戻らない理由を探して──ペドロ・モンテイロが選び続けた「サッカーと人生のルート」
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「戻らない」と決めたとき、サッカー選手は何を選んでいるのか

1月の薄暗い夜、スタジアムの光の下でセンターバックが一人、静かにピッチに立っていた。
2015年1月30日、ポルトガル1部リーグ、SCブラガ対モレイレンセ。
ペドロ・モンテイロ、当時21歳。
1年前までポルトガル3部にあたるカンペオナート・ナシオナル・デ・セニオレスのフレアムンデでプレーしていた若いDFが、セルジオ・コンセイソンに送り出され、トップリーグのピッチに立った瞬間だった。
あのとき彼は、自分のキャリアがインドネシアまで続くとは、想像していただろうか。
そして今、30歳になった彼は、マドゥラ・ユナイテッドの一員としてインドネシアでプレーしながら、こう口にする。
「すぐにポルトガルに戻るつもりはない」
この「戻らない」という選択の裏側に、どんな思考と揺れがあったのか。
結果や肩書きではなく、そのプロセスに目を向けてみたい。
3人の「名将」と、若いセンターバックの距離感
「すごさ」に気づけない年齢で出会うということ
SCブラガ時代のペドロ・モンテイロは、3人の指揮官に出会った。
- トップチームで彼をリーグ戦デビューさせたセルジオ・コンセイソン
- Bチームを率いていたアベル・フェレイラ
- 後にローマやシャフタールを率いることになるパウロ・フォンセカ
今あらためて振り返ると、ポルトガルのこの10年を代表する監督たちに20代前半で指導を受けていたことになる。
本人はその頃を思い返しながら、「今の年齢で彼らから学べたら、とても違っただろう」と語っている。
若い頃には、「どれだけ学べるのか」「どれだけ吸収できるのか」を自覚するのは難しい。
言われたことをこなすことで精一杯で、「この人たちから何を盗めるか」という視点を持つ余裕は、なかなか生まれない。
もし自分が10代・20代前半の選手だとしたら、今、指導しているコーチや監督を、将来どのような目で振り返るのだろうか。
「すごさ」に気づくのは、いつも数年後なのかもしれない。
| 転機 | 選択 | 背景にあった要因 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 3部→1部デビュー(21歳) | コンセイソンに送り出されてトップリーグ出場 | 「恐れずに使ってくれた」指揮官との出会い | ◎ |
| 初の海外移籍・キプロスへ(22歳) | アポロン・リマソールへ移籍 | 英語も話せず家族も来られない不安な出発 | ○ |
| アポロン残留か故郷帰還か | パソス・デ・フェレイラに「帰る」選択 | 家族がいる自宅から5分の場所でプレーできる安心感 | ○ |
| ジョージア・インドネシアへ | マドゥラ・ユナイテッドでプレー継続 | 「必要とされている感覚」がモチベーションの源に | ◎ |
| ポルトガルへの帰国を保留(30歳) | 「すぐには戻らない」選択を継続 | 家族がインドネシアの生活に慣れ挑戦を楽しんでいる | △ |
「恐れない監督」と「見える景色が変わる監督」
ペドロ・モンテイロは、セルジオ・コンセイソンについて「恐れずに自分を使ってくれた」と受け取っている。
1年前まで3部、半年で2部を経て、すぐに1部のピッチへ。
普通なら躊躇するようなステップの速さを、コンセイソンは「ためらいなく」決断したという。
そこには当然、リスクがある。
もしミスをして失点に絡めば、批判の矛先は指揮官にも向く。
それでも、「落ち着き」と「高い要求」を同時に伝えながら、若いセンターバックにチャンスを与えた。
「恐れない監督」と出会ったとき、選手にはどんな責任が生まれるのだろうか。
もう一方で、ペドロ・モンテイロはアベル・フェレイラについて「ピッチの内外で最も多くを教えてくれた監督」と表現している。
サッカーの見方だけでなく、人生や物事の捉え方にまで踏み込んでくる指導者。
戦術や技術だけでなく、「世界の見え方」を変えてしまう存在と出会うことがある。
日本の育成年代でも、そんな監督やコーチに出会った選手は少なからずいるのではないだろうか。
しかし、その価値に気づくのは、多くの場合「チームを離れてから」だったりする。
パウロ・フォンセカに対しては、「チームのプレースタイルが自分の特徴に合っていて、練習そのものが楽しかった」と振り返っている。
監督のスタイルと、自分の特性がかみ合うかどうか。
それは、選手の「居心地」や「成長のスピード」に大きく影響する。
自分に合うかどうか。
その感覚を、自分の言葉で説明できる選手は、どれくらいいるだろうか。
22歳、初めての海外。世界が「終わるように」感じた瞬間
- 「恐れずに使う」決断がもたらす責任を選手と共有する — 若い選手に大きな機会を与える場面では、リスクを共有した上で「ここで何を見せるか」を選手自身に問いかけ、覚悟を引き出す。
- 「この指導者のスタイルが自分に合うか」を言語化させる — 「プレースタイルが自分の特性と噛み合う」体験は成長加速の鍵になる。選手が「合う・合わない」の感覚を自分の言葉で説明できるよう対話の機会を設ける。
- 「失敗かもしれない選択」をした選手を早期に見限らない — 新環境で「全部ダメだ」と感じた時期も、良い部分に意識を向けながら環境に適応できる。その過程を「弱さ」ではなく「適応力の学び」として評価する視点を持つ。
「すべてがうまくいっていないように見える」とき
2016年1月、ペドロ・モンテイロは22歳でキプロスのアポロン・リマソールへと移籍する。
初めて親元を離れ、初めて海外で暮らす。
当時はまだ英語もほとんど話せず、家族もすぐには一緒に来られない。
SCブラガでは、Bチームで出場機会を得ながら、すでにトップチームでも何試合か出ていた。
ある程度「安心できる場所」から、「よく知らない国」「よく知らないリーグ」へ飛び込む。
そのとき、彼はこう表現している。
「最初は、何もかもが悪く見えて、このまま何かが終わってしまうような感覚があった」
新しい環境に飛び込んだとき、「楽しみ」よりも先に「不安」が押し寄せてくることがある。
ピッチコンディション、食事、言葉、気候、人間関係。
一つひとつは大した問題でなくても、重なった瞬間、「全部ダメだ」と感じてしまう。
それは、プロのサッカー選手であっても変わらない。
もしかしたら、海外に挑戦した日本人選手の多くも、似たような感覚を経験しているのかもしれない。
- 「全部ダメ」と感じたとき、良い部分にピントを合わせ直す — 新環境では不安・孤独・失望が一度に押し寄せることがある。その中でも「ここだからこそ得られるもの」を探す習慣が、適応のスピードを左右する。
- 「必要とされている感覚」がモチベーションになることを自覚する — 報酬だけでなく、クラブが本気で自分を求めているかが日々のエネルギー源になる。その感覚が足りないと感じたら、なぜかを言葉にして周囲と共有する。
- 保護者は「どんなサッカー選手でありたいか」を問いかける — 進路の迷いが出たとき、「どこへ行くべきか」より「どんな選手でありたいか」「何を大切にしたいか」というシンプルな問いから対話を始める余地を持つ。
「全部ダメ」の中で、どこにピントを合わせ直すか
ペドロ・モンテイロは、そこで「良い部分に意識を向けることの必要性」に気づいたと語る。
アポロンでは、同じポルトガル人であるペドロ・エマヌエル監督が指揮を執っていたこともあり、適応は少しずつうまくいった。
クラブはタイトルを争い、スタジアムには熱量があり、自分はその一部としてプレーする。
「焦らず、良いところに目を向ける」
それは、決して精神論だけの話ではない。
ネガティブな要素はいくらでも見つかる。
その一方で、自分を成長させてくれる環境も、よく見ればそこにある。
問題は、「どちらに長くピントを合わせるか」だ。
もし自分が、まったく知らない土地のクラブに移籍したとしたら。
最初の数週間、何に目を向けるだろうか。
「合わないところ探し」に時間を使うのか。
「ここだからこそ得られるもの探し」に時間を使うのか。
どちらも「選べる」のだとしたら、自分はどちらを選ぶだろう。
「故郷のクラブ」か、「海外で求められる感覚」か
アポロンに残るか、パソス・デ・フェレイラに帰るか
アポロンは、ペドロ・モンテイロの残留を望んでいた。
一方で、ポルトガルでは新たな選択肢が現れる。
パソス・デ・フェレイラ。
自分がサッカーを始めた街のクラブであり、家族のいる場所でもある。
半年間、家族から離れて暮らした後、「自宅から5分の場所」でプレーできる可能性が開けた。
22歳の彼は、アポロンに残る道もあった。
タイトルを争い、プレッシャーのある環境で成長を続ける選択肢もあった。
それでも彼は、「帰る」ことを選んだ。
この選択を、「正解か不正解か」で評価するのは簡単だ。
しかし実際に問われていたのは、「どんなサッカー選手でありたいか」という形のない問いだったのかもしれない。
- 未知の挑戦を続ける選択
- 地元に戻り、安心感の中でプレーする選択
もし自分が22歳で、海外クラブからの残留要請と、故郷のクラブからのオファーの両方を受けたら、どちらを選ぶだろうか。
そして、その理由を自分の言葉で説明できるだろうか。
「求められている感覚」が支えになるとき
ペドロ・モンテイロはその後、ジョージアのトルペドやインドネシアのマドゥラ・ユナイテッドなど、さまざまな国でプレーすることになる。
その過程を振り返るなかで、「自分が必要とされていると感じること」がモチベーションの源になると語っている。
報酬面だけでなく、
- クラブの人たちが本気で自分を獲得しようとしているか
- 自分がこのチームにとって重要な存在だと感じられるか
こうした要素が、日々のトレーニングや試合に向かうエネルギーを生む。
一方で、ポルトガルでは「その感覚が少し足りなかった」とも受け取っている。
出身国であり、言葉も文化もわかる。
それでも、「ここで自分は本当に必要とされているのか」と自問し続けなければならない状況は、少しずつ心をすり減らしていくのかもしれない。
日本の選手が、Jリーグよりも海外、あるいは思い切った移籍を選ぶとき。
その裏には、「レベルアップ」や「夢」だけでなく、「自分が必要とされていると感じたい」という、とても人間らしい願いもあるのかもしれない。
インドネシアで得た「サッカー以外の幸せ」とは何か
生活リズムと家族、そしてサッカー
今、ペドロ・モンテイロはインドネシア・リーグのマドゥラ・ユナイテッドでプレーしている。
生活は朝に始まり、夕方には一日が終わる。
午前6時には子どもたちと起き、学校へ送り出す。
巨大なショッピングモールに直結したマンションで暮らし、ジムやプールを活用しながら日差しを楽しむ。
子どもたちは学校に慣れ、毎日プールに入れる気候を気に入り、ポルトガル語と英語の両方を身につけている。
家族が自然体で暮らし、子どもたちが新しい言語と文化を吸収していく。
その姿を見て、「今、ここでの生活を続ける意味」を感じているという。
サバイバの街から、橋を渡ってマドゥラ島の練習場へ向かう道のり。
休日には飛行機で島々を巡る時間。
その一つひとつが、「サッカー選手としてのキャリア」だけでなく、「一人の人間、一人の父親としての時間」でもある。
日本でも、Jリーグや海外でプレーする選手たちが、家族のことを理由に移籍先や契約延長を決めることがある。
その決断を、単なる「プライベートの問題」と片づけてしまうのは簡単だ。
しかし実際には、「どんな父でありたいか」「どんな夫でありたいか」という問いと、「どんなサッカー選手でありたいか」という問いが、静かに絡み合っているのかもしれない。
「戻らない」という選択の重さ
ペドロ・モンテイロは、現時点で「ポルトガルにすぐ戻るつもりはない」と述べている。
出身国でプレーすることは、多くの選手にとって特別な意味を持つ。
それでも、「今は戻らない」と決める。
そこには、
- 家族が現地の生活に慣れていること
- クラブから「必要とされている」と感じられること
- 自分自身がこのチャレンジを楽しんでいること
といった複数の理由が、折り重なっている。
「戻るか、戻らないか」は、外から見ると単純な二択に見える。
だが、その裏には、サッカーと人生をどう結びつけるかという、目に見えない葛藤が横たわっている。
日本サッカーの「選択」を考えるときに
「正しいルート」ではなく、「自分のルート」を描くこと
日本では、育成年代の選手が将来について考えるとき、次のようなルートが「理想」として語られることがある。
- 強豪高校またはプレミアのユース
- Jリーグ
- ヨーロッパの主要リーグ
もちろん、そこを目指すこと自体は悪いことではない。
ただ、ペドロ・モンテイロのキャリアを眺めると、「ルート」はもっと複雑で、もっと個人的なものだということが見えてくる。
- 3部のフレアムンデから、ブラガB、1部のSCブラガ
- キプロスのアポロン
- 地元クラブのパソス・デ・フェレイラ
- ジョージア、インドネシア…
有名クラブに長く在籍し続ける選択もあれば、さまざまな国を渡り歩く選択もある。
どちらが「正しい」わけでもない。
大切なのは、「自分は何を大事にしたいのか」を、少しずつ言葉にしていくことかもしれない。
- レベルの高いリーグでプレーすること
- 出場時間を確保すること
- 家族との時間や環境を優先すること
- 自分を本気で必要としてくれるクラブを選ぶこと
この中で、自分にとって一番重たいものはどれだろう。
そして、その重みは、年齢や環境によって変わっていくのではないだろうか。
指導者や保護者の「問いかけ」のかたち

育成年代の選手が進路を決めるとき、周囲の大人はどう関わるべきか。
ペドロ・モンテイロの話から見えてくるのは、「答えを与える」のではなく、「問いを渡す」関わり方だ。
- もし失敗しても、自分で選んだと言えるか
- その選択で、何を得ようとしているのか
- 逆に、何を手放すことになるのか
セルジオ・コンセイソンは、若いセンターバックに「恐れずにピッチに立つチャンス」を与えた。
アベル・フェレイラは、サッカーの見方と生き方にまで踏み込む視点を示した。
パウロ・フォンセカは、サッカーそのものを「楽しい」と感じさせるプレースタイルを提示した。
そこには、「こうしなければならない」という一方的な正解よりも、「こういう見方もある」「こういう選び方もある」という、多様な問いかけがあったように思える。
日本の指導現場や家庭でも、「この道が正しい」と示す前に、「お前はどうしたい?」というシンプルな問いから始める余地があるのかもしれない。
終わりに──「すぐには答えを出さない」という選択
ペドロ・モンテイロは、いくつもの岐路で選択を迫られてきた。
- 3部から1部へと駆け上がるとき
- 初めて海外に出るとき
- キプロスに残るか、故郷に戻るか迷ったとき
- ジョージアやインドネシアを新たな挑戦の場として選んだとき
どの場面にも、「完璧な答え」はなかったはずだ。
それでも、その時々の自分と向き合いながら、「これが今の自分の選択だ」と、少しずつ言葉にしてきたように見える。
情報があふれ、「正解」に近づくルートがたくさん提示される時代に生きる選手たちにとって、大事なのはもしかしたら、「急いで答えを出さない勇気」なのかもしれない。
迷いながら、比較しながら、少し時間をかけて決める。
そのプロセス自体が、サッカー選手としての「判断力」を育てているのではないだろうか。
インドネシアの朝6時。
家族とともに一日を始めるペドロ・モンテイロは、これからもいくつもの選択に直面するだろう。
そのたびに、自分なりの「なぜ」を問い直しながら、一歩を踏み出していく。
サッカーも人生も、正解は誰かが決めてくれるものではない。
ボールを受けるたびに、道を選ぶたびに、自分だけのゲームが静かに続いていく。
