レアル・マドリードのペレス会長によるピッチ外の判断やクラブ運営の発言から、日本の選手・指導者・保護者向けに学びを抽出するコラムのメイン画像

レアル・マドリード会長ペレスの「ピッチ外の決断」から学ぶ──日本の選手・指導者・保護者のためのクラブ運営とリーダーシップの思考法

DEFINITION
ペレス会長発言から学ぶ「ピッチ外の判断」
レアル・マドリードの会長が語った「キャンペーン」「選挙実施」「審判への不信」「ロッカールームの衝突」などの発言は、結果や正否を超えて「外からの評価とどう付き合うか」「誰が決め、誰が責任を取るか」という、日本のクラブ現場にも通じる思考の素材になる。

会長の言葉から見える「ピッチ外のサッカー」

「みんなが俺を疲れていると言うけれど、疲れているのは働きすぎているからだ」 スペインのある夜、フロレンティーノ・ペレス会長がそう反論する場面があった。 レアル・マドリードがタイトルを逃し、クラブをめぐる議論が熱を帯びる中での、テレビインタビュー。

病気説への怒り、メディアへの不信、審判への強い疑念、バルセロナをめぐる「ネグレイラ問題」への攻撃、そして選挙実施の宣言。 そのどれもが、ヨーロッパ最大級のクラブを動かす人間の「生々しい思考の断片」として、画面越しに伝わってきた。

結果や発言の是非をジャッジすることは、このコラムの目的ではない。 むしろ大事なのは、「なぜ、そう考え、そう選んだのか」を想像してみることだ。

世界的ビッグクラブの会長が口にした言葉たちは、 日本でサッカーをしている選手や指導者、保護者にとっても、 「自分ならどう考えるか?」を問い直すきっかけになる。

「キャンペーン」という言葉の裏にあるもの

インタビューでペレス会長は、メディアの批判や、自身の健康状態に関する憶測を「キャンペーンだ」と断じた。 レアル・マドリードや自分を標的にした組織的な攻撃だ、というニュアンスで。

同時に、クラブが置かれている状況を「経済的にも社会的にも健全だ」と強調し、 「自分はオーナーではない。クラブの持ち主はソシオ(会員)だ」とも繰り返した。

ここで見えてくるのは、ひとつの対立構図だ。

  • 外からクラブを批判・評価する「メディア」
  • 中からクラブを支え、選ぶ権利を持つ「ソシオ」

ペレス会長は、自分の立ち位置を「ソシオ側の代表」に置き、 メディアを「クラブに影響を与えようとしている存在」として線を引いた。

日本でプレーする選手や、育成年代の保護者、指導者にとって、この構図は遠い話に感じるかもしれない。 でも、スケールを小さくしてみると、どこのクラブでも似た空気は生まれうる。

  • スタンドから飛ぶヤジやSNSでの批判
  • 保護者の声がベンチ入りや起用法に影響するように「感じる」瞬間
  • 噂や憶測が、実際のチーム状況よりも大きく広がる場面

外からの評価や情報が、自分たちのプレーや決断にどう影響しているか。 そして、それをどこまで受け入れ、どこから線を引くのか。

会長の「キャンペーンだ」という言葉は、 ある意味で「外からの評価とどう付き合うか」という、サッカーを続ける誰もが向き合うテーマの、極端な形にも見える。

COMPARISON / ペレス会長の発言テーマと、日本のサッカー現場に置き換える視点
論点 会長が示した姿勢 日本の現場で起きる類似場面 問い直したい軸
外部からの評価 メディアの批判を「キャンペーンだ」と断じる SNSやスタンドからの声がベンチ入りや起用法に影響する ◎ どこまで受け入れ、どこから線を引くか
決定権の所在 「ソシオがオーナーだ」と繰り返し選挙を宣言 スタメン・方針・昇降格を誰が最終決定しているのか ◎ 誰が決めるのかを明文化する
判定への姿勢 失点の資料化やUEFAへの提出を示唆 育成年代の試合で納得できない判定を受けた場面 △ 言い訳と事実検証の境界を引く
ロッカー内衝突 「ケンカ自体は普通、漏れるのが問題」と整理 練習中の小競り合いがSNSで拡散される ○ 健全な摩擦と壊れる衝突の見極め
指揮官人事 「監督交代の効果は一時的だった」と振り返る 成績不振時に監督を替えるか、体制を支えるか ○ 役割分担と責任の線引き
相手との関係 メディアやライバルクラブに「敵」と線を引く 「あの指導者・保護者とは話にならない」感情 △ 断絶と対話のどちらを選ぶか
◎=多くの現場で共通する核心 / ○=チームによって判断が分かれる論点 / △=正解が一つではなく状況依存

「選挙をする」という決断は何を意味するのか

ペレス会長は、この不安定な状況に対して「だからこそ選挙を開く」と語った。 自分の進退を、自分で決めるのではなく、「ソシオの選択」に委ねる、という形だ。

表面的には、「自信の表明」とも、「逃げない姿勢」とも、「正当性の確認」とも受け取れる。 だが、そこにはもう少し複雑な思考があるはずだ。

  • 批判が続く中で、自分の立場をどう守るか
  • チーム内外の不安を、どうやってひとつの方向に集約するか
  • 「誰が決めるのか」というルールそのものを確認し直す必要

日本のクラブチーム、特に育成年代では「選挙」はあまり身近ではない。 それでも、「誰が最終的に決めるのか」という構造は必ず存在している。

  • スタメンは、最終的に誰が決めるのか
  • クラブの方針は、誰の意見が強く反映されるのか
  • 監督交代やカテゴリー昇格・降格は、どのように決まるのか

ペレス会長が「ソシオがオーナーだ」と何度も語るのは、 「最終決定権はどこにあるのか」を明確にしておくことが、 混乱の中でクラブを保つために重要だと考えているからかもしれない。

もし自分がチームキャプテンだったとして。 チームが結果を出せず、周囲から不満の声が聞こえ始めたとき、 自分のリーダーシップのあり方を、チームメイトに「問い直してもらう」覚悟を持てるだろうか。

選手であれば、「試合に出られない自分の現状」を、誰のどんな判断として受け止めるのかを考える必要がある。

「誰が決めるのか」をはっきりさせることは、ときに苦しい。 けれど、それをぼかしたままにすると、 うまくいかないときに「誰の責任なのか」ばかりが浮かび上がってしまう。

FOR COACHES / FOR COACHES/指導者が持ち帰る3点
クラブ運営の言葉から、現場の意思決定を見直す
  1. 「誰が決めるのか」を口に出す — スタメン・起用・カテゴリー判断について、最終決定者と判断軸をチームと保護者に明示する
  2. 判定への向き合い方をチームで言語化する — 「審判のせい」と「自分たちのせい」の二極ではなく、事実検証と感情処理を分けて話し合う場を設ける
  3. 衝突を恐れず、出方だけを設計する — 練習中の小競り合いそのものを禁じるのではなく、外への漏れ方とフォロー手順をルール化する
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審判への不信と「言い訳」と「事実」のあいだ

インタビューの中で、ペレス会長は、 ネグレイラ問題に対して「世界最大級の腐敗だ」と語り、 バルセロナと審判の関係を強く批判した。

さらに、自クラブについても、「今年も多くのポイントを奪われた」と主張し、 これまでのシーズンで失った勝点をまとめた膨大な資料を、 UEFAなどに提出する意向を示した。

この姿勢をどう捉えるかは、人によって分かれるだろう。

  • クラブを守るための当然の行動、と見るか
  • 負けた理由を外に求めているだけ、と見るか
  • 審判への圧力として、危険な発言と見るか

ただ、ここでも大切なのは「正しい/間違い」を断定することではなく、 「なぜ、ここまで徹底して主張するのか」を考えてみることだ。

トップレベルであれ、育成年代であれ、 サッカーは審判の判定と切り離せない。 理不尽に感じる判定、納得できないジャッジは、誰しも経験する。

そのときに問われるのは、

  • どこまでを「事実」として検証しようとするのか
  • どこからを「言い訳」として手放すのか
  • チームとして、どんな姿勢を言葉にするのか

たとえば育成年代の試合で、 明らかにオフサイドではないと思えるゴールが取り消されたとき。

  • 指導者は、その判定をどう子どもたちに説明するのか
  • 選手は、その悔しさをどうプレーに変えていくのか
  • 保護者は、どんな言葉を子どもにかけるのか

「判定のせいで負けた」と言ってしまうことは簡単だ。 ただ、その一言で、自分たちのプレーや準備に向き合う機会を失うこともある。

一方で、「何も言わない」ことが、美徳とは限らない。 安全面やフェアプレーに関わる問題であれば、 声を上げる責任も、指導者やクラブにはある。

ペレス会長のように、 「資料を作り、法的な場で争う」という選択もあれば、

  • 試合後に冷静に映像を見直し、事実を整理する
  • 感情と事実を分けてチームで話し合う
  • どこまでを受け入れ、どこから改善を自分たちに求めるかを決める

といった、日常レベルの選択もあるはずだ。

「審判のせい」にするのか、「全部自分たちのせい」にするのか。 その両極の間に、どんなグラデーションの考え方がありうるのか。 それをチームで一度、立ち止まって話してみてもいいのかもしれない。

FOR PLAYERS & PARENTS / FOR PLAYERS & PARENTS/選手・保護者の視点
「外の声」と「自分の選択」を分けて持つ
  1. 外からの評価で自分の軸を揺らさない — SNSや保護者間の噂を、自分のプレー判断にそのまま持ち込まない線引きを決める
  2. 納得できない判定の扱いを家庭で話す — 子どもに「判定のせいで負けた」と片付けさせず、自分たちのプレーや準備に向き合う時間を持つ
  3. コントロールできる範囲を毎週ひとつ選ぶ — 起用や審判は変えられなくても、コンディションや役割の磨き方は自分で選び取れる

更衣室の「ケンカ」が外に出たとき

インタビューでは、レアル・マドリードの練習で起きたとされる選手同士の衝突についても話が及んだ。 ペレス会長は「どの年だってケンカはある。問題は、それが外に漏れることだ」といった趣旨のことを語り、 「誰かがあえて情報を出した」とも示唆した。

プロの更衣室で起きた出来事が、 ニュースやSNSを通じて世界に広がる。 その一つひとつに、クラブとしてどう対応するのか。

これもまた、規模こそ違えど、日本のチームでも起こりうることだ。

  • 練習中の小競り合いが、動画としてSNSに上がる
  • ベンチでの不満そうな表情の写真が、「チーム不和」として拡散する
  • 保護者同士のLINEやSNSで、ロッカールームの情報が共有される

そのとき、

  • 「なぜ、その情報は外に出たのか」
  • 「出てしまったあと、どう振る舞うのか」

を考えることは、ピッチ上の戦術とは別の、「チームを運営する思考」になる。

ペレス会長は、外にいるメディアを批判しつつも、 「更衣室でケンカがあること自体は、どのクラブでも普通だ」と言い切った。

言葉を裏返せば、 「衝突のないチームは、必ずしも良いチームとは限らない」という見方もできる。

選手同士が本音をぶつければ、摩擦は生まれる。 それを「悪」と決めつけず、 どこまでが健全な競争で、どこからが壊れる衝突なのか。

もし自分のチームメイト同士が、練習中に激しく言い合いをしたとしたら。

  • その場で止めに入るのか
  • あとで誰かに相談するのか
  • 指導者として、どこまで介入するのか

いずれを選ぶにしても、 「何を守りたいから、その行動を選ぶのか」を自分の中で言葉にしておくことが、 チームにとっての「軸」になる。

「指導者人事」と「誰がどこまで責任を取るのか」

ペレス会長は、シーズン途中の監督交代について、 「プレシーズンなしでフィジカルが落ちた。監督交代で変えられると思ったが、効果は一時的だった」と振り返った。

ここでも、「判断の是非」が論点になりがちだ。

  • あのタイミングで替えるべきではなかった
  • もっと早く動くべきだった
  • そもそも前任者の解任が早すぎた

しかし、もう一歩だけ視点をずらしてみると、 「クラブという組織が、どこまで現場に介入するのか」という問いが浮かび上がる。

ペレス会長は、監督や補強について、 「自分が直接決めているわけではない。スポーツディレクターの役割だ」とも繰り返した。

これは、責任逃れと捉えることもできるし、 役割分担を守ろうとする姿勢と捉えることもできる。

日本のチームで考えてみると、

  • クラブ代表やオーナーが、スタメンや戦術に口を出すべきなのか
  • 育成年代のコーチ人事に、どれくらい保護者の声を反映させるのか
  • 成績が出ないとき、監督を替えることと、体制を支えること、どちらを選ぶのか

といった、似たような問いが立ち上がる。

「誰がどこまで責任を取るのか」という線引きは、 曖昧にしておいた方が、短期的には楽なことも多い。

けれど、その曖昧さは、 うまくいかなくなったときに「誰も責任を取らない」状態を生む。

選手であれば、 「プレーの責任は自分にある」と言うのは簡単だ。 では、コンディション管理は? 出場機会は? チーム戦術との相性は?

クラブや指導者に求めることと、自分で引き受けることの境界を、どこに引くのか。 そのラインを、一度立ち止まって考えてみることは、 レアル・マドリードのようなビッグクラブだけでなく、 どのカテゴリーの選手にも共通するテーマだろう。

FAQ / よくある質問
Q. ペレス会長は何を「キャンペーン」と呼んだのですか?
A. テレビインタビューで、メディアによる批判や自身の健康状態に関する憶測を「組織的にレアル・マドリードや自分を狙った攻撃」というニュアンスで「キャンペーンだ」と断じました。あわせて、クラブが置かれている状況は経済的にも社会的にも健全であり、自分はオーナーではなくソシオこそが持ち主だ、と繰り返し強調しています。
Q. なぜ「選挙を開く」と宣言したのですか?
A. 批判や不安定な状況に対して、自分の進退をソシオ(会員)の選択に委ねるためです。記事は、これを単なる自信表明や逃げない姿勢としてだけでなく、「最終決定権がどこにあるのか」というルールを混乱の中で明確にし直す行為として読み解き、日本のクラブで「誰が決めるのか」を曖昧にしないことの大事さに重ねています。
Q. 審判への不信表明から、現場の指導者は何を学べますか?
A. 会長は失点の資料化やUEFAへの提出意向まで示しましたが、記事は是非を断定しません。日々の試合で問われるのは、どこまでを「事実」として検証し、どこからを「言い訳」として手放すかの線引きです。映像で振り返り、感情と事実を分けて話す習慣を、育成年代でも持つことが提案されています。
Q. ロッカールームのケンカについて、会長はどう整理しましたか?
A. 「どの年だってケンカはある。問題は、それが外に漏れることだ」と語り、衝突自体は普通だと位置づけたうえで、情報が外に出る経路を問題視しました。記事はここから、衝突を一律に「悪」と決めつけず、健全な摩擦と壊れる衝突の境界をチーム内でどう設計するか、という日本の現場でも有用な問いを抽出しています。

「敵」として線を引くこと、「対話」を続けること

インタビューの中で、ペレス会長は、 特定のメディアや記者について、「クラブの敵だ」と名指しする姿勢も見せた。

同時に、バルセロナとの関係についても 「20年以上審判に金を払っていたクラブと関係を持つつもりはない」と語り、 関係が完全に断絶していることを認めた。

そこには、「守るべきもののために、強い言葉で線を引く」という一つの覚悟がある。

一方で、その線引きは、

  • 議論の余地を閉ざす
  • 対話を通じて変化していく可能性を減らす

という側面も持つ。

日本のサッカー現場でも、

  • 「あそこのクラブとは関わりたくない」
  • 「あの指導者とは一緒にやれない」
  • 「あの保護者とは話にならない」

といった感情は、誰もが一度は抱く。

そのとき、

  • 完全に関係を断つのか
  • 最低限のラインで付き合うのか
  • あえて対話の場を設けるのか

どの選択も「正解」とは限らない。

ただ、「なぜ、その選択をするのか」を自分で説明できるかどうかは、 サッカーのプレーと同じくらい大事な「判断の質」なのかもしれない。

問いを持ちながらサッカーを見るということ

レアル・マドリードの会長がテレビスタジオで語った言葉たちは、 遠いスペインの出来事に見えるかもしれない。

しかし、その一つひとつを少しずつほどいていくと、

  • 外からの評価と、どう付き合うか
  • 誰が決め、誰が責任を取るのか
  • 理不尽に見える出来事を、どう受け止めるか
  • チーム内の衝突を、どう捉え、どう扱うか
  • 「敵」と「対話」の線をどこに引くか

といった、どのカテゴリーのサッカーにも共通する問いが見えてくる。

もし、あの会長の立場が自分だったら。 もし、自分のチームがあのような批判にさらされたら。 もし、自分がジャーナリストで、クラブと対峙する側だったら。

立場を少しずつずらしながら想像してみることで、 試合結果や移籍ニュースの「表側」だけでなく、 そこに関わる人たちの思考や迷いが、少しずつ立ち上がってくる。

サッカーは、90分のプレーだけで完結するものではない。 ピッチの外側で重ねられる、無数の判断や選択の積み重ねが、 あの緑の上に立つ11人の姿を形づくっている。

次にサッカーのニュースを目にしたとき。 その見出しの裏側に、「どんな考え」と「どんな選択」があったのか。 一度、急がずに立ち止まって想像してみる。 その時間そのものが、サッカーを深く味わうことにつながっていくのかもしれない。

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