スウォンジー・ウェイから学ぶ「クラブのアイデンティティ」のつくり方──日本の監督・選手が勝敗と“らしさ”の葛藤に向き合うための視点
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「アイデンティティを取り戻す」という難しい選択 〜スウォンジーの挑戦から考える日本のサッカー〜
プレミアから遠ざかった街で起きていること

イングランド南部、スウォンジーという街には、少し独特なサッカークラブの記憶が残っている。
ボールをつなぐことにこだわり、守るときも前から奪いにいき、プレミアリーグでビッグクラブを相手に堂々とパスを回したあの頃。
「スウォンジー・ウェイ」と呼ばれたそのスタイルは、ただの戦術ではなく、クラブの誇りやアイデンティティとして語られてきた。
しかし今、そのクラブはプレミアから離れ、チャンピオンシップで苦しい季節を過ごしている。
その中で、ある指導者が「スウォンジーにアイデンティティを取り戻したい」と語り、クラブのスタイルをもう一度つくり直そうとしている。
成績が安定しない中で、あえて「時間のかかる道」を選ぼうとする姿には、いくつもの葛藤が重なっているように見える。
| 場面・観点 | アイデンティティ優先 | 短期結果優先 | 評価 |
|---|---|---|---|
| ビルドアップ | リスクを負ってでも後ろからつないで主導権を握る | ロングボールを多用してリスクを減らす | ◎ 継承 |
| 試合展開 | 自分たちから仕掛ける姿勢を90分間貫く | 相手に合わせてカウンターに徹する | ◎ 継承 |
| 選手の判断基準 | 「スタイルに沿って判断する」という軸を持つ | 試合状況ごとに指示を待つ受け身の姿勢 | ○ 自律化 |
| 指導者交代時 | クラブとして大切にしたいことを次の指導者に引き継ぐ | 新監督が白紙からやり方を変える | △ 変化 |
| 結果が出ない時期 | 何を変えたか・何を変えないかをチームで共有して継続 | すべてを否定してやり方を変える | △ 変化 |
| 育成年代との接続 | トップチームと育成が同じ「つなぐ文化」を共有する | 大会前だけ戦術を変えて結果を優先する | ◎ 継承 |
「勝つため」だけなら、別の選択肢もある
リーグで生き残ること、昇格争いに食い込むことを考えるなら、「アイデンティティを取り戻す」という言葉は、少し遠回りに聞こえるかもしれない。
現実的に勝ち点を拾うだけなら、もっとシンプルなやり方もある。
例えば
- リスクを減らすためにロングボールを増やす
- ボールを持たれる時間を受け入れ、カウンターに徹する
- 相手に合わせて毎試合やり方を変え、短期的な結果を優先する
その方が、目の前の試合で結果が出る可能性は高いかもしれない。
それでも、スウォンジーでは「ボールを持って主導権を握る」スタイルをもう一度取り戻そうとしている。
なぜ、あえて難しい道を選ぶのか。
そこには「このクラブはどうありたいのか」という問いが、常に背景に存在しているように見える。
- 「らしさ」を言葉にして共有する — 「自分たちはつなぐチームだ」と言うだけでなく、具体的にどの場面でどう動くかを選手と一緒に言語化し、練習・試合を通じて繰り返し確認する
- 結果が出ない時期に「変えた部分・変えなかった部分」を明示する — 苦しい時期ほど、何を守り何を修正したかをチーム内で共有することで、選手が判断の根拠を持ち続けられるようにする
- 指導者交代を見越したクラブ単位の記録を残す — 監督だけが知るスタイルではなく、フロント・育成・トップが共有できる形でクラブとして大切にしたいことを文書化し、引き継ぎできる状態にする
クラブの「らしさ」と、監督の「やりたいサッカー」
監督が口にする「アイデンティティ」という言葉は、聞こえはきれいだが、実行するとなると相当に厄介だ。
クラブには歴史があり、ファンには期待があり、フロントには経営の事情がある。
その中で、監督には自分のサッカー観や信念もある。
「スウォンジーらしさ」と「監督自身のやりたいサッカー」が、どこまで重なっているのか。
もし完全に同じ方向を向いていなければ、どこかで何かを手放さなければいけない。
例えば、こんな葛藤があるかもしれない。
- 本当はもっとリスクをとって後ろからつなぎたいが、今の選手構成では難しい
- クラブの伝統としては攻撃的にいきたいが、現状は守備を固めないと勝ち点が取れない
- 育成年代からの「つなぐ文化」を大切にしたいが、トップチームは結果を急がれている
表向きは「アイデンティティの再構築」というひとつの言葉で語られるが、その裏にはたくさんの小さな譲歩や、見えない妥協が積み重なっているはずだ。
- 「監督の言葉」を「自分の言葉」に変換する — 監督が「つなごう」と言ったとき、ただうなずくのではなく、「自分がセンターバックでプレスを受けたとき、どう動くか」を自分なりに考える習慣を持つ
- ピッチ上の判断で「チームの方向性に自分も加わっている」と感じる — アイデンティティは監督だけのものではなく、一人ひとりの選択が積み重なってできる。後半終盤のビルドアップで「スタイルに沿った選択をした」という経験が誇りになる
- 保護者は「なぜやり方を変えたか」を子どもに聞いてみる — 試合後に「今日はなぜロングボールが多かったの?」と聞くことで、子どもが自分の判断を振り返り、チームのスタイルと自分のプレーを結びつけて考える機会になる
「取り戻す」とは、過去に戻ることなのか
一度強い印象を残したクラブのスタイルには、「あの頃に戻りたい」という誘惑がつきまとう。
プレミアで結果を出していたときのスウォンジーを知る人なら、「あのサッカーをもう一度」という気持ちが湧くのも自然だろう。
ただ、「取り戻す」という言葉は、危うさも抱えている。
サッカーは進化し、リーグの強度も上がり、選手のタイプも変わる。
10年前と同じことをコピーしても、同じ結果にはならない。
過去の成功は、あくまでヒントにすぎない。
では、「アイデンティティを取り戻す」とは何を指しているのか。
例えば、こんな問いが浮かぶ。
- 「ボールを持つこと」そのものを目指すのか
- 「主導権を握る」という感覚を、プレー全体に取り戻すのか
- 「自分たちから仕掛ける」という姿勢を、クラブ全体に根付かせたいのか
選手に伝えるときも、「あの頃のようにやれ」ではなく、「いまの自分たちにとってのスウォンジー・ウェイとは何か」を、一緒に探し直す作業になる。
そこでは、過去の答えをなぞるのではなく、今のチームで改めて問い直すことが求められている。
選手は「アイデンティティ」をどう受け取るのか
監督が「クラブのアイデンティティ」を語ったとき、ピッチに立つ選手はそれをどう受け止めるのか。
たとえば、ビルドアップの場面。
センターバックがボールを持ち、相手が強いプレスをかけてくる。
スタンドからは「つなげ!」という空気も、「蹴れ!」という叫びも、同時に聞こえる。
監督は前日、「落ち着いてつなごう」と話していた。
だが、目の前にはプレッシャーが迫り、スコアは0-0、試合時間は後半の終盤だ。
このとき選手は、何を基準に判断するのか。
「アイデンティティを大事にして、リスクを負ってでもつなぐべきなのか。」
「チームのために、ここは安全に前へ蹴るべきなのか。」
そこには、正解と不正解で割り切れないグラデーションがある。
監督が「アイデンティティ」を語るほど、選手は「自分のプレーはそれに合っているのか」と自問する機会が増えていく。
それはときに重圧にもなり、ときに誇りにもなる。
だからこそ、本当の意味でクラブのスタイルが根付くには、「監督の言葉」が「自分たちの言葉」になる時間が必要なのかもしれない。
日本のクラブで同じことをやるとしたら
このスウォンジーの取り組みを、日本のサッカーに重ねてみると、いくつかの問いが浮かんでくる。
日本のクラブや育成年代でも、「うちのクラブらしさ」「自分たちのスタイル」という言葉は、よく耳にする。
ただ、その「らしさ」は、どこまで言葉にされているだろうか。
そして、その「らしさ」を守るために、どんな選択がなされているだろうか。
たとえば
- 結果が出ないときも、やるべきことを変えない覚悟があるか
- 指導者が代わったとき、クラブとして大事にしたいことは引き継がれているか
- 選手自身が、「このクラブの一員として、どうプレーしたいか」を考える機会があるか
ある育成年代のチームでは、「自分たちはつなぐチームだ」と言いながら、全国大会が近づくと急にロングボールを多用するようになることがある。
それを「現実的」と評価するか、「ブレた」と捉えるかは人それぞれだ。
ただ、そこで一度立ち止まって、「なぜそう変えたのか」「どこまでが譲れない部分だったのか」を言葉にしておくことには、意味があるように思う。
監督だけでなく、選手も「選ぶ側」にいる

スウォンジーのように、「クラブのアイデンティティを取り戻す」と宣言するのは、どうしても監督やフロントの物語になりがちだ。
しかし、試合を動かしているのは、一人ひとりの選手の選択であることは変わらない。
育成年代でも、プロでも、選手には常に選択肢がある。
- リスクを恐れず、ビルドアップでボールを受けるか
- 安全なプレーでミスを減らすか
- 監督の求めることに合わせるか、自分の得意を貫くか
監督の言葉をただ「従うべき指示」として受け取るのか、それとも「一緒に作っていくスタイル」として考えるのかで、ピッチでの姿勢は変わる。
もし自分がスウォンジーの選手だったら、どうするだろうか。
「アイデンティティを取り戻す」という言葉を聞いたとき、ただうなずいて練習に向かうのか。
それとも、その言葉の意味を自分なりに考えながら、「じゃあ自分は何を変えるべきか」を探すのか。
サッカーはチームスポーツだが、「チームの方向性」を受け身で受け取るか、自分もその一部として関わるかで、見える景色は変わってくる。
時間がかかる選択を、どう受け入れるか
「アイデンティティを取り戻す」というプロセスは、どうしても時間がかかる。
スウォンジーがその道を選んだとしても、結果が出るまでには山あり谷ありのシーズンが続くだろう。
その間、監督は批判も受けるだろうし、選手も迷う場面が何度も訪れるはずだ。
日本のクラブや育成年代のチームでも、同じだ。
スタイルを貫こうとするとき、必ず「このままでいいのか」という揺れが生まれる。
そこで、どんな会話ができるか。
結果が出ない時期にこそ、
- 何を変えたのか
- 何を変えずに残したのか
- その選択を、選手自身はどう感じているのか
を、チームの中で共有できるかどうかが、大きな分かれ目になる。
うまくいかないときに、すべてを否定してやり方を変えるのは簡単だ。
逆に、何もかも「信念だから」と言って変えないのも、別の意味で楽な選択かもしれない。
難しいのは、「どこまでを守り、どこからを変えるか」を、その都度考え続けることだ。
「自分ならどうするか」を持ち帰る
スウォンジーがどんなふうにこのシーズンを終えるのか、成績だけを見れば「成功」「失敗」といった言葉で語られてしまうだろう。
ただ、そこに至るまでに、監督も選手も、何度も選択を迫られている。
クラブのアイデンティティを取り戻すという大きなテーマの裏側には、一つひとつのプレー、一人ひとりの心の揺れが積み重なっている。
日本でサッカーに関わる自分たちは、その物語から何を持ち帰れるだろうか。
自分たちのチームには、どんな「らしさ」があるのか。
それは、監督だけが決めるものなのか。
選手として、保護者として、指導者として、自分はその「らしさ」とどう向き合いたいのか。
スコアや順位の外側にある、こうした問いを手に取りながらサッカーを見てみると、同じ試合でもまったく違う物語が浮かび上がってくる。
そして、答えが出るまでの時間を急がずに、迷いながら進んでいくその過程こそが、サッカーの面白さの一部なのかもしれない。
