プレミアの頂から故郷の最下層リーグへ──モンチが「C.D. San Fernando 1940」で選んだ原点回帰とサッカーの本質
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「プレミアから島へ」モンチが選んだ“原点回帰”とC.D. San Fernando 1940の物語

スペイン南部の小さな街、サン・フェルナンド。
そこは、単なる「地方都市」ではありません。
「スペイン初の憲法が書かれた場所」。
「ナポレオンにも征服されなかった街」。
そして、伝説的なフラメンコ歌手、カマロンを生んだ土地。
歴史に翻弄されながらも、自分たちの誇りを守り続けてきた街です。
そのサン・フェルナンドに、2026年、ひとつの新しいクラブが誕生しました。
名前は「C.D. San Fernando 1940」。
会長を務めるのは、あのモンチ。
セビージャで数々のタイトルをもたらし、アストン・ヴィラでも手腕を発揮し、ヨーロッパ随一の敏腕SD(スポーツディレクター)と称えられた男が、プレミアリーグを離れ、アンダルシア最下層リーグからの再出発を選びました。
なぜ、そんな選択をしたのか。
この決断の裏側には、「お金」や「名声」では測れない、サッカーの原点とも言える物語が隠れています。
1940年の記憶を、もう一度
クラブ名に込められた「1940」という数字。
これは、サン・フェルナンドのフットボールの原点を示しています。
1940年に生まれた「CD Once Diablos(オンセ・ディアブロス)」。
その後、1943年に「Club Deportivo San Fernando」へと名前を変え、街を代表するクラブになっていきました。
地域リーグの最下層からスタートし、わずか14年でセグンダ・ディビシオン(2部)まで駆け上がったC.D. San Fernando。
1954-55シーズンから1963-64シーズンまで、クラブ史上最高峰の舞台で戦い続けました。
経済危機などもあり、2009年にはクラブは消滅。
その後に生まれた「San Fernando C.D.」も、投資グループの撤退や混乱の末に消滅し、街のフットボールはふたたび「ゼロ」に戻ります。
そんな歴史を踏まえて、新しいクラブはあえて「1940」という数字を名乗りました。
それは、単に過去を懐かしむためではなく、「ルーツを取り戻す」という宣言でもあります。
過去に愛されたチームの記憶を、今の時代にもう一度呼び起こそうという試みです。
私たちは、応援するクラブの「名前」や「エンブレム」の変化にどれほど敏感でしょうか。
そこに込められた歴史や想いを、どれだけ意識しているでしょうか。
10歳の少年モンチが見た、満員のスタジアム
1978年、国王杯(コパ・デル・レイ)。
ステージはサン・フェルナンドの「マルケス・デ・バレラ」スタジアム。
対戦相手は、マリオ・ケンペスを擁するバレンシア。
結果は、1-0でサン・フェルナンドの歴史的勝利。
その日、満員となったスタンドの片隅に、10歳の少年がいました。
その少年こそ、のちのモンチです。
彼はこう振り返ります。
「Yo vivía a 60 metros del campo y no me perdía ni un partido. Mi infancia era saltar la tapia del estadio y jugar con mis amigos como si fuéramos futbolistas del San Fernando」 (「家はスタジアムから60メートルのところにあって、試合を一つも逃さなかった。
子どものころは、スタジアムの塀を飛び越えて、中に入って、友達とサン・フェルナンドの選手になりきって遊んでいたんだ」)
「ヒーローはテレビの中ではなく、街のスタジアムにいる」。
そんな時代を過ごした少年は、やがてそのクラブのゴールマウスを守ることになります。
そして、そこからセビージャへ。
引退後、クラブの広報、遠征の手配、ファン対応などをこなしながら、気づけば世界有数のスポーツディレクターへ成長していきました。
あの名将・エメリとも仕事をし、アストン・ヴィラではヨーロッパカップ戦を狙うプロジェクトの中心にいました。
そんなキャリアの頂点にも思える場所から、なぜ彼は“島”へ戻ってきたのでしょうか。
| 観点 | アストン・ヴィラ(プレミア) | C.D. San Fernando 1940(最下層) | 継承/変化 |
|---|---|---|---|
| 年間予算規模 | 約3億ユーロ | アンダルシア最下層規模 | △ 規模変化 |
| 関わり方の動機 | プロとしての仕事 | 「感情だけ」 | △ 動機の純化 |
| 指導・会話の相手 | エメリ、ワトキンスら世界的選手 | ハイメ・ブガット、ペドロら地域選手 | ○ 哲学は同一 |
| スタジアム観客数 | 大型プレミアスタジアム | 3部時代を上回ることもある | ◎ 情熱継承 |
| 仕事の姿勢 | プロ意識でグループをマネジメント | 「やっていることは同じだ」と語る | ◎ 姿勢継承 |
「4ヶ月前はプレミアにいた」会長になったモンチの本音
今、モンチは「C.D. San Fernando 1940」の会長(プレジデンテ)です。
彼は率直にこう語ります。
「Cuando me llaman ‘presi’ todavía no lo asimilo. Es que hace cuatro meses estaba en la Premier League」 (「みんなが僕を“会長”って呼ぶと、まだ実感がないんだ。
だって、4ヶ月前までプレミアリーグにいたんだから」)
アストン・ヴィラ時代、彼が扱っていた予算はおよそ3億ユーロ規模。
一方、今戦っているのは、アンダルシアの最下層カテゴリー。
アウェーで訪れるのは、観客席もまばらな人工芝のグラウンドで、電光掲示板もない会場です。
それでも、彼はこう言います。
「A veces uno no elige los momentos, sino que los momentos lo eligen a él」 (「ときには、人がタイミングを選ぶんじゃなくて、タイミングのほうが人を選ぶんだ」)
エメリ監督に退任を伝えたときも、言葉はシンプルでした。
「Después de dos años muy bonitos era el momento de parar」 (「とても美しい2年のあとで、立ち止まるべきときが来たんだ」)
「もっと大きなクラブへ」でも、「より高い報酬へ」でもなく、「故郷へ」。
今のフットボールの流れとは、逆行しているようにも見える決断です。
しかし、そこにあるのは、非常に人間らしい感情です。
消滅したクラブ、沈黙のスタジアムで灯った“新しい火”

San Fernando C.D.は、投資グループの撤退や約束不履行なども重なり、最後はクラブの解散という形を取らざるを得ませんでした。
モンチも、そして市も、クラブを救おうとしましたが、決定は覆りませんでした。
彼はこう語ります。
「Busqué soluciones de manera desinteresada y ofrecí alternativas a la anterior propiedad, pero ya tenían tomada la decisión de disolver el club」 (「見返りを求めずに色々な解決策を探して、前オーナー側に提案もしたけれど、彼らはすでにクラブを解散する決断を下していたんだ」)
降格が決まった最終節。
相手はリナレス。
スタンドには沈黙と悲しみが漂っていました。
しかし、その光景の中で、モンチの心には別の感情が生まれています。
「En el estadio habría unas 6.000 personas y casi todas con camisetas del San Fernando, animando como si no hubiera un mañana. Ahí me di cuenta de que había un sentimiento que iba más allá del fútbol」 (「スタジアムにはおよそ6,000人がいて、そのほとんどがサン・フェルナンドのユニフォームを着ていた。
まるで明日がないかのように応援していたんだ。
そのとき、これはサッカーを超えた“感情”なんだと気づいた」)
だからこそ、新しいクラブのスタートにおいて、モンチが一番大切にしているのは「プロジェクト」よりも「つながり」です。
彼は言います。
「Las vinculaciones con los proyectos pueden ser profesionales, económicas o sentimentales. La mía es sentimental」 (「プロジェクトへの関わり方には、プロとして、お金として、そして感情として、いろいろな形がある。僕の場合は“感情”だけだよ」)
あなたが応援しているクラブとの関係は、どのタイプでしょうか。
「強いから好き」でしょうか。
「地元だから好き」でしょうか。
あるいは、理由なんて説明できないけれど、気づけばずっとそばにいる、そんな存在でしょうか。
- カテゴリーに関係なく同じプロ意識で選手に接する — 「やっていることは同じだ」とモンチは語る。選手の知名度に関わらず、グループマネジメントと人への向き合い方は変えない
- 選手との個人的なつながりを日々の声がけで積み上げる — 練習に行って話しかけ、挨拶し、存在を認める。これはプレミアでも地域リーグでも変わらない基本をモンチは体現している
- クラブの歴史と感情をチーム全体で共有する — 1940年創設の経緯や街の物語を伝えることで、試合の勝利を超えた「なぜプレーするか」の文脈が生まれる
「マドリーでもバルサでもなく、サン・フェルナンド」
モンチは自分のことを、こう表現します。
「Me considero muy cañaílla. El viejo estadio Marqués de Varela sigue arraigado en mí. Yo no era ni del Madrid ni del Barcelona, era del San Fernando」 (「自分は本当に“カニージャ(サン・フェルナンドの人間)”だと思っている。
古いマルケス・デ・バレラのスタジアムはいまでも自分の中に根付いている。
僕はマドリーのファンでも、バルサのファンでもなかった。
サン・フェルナンドのファンだったんだ」)
スペインでも、日本でも、多くの子どもたちは「レアル・マドリードが好き」「バルサが好き」「マンチェスター・シティが好き」と、ビッグクラブの名前を挙げます。
もちろん、それは悪いことではありません。
世界中のスーパースターたちが集まるクラブに憧れるのは、ごく自然な感情です。
でも、もしかしたら、その子どもたちのすぐ近くにも、「子どもたちが柵を飛び越えて入ってきて、ボールを蹴るようなスタジアム」があるかもしれません。
そのチームのユニフォームを着ている人は少ないかもしれません。
でも、そこには「自分ごと」として応援できるフットボールがあります。
モンチの選択は、「地元クラブを応援することの価値」を、静かに問いかけているようにも感じられます。
プレミアと同じ“プロ意識”を、地域リーグへ
C.D. San Fernando 1940は、カテゴリーとしてはアンダルシアの最下層。
しかし、クラブが目指すのは「カテゴリーに見合う規模」ではなく「街にふさわしいクラブ」であることです。
実際、スタジアムに集まる観客数は、かつてのプリメーラRFEF(スペイン3部相当)時代を上回る数字になることもあります。
会長であるモンチは、プロクラブで培った経験を、そのままこのクラブに注ぎ込んでいます。
「Aquí voy a los entrenamientos y en lugar de hablar con Unai hablo con Jaime Bugatto. O en vez de saludar a Ollie Watkins o Lucas Digne, saludo a Pedro, Diego o Miguelito. Es lo mismo」 (「ここでは練習に行っても、話す相手はエメリじゃなくてハイメ・ブガットだ。
挨拶するのも、オリー・ワトキンスやリュカ・ディニュじゃなくて、ペドロやディエゴ、ミゲリートだよ。でも、やっていることは同じなんだ」)
彼は、トップレベルで通用した「人の扱い方」「グループのマネジメント」を、そのまま小さなクラブに持ち込んでいます。
選手の名前が世界的に有名かどうかは関係ありません。
サッカーに向き合う「姿勢」は、どのカテゴリーでも変わらないということです。
私たちも、もしかすると同じような勘違いをしていないでしょうか。
「Jリーグだから」「地域リーグだから」と、レベルの違いだけで価値を測ってしまうこと。
そこにいる人々の情熱や努力は、本当に“軽い”ものなのでしょうか。
- 地元のクラブを応援することに誇りを持つ — モンチは「マドリーでもバルサでもなく、サン・フェルナンドのファンだった」と言う。ビッグクラブへの憧れは自然だが、自分の街のクラブには「自分ごと」として応援できる喜びがある
- ファンの一人ひとりがクラブの高さを決める — 「サン・フェルナンドは、ファンが望むところまでのクラブにしかなれない」とモンチは語る。スタジアムへ足を運ぶこと、SNSで広めることが積み重なってクラブの未来をつくる
- 「感情でつながる」クラブとの関係を大切にする — プロとして、お金として、感情として——関わり方は複数ある。自分がそのチームを応援する理由が「感情」であることは、最も強くて本質的なつながりだとモンチの選択が示している
レネ・ラモス、セルヒオ・ラモスも関わるプロジェクト
クラブを創るには、情熱だけでなく、“仲間”も必要です。
モンチは、まず25年来の友人である代理人レネ・ラモスに声をかけました。
「Le expliqué el proyecto y le pareció perfecto」 (「プロジェクトの内容を説明したら、すぐに“やろう”と言ってくれた」)
そこに加わったのが、モンチの息子・アレハンドロ。
そして、レネ・ラモスの弟でもある、あのセルヒオ・ラモスです。
「René y mi hijo están 100% involucrados con el club y Sergio es un activo que todavía no hemos utilizado mucho, pero que se presta para todo lo que necesitemos」 (「レネと息子はクラブに100%関わってくれている。
セルヒオも、まだそこまで前面には出ていないけれど、僕たちが必要とすることにはいつでも力を貸してくれる存在だ」)
世界を知る人たちが、最下層カテゴリーのクラブに関わる。
それは、単に「有名人がいるからすごい」という話ではありません。
むしろ、「大きなものを知っているからこそ、小さなものの価値も知っている」という姿勢の表れではないでしょうか。
「クラブは、ファンが決める高さまでしか行けない」
サン・フェルナンドの現実は、決して甘くありません。
長い道のりの最初の一歩に過ぎず、昇格を繰り返していかなければ、かつての舞台には戻れません。
モンチも、その厳しさを理解しています。
「Me da miedo mirar al horizonte y pensar que la gente deje de acompañarnos. Hay muchas categorías por encima. Siempre he dicho que el San Fernando será lo que la afición quiera」 (「先のことを考えると、不安になる。いつか、ファンがついてきてくれなくなるんじゃないかって。上にはたくさんのカテゴリーがあるからね。でも、僕はいつもこう言っている。“サン・フェルナンドは、ファンが望むところまでのクラブにしかなれない”って」)
スタジアムに足を運ぶ。
ユニフォームを買う。
SNSで名前を広める。
子どもに、そのクラブの話をする。
その一つひとつの行動が、クラブの「高さ」を決めていきます。
あなたが好きなクラブにとって、あなたの存在はどれくらいの重みを持っているでしょうか。
そして、そのクラブが向かう「未来」に、あなたはどう関わっているでしょうか。
「島のクラブ」が教えてくれる、サッカーの原点
C.D. San Fernando 1940の物語は、「ビッグマネー」「グローバル市場」「スター選手」といった近代フットボールのキーワードとは、少し離れたところにあります。
でもだからこそ、サッカーの本質を改めて考えさせられる物語でもあります。
自分が生まれ育った街。
幼いころ、スタジアムの壁を飛び越えて入った記憶。
テレビではなく、自分の目の前のピッチで見たヒーローたち。
そして、そのクラブが消え、もう一度、立ち上がろうとする瞬間。
モンチが選んだのは、「キャリアの次のステップ」ではなく、「人生の物語としての円(サークル)を閉じる」ことでした。
彼の言葉が、それをよく表しています。
「Esto es cuadrar el círculo de mi vida」 (「これは、僕の人生の円を完成させることなんだ」)
サッカーを観る私たちも、どこかで似たような問いに向き合っているのかもしれません。
「自分にとって、サッカーとは何なのか」。
「どこまでが“娯楽”で、どこからが“人生”なのか」。
あなたの街にも、小さなスタジアムや土のグラウンドがあるかもしれません。
そこから、あなたの“サッカーの物語”が始まる可能性もあります。
最後に、こんな言葉で締めくくりたいと思います。
「El fútbol sin gente no es nada」 (「人々のいないサッカーには、何の意味もない」)
スタジアムを満たすひとり一人の存在こそが、クラブの過去を形作り、現在を支え、未来をつくっていくのだと思います。
