フランス代表「第5の監督」は誰になるのか――ジダン就任論からたどる、W杯後に始まる新時代の物語
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ジネディーヌ・ジダンは「特別」なのか。ワールドカップ直後に始まる新しいフランス代表の物語

フランス代表の新監督に、ジネディーヌ・ジダンの名前が挙がっています。
ワールドカップ直後にチームを引き継ぐ監督は、実はフランス代表の歴史の中で、これまで4人しかいません。
ジダン、あるいはジダンではない誰かが、その5人目になります。
ワールドカップという「頂点」のすぐ後に始まる、新しいサイクル。
そこには、いつも期待と不安が入り交じった、独特の空気があります。
ここでは、ジダンの話に入る前に、その「4人の先輩たち」を振り返りながら、フランス代表というチームが、どのように「次の時代」を迎えてきたのかを一緒に考えてみたいと思います。
二人で一人の監督? ジャン・スネラとジョゼ・アリバスの不思議な共同体制
1966年、イングランド・ワールドカップの後。
フランス代表は、少し変わった選択をします。
それが、ジャン・スネラとジョゼ・アリバスという「二人の監督」による共同体制でした。
スネラは、サンテティエンヌを1957年と1964年にリーグ優勝へ導いた名将であり、1958年ワールドカップではフランス代表のアシスタントコーチも務めました。
一方、ナントを率いるアリバスは、1965年と1966年にリーグ・アン連覇。
二人とも「美しいサッカー」を信じる指導者でした。
ただし、具体的なスタイルには違いがありました。
ジョゼ・アリバスは4-2-4を好み、攻撃的でダイナミックなサッカーを志向しました。
ジャン・スネラは、システムよりも選手選考、つまり「誰を起用するか」に強いこだわりを持っていました。
結果はどうだったのでしょうか。
わずか2カ月、4試合だけの短い冒険。
2勝2敗、8得点7失点。
初戦のハンガリー戦では、2-4で敗れ、ヤーノシュ・ファルカシュに4得点を許すという、苦いスタートになりました。
この間に20人もの選手が起用され、その中には若き日のエルベ・ルヴェリや、のちにナントの名将となるジャン=クロード・スォドーの名前もありました。
それでも、この「二人監督体制」は長く続きませんでした。
二人はそれぞれクラブの指揮を続けており、リーグ優勝を争う立場にありました。
特にジョゼ・アリバスは、代表監督という仕事に強い意欲を持てず、次第に距離を置いていきます。
「ポーランド戦ではベンチに座らない。」
「ベルギー戦ではスネラに任せる。」
「ルクセンブルク戦には、自分のクラブの選手を出したくない。」
その結果、1967年1月19日、二人は辞任します。
その後任に選ばれたのが、当時まだ33歳だった、伝説のストライカー、ジュスト・フォンテーヌでした。
1958年ワールドカップで13得点を挙げた英雄も、しかし代表監督としては5カ月しか続きませんでした。
ここから見えてくるのは、「名将を二人集めれば、うまくいくのか」という問いです。
選手として優秀であること。
クラブ監督として成功していること。
それらが、そのまま代表監督の成功に結びつくとは限りません。
あなたは、二人で一人の監督という形が、今の時代でも成り立つと思うでしょうか。
ロジェ・ルメール、「ジャケの後継者」が背負った重さ
1998年7月12日。
サンドニの夜空に、青い歓喜が舞い上がりました。
フランス代表、初のワールドカップ優勝。
エメ・ジャケがチームを世界一に導いた直後、その後任に選ばれたのがロジェ・ルメールでした。
この人事は、多くの人にとって意外なものでした。
「8カ月前、彼の名前を次期監督候補に挙げる人は、ほとんどいなかった。」
代表でのキャリアは1968年から1971年までのわずか6試合。
輝かしい時代というより、低迷期の一員といったほうが近い存在でした。
ただし、ロジェ・ルメールには、もう一つの顔がありました。
1986年から1996年まで、フランス軍代表チームの監督を務め、1995年には「軍のワールドカップ」で世界一になっています。
ある意味で、「ワールドカップ優勝経験のある監督」でもあったのです。
フランスサッカー協会がルメールを選んだ理由の一つは、「選手たちの支持」でした。
ワールドカップ優勝という大成功の直後に、全く新しい色の監督を連れてくるのか。
それとも、ジャケの仕事をよく知る存在に、連続性を託すのか。
結果として、ルメールはユーロ2000でフランスをヨーロッパ王者に導きます。
「世界王者がヨーロッパ王者に」という、歴史的な二冠。
この時点で、彼を「交代させるべきだった」と言うのは、ほとんど不可能でしょう。
けれども、ここに、今の代表にも通じる問いがあります。
- 大成功した監督を、「いつ」「どうやって」交代させるのか。
- 選手たちが信頼する監督を変えるタイミングは、誰が判断するのか。
あなたなら、ワールドカップとユーロを連覇した監督を、どのタイミングで交代させるべきだと思いますか。
ジャック・サンティニ、数字は優秀なのに「未完」に終わった2年間
ロジェ・ルメールの後を継いだのは、リヨンを2002年にリーグ優勝に導いたジャック・サンティニでした。
今度は、「代表のアシスタントからの昇格」ではなく、「クラブで結果を出した監督」を選ぶ方向に舵が切られます。
サンティニはフランス代表のキャップはないものの、サンテティエンヌなどで活躍した、確かな実績を持つ元選手です。
彼の最初の仕事は、「2002年ワールドカップの悪夢」からチームを立て直すことでした。
サンティニはキャプテンマークをジネディーヌ・ジダンに託します。
チュニジア戦でのこの決断は、「チームの中心はジダンである」というメッセージでもありました。
そして、新たな一歩として、シドニー・ゴブーを代表に送り出し、前線に新しい風を吹き込もうとします。
一方で、エリック・カリエールを再招集し、中盤ではレアル・マドリードでコンビを組むクロード・マケレレとジダンを軸にチームづくりを進めていきました。
2003年。
フランス代表は、驚くべき数字を残します。
- 年間14試合で40得点(いまも破られていない記録)。
- 2003年から2004年にかけて11試合連続クリーンシート(こちらもいまだに記録)。
ドイツとのアウェーゲームでは、3-0という完勝。
ユーロ2004の8カ月前、チームは「誰にも止められない」とさえ思える状態でした。
しかし、サッカーは数字だけでは語れません。
二つの出来事が、この物語の流れを変えます。
一つ目は、サンティニの契約問題です。
ユーロ開幕前、彼は希望していた契約延長が得られず、トッテナムと契約してしまいます。
大会中の監督が、すでに次のクラブと契約しているという、微妙な状況が生まれました。
二つ目は、ユーロ本番での小さな綻びです。
1年以上続いていた無失点記録が、イングランド戦でフランク・ランパードのゴールによって破られます。
それをきっかけに、守備の安定は少しずつ揺らぎ、4試合で5失点。
前線ではティエリ・アンリとダヴィド・トレゼゲのコンビが、期待ほど機能しませんでした。
準々決勝、相手は優勝候補ではなかったギリシャ。
しかしその1試合に敗れ、サンティニの代表監督としての公式戦唯一の黒星が、「すべてを失う敗戦」となってしまいます。
28試合を率いて、公式戦での敗戦はわずか1つ。
それでも、「成功」とは見なされなかった監督。
あなたは、「結果」と「印象」が食い違う監督の評価を、どう考えるでしょうか。
数字が示す強さと、「最後の1試合」が与えるイメージ。
どちらを重く見るのかは、ファン一人ひとりに委ねられています。
ローラン・ブラン、「壊れたチーム」をゼロから立て直そうとした挑戦
2010年、南アフリカ・ワールドカップ。
フランス代表は、史上最悪とも言われる危機に陥ります。
選手のボイコット、チーム内の不和、ピッチ内外の混乱。
その焼け跡の中に足を踏み入れたのが、ローラン・ブランでした。
彼は1998年のワールドカップ優勝メンバーであり、ジロンダン・ボルドーを2009年のリーグ優勝と2010年の欧州カップ戦ベスト8に導いた監督でもあります。
実績もあり、フランス代表の象徴の一人でもある人物が、「崩壊したチームの再建」を託されました。
特別だったのは、そのスタートラインです。
南アフリカ大会の混乱の責任をとる形で、代表に召集されていた選手たちは、ノルウェーとの初戦で一斉に出場停止処分を受けました。
唯一の例外は、第3GKだったステファン・リュフィエのみ。
ブランは、ほとんどゼロから代表チームを編成することになります。
ノルウェー戦では、先発11人のうち6人が代表デビュー。
リュフィエ、アディル・ラミ、アリ・シソコ、シャルル・エンゾグビア、ギヨーム・オアロ。
さらに、控えからはヨアン・キャバイエとジェレミー・メネスもデビューを飾りました。
この試合の先発メンバーが持つA代表キャップ数は、合計35試合にすぎませんでした。
敗戦(1-2)はある意味で必然であり、同時に、そのあとのベラルーシ戦(ユーロ予選)にも悪い影響を与えてしまいます。
ホームで0-1の敗戦。
再建の道のりが、決して平坦ではないことを象徴するスタートでした。
しかし、ブランとアシスタントのジャン=ルイ・ガセは、少しずつチームを整えていきます。
2010年11月、ウェンブリーでのイングランド戦勝利。
2011年2月、ブラジルに対する親善試合での勝利。
そして、ドイツとのアウェーゲームでの勝利も収め、ユーロ2012の出場権を確保しました。
この頃のフランス代表は、「1987年生まれの世代」を中心に形作られていきます。
- カリム・ベンゼマ
- サミル・ナスリ
- ハテム・ベン・アルファ
- ジェレミー・メネス
彼らを囲むように、フロラン・マルーダ、フランク・リベリ、パトリス・エヴラ、アロー・ディアッラといったベテランがチームに安定感をもたらしていました。
ところが、ユーロ本大会の舞台となったウクライナで、物語は再び崩れていきます。
ウクライナ戦の後半以外は、内容的にも物足りず、スウェーデンにはズラタン・イブラヒモビッチの前に完敗。
スペインとの準々決勝では、シャビ・アロンソに2得点を許し、0-2で敗退します。
ピッチ外でも、ナスリ、メネス、ベン・アルファらの振る舞いが大きな問題となりました。
せっかく「立て直し」の途中にあったチームは、再びイメージを傷つけてしまいます。
ブランの挑戦は、ここで幕を下ろすことになります。
その後任として呼ばれたのが、ディディエ・デシャンでした。
ローラン・ブランの仕事は、「タイトル」で語れば失敗かもしれません。
しかし、「廃墟からチームを組み立て直す」という意味では、非常に難しいミッションを背負っていたと言えるでしょう。
あなたは、監督の評価をするとき、「結果」だけを見るでしょうか。
それとも、「どの状態から、どこまで持ち上げたのか」というプロセスを重視するでしょうか。
そしてジネディーヌ・ジダンへ。「5人目」の監督に託されるもの

ジャン・スネラとジョゼ・アリバスの共同体制。
ロジェ・ルメールの「世界王者から欧州王者へ」の連続性。
ジャック・サンティニの、数字では見えにくい「未完の2年」。
ローラン・ブランの、「崩壊からの再建」という重責。
その系譜の先に、ジネディーヌ・ジダンの名前があります。
あるいは、別の誰かかもしれません。
いずれにしても、「ワールドカップ直後に始まる新体制」という意味では、彼らは同じ道を歩むことになります。
ジダンは、選手として、すでにフランス代表史上屈指の存在です。
1998年の決勝で2ゴール。
2000年のユーロ制覇の原動力。
2006年のワールドカップでは、最後の最後までチームを決勝に導きました。
そして監督としても、レアル・マドリードでチャンピオンズリーグ3連覇という歴史的な偉業を成し遂げています。
しかし、「代表監督ジダン」は、まだ誰も見たことがありません。
スター選手だった監督が、必ずしも代表で成功するわけではないことは、世界中の多くの例が示しています。
一方で、チームの象徴がベンチに座ることによって生まれる「信頼」と「一体感」も、また大きな力になります。
今のフランス代表は、キリアン・エムバペという新たな象徴を中心に、タレントに恵まれた世代です。
ここに、ジダンという「レジェンド監督」が加わったら、どのような化学反応が起きるのでしょうか。
- ワールドカップ決勝のプレッシャーを知る監督が、選手に何を伝えられるのか。
- クラブとは違う「短期決戦の代表サッカー」に、どうアプローチするのか。
- スター選手との距離感を、どのように保つのか。
4人の前任者を振り返ると、一つの共通点が見えてきます。
「ワールドカップ直後に代表を託される監督」は、いつも「前の時代」と「次の時代」の間に立たされています。
スネラとアリバスは、1958年の記憶を引きずりながら、新しい時代を模索していました。
ルメールは、ジャケの遺産を守りつつ、さらに高みに押し上げる役割を与えられました。
サンティニは、世界王者から一気に転落したチームを、もう一度勝てる集団に戻そうとしました。
ブランは、ほとんど崩壊した代表の「信頼」と「イメージ」を回復させるという、非常に難しい仕事に取り組みました。
ジダンが5人目となるのか。
あるいは別の監督が選ばれるのか。
いずれにしても、その人は「ディディエ・デシャンの時代」と「次の時代」をつなぐ架け橋になるはずです。
あなたは、フランス代表の新監督に何を求めますか。
- 戦術の新しさでしょうか。
- カリスマ性でしょうか。
- 若手育成でしょうか。
- それとも、結果だけでしょうか。
サッカーを観ることは、「勝ち負け」だけでなく、「チームがどんな物語を紡いでいくのか」を見守ることでもあります。
ジダンという名前に胸を踊らせる人もいれば、静かに新しい戦術家を望む人もいるでしょう。
ただ一つ言えるのは、フランス代表は、これまでも何度も危機を乗り越え、そのたびに新しい姿へと生まれ変わってきたということです。
そのたびに、新しい監督、新しい主役、新しいスタイルが生まれてきました。
今回もまた、その「変化のタイミング」に、私たちは立ち会おうとしています。
最後に、一つの言葉で締めくくりたいと思います。
「終わりはいつも、新しい始まりのかたちをしている。」
ワールドカップの後にやってくる、新しい物語を、これからも一緒に見ていきましょう。
| 監督 | 就任背景 | 主な成果 | 評価 |
|---|---|---|---|
| スネラ&アリバス(1966〜) | イングランドW杯後の共同体制。2人ともクラブ優先で代表への専念困難 | 4試合2勝2敗、わずか2カ月で辞任 | △ 二人監督の限界を示す失敗例 |
| ロジェ・ルメール(1998〜) | ジャケの右腕として連続性を担う。軍代表監督として世界一の経験も持つ | ユーロ2000制覇。世界王者から欧州王者へ | ◎ WC後監督として最大の成功例 |
| ジャック・サンティニ(2002〜) | リヨン優勝監督。クラブ実績で選出。ユーロ開幕前にトッテナムと契約締結という問題も | 年間40得点・11試合連続クリーンシートの記録も、ユーロ2004準々決勝でギリシャに敗退 | ○ 数字は優秀だが「未完」に終わった複雑な評価 |
| ローラン・ブラン(2010〜) | 南アフリカW杯崩壊後の再建を託される。先発11人中6人が代表デビューのゼロスタート | ユーロ2012出場権確保、1987年世代の台頭を促すも準々決勝0-2でスペインに敗退 | ○ 廃墟からの再建という最難関ミッションをこなした |
| ジネディーヌ・ジダン(就任未定) | 選手として98年2ゴール・00年欧州制覇・06年決勝進出。監督としてCL3連覇 | 代表監督歴なし。「代表監督ジダン」は誰も見たことがない | △ 期待は最大も実績は未知数 |
- 引き継ぐ時の「チームの状態」を正確に診断してから方針を立てる — ブランは南アフリカW杯後に先発11人中6人が代表デビューという極限状態でスタートした。ルメールは優勝チームの継続性を担った。チームの状態によって必要なアプローチは正反対になる
- 大成功の直後に引き継ぐ場合は「連続性」を最優先にする — ルメールはジャケの哲学と選手を引き継ぎユーロ2000で連覇を達成した。世界一になったチームを大幅に刷新するのではなく、成功要因を継続させながら次の山を目指すことが有効だ
- 「数字が良い監督」が「評価される監督」ではないことを理解する — サンティニは年間40得点・11試合無失点という記録を作ったが、ユーロ準々決勝の一敗でキャリア全体が評価されにくくなった。最終的な大会での結果が印象を決める残酷な現実を踏まえた目標設定が必要だ
- チームが崩壊した後でも、新しい監督と一緒に「ゼロから作り直す」経験が将来を強くする — ブランのチームで代表デビューした選手たちの中には、その後フランス代表の柱になった選手もいる。苦しい時期に選ばれた経験が選手を成長させる
- スター選手が監督になっても、選手時代の輝きとは別の評価軸がある — ジダンはCL3連覇監督だが「代表監督ジダン」は未知数だ。プロとして尊敬する存在の「監督としての挑戦」を、結果だけでなくプロセスで応援する視点を持ってほしい
- 「終わりはいつも新しい始まりのかたち」である — ワールドカップが終わると新しい監督・新しい主役・新しいスタイルが生まれてきた。自分のサッカーも、一つの区切りが次の成長への入口だと考えると、負けた試合も前向きに受け止められる
