間にある「見えない線」
代表に呼ばれるかどうかは、選手の努力だけで決まるわけではない。
戦術、チームのバランス、対戦相手との相性、ケガ人の状況、監督の好み。
ありとあらゆる要素が絡み合って、「今回はこの選手にしよう」という決断が下される。
そこに、はっきりした「正解」があるわけではない。
ムリーロやベラルドのように、すでにテストされている若い左利きCBがいる中で、あえてレオ・ペレイラという別の選択肢を検討するかどうか。
アンチェロッティの頭の中では、さまざまなイメージがぶつかっているはずだ。
- 経験を取るのか、それとも将来性か
- ビルドアップ優先か、守備の安定感か
- すでに試した選手を信じるのか、新しいカードに賭けるのか
指導者の立場からすれば、どの選択をしても、完全に納得しきることは難しい。
選ばなかった選手の顔も、どうしても頭に浮かぶからだ。
それでも、時間は待ってくれない。
ワールドカップ本大会は、アメリカでの開幕が迫っている。
グループステージ初戦の相手はモロッコ。
フランスやクロアチアとのテストマッチもすでに組まれており、その中で最終的なメンバーが決まっていく。
「まだ時間はある」と考えるには、もう遅いタイミングかもしれない。
だからこそ、「今どの選択をするか」が、より重くのしかかってくる。
- 利き足は武器にも制約にもなる — 左利きであることが「貴重な存在」として扱われる一方、常に同じポジションだけを任されて他の役割を経験できなくなることもある。利き足を「プレーの選択肢をどう広げるか」の入口として捉えてみよう
- 呼ばれない時間に「芯」が見える — レオ・ペレイラのように、チームで結果を出しても代表に選ばれない期間がある。その時間をどんな姿勢で過ごすかが、数年後のプレーや人としての立ち姿に影響する
- 努力と結果がきれいに結びつかない世界を受け入れる — 戦術・バランス・ケガ・監督の好みなど、自分でコントロールできない要素が選考を左右する。それでも目の前の一瞬を選び続けることがサッカーを続けるということだ
評価されない時間を、どう生きるか
視点を選手側に戻してみる。
レオ・ペレイラは、自分ではどうにもできない「選考の基準」と向き合いながら、日々のトレーニングと試合に向かっている。
もし、自分が彼の立場ならどうするだろう。
- 「代表に呼ばれないのは監督のせいだ」と外側に理由を探すか
- 「自分には何が足りないのか」と自分を責め続けるか
- それとも、「呼ばれるかどうか」とは別の軸で、自分のサッカーを深めていくか
どれを選んでも、きっと心は揺れる。
「これだけやっても足りないのか」という感情は、プロであっても簡単には消えないだろう。
だからこそ、その揺れを抱えながらもプレーを続ける時間に、その選手の「芯」がにじみ出る。
周囲から見れば、「代表に選ばれるかどうか」という結果ばかりが話題になりがちだ。
しかし、ピッチの上で本人が向き合っているのは、「今日、この一瞬をどうプレーするか」という、ごく小さな選択の積み重ねだ。
評価されない時間を、どう生きるか。
そこにこそ、一人のフットボーラーとしての姿が現れてくるのではないだろうか。
日本で「利き足」をどう見ているか
ポジションは「できる場所」か「得意な場所」か
日本の育成現場でも、「左利きのセンターバックが足りない」「左利きのサイドバックがいない」といった声はよく聞かれる。
しかし、実際のトレーニングや試合の中で、「利き足」をどのように捉えているだろうか。
例えば、こんな問いが浮かぶ。
- 左利きの選手だから、最初から左サイドに固定していないか
- 右利きの選手が左センターバックや左サイドでプレーする経験を、あえて積ませているか
- 利き足だけでポジションを決めてしまい、「この選手がそこにいる意味」を深く考える機会を失っていないか
ブラジル代表が今、まさに「左利きのセンターバック一人」のために悩み、時間を使っている。
それほどまでに、ポジションと利き足の組み合わせは、トップレベルでは重要なテーマになっている。
一方で、育成年代ではどうだろう。
「とりあえず左利きだから左サイド」という単純な割り振りで終わってしまうとしたら、もったいない部分もある。
選手自身が、「自分はなぜここでプレーしているのか」「このポジションで、自分の利き足をどう生かすのか」と考える時間はあるだろうか。
「利き足」は武器にもなるし、制約にもなる
利き足は、選手にとって強い武器にもなり、同時に制約にもなる。
左利きの選手が珍しいカテゴリーでは、それだけで「貴重な存在」として扱われることもある。
しかし、その貴重さゆえに、逆に「選択肢」を狭めてしまうこともある。
常に同じポジションだけを任され、他の役割を経験できないまま成長していくケースだ。
プロの世界では、その武器が一点突破で価値になることもある。
代表監督が、まさにその「一点」を求めている場面が、今回のブラジルの状況だと言える。
では、育成年代ではどうか。
左利きの選手に、違うポジションを経験させてみることで、逆に「左利きであること」の意味を深く理解できるかもしれない。
右利きの選手を左サイドでプレーさせることで、「利き足が逆の選手がここにいると何が起こるか」を体感できるかもしれない。
利き足は、単なるラベルではない。
「プレーの選択肢をどう広げるか」を考える入口にもなり得る。
監督と選手、それぞれの「選ぶ力」

監督は「誰を選ばないか」も選んでいる
アンチェロッティは、残された僅かな試合の中で、ムリーロ、ベラルド、レオ・ペレイラ、そして他の候補たちを頭の中で並べ、組み合わせ、想像しているはずだ。
どんなサッカーをしたいのか。
相手がフランスのとき、クロアチアのとき、モロッコのとき、それぞれの試合の中で、誰が一番チームを助けられるのか。
代表監督は「誰を選ぶか」という決断で注目されやすいが、同時に「誰を選ばないか」という決断も日々下している。
そのどちらにも、完全な正解はない。
そこにあるのは、「この条件なら、今の自分はこう決める」という、一人の指導者としての覚悟だけだ。
日本の指導者も、カテゴリーやレベルは違えど、似たような迷いを抱えているのではないだろうか。
- 試合に連れていける人数は限られている
- 結果も求められるが、選手の成長も考えないといけない
- 今の実力を取るのか、将来の可能性を取るのか
選べる人数が少なければ少ないほど、そこには「諦めなければならない誰か」が生まれる。
その事実から、完全に逃れることはできない。
だからこそ、その決断の過程で、どれだけ自分の中で問い続けられるかが、指導者の「質」を形作っていくのかもしれない。
選手は「どう生きるか」を選んでいる
一方で、選手は「呼ばれるかどうか」を自分では決められない。
しかし、「どんな姿勢でその時間を過ごすか」は、自分で選ぶことができる。
レオ・ペレイラが感じている「もどかしさ」や「自分に何ができるのか」という問いは、日本の選手たちにも共通する部分があるはずだ。
メンバー外だった試合の日、ベンチに座ったまま出番がなかった日、期待していた大会に招集されなかった日。
その一つひとつの場面で、どんな言葉を自分にかけるのか。
- 「どうせ自分なんて」と投げ出してしまうのか
- 「それでも目の前の練習をやりきろう」と決めるのか
- 「なぜ選ばれなかったのか」を冷静に振り返ろうとするのか
どれを選んでも、簡単な道にはならない。
それでも、その選び方が、数年後の自分のプレーや、人としての立ち姿に、少しずつ影響していく。
「答えの出ない時間」とどう付き合うか
すぐに結果が出ない問いを、持ち続ける
ブラジル代表の最終登録メンバーが発表されるその日まで、レオ・ペレイラをはじめ、多くの選手は「呼ばれるかどうか」という答えの出ない問いを抱え続けることになる。
その時間は、決して心地よいものではない。
しかし、もしかしたら、サッカーを続けるということは、もともとそういう時間と付き合い続けることなのかもしれない。
自分の努力と結果が、いつもきれいに結びつくわけではない世界。
評価されるかどうかを、自分ではコントロールできない世界。
それでも、ボールは毎日転がってくる。
では、そのボールを前にしたとき、自分はどんな選択をしたいのか。
日本でも、ブラジルでも、ヨーロッパでも、問いの構造はきっと同じだ。
自分なら、どう考えるか
もし自分が選手なら。
もし自分が保護者なら。
もし自分が指導者なら。
どの立場からでも、今回のブラジル代表とレオ・ペレイラの物語には、重ねられる場面があるはずだ。
- 「利き足」という、自分では選べない条件をどう受け止めるか
- 評価されない時間に、何を大切にして過ごすか
- 誰かを選ぶ立場になったとき、その重みとどう向き合うか
アンチェロッティが最終的にどのセンターバックを選ぶのか。
ワールドカップでブラジルがどんな結果を残すのか。
その答えは、いずれニュースとして、スコアとして、記録として残るだろう。
けれど、その裏側にある「考え続ける時間」は、数字には表れない。
ピッチの上の一瞬の判断も、長い時間をかけて積み上げられた問いの結果だとするなら、自分は何を問い続けていたいだろうか。
答えがすぐに出ない問いを抱えたまま、それでもボールを止めて、見て、選んで、蹴る。
その繰り返しの中に、サッカーの面白さも、人生の深さも、静かに隠れているのかもしれない。
