スウォンジーとヴィトーリアに学ぶ「クラブの顔」の選び方──日本の選手・指導者・保護者がいま考えたい、スタイルと結果の揺れにどう向き合うか
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「ジーンズからスーツへ」──スウォンジーとヴィトーリアに見る、クラブが“自分の顔”を選び直す瞬間

スタジアムに集う前に、ZARAに集まった人たち
チャンピオンズリーグの舞台に立つことが決まったとき、あるクラブのスタッフがこんな行動をとった。
「みんなでZARAに行って、スーツを買って、採寸してもらってからチャンピオンズに向かった」
普段はカジュアルな服装で仕事をしているスタッフたちが、そろってスーツを新調する。
豪華なブランドでも、特注のオーダーメイドでもない。
それでも、彼らにとっては大きな「決断」だったはずだ。
自分たちのクラブがヨーロッパ最高峰の大会に足を踏み入れる、その瞬間に、どういう姿でそこにいたいのか。
ジーンズでいることもできた。
でも彼らは、「スーツで行く」という答えを選んだ。
それは、戦術でもフォーメーションでもない。
けれど、クラブとしての「顔」をどうするのか、という、れっきとしたフットボールの選択でもある。
| 事例 | クラブ/人物 | 選択した姿勢 | 示された価値 |
|---|---|---|---|
| ZARAでスーツを揃えて欧州大会へ | あるクラブのスタッフ | ジーンズでなく『スーツで行く』を選択 | ◎ 場にふさわしい姿の表明 |
| 『巨人は巨人のそばにいるべき』 | ヴィトーリア・デ・セトゥバル関係者 | 現在地ではなく本来の居場所を言語化 | ◎ アイデンティティの宣言 |
| パスをつなぐ伝統の再構築 | スウォンジー | 短期の結果より長期の『らしさ』を優先 | △ 結果との葛藤 |
| 『ここに根を張る』との宣言 | 欧州制覇経験を持つ指導者 | 短期成果より文化づくりを選択 | ○ 中長期の覚悟 |
| 選手への要求レベルを引き上げる | SCブラガ | 『譲れないライン』の明文化 | ◎ 交渉力としての一貫性 |
| 過去の失敗を勲章に変える | ダニエル・ファリオーリ | 怖がっていた采配にあえて踏み込む | ○ 経験の再解釈 |
「巨人は巨人のそばにいるべき」──ヴィトーリア・デ・セトゥバルの言葉の重さ
ポルトガルの古豪、ヴィトーリア・デ・セトゥバル。
長い歴史と伝統を誇りながらも、近年はトップリーグから遠ざかっている。
そんなクラブの関係者が、ある言葉を口にした。
「巨人は巨人のそばにいるべきだ。 ヴィトーリア・デ・セトゥバルの居場所は、リーグの舞台だ」
結果だけ見れば、今は「巨人」とは言いづらいかもしれない。
それでも、そう言い切る。
これは強がりなのか、それとも揺るがない信念なのか。
おそらく、そのどちらの要素も含んでいる。
大事なのは、この言葉がクラブの人間にとって、プレッシャーにもなれば、拠りどころにもなる、という点だ。
「自分たちの居場所はどこなのか」
そう自分に問い続けることは、時に苦しい。
でも、その問いを手放した瞬間、クラブの歩幅も、歩く方向も、曖昧になってしまう。
- 『譲れないライン』を1行で言語化する — チームのプレー原則を3〜5語で書き出し、ミーティング冒頭で毎週読み返す
- 負けた翌週も同じ選択を続ける覚悟を持つ — 1試合の結果でメニューを変えず、4週間スパンで判断軸を固定する
- 『らしさ』を数値ではなく行動で評価する — ボール保持率や勝敗だけでなく、原則に沿った選択回数を映像で振り返る
「アイデンティティを取り戻す」という、時間のかかる選択
イングランド・ウェールズに拠点を置くスウォンジー・シティでは、指導者やクラブ関係者が「クラブのアイデンティティを取り戻そうとしている」と語っている。
スウォンジーは、かつてパスをつなぐスタイルでプレミアリーグでも存在感を示したクラブだ。
しかし、監督交代や環境の変化の中で、その色が薄れていった時期もある。
「昔のようなスウォンジーらしさをもう一度」
こうした言葉は、どの国のどのクラブでも聞かれる。
だが、それを本気でやろうとすると、目先の勝ち負けとどう向き合うかという難しい問題が出てくる。
例えば、ボールを保持しながら主導権を握るスタイルを取り戻そうとしたとする。
最初の数か月、あるいは最初のシーズンは、結果が出ないかもしれない。
サポーターからは「なぜこんなリスクを冒すのか」と問われるかもしれない。
選手からも「もっとシンプルに勝てるやり方があるのでは」と不安の声が出てもおかしくない。
それでも、「自分たちはこういうサッカーをしたい」という選択を続けるのか。
あるいは、「やはり現実路線に戻ろう」と方向転換するのか。
どちらも簡単な道ではない。
「アイデンティティを取り戻す」とは、プレースタイルの話だけではない。
負けた次の週末にも、同じ選択を繰り返す覚悟があるかどうか、という時間軸の話でもある。
- 移籍やチーム選びは『有名さ』より『価値観の近さ』で測る — どこが目立つかではなく、どのクラブの哲学が自分のサッカー観に近いかを基準にする
- 海外挑戦を『証明の場』ではなく『学びを持ち帰る旅』として捉える — 結果だけでなく、その経験をどう自分の中に積むかを言葉にする
- 子どもには『勝てるか』ではなく『どんな選手を育てるクラブか』を一緒に考える — 入団先選びの会話に育成方針の質問を加える
「ヨーロッパを制した人たち」の、静かな宣言
ポルトガル代表としてヨーロッパを制した経験を持つ人物が、「ここに来たからには、長くこの場所に根を張るつもりだ」と語っている。
華やかなタイトルを手にした選手や指導者は、その肩書きだけでも多くの尊敬を集める。
だが、実際に新しいクラブに入れば、その過去の栄光は、時に重荷にさえなる。
周囲の期待は一気に高まる。
「ヨーロッパで優勝した人なら、すぐに結果を出せるだろう」
もし結果が出なければ、たちまち「なぜだ」と問われる。
そんな中で、「すぐに何かを成し遂げたい」というよりも、「ここにとどまり、文化を作っていきたい」と語る姿勢には、また別の種類の覚悟があるように感じる。
短期間で数字を残すことも一つの価値だ。
だが、クラブに根を張っていくプロセスは、数字にならない選択の積み重ねかもしれない。
トレーニングの強度をどこに置くか。
若い選手にどこまでリスクを許容させるか。
ベテランにどんな役割を託すのか。
それらの小さな決断の集まりが、数年後にふと振り返ったとき、「あのときの言葉は本気だったのだな」と見えてくる。
「この世代は素晴らしい」と言い切ることの意味
ポルトガルのある指導者は、現在の世代を「本当に素晴らしい」と評価している。
技術レベルも高く、戦術理解もあり、メンタリティも備えている、と。
その一方で、「外で結果を出して初めて、内側の力が目を覚ますようなところもある」といった声もある。
海外クラブに移籍して成功した選手が、初めて国内で大きく認められる。
ヨーロッパの舞台で結果を出してから、「実はすごい選手だったのだ」と評価が変わる。
そうした構図は、ポルトガルだけの話ではないだろう。
日本でも、海外に出てプレーし始めたことで一気に注目される選手がいる。
同じ選手、同じプレーであっても、舞台が変わるだけで見え方が変わる。
ここに、ひとつの問いが浮かぶ。
「外で輝かなければ、本当の価値は認められないのか」
あるいは、
「外での経験を、自分の中の力を引き出す“きっかけ”としてどう生かすのか」
もし自分が選手だとしたら、外でプレーすることを「自分の価値を証明する場所」と見るか、「自分の可能性を試し、学びを持ち帰る場所」と見るかで、決断の重さが変わってくる。
「要求を変えられるクラブ」と「要求を変えられないクラブ」
ポルトガルのSCブラガは、近年、国内の強豪クラブとして確かな地位を築きつつある。
あるテーマとして語られたのが、「ブラガは、今では選手に対して違うレベルの要求ができるようになった」という話だ。
かつては、ビッグクラブからのオファーが来れば、すぐに選手を手放さざるを得なかったかもしれない。
しかし今のブラガは、選手との交渉や移籍条件において、「クラブとしてのライン」をはっきりと示せるようになっているという。
「自分たちには、こういう基準がある」
「これ以下では選手を出さない」
そう言えるようになるまでには、長い時間がかかる。
結果を積み重ね、財政基盤を整え、育成やスカウティングの仕組みを確立する。
つまり、「その場しのぎ」ではない決断が何度も繰り返されてきたということだ。
クラブが「要求を変えられるようになる」背景には、見えないところでの小さな我慢と積み重ねがある。
一方で、多くのクラブは、現実的な制約の中で「要求を変えたくても変えられない」状況にいる。
日本のクラブでも、「育てても、強豪クラブにすぐ獲られてしまう」という悩みは少なくない。
その中で、何を「譲れないライン」として残し、どこを柔軟に変えていくのか。
この選択は、チーム編成だけでなく、日々のトレーニングや育成年代の方針にも直結する。
ファリオーリが「傷跡を勲章にする」まで
ブラガを率いたダニエル・ファリオーリは、その歩み自体が「選択の物語」だと言える。
若くしてプロの監督となり、常に「新しいアイデア」を求められる一方で、結果が出なかった時期も経験している。
ある論評では、彼が「過去の痛い経験や敗戦を、自分の中の勲章に変えた」と表現されている。
失敗の跡を、隠すのか。
それとも、その傷跡を見つめ直し、チームを導くための材料に変えるのか。
試合中の采配ひとつとっても、彼は「自分がかつて怖がっていたこと」に、あえて踏み込んでいるように見える場面がある。
例えば、リードしている展開でも、若い選手を投入し、ビルドアップのリスクを負わせる。
前に似たような場面で失点していたなら、同じ手を打つのは勇気がいる。
それでも、もう一度選ぶ。
過去の失敗から「これはやってはいけない」と学ぶのか。
それとも「どうすればうまくいくか」を探り続けるのか。
指導者もまた、答えの出ない問いを抱えながら、毎週末のピッチに立っている。
日本ではどう考えられるか──「クラブの顔」を誰が選ぶのか
ここまで出てきた話は、どれも遠い国のニュースに見えるかもしれない。
ZARAでスーツを買い揃えたスタッフたち。
「自分たちの場所はトップリーグだ」と言い切る古豪クラブ。
アイデンティティを取り戻そうとするスウォンジー。
要求レベルを変えつつあるブラガ。
過去の傷を勲章に変えるファリオーリ。
ヨーロッパの舞台で戦ってきた人物の「ここに根を張る」という決意。
これらを日本のサッカーに重ねてみると、いくつかの問いが浮かぶ。
- 自分たちのクラブの「顔」は、誰が、どのように選んでいるのか
- 勝敗が揺れる中で、「本当はこうありたい」という姿勢をどこまで守れるのか
- 海外への挑戦を、「価値の証明」だけでなく「学びを持ち帰る旅」として見られているか
- 過去の失敗や降格、怪我を、「なかったこと」にするのではなく、どう未来への材料に変えるか
もしあなたが選手なら。
移籍先を選ぶとき、「どこが一番自分を有名にしてくれるか」だけでなく、「どのクラブの価値観が、自分のサッカー観に近いか」という基準で見ようとしたら、何が見えてくるだろうか。
もしあなたが指導者なら。
チームが負けた次の日、前日とは違うサッカーをしたくなる気持ちと、
「今は苦しくても、この方向性でいく」と選び続けたい気持ちの間で、どんな揺れがあるだろうか。
そして、もしあなたが保護者なら。
子どもがプレーするチームについて、「勝てるかどうか」ではなく、
「このクラブは、どんな選手を育てようとしているのか」を、子どもと一緒に考えてみたら、どんな会話が生まれるだろうか。
答えを急がないクラブ、答えを急がない自分

スーツを選んだスタッフたちも。
「自分たちの場所はここだ」と言い続けるクラブも。
アイデンティティをもう一度取り戻そうとするチームも。
それぞれが、すぐに正しさが証明されるとは限らない選択をしている。
むしろ、選んだ直後は「本当にこれでよかったのか」と不安になることの方が多いかもしれない。
サッカーは、90分ごとに結果が出る競技だ。
だからこそ、選んだものの価値を、すぐに点数や順位で測りたくなる。
けれど、クラブの顔つきが変わるのは、1試合単位ではなく、何年もかけて形になっていく。
個人のプレースタイルも同じかもしれない。
「自分はこういう選手として生きていきたい」と選んだ姿勢は、たぶん一晩では結果にならない。
だからこそ、ときどき立ち止まって、自分に問い直してみる時間が必要になる。
「なぜ、今の自分はこの選択をしているのか」
「他にどんな選び方があったのか」
そして、
「この選択を、もう少しだけ信じてみるのか、それとも別の扉を叩いてみるのか」
ヨーロッパのさまざまなクラブの物語は、その問いへの「模範解答」ではない。
ただ、同じサッカーという言葉を話す者同士が、別々の場所で悩みながら選んできた軌跡として、静かにこちらに問いかけてくる。
今、自分が立っているピッチで、どんな顔つきの選手でありたいのか。
その答えは、きっとスコアボードではなく、自分の中で少しずつ形になっていくのだと思う。
