ホームを奪われてもボールを蹴り続ける意味──シャフタール・ドネツクが戦時下のサッカーに投げかける問い
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「ホームがないクラブ」が問いかけてくるもの シャフタール・ドネツクと戦時下の選択

「今日、どこで練習する?」から始まる日常
ウクライナ西部の街リヴィウ。 零下の気温、雪まじりの風。 シャフタール・ドネツクの選手たちは、その寒さの中でいつも通りボールを回し、シュートを打ち、倒れては起き上がる。
ただ「いつも通り」でないものがひとつある。 彼らには、いま「本当のホームスタジアム」がない。
元ウクライナ代表GKであり、いまはシャフタールのGKコーチを務めるアンドリー・ピアトフは、2014年のドンバス紛争以降、シャフタールがずっと「ホームレスのクラブ」として生きてきたことを語っている。
本拠地ドネツクのドンバス・アレーナではもう10年以上試合をしていない。 トレーニングキャンプも、選手や家族の住まいも、ひとつの街に落ち着くことはない。 状況に合わせて、複数のホテルを転々としながらシーズンを戦い続けている。
「今日はどこで練習する?」「いつまでここにいられる?」 多くのクラブで当たり前になっている前提条件が、ここでは毎シーズン、場合によっては毎月のように揺れ動く。
そんな中で、ひとりのベテランが現役引退後もクラブに残るという選択をした。 なぜ、ピアトフはこの「安定から最も遠いクラブ」にとどまることを選んだのか。
| 観点 | 2014年以前(ホーム時代) | 2014年以降(戦時下) | 継承/変化 |
|---|---|---|---|
| 本拠地 | ドンバス・アレーナ(ドネツク) | リヴィウ等を転々・ホテル拠点 | △ 変化(ホーム喪失) |
| 若手育成・移籍戦略 | ブラジル人選手の獲得・育成・欧州移籍 | 戦時下でも同方針を継続 | ◎ 継承 |
| ヨーロッパ舞台での立場 | チャンピオンズリーグ常連 | C4グループステージ6位まで低下 | △ 変化(結果面) |
| クラブの方針継続力 | 優勝争いを前提とした運営 | 「継続すること」自体が目的化 | ○ 柔軟化(目標再定義) |
| 選手の国籍選択 | 自由な国際移籍 | 戒厳令下で行動制限・残留選択が増加 | △ 変化(外的制約) |
「出ていく自由」があっても、出ないという選択
ピアトフは2023年、39歳で現役を終えた。 契約満了のタイミングで、クラブは彼にGKコーチとして残る道を提示した。
「このクラブに、別のかたちで貢献し続けたい」 彼はそう考えていたと語る。
興味深いのは、2014年の紛争勃発後、「海外移籍」というごく自然な選択肢を、彼自身がほとんど考えなかったと振り返っている点だ。
戦争、移動の制限、不安定な生活。 多くの人にとっては「出ていく理由」にしかならない材料が、彼にとっては「残る理由」を強くしていった。
もちろん、これは結果としての美談ではない。 彼自身、もしヨーロッパのトップクラブからの具体的なオファーがあれば悩んだかもしれない。 実際にはそうしたオファーはなく、「中堅クラブ」に行くくらいならシャフタールに残ると決めた。
ここで浮かんでくる問いがある。
- 自分が選手だったら、同じ状況でどこまで「環境」より「クラブ」を選べるだろうか
- どのレベルのオファーが来たら、残るか出るかの心が揺れるのか
「愛着があるから残る」 「キャリアのために出ていく」 どちらかが正しくて、どちらかが間違っているわけではない。
ただ、そのどちらを選ぶにしても、「なぜ自分はそう選ぶのか」を自分の言葉で説明できるかどうか。 そこに、その人のサッカー観や人生観がにじみ出る。
- 結果が出ないときに「路線変更か継続か」の基準を言語化しておく — シャフタールは戦時下でもブラジル人育成路線を変えなかった。自チームのビルドアップ重視・若手起用方針についても「どこまで結果が出なくても続けるか」をシーズン前に言語化しておくと、迷いが減る。
- 「慣れてはいけないこと」に慣れていないか自問する習慣を持つ — ピアトフが「戦争にも慣れてしまう」と語るように、指導者も「いつも怒鳴る」「いつも勝利優先」の空気に無自覚に慣れることがある。定期的に「今のチームで何かに慣れすぎていないか」を問い直す。
- チームメイトが自分と違う選択をしたとき、それを受け止める場を設ける — 「出ていく選手」と「残る選手」が同じチームにいるケースは育成でも起きる。転校・進路選択・チーム移籍の場面で、どちらの選択も尊重できるチーム文化を日頃から醸成する。
慣れてしまう戦争、慣れてはいけない現実
ピアトフは「時間がたつと戦争にも慣れてしまう」とも話している。
この一言には、重さと怖さが同時にある。
サッカー選手としては、どんな環境でも「日常」を取り戻さなければならない。 試合の日にはウォーミングアップをし、ゲームに集中し、終わればリカバリーをする。 砲撃のニュースが流れていても、リーグ戦やヨーロッパのカップ戦は待ってくれない。
いっぽうで、人としては「それに慣れてしまう自分」をどこかで疑わなければならない瞬間がある。
日々の爆撃、停電、暖房の停止。 ロシア軍が発電所を狙うことで、一般市民から「暖かい部屋で過ごす権利」が奪われている。
ピアトフは、そうした現実を世界に伝えようとしながらも、「それでも自分たちは前に進む」と言う。 それは決して、悲しみや怒りが消えたからではない。
日本でサッカーをしていると、 「安全であること」「グラウンドがあること」「電気がつくこと」 そういった前提を意識することはほとんどない。
だが、ピアトフたちは毎日、文字通り「命があること」を前提として練習場に立っている。
もし、自分のチームが明日からホームスタジアムを使えなくなり、住む場所も転々としながら試合を続けることになったら。 自分はどこまで「いつも通りのプレー」を続けられるだろうか。
- 「将来どうなりたいか」より「今日の練習で何を大切にするか」を先に考える — ピアトフたちは「明日同じメンバーでピッチに立てる保証すらない」環境で戦っている。先の目標より今日の90分に集中する習慣が、長期的な成長につながる。
- 「安全に練習できる環境」を当たり前と思わない意識を持つ — グラウンドがあること、電気がつくこと、チームメイトが来ること。それらすべてが「当たり前ではない」という視点を持つと、一回一回の練習への向き合い方が変わる。
- 進路や移籍を巡る選択では「なぜそう選ぶか」を自分の言葉で説明できるようにする — 「愛着があるから残る」も「成長のために移る」もどちらも正しい。大切なのはどちらの選択にも「自分なりの理由」を持てているかどうか。
「出ていける人」と「出ていかない人」
ウクライナでは戒厳令のもと、多くの成人男性が国外に出ることが制限されている。
ピアトフは3人の子どもを持つ父親であり、法律上は国外に出ることが認められている。 ヨーロッパカップやトレーニングキャンプに参加するため、同じく特別な許可を得た若い選手やスタッフとともに国境を越えることもある。
それでも、「出られるからこそ、外でサッカーをすることを通して国に貢献したい」と語る。
興味深いのは、多くの選手やスタッフが「許可があっても、国に残ることを選んでいる」という事実だ。 家族、友人、生まれ育った土地。 そういった「目に見えないもの」によって、人の足は国にとどまる。
ここには、分かりやすい「正解」はない。
- 安全を求めて国外に出ること
- 家族や仲間とともに危険を分け合うこと
どちらを選んでも、そこには苦しさや葛藤が残る。
もし自分が同じ立場ならどう選ぶか。 そして、チームメイトが自分とは違う選択をしたとき、それをどう受け止めるか。 サッカー選手である前に、人としての問いが突きつけられる。
勝てなくなったからこそ見えるもの
シャフタールは長年、ウクライナの国内リーグで常に優勝争いをしてきたクラブであり、チャンピオンズリーグでもおなじみの存在だった。
しかし戦争が長期化する中で、クラブの勢いは少しずつ変化している。 昨季は約30年ぶりにリーグ3位に終わり、ヨーロッパの舞台もチャンピオンズリーグではなく、4番目の大会(いわゆるC4)のグループステージ6位という結果に終わった。
ピアトフはこれを「クラブの歴史的な基準からすれば物足りない」と認めつつも、「世代交代の途中であり、若い選手たちが経験を積んでいる」と見ている。
シャフタールは20年以上前から、若いブラジル人選手を積極的に獲得して育成する戦略を続けてきた。 戦争の最中でもその方針を変えず、2023年夏には「ケビン」という選手をイングランドのフラムに4000万ユーロで売却している。
戦時下でも、選手を育ててヨーロッパのトップリーグへ送り出すサイクルを止めない。 クラブとしては「継続すること」を選んだ。
日本の育成年代でも、 「結果が出ないから路線を変えるのか」 「結果が出なくても、決めた方向性を続けるのか」 という局面は、形を変えて何度も訪れる。
例えば、
- ビルドアップにこだわるのか、ロングボールで割り切るのか
- 育成を優先して若手を使うのか、今季の結果のためにベテランを中心にするのか
シャフタールのような「非常時」のクラブでさえ、ひとつの方針を手放さずに続けようとしている。 では、日常が保たれている環境にいる自分たちは、どこまで「簡単に方向転換しない覚悟」を持てるだろうか。
「テレビの中の戦争」と「ピッチの上の現実」

ピアトフは、「戦争を実際に生きていること」と「テレビのニュースで見ていること」との間には、埋めようのないギャップがあると語る。
サッカー界でも、その感覚の差ははっきりと存在している。
例えば、かつてシャフタールを率いたパウロ・フォンセカは、ウクライナ人の妻や友人を通じて、今も強くウクライナ情勢を気にかけている。 一方で、ヨーロッパの他クラブと試合をすると、相手がウクライナの現状に特別な関心を持っているようには感じないこともあるという。
それをピアトフは「責めているわけではない」と前置きして話す。 誰もが自分の生活で精一杯であり、遠い国の出来事に心を割けないこともある。
これを日本のサッカーに置き換えるとどうだろうか。
例えば、
- 被災地のクラブと対戦するとき
- チームメイトに事情を抱えた選手がいるとき
「かわいそう」と一時的に感じることは簡単だ。 でも、ピッチに立ったら全力でぶつかってくる相手に対して、どんな距離感で向き合うのか。 そして、自分は本当にその人たちのことを「知ろうとしているか」。
ピアトフは、世界のサッカー組織や人々がウクライナの現実を十分に理解しているとは感じていない。 それでも、支援を寄せてくれる人々には心から感謝しているとも語る。
理解されないことへの諦めと、それでも伝えようとする意志。 この二つの間で、彼らはサッカーを続けている。
「ホームスタジアムに戻れる日」を夢見ながら、今を選ぶ
ピアトフには、もうひとつ捨てきれない夢がある。
いつか、再びドネツクのドンバス・アレーナで試合をすること。
かつて、彼はあのスタジアムでウクライナ代表としてフランスと戦った。 シャフタールの選手としても、何度も満員のスタンドの中でプレーしてきた。
いまの若い選手たちは、その景色を知らない。
だから彼は、アカデミーで働きながら、自分の中にある「ドネツクの精神」を言葉や態度で伝えようとしている。
それでも、「近い将来に安全な状態でホームに戻れるイメージは持てない」と現実も見ている。 ウクライナの人々は、「一日一日を生きる」という感覚を、この戦争を通じて痛いほど学んだと彼は話す。
遠い未来の約束より、今日の90分。 「いつかまたホームで」という夢より、「今ここでどう戦うか」。
私たちは、つい「将来どうなりたいか」を先に考えがちだ。 プロになりたい、代表に行きたい、海外でプレーしたい。
もちろん、それも大切なモチベーションだ。 しかし、ピアトフたちが直面している現実は、「明日、同じメンバーでピッチに立てる保証すらない」というものだ。
その中で、「今日のトレーニングで何を大切にするのか」「次の試合でどこまで自分を出し切るのか」を選び続けている。
問いとして受け取る、戦時下のサッカー
シャフタール・ドネツクの物語は、遠い国の特別なケースのように見えるかもしれない。
しかし、その裏側には、どの選手も、どの指導者も、どの保護者も、どこかで向き合うかもしれない問いが隠れている。
- 安定と成長、どちらを優先するときに何を基準に決めるのか
- 「慣れてはいけないこと」に慣れてしまいそうなとき、自分をどう止めるのか
- クラブや仲間に対して、どこまで責任を感じ、どこから自分の人生を優先するのか
- 理解されない現実を抱えながらも、それでもプレーを続ける意味は何か
ウクライナの冬のピッチに立つピアトフたちは、答えを持っているわけではない。 ただ、毎日「選び続けている」。
日本の穏やかな日常の中でサッカーをしている私たちは、その物語を「かわいそうな話」として消費することもできる。 あるいは、自分の練習やチームの状況に引き寄せて、「自分ならどう考えるか」をゆっくり問い返してみることもできる。
どちらを選ぶのかも、またひとつの「決断」だ。
戦争の中で続くサッカーは、 サッカーの外側にある世界の厳しさと、 それでもボールを蹴り続ける人間のしぶとさを同時に映し出している。
今、自分の前に転がっているボールを、どんな気持ちで蹴るのか。 その一蹴りを決めるのは、いつだって自分自身の選び方なのかもしれない。
